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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 ばたばたしていて幕末ニュースの投稿頻度が落ちております。来週以降もそんな状況が続きそうですが、細々と続ける予定ですので、よろしくお願いします。

北海道
箱館奉行所が完成!? 駅員の手作り模型、五稜郭駅に
 箱館奉行所が29日にオープンするのを前に、JR五稜郭駅(函館市亀田本町)のコンコースに7日、駅員が手作りした奉行所の模型がお目見えした。廃材を利用して半年がかりで仕上げた労作で、17日から夏の運行が始まるSLの模型と並んで利用客の目を引いている。
 奉行所のオープンを記念し、多くの人に五稜郭駅を利用してもらおうと、同駅営業指導係の内村宏一さん(57)を中心に全駅員約40人で手分けして今年2月から模型作りに着手。業務で使用した廃材などを利用し、部品や設計図も一から手作りした。
 特徴的な屋根瓦は5センチ四方に切った紙ファイルを約6000枚張り合わせ、一枚一枚に独特のカーブを施す精巧さ。戸板の格子や間仕切りも竹ひごを細かく削り分け、約1000本を張り付けた。同駅の高梨潤駅長も「五稜郭駅の宮大工」と内村さんらを称賛する。
 全体の大きさは縦50センチ、横35センチ。休日などに少しずつ手掛けた内村さんは「下見して撮った写真から設計図をつくるのに苦労した。駅員みんなの協力があったおかげ」と控えめに完成を喜ぶ。絵の具や木目シールなどは100円ショップでそろえ、総工費は500円程度という。
 同駅コンコースにはSL函館大沼号の大小3機の模型も展示している。模型の展示は8月末まで。問い合わせは同駅TEL0138・41・3745。

福島
培った技、黙々と磨く 伝統守る会津唐人凧職人
 大きく見開いた目と、炎のような舌が印象的な会津唐人凧(あいづとうじんだこ)。竹製品専門店「竹藤」(福島県会津若松市中央1丁目)の鈴木英夫さん(72)が、市内で唯一の職人として伝統を守っている。
 約400年前に中国から日本に入ってきたとされる。なぜ山国の会津に伝わったのかは謎だが、戊辰戦争(1868~69年)の際のエピソードが残されている。若松城(鶴ケ城)に籠城(ろうじょう)した会津藩士の少年が、弾丸降りしきる中で城から空高く唐人凧を揚げ、味方の将兵を励ましたという。
 乾燥した竹をなたで細く切り裂く。なたを固定し、竹を持った左手を動かし、ひごを作る。
 ひごを曲げて楕円(だえん)に近い形を二つ作り、交差する部分を太い綿糸でしっかり結わえる。鈴木さんは「きちんと仕上げたつもりでも、湿度によってひごが曲がってくるので難しい」と言う。墨で下絵を描いた和紙を張った後、赤や黄の色を塗る。
 「竹ひごが作れなくなるまで、この仕事を続けたい」と鈴木さん。穏やかな表情で黙々と打ち込む姿は、確かな技を持った職人そのものだ。(会津若松支局・菅野俊太郎)





石川
「武士の家計簿」11月27日先行上映 石川県内6映画館で
 加賀藩の御算用者(会計専門の武士)の奮闘を描く映画「武士の家計簿」(北國新聞社、アスミック・エース、松竹製作)が11月27日、石川県内の6映画館で先行上映されることが決まった。
 上映館は、ユナイテッド・シネマ金沢、ワーナー・マイカル・シネマズ金沢、イオンシネマ金沢フォーラス、金沢コロナシネマワールド、ワーナー・マイカル・シネマズ御経塚、シネマサンシャインかほくの6館。全国公開は12月4日からとなる。
 堺雅人さん主演、仲間由紀恵さんがヒロインを演じる映画は、御算用者として、代々加賀藩の財政に携わってきた猪山家3代の物語。幕末から明治維新にかけ、激動の時代を前向きに生きた「そろばん侍」一家の絆(きずな)を描く。原作は歴史学者の磯田道史氏(茨城大人文学部准教授)の「武士の家計簿『加賀藩御算用者』の幕末維新」。
 撮影は、昨年12月から約2カ月間かけて、金沢城公園や京都市の松竹京都撮影所などで行われた。エグゼクティブ・プロデューサーは金沢経済同友会代表幹事で北國新聞社社長の飛田秀一氏、アスミック・エース特別顧問の原正人氏らが務める。


高知
「坂本龍馬脱藩の道」幕末へひとっ飛び…高知県梼原町
 名所名跡などをウオーキングで訪ねる大健康の定番ラインアップ「歩」が、内容を一新してスタート。その第一歩をしるしたのは、高知県梼原(ゆすはら)町の「坂本龍馬脱藩の道」。近代日本の礎を築いた坂本龍馬が、1862年3月24日、沢村惣之丞(そうのじょう)とともに韮ケ峠から伊予(愛媛)へ越境、維新へ踏み出したとされるルートの一部、約6キロだ。ハードな上りもあるが、四国山地の雄大な眺めとスギ林の幽玄な雰囲気に、幕末にタイムスリップした気分になる。

 龍馬の脱藩までの道程は、現在の高知市内から梼原町まで約80キロ、町内に入ってからも約28・5キロある。今回歩いたのは土佐領内最後の番所のあった松ケ峠から、伊予との国境で、現在も県境の韮ケ峠まで約6キロ。

 案内してくれたのは地元の有志で結成されている「梼原龍馬会」の下元秀俊会長(50)。着物にはかま、背中には組み合い角に桔梗(ききょう)の坂本家の家紋、足にはブーツという、写真でおなじみの龍馬スタイルだ。1862年の脱藩で龍馬がブーツを履いていたはずはないのだが、暑い中、サービス精神に感謝。

 早朝から降った雨が上がり、午前9時15分、いよいよスタートと意気込んだが、龍馬会長が「ここから入ります」と指さした先を見て一瞬、たじろいだ。道行く先は薄暗い林の中。幅は1人通るのがやっと。地面には枯れ葉が積もり、しかも急な上り坂だ。雨で湿っていたせいで時々、バランスを崩しそうになる。小さな川にかかる橋の手前でついに息が切れた。出発から15分、早くも休憩。

 水を飲み、腹式呼吸を繰り返していると気分が落ち着いたので、5分後、再び歩き始める。湿った“悪路”には少しずつ体が慣れてきたが、沢を通る際に再び足を滑らせそうになった。慎重に足を運びながら同9時50分、広い道に出て視界が開けた。標識は「アオザレ あと4・7Km」。ここは標高約900メートル。松ケ峠番所跡が約730メートルというから、1・3キロ歩く間に170メートル登った計算。苦しかったはずだ。

 5分の休憩で出発。四国カルスト高原から続く稜線(りょうせん)や神の山という1000メートル級の峰々が視界に入ると、林道はまっすぐな下り坂。体が楽になって余裕が出てきたのか、ウグイスの鳴き声が聞こえてきた。足元には時々、サワガニが現れる。途中で舗装路も歩きながら「ナラ山」(標高約800メートル、あと3・3キロ)に同10時18分着。同30分に出発して「高階野(こうかいの)」(約730メートル、あと1・7キロ)には同55分着。ここからが最後の難関だった。

 目の前に現れたのは急な坂。勾配(こうばい)は「40度くらいあります」と会長。工事のために舗装したというが、人間にはきつい。あと少しだと言い聞かせて同11時5分に出発。ところが、足に力を入れても思ったほど進まない。悪戦苦闘の末やっと上りきったら、さらに山道の上りだ。

 この1・7キロは標高約950メートルの韮ケ峠まで200メートル以上、上るのだから、つらいのは当然。休息を取りながら、最後は棒のようになった足でスギ林の坂をクリア。再び舗装された道路に出ると「坂本龍馬脱藩の地」のモニュメントが見えた。ゴールの韮ケ峠だ。龍馬にとってここは通過点に過ぎなかったはずだが、歩き通した2時間23分。Tシャツは汗でびしょびしょながら、心地よい達成感が残った。

 ◆梼原町へのアクセス JRで高知駅から須崎駅まで約30分。須崎駅から梼原町内までバスで1時間15分。車なら高速利用で高知市内から約1時間40分。

 ◆梼原町と維新 幕末に脱藩する土佐勤王党の志士の多くが梼原を通っていったため、町内には、龍馬を道案内した那須俊平と佐幕派の参政・吉田東洋を暗殺した信吾親子ら梼原出身の志士6人の墓や、龍馬を含む8人の銅像「維新の門」などのモニュメントが点在。来年1月10日まで開催中の「土佐・龍馬であい博」のサテライト会場「ゆすはら・維新の道社中」も。観光や脱藩の道案内の問い合わせは同社中TEL0889・65・1187へ。

 ◆「坂本龍馬脱藩の道」データ 消費カロリー211キロカロリー、脂肪燃焼量12・5グラム(1万223歩=上りが多く誤差があります)




長崎
スタンプラリー:平戸で龍馬を探せ 4人のキーワード解き明かせ /長崎
◇18日から
 平戸市は、18日から市中心部でスタンプラリー「幕末から明治維新へ『平戸密会』を成功させよ! ~薩長同盟の立役者を捜せ~」を催す。期間は8月31日までの午前9時~午後4時。
 町中で坂本龍馬、西郷隆盛、高杉晋作、桂小五郎に扮(ふん)した4人を探し、それぞれが押す印のキーワードから解き明かされるゴールを目指す。到達すると、記念品や抽選で10人に龍をあしらった平戸焼の特製香炉(3万円相当)や清酒、焼酎が当たる。
 西郷と桂が平戸で密会した史実に基づく企画で、坂本らは市の雇用創出事業で雇われた人たちが演じる。夏休み、平戸も龍馬ブームに? 参加無料。問い合わせは市商工振興課(0950・22・4111)。【野呂賢治】


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(69)東大教授・山内昌之 栗本鋤雲
■出廬を請われた政治家

 維新政府から出廬を請われながらも、徳川幕府への義に殉じた栗本鋤雲(国立国会図書館蔵)
 「出廬(しゅつろ)」という言葉がある。引退して現実政治から離れていた有能の士が請われて再び表舞台に立つことである。『三国志』で劉備が諸葛孔明に三顧の礼を尽くしたところ、孔明も草廬(そうろ)(草葺(ぶ)きの粗末な家)を出て劉備に仕えた故事はあまりにも有名である。孔明とは言わずとも、あたら驥足(きそく)を展(の)ばせず野にいる人を放置しておくほど、日本の政界は人材に恵まれているわけでない。
 政権交代に続いて菅直人政権が成立したとあれば、民主党にとって出廬を期待されるのは、田中秀征(しゅうせい)氏かもしれない。氏らが自民党を離脱して創(つく)った新党さきがけは、細川護煕政権発足の原動力となったが、氏はその時からそれなりに存在感のある政治家として菅氏とともに目立っていた。
 第1次橋本龍太郎内閣で経済企画庁長官も務めたのに、選挙には滅法(めっぽう)弱かったらしい。有権者の意識レベルが高いとされる長野県でも、氏の理想的な政治哲学はなかなか受け入れられなかったのだろうか。

 ◆犬養毅や尾崎行雄育てる

 幕末明治初期に権力から離れた幕臣のなかにも、しきりに出廬を請われた人物が多い。もともと奥医師の家に生まれた栗本鋤雲(じょうん)もその一人である。奥儒者あがりの成島柳北(なるしま・りゅうほく)のように、やがて行政官僚に転じフランス語を習得して外国奉行になったというのだから、幕府には異能の士がたくさんいたのだ。
 明治6(1873)年に『郵便報知新聞』の主筆に就いた鋤雲は、犬養毅や尾崎行雄を育てるとともに、出仕を終生断り続け、藩閥政権の非を鳴らし徳川幕府への義に殉じた。
 鋤雲は先輩医師の不興を買って箱館に左遷されるなど辛酸も嘗(な)めた。任地にあっても南千島や樺太の探検に精を出すなど現場感覚を身につけている。外国奉行となった鋤雲は、勘定奉行小栗忠順(ただまさ)とも親交を結び、幕府開明派官僚の代表格として、横須賀製鉄所の建設や軍事顧問の招聘(しょうへい)にも尽くした。

 ◆パリ滞在記で健筆

 彼は将軍慶喜の弟徳川昭武(あきたけ)が慶応3(1867)年にパリ万国博覧会に参加したときに補佐を命じられた。この時のパリ滞在記が『暁窓追録』(井田進也校注『幕末維新パリ見聞記』岩波文庫所収)である。そこには、ナポレオン3世さえ恐れる「ビスマルクの賢」、プロイセンとの戦争も辞さない「豪邁(ごうまい)の人」ドルアン・ド・リュイス(フランス外相)、イタリアの「狂妄」の「奇男子」ことガリバルディなど、欧州政治家の人物月旦も含まれており、面白い読み物になっている。
 さて、史家の森銑三(せんぞう)は鋤雲を勝海舟と反りの合わぬ一人としている(『新編明治人物夜話』)。鋤雲は礼節を重んじ人に対して慇懃(いんぎん)だったが、ただ酒を嗜(たしな)み、酔えば人物が一変して放言もした。それでも人柄は陽性にできていたという。
 森は、海舟が酒を好まず、酔わずして人を冷評罵倒(ばとう)した陰性の性格であると辛口の評価をする。海舟が痩(や)せて干からびていたのに、鋤雲は●幹(くかん)も偉大で容貌(ようぼう)も魁偉(かいい)だったというのだ。これは、額も広く鼻も厚く、耳や口も大きいことから「お化け栗本」と異名をとったと形容する島崎藤村の指摘とも符合する。

 ◆容貌魁偉、異能の人物

 要は鋤雲こそ異能の人物というにふさわしい。自分を恃(たの)むところが大きい菅首相に田中氏のような独特の政治観の持ち主を起用する太っ腹なところがあるかどうか。2人と面識もなく、そのケミストリー(反り)の如何(いかん)を私はつまびらかにしない。
 そういえば、鳩山由紀夫氏といい菅氏といい、バッジをもたない民間人を閣僚に起用することがない。田中氏くらいの才幹であれば、参院選後と囁(ささや)かれる政界再編成に出番を見据えているのかもしれない。田中氏に出廬を促す政治家が果たして現れるのだろうか。(やまうち まさゆき)

                   ◇ 

 本連載をまとめた「幕末維新に学ぶ現在」(中央公論新社)が発売中。

                   ◇

【プロフィル】栗本鋤雲

 くりもと・じょうん 文政5(1822)年、江戸生まれ。父は幕府医官。家業を継ぎ、奥医師となる。箱館移住を命じられ、山野の開拓や病院建設などに力を注ぎ、箱館奉行組頭に。文久3(1863)年に江戸に戻り、軍艦奉行、外国奉行などを歴任。親仏派として外交交渉に尽力。フランスに派遣され、対幕借款の促進などにあたった。維新後は新政府に仕えず、郵便報知新聞に入社し、主筆として随筆などを寄稿した。明治30(1897)年、76歳で死去。没後、著述は『匏庵(ほうあん)遺稿』としてまとめられた。

●=躯のメが品



社会
入りたい幕末の組織 新人は「新撰組」、管理職は「海援隊」
 NHK大河ドラマ『龍馬伝』や、菅直人首相の奇兵隊内閣発言などで注目を集めている幕末。社会人は幕末の人物や組織についてどのように考えているのだろうか。
 日本コカ・コーラの調査によると、歴史好きの有職者男女に「今の日本を維新してくれそうな幕末の人物」を尋ねたところ、トップは「坂本龍馬」で63.8%。以下、「勝海舟」が29.5%、「西郷隆盛」が20.8%、「福沢諭吉」が14.4%、「大久保利通」が12.9%、「高杉晋作」が11.9%、「桂小五郎」が10.8%で続いた。
 性別、年代別を問わず、すべてのカテゴリーで坂本龍馬が断トツのトップ。支持理由を尋ねると、「情熱と信念で厳しいこのご時勢を打破してくれそう」(新社会人男性)、「革新的な考えと行動力があると思うから」(管理職女性)といった声があった。
 「入ってみたいと思う幕末の組織は?」と聞くと、トップは「海援隊」で48.4%。以下、「新撰組」が35.1%、「白虎隊」が8.6%、「奇兵隊」が8.2%、「土佐勤皇党」が2.0%で続いた。
 年代別に見ると、新社会人では「海援隊」(男性37.0%、女性41.0%)より「新撰組」(男性48.0%、女性46.0%)の割合が高く、管理職では「新撰組」(男性18.0%、女性25.0%)より「海援隊」(男性64.0%、女性54.0%)の割合が高かった。
 管理職が「海援隊」を選んだ理由には、「新しいことができそう」「面白そう、楽しそう」「創造的」と会社組織としての自由さが多く寄せられた。一方、「新撰組」を選んだ新社会人からは、「志がある」「組織として団結力がある」という組織としてのまとまりや、「かっこいい」という理由が多く挙げられた。
 インターネットによる調査で、対象は22~59歳の歴史好きの有職者男女1000人(男性553人、女性447人)。調査期間は3月6日から8日。

 若い世代が新選組にポジティブな評価をするのは、ある意味、幕末明治維新の歴史観で討幕派=進歩的、旧幕派=反動的という図式がデフォではなくなってきたのかなという気がします。





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