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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 開票速報を見ながらワールドカップ決勝まで何とか持たせようと思っているのですが、当確の出るのが早くて午前2時までもつかな?^_^;

北海道
函館史 華やかに 野外劇開幕
五稜郭築城シーンなど函館の
歴史絵巻を演じる函館野外劇

 市民創作・函館野外劇の第23回公演「星の城・明日に輝け」(NPO法人市民創作「函館野外劇の会」主催)が9日夜、国の特別史跡・五稜郭跡(五稜郭公園)で開幕した。市民や観光客のほか、修学旅行で来函した仙台白百合学園中の生徒ら120人を含む約900人が来場。コロポックルのナレーションに合わせた函館の一大絵巻を、息を詰めて見守った。
 開演に先立ち、函館観光大使、野外劇大使の歌手平田まりさんが、自身で作詞した「五稜の星」を熱唱。観客から大きな拍手を受けた。主催者あいさつでは、同会の寺坂伊佐夫副理事長が「市民主体でつくり上げる野外劇を最後まで見届けてほしい」と述べた。谷澤廣函館市副市長の来賓あいさつに続き、野外劇のテーマ曲「星のまちHAKODATE」を作った作家新井満さんが「この歌は市民の応援歌。いつも心の中で歌って」と話した。
 劇では、高田屋嘉兵衛の登場により函館が繁栄し、西洋諸国が来港する場面など、華やかなフラッグダンスと青や緑の光線が交錯するステージに観客は酔いしれた。箱館戦争の場面では銃や大砲の迫力が観客を圧倒。エンディングには出演者と観客がペンライトを振り、テーマ曲を合唱。会場が一体となり、感動を分かち合った。


宮城
雑記帳:「片倉家と白石城」展 「歴女」に人気の小十郎も
 宮城県白石(しろいし)市にある白石城の歴代城主を260年あまりにわたって務めた片倉家ゆかりの資料を紹介する企画展「片倉家と白石城」が、城近くの白石城歴史探訪ミュージアムで開かれている。
 慶長7(1602)年、初代片倉小十郎景綱が藩主の伊達政宗から1万3000石で白石城を拝領。以来、明治元(1868)年の戊辰(ぼしん)戦争で敗れ城を明け渡すまで、片倉家が城主だった。
 小十郎は人気ゲーム「戦国BASARA」にも登場し、いまなお「歴女」らの心をつかむ。首相が毎年交代する現代日本の姿を、“長期政権”の礎を築いた名将は何と見る?【豊田英夫】

 キーワード「戊辰戦争」で引っかかりました。『戦国BASARA2』第一回、予約録画し忘れました……orz。


岐阜
物流で栄えた九里半街道紹介
大垣の団体がパンフレット

 大垣市上石津町牧田の住民らでつくるグループ「九里半(くりはん)歴史文化回廊」(高桐秀夫会長)が、かつて物流で栄えた地元の街道を紹介するパンフレット「九里半街道 牧田宿」を作った。
 九里半街道は、中世後期から幕末にかけて養老町と滋賀県米原市を結んだ物流ルートで、距離が9里半(38キロ)あった。尾張や伊勢の物資は揖斐川を上り、川港のある養老町で陸揚げされて同街道を経由、琵琶湖に出て上方や北陸方面に向かった。主に海産物や紙類、木綿などが往来したという。
 その後、街道は鉄道や海上輸送の発達などで忘れ去られたが、牧田地区には馬頭観音や地蔵尊などが残され、往時の面影をとどめている。同会では郷土の歴史や文化を地域に伝えようとパンフレットを作ることにした。
 計2000部を作成。学校や関係団体などに配るほか、このうち200部(1部100円)を一般向けに配布する。
 問い合わせは高桐会長(090・7671・3413)。



京都
往時の綾傘鉾、紙模型に
祇園祭、13日から販売

 祇園祭の綾傘鉾保存会(京都市下京区綾小路通室町西入ル)は13日から、江戸末期に巡行していた鉾のペーパークラフトを販売する。歴史を知ってもらい、当時の鉾復活の願いも込めて売り出す。
 綾傘鉾は応仁の乱以前の記録にも残り、手持ちの傘に棒振り囃子(はやし)が連なっていた。1834(天保5)年から幕末にかけての30年間は、人を乗せた屋根付きの鉾で巡行したが、蛤御門(はまぐりごもん)の変で大部分を焼失し、今は胴掛など懸装品の一部だけが残る。1979年に巡行に復帰してからは、やぐらに傘を載せた2基の傘鉾で巡行している。
 ペーパークラフトは明治初期までに作られた木製模型を元にデザインした。紙から部品を切り取って仕上げる。高さ21センチ、幅7センチ、奥行き15センチ。屋根の上の傘に神体の鶏が載り、胴掛には八坂神社の紋が入る。
 保存会の河野隆明理事長は「いつかは実際にこの鉾を復興したい」と話す。600円。13日午後から下京区綾小路通室町西入ルの大原神社などで販売する。


熊本
漱石や岩倉具視ら 歴史語る「手紙」 玉名市で展示会
 岩倉具視や陸奥宗光、夏目漱石など、幕末から昭和初期に活躍した人物の手紙を紹介する企画展「手紙展-歴史を語る手紙たち」が、玉名市岩崎の市立歴史博物館「こころピア」で開かれている。前・後期で展示替えを行い、前期は8月15日まで。
 さまざまな著名人と玉名のゆかりを紹介しようと初めて企画。同館の所蔵品を中心に36点を展示している。
 岩倉や陸奥の手紙は、玉名郡長や衆院議員を務めた木下助之にあてたもの。助之あてでは、渋沢栄一や井上毅の手紙も展示されている。夏目漱石の手紙は、英語教師仲間の質問に答えたもので、本名の「金之助」の署名入り。山本五十六が戦死の直前に出したとみられる軍事郵便もある。
 同館は「手紙は歴史の一場面を映すとともに、書き手の人柄も表す。手書きの一文字一文字から、時代背景や人物像を感じてほしい」としている。
 毎週月曜と祝日の翌日は休館(月曜が祝日の場合は開館)。入館料は一般300円、大学生200円、高校生以下無料。後期は8月21日-11月7日。こころピア=0968(74)3989。


社会
「井伊大老警護の武士逃げた」奉公人の証言発見
 幕末の大老・井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」で、居合わせた中間(ちゅうげん)(奉公人)の証言とされる記録が、広島県立歴史博物館(福山市)で見つかった。
 故郷の安芸に帰る途中に役人に語ったもので、襲撃時の慌てた状況が読み取れる。
 記述があったのは、福山藩の儒学者・菅茶山(かんちゃざん)(1748~1827)の弟子、門田朴斎の五男が、「変」に関する伝聞や風説などを集めた「骨董(こっとう)録」(縦22センチ、横15・2センチ、100ページ)。茶山の子孫が館へ寄贈した資料約1万点の中にあった。
 中間は事件の朝、登城する約60人の行列中、駕籠(かご)の後方で馬を引いていた。
 <殿様御駕籠へ誰に候哉、刀抜連切て掛り候者数人有之、其勢之烈しく怖しき事言んかたなし>(殿様の駕籠に何者か分からないが、数人が刀を抜いて切りかかった。その勢いの激しさと言ったら、恐ろしくて言葉もない)
 〈其内に御駕籠の内か外か不存候へ共、大なる声にて一声叫び候声ハ耳本へ響て聞へ候、御供方ハ前後へ颯と逃散り、抜合候士も無之様に者相見候へ〉(そのうち駕籠の内か外か分からないが、大きな声が一声聞こえると、警護の武士は前後に逃げ散り、応戦する者はいないようだった)
 中間は恐ろしくなって馬を引いて井伊邸に戻った。
 10月には映画「桜田門外ノ変」が公開予定。時代考証を担当した西脇康・早大講師(日本近世史)は「井伊の家臣は口を閉ざした部分が多く、これだけの証言は残っていない。突然襲われて慌てふためいた行列の様子が分かる」と話す。

 ◇桜田門外の変=1860年3月3日朝、江戸城桜田門外で、大老で彦根藩主の井伊直弼を水戸浪士らが殺害した。尊王攘夷(じょうい)派への弾圧「安政の大獄」を実行した井伊への反感などが背景にあったとされる。警護した彦根藩士の一部は討ち死にし、生き残った者も切腹、斬首(ざんしゅ)などとなった。 



ブックレビュー
今週の本棚・この人この3冊:後藤新平=堤春恵・選
<1>正伝後藤新平 全8巻・別巻1(鶴見祐輔著、一海知義校訂/藤原書店/4830~6510円)

<2>時代の先覚者 後藤新平 1857-1929(御厨貴編/藤原書店/3360円)

<3>大風呂敷--後藤新平の生涯 上・下(杉森久英著/毎日メモリアル図書館/各1890円)

 幕末に岩手県水沢市に生まれ、昭和四年に世を去った後藤新平の生涯を辿(たど)ると、明治維新によって突然国際社会の一員となり、しだいに日本列島の外に勢力を伸ばしてゆく日本の歩んだ道がパノラマのように浮かび上がって来る。交通、通信の発達の波に乗って押し寄せる国際社会と対峙(たいじ)しつつ、後藤は日清戦争帰還兵の検疫、鉄道建設、ロシア、ソ連との交渉、都市計画、放送事業などの分野で活躍する。日本が海外に力を伸ばしてゆく最先端の地で台湾民政長官、初代満州鉄道総裁として腕を振るった後、明治四十一年に桂内閣の逓信大臣兼初代鉄道院総裁となり、大正時代を通じて内務、外務大臣、東京市長を歴任した。
 『正伝後藤新平』は伝記編纂(へんさん)会が集めた資料をもとに、後藤の娘愛子の夫鶴見祐輔が昭和八年から三年をかけて執筆した。豊富に引用された資料とその隙間(すきま)を埋める詳細な記述によって描き出された大パノラマである。しかしこの伝記が書かれた時代と現代の間で、国際社会における日本のあり方は再び激しく変化した。昭和初期の視点から描かれたパノラマは現代の読者にはいささか古めかしく、その記述から浮かび上がる後藤の姿が、古いニュース映画の中の人物のような感じを与えるのも確かである。『時代の先覚者 後藤新平』はパノラマの一つ一つの場面に現代から光を当てる。複数の執筆者による評伝であるため後藤の生涯を辿るという形を取ってはいないが、現代の研究者が資料の中から掘り起した政治家後藤のイメージが、孫、鶴見和子、鶴見俊輔が語る記憶の中の祖父の肖像に肉付けされて行間から立ち上がる。伝記小説『大風呂敷』は、後藤と、彼と関(かか)わりのあった男女の動きの向こうに透けて見える明治、大正の世相が興味深い。
 満鉄、鉄道院総裁時代の後藤は、下関から海を渡り大陸を横断してヨーロッパに至る鉄道網の整備に力を尽くした。同時に膨大な予算を組み、専門家を各地に派遣して資料を集め、『東亜英文旅行案内』の編纂に着手している。この出版で後藤が目指したのは、鉄道によって結ばれたアジアとヨーロッパの間に新たに知識の橋を架け、日本発の情報を全世界に発信する事だった。テクノロジーの急速な進歩に押し流されない為(ため)には、異文化間相互理解が不可欠である事を誰よりも早く認識していたからこそ、今日後藤新平は時代の先覚者と呼ばれるのだろう。


文化芸能
テリー伊藤:大河ドラマ「龍馬伝」に写真家・上野彦馬役で出演 龍馬の立ち姿を撮影
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」で、演出家のテリー伊藤さんが幕末の写真家、上野彦馬を演じることが9日、明らかになった。テリーさんは07年の大河ドラマ「風林火山」に福島越前守役で出演している。
 上野彦馬は幕末から明治に活躍した写真家。文久2年(1862年)に長崎に「上野撮影局」を開き、坂本龍馬や高杉晋作ら幕末の志士たちの写真を多く撮影。劇中では、有名な龍馬の立ち姿の写真を撮影するという。第34回(8月22日放送)で初登場する。
 鈴木圭チーフプロデューサーは「(出演は少しだが)強烈な人にやってもらいたいなと思った。(普段の)あのまんま。(撮影では)龍馬伝についていろいろ取材されてました。長次郎の写真を撮るシーンはドラマで重要なシーンになる」と話している。
 「龍馬伝」は大河ドラマ初の4部構成で、坂本龍馬の生涯を三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎(香川照之さん)の視点から描いたドラマ。第3部では、長崎という新天地に渡った龍馬が亀山社中を起こし、薩長同盟の締結に大きな役割を果たしていく様が描かれ、寺田屋で九死に一生を得た龍馬は妻・お龍とともに九州・霧島へ向かう。総合テレビで毎週日曜午後8時から放送中。11日は午後7時10分から放送。(毎日新聞デジタル)







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