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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日は一日降ったり止んだりでしたね……降りが一番ひどい時間帯にべた遅れのバスを待っていた自分は、べたべたな雨女です(苦笑)。

北海道
函館開港150周年式典 小林亜星さんがタクト
函館開港150周年、亜星さんが記念タクト
 北海道・函館が1日、開港150年を迎え、函館市湯川町の市民会館で記念式典が行われた。函館が国際貿易港として開港したのは、幕末の安政6(1859)年6月2日。新暦だと7月1日にあたるため、開港から積み重ねてきた150年の歴史をこの日、祝った。
 式典には、西尾正範函館市長や高橋はるみ北海道知事のほか、開港のきっかけとなった修好通商条約を結んだ米国やオランダ、ロシアの大使館関係者らが出席した。
 式典では、地元の中学生らが演じる演劇「リ・スタート 少年たちへ、そして、未来の函館へ」や、作曲家、小林亜星さんの指揮による記念ソング「あれから そして今」の合唱が披露された。
 かつて、北洋漁業などで栄えた函館は現在、駅前に“シャッター通り”が目立つ厳しい経済状況。式典で上演された演劇の中では、登場する4人の中学生が「函館は面白くない、刺激もない、活気もない、ああ、早く東京に行きたい…」と嘆く姿が描かれた。
 函館開港150周年記念事業実行委員会の総合プロデューサーを務める岩堀恭一さん(58)が作・演出した演劇で、地元の市立中学校の生徒や市民らが演じた。
 「開港150年は、市民みんなが今の函館を考えるいい機会。函館は全国的に知名度があるのに、何か元気がない。どうやって今の函館を元気にするのか、みんなで真剣に考えてみたかった」と岩堀さん。
 舞台では、函館の未来をあきらめかけた中学生が、苦労を重ねて現在の函館の街を築いた先人たちの熱き思いに触れ、未来を考え始めようとする姿が描かれている。
 函館がにぎわいをみせるのは、これからの夏の観光シーズン。函館市では、8月8日から16日まで「DREAM BOX 150」(ドリーム・ボックス・イチ・ゴー・マル)と銘打ち、函館港の「緑の島」で開港150周年の記念イベントを行う。航空自衛隊のブルーインパルスによる祝賀飛行など、多数のイベントが予定されている。


開港150周年式典、新たな函館の創造誓う
 函館開港150周年記念式典(函館市主催)が1日、関係者約1200人が出席して函館市民会館で開かれた。市民出演の舞台劇や小林亜星さん作曲の記念ソング「あれから そして今」を披露。先人が築いた歴史や文化を礎に、新たな函館を創造していく契機とすることを誓った。
 港とともに発展してきた国際観光都市らしく、中国の崔天凱駐日特命全権大使やロシア、アメリカ、オランダ、カナダの政府代表、高橋はるみ知事らが出席した。
 記念ソングは小林さんの指揮で、函館合唱連盟の約220人が歌い上げた。「赤い煉瓦(れんが)の倉庫群」「賛美歌聞こえる石畳」など、公募した言葉を歌詞に紡ぎ、軽快なテンポで函館の未来を開くことを歌い上げた。
 西尾正範市長は式辞で「開港により函館には多くの人々が夢と希望を持って集まり、異なる文化がとけ合う地となった。先祖が営々と築いた歴史と文化を大切に、函館の持つ良き気風を育て、開港200周年に向けてみんなで歩みを進めたい」と述べた。
 高橋知事も「先人が築いた歴史や財産を引き継ぎ、新たな魅力を創造し、まちが輝きを増して発展することを期待します」とあいさつした。
 オープニングで披露された舞台劇は、記念事業プロデューサーの岩堀恭一氏が手掛けた。刺激も活気もなく退屈な函館に「将来はない」と思っていた中学生4人が天啓を受け、函館に新たな魅力を加えるのは自分たちの役割であることに気付く。そして「夢と寛容な気持ちを持ち、未来に向けて進むことが大事」というメッセージを伝えた。
 「海の日」の周知や港湾振興などに尽くしたとして、市が日本海事広報協会の「海の日モデル地区」に認定され、西尾市長に豊島達理事長から認定書が贈られた。
 式典後は花びしホテルで祝賀会を開いた。
 開港記念事業は8月8日から16日まで緑の島で、メーンイベントの「ドリームボックス150」を開催。「食」「音楽」「スポーツ」をキーワードにさまざまなイベントを開催する。


栃木
山岡鉄舟との逸話を小冊子に 塩原・下藤屋旅館の渡辺夫妻
 【那須塩原】創業から140年以上の歴史を持つ湯本塩原の旅館「下藤屋」(渡辺芳雄社長)は、幕末、明治の政治家山岡鉄太郎(鉄舟、1836~88年)と同旅館のかかわりをつづった小冊子「下藤屋旅館・渡辺家と山岡鉄太郎」を発行した。
 山岡は幕臣として江戸城無血開城に尽力、明治政府でも明治天皇の侍従を務めるなどした。要職を辞した明治10年代に数回、下藤屋旅館を訪れたという。山岡自筆の漢詩も残っている。
 渡辺社長(81)の妻でおかみの静枝さん(75)は幼いころ、祖父や母親から山岡が訪れた話を何度も聞いたという。静枝さんは「自分が元気なうちに後世に伝えたかった」と話す。小冊子の原稿は、静枝さんの口述をもとに同旅館のなじみ客で県漢詩連盟会長の須永美知夫さん=足利市在住=がまとめた。
 山岡が同旅館の「つつじの間」を好んで常に指定したことや、木村屋のあんパンについて「パンにあんこを入れたらよかろうと教えたのはおれだ」と話したエピソードが掲載されている。
 渡辺社長と静枝さんは「昔のことはどんどん忘れられ、なくなってしまうので、冊子に残すことができてよかった」と話している。
 同旅館は塩原温泉でも古い歴史を持つ旅館の一つ。1983年に改築した際、「明治元年(1868年)建之」と墨書きされた梁が見つかっている。
 約100部を作製、関係者に配った。問い合わせは同旅館電話0287・31・1111。

 「木村屋のあんパンについて『パンにあんこを入れたらよかろうと教えたのはおれだ』と話した」という辺りが山岡さんらしい(笑)。
 山岡さんが好んだ「つつじの間」って、どんな部屋だろう(ろまんちな部屋なんでしょうね!)。

長崎
高知から長崎へ「龍馬伝ウォーク」 10、11月にゆかりの地PR
 幕末の志士、坂本龍馬が生まれた高知から長崎までを約半月かけて市民らが歩く「龍馬伝 土佐の風から長崎の風へ バトンタッチ友情ウォーク500キロ」が10、11月に開催される。
 長崎市で龍馬らの史跡を案内する特定非営利活動法人(NPO法人)「長崎の風」(黒田雄彦理事長)と高知市ウオーキング協会などでつくる実行委主催。
 主催者側が6月30日、長崎市内で記者会見し、黒田理事長は「龍馬が生きた時代を思い浮かべながら歩いてほしい」と多くの参加を呼び掛けた。
 来年の大河ドラマ「龍馬伝」を前に、龍馬ゆかりの観光地をPRするのが目的。総距離は約520キロで1日平均約25キロを歩く。
 参加者は10月14日、三菱財閥創設者、岩崎弥太郎の生家がある安芸市(高知県)を出発。龍馬が土佐藩を脱藩した際に通ったとされる佐川町(同)などを経て愛媛県入りし、同23日にフェリーで大分市の佐賀関港に渡る。
 九州では、龍馬や勝海舟が長崎に向かう際に利用したといわれる豊後街道で熊本市へ。フェリーで島原市に渡り、旧島原、長崎両街道を通って長崎奉行所立山役所跡(長崎歴史文化博物館、長崎市)を目指す。到着は11月3日の予定。
 参加費は宿泊食事代を含めて▽全道のり=約20万円▽四国のみ=約9万円▽九州のみ=約10万円▽日帰り=四国1000円、九州1200円。申し込み、問い合わせは同ウオーク九州事務局(電0952・73・4453)。




コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(17)東大教授・山内昌之 岩崎弥太郎
■愛国者か、国賊か

 いくら才覚があっても運や引きに恵まれなければ、政治家や経営者は努力だけで成功できるものでない。また、国家や国民の大事を考える大局観を持たない人物は名を後世に残すことはできない。この点で土佐人の岩崎弥太郎は希有(けう)な存在である。私企業の三菱を創立、発展させながら国の繁栄や未来にも思いを馳(は)せた経営者だったからである。

◆「国あっての三菱」

 しかし、政治や経営の理想も抱負と野心がなければ実現できない。そして、野心と抱負は表裏一体なのである。弥太郎は「国あっての三菱」という表現を好んで使ったが、これも立場が違えば農商務卿を務めた西郷従道(つぐみち)に「三菱の暴富は国賊なり」と言わしめたように、私益と国益を一体化する政商として非難される根拠にもなりかねなかった。
 とはいえ、弥太郎の短い生涯は、人との幸運な出会いによって精彩あふれるものである。関ケ原戦後、山内一豊が入部して長宗我部の家臣団を支配した土佐は、身分にうるさい土地柄であった。弥太郎は、安芸(あき)郡の地下(ちげ)浪人という郷士株を売った最底辺の武士層から身を起こしたが、藩主に漢詩を披露し、江戸に遊学できる幸運にも恵まれ、重臣の吉田東洋の塾に入って後藤象二郎と出会った。大風呂敷で知られる後藤は上士の家柄でありながら、南国人らしく闊達(かったつ)だったので、坂本龍馬や岩崎弥太郎といったやや年長の才人になにかと目をかけたのである。
 弥太郎は、後藤が慶応元(1865)年に殖産・貿易振興のためにつくった開成館の下役になり、その2年後には後藤の後を受けて長崎の藩商務部の土佐商会で実権を収め、朝鮮貿易を企てるなどの夢を描いた。弥太郎は、坂本龍馬が脱藩の罪を許され、海援隊が土佐藩の外郭団体になると、藩命で隊の経理も担当した。

◆つかんだ運で大成長

 後藤や坂本の引きを受けたのは、青雲の志に箔(はく)が付いたようなものだ。弥太郎の進取の気性は、どの世界でも運は与えられるものでなく、つかむものであることを教えてくれる。
 果たして、明治になって土佐商会を受け入れて、九十九(つくも)商会を創業した弥太郎は海運業に進出した。廃藩置県とともに、やはり後藤象二郎の肝いりで土佐藩の債権債務や財産も一切ひっくるめて藩船も無償で譲渡されたのである。いくら混乱の時期とはいえ、藩の財産を弥太郎個人の掌中に握らせたのだから、後藤らしい大雑把さであった。
 これがやがて三菱商会となり、さらに郵便汽船三菱会社となっていく。政府保護の共同運輸との大たちまわりを経て、現在の日本郵船に発展する土台ができたのである。それにしても、さすがの弥太郎も後藤がいなければ実業で成功を収められなかったはずだ。
 廃藩置県とともに全国統一貨幣の鋳造が決まったとき、新政府の藩札買い上げを事前に察知した弥太郎は、10万両の資金で藩札を買い占め、やがて莫大(ばくだい)な利益を得たが、この情報を流したのは政府高官の後藤象二郎である。後藤と弥太郎は当世風にいえばインサイダー取引に加担したことになる。
 後藤は経営していた高島炭坑の業績も思わしくなく、弥太郎に引き取ってもらったくらいだから、よほどにウマがあったのだろう。弟、弥之助の妻になったのは後藤の娘、早苗であった。その子が三菱財閥の4代目総帥となる小弥太である。

◆国に尽くしたという自負

 弥太郎には内乱や戦争の緊急時に人員や物資の輸送で国に尽くしたという並大抵でない自負があった。西郷従道に国賊と罵倒(ばとう)されたとき、もし政府がそのように貶(おとし)めるなら、三菱の汽船を全部遠州灘で焼き払い、残りの財産をすべて自由党に寄付すると啖呵(たんか)を切ったのは有名だ。
 薩長嫌いの土佐っぽとはいえ、「政府が瓦解してもよいのか」と脅しをかけるような実業家は幕末の戦乱でもくぐらなければ出てこないだろう。政治の混乱が続く現代で見習うべきリーダーは、好悪はともかく、弥太郎のように大局観をもつ過去の経営者なのかもしれない。(やまうち まさゆき)

【プロフィル】岩崎弥太郎

 いわさき・やたろう 天保5(1834)年12月、土佐の地下浪人の長男として生まれる。幼少期から学問で身を立てることを志し、高知藩参政吉田東洋からその才能を認められ、郷士の家格で藩に職を得る。慶応3(1867)年、開成館長崎出張所に勤務して上士となり、明治元(1868)年に同所が閉鎖されたのちも、維新のための武器・弾薬や艦船の買い入れ、土佐の資金調達に奔走した。同2(1869)年、大坂商会(のちの九十九商会)に転出、同4年の廃藩置県をきっかけに九十九商会を「三川商会」(のちに三菱商会)として独立させ、実業家へと転身。同7年、台湾出兵にともなう軍事輸送を完遂した三菱は大久保利通らの信任を得て国内最大の汽船会社に成長、同10年の西南戦争でも政府側の後方輸送を任された。しかし、同14年、伊藤博文が大隈重信を追放した政変を境に、三菱の海運独占に対する世論の批判が高まり、政府も新汽船会社を支援して三菱に対抗させた。両社の競争が激しさを増す中、弥太郎は同18(1885)年2月、58歳で病死した。

 このコラムで『龍馬伝』の予習ができましたね……グレーな部分も含めて(苦笑)。




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