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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 今日は夕方に少し涼しい風が吹いて、一息つけました。

北海道
初の週末、箱館奉行所人気 2965人が入館【函館】
 箱館奉行所は31日、一般公開が開始されて初めての週末を迎えた。この日の函館市内の最高気温は28度。五稜郭公園で行われたオープン記念イベントや同奉行所には、夏の陽気に誘われて大勢の市民や観光客が訪れ、活気に満ちあふれた。
 五稜郭公園一の橋広場では奉行所開所を記念した「祝・復活市」が開かれた。祝いムードを盛り上げるもちまきや多彩なステージショーが行われたほか、軽食を販売する露店も出店。大勢の家族連れらが訪れ、楽しんだ。
 五稜郭地区のまちづくり団体「新都心五稜郭協議会」のやっぱり五稜郭プロジェクトの主催。オープニングセレモニーでは、西尾正範函館市長が「きょうは多くの道南の物産が会場に集まった。たくさん食べて、語り合って、遊んで、すばらしい復活祭にしよう」とあいさつ。続いて同協議会の中野豊会長らが壇上に立ち、景気よくもちまきをした。
 会場には同地区の飲食店が自慢の一品を安価で提供する露店や、その日道南で収穫したばかりのトマトやホウレンソウなどを生産者が直接販売する市「マルシェ」、往時の奉行所で薬として飲まれていたという「薬用珈琲」を振る舞うコーナーなど、道南の食や文化が一堂にそろった。このほかステージでは「函館子ども歌舞伎」による歌舞伎も披露され、祝いムードに花を添えた。
 七飯町から訪れた池田聡美さん(40)は「にぎやかなお祭りで楽しい。五稜郭に活気があると足を運びたくなる」と話していた。


歴史散歩に活用して 近江幸雄さんが案内本出版
 函館市白鳥町の郷土史家、近江幸雄さん(73)が、文庫サイズの歴史案内本「絵で見る函館の歴史」を出版した。縄文時代から2004年の5市町村合併までの函館の歴史トピックス55項目を絵入りでまとめ、紹介している。近江さんは「本を片手に歴史散歩をしてもらえれば」と話している。
 近江さんは昨年11月、優れた郷土史研究者に贈られる神山茂賞を受賞。授賞式や祝賀パーティーで「青少年に郷土史を啓もうする活動も続けたい」と抱負を語り、出版の準備を進めてきた。
 「コシャマイン戦争」「ペリー艦隊入港」などの歴史トピックスを、1項目あたり見開き2ページで簡潔にまとめた。幕末から明治にかけて函館に住んだ「ブラキストン」は①貿易商で、動物の採集と分類を行い②津軽海峡を境に動物の分布が異なることを説き③それをブラキストン・ラインといい④函館山山頂に記念碑がある―ことを紹介している。
 絵は市内の広告プロダクション「エージー」代表の内海治夫さん(63)が担当した。劇画調で人物や風景を描き、歴史の息吹が伝わる。内海さんも「絵からも郷土の歴史に関心を持ってもらえれば」と期待する。
 120ページ、定価840円。市内の文教堂書店、くまざわ書店などで扱っている。

福島
【この人】「会津魂」の真実伝えたい 「白虎隊の会」事務局長・飯沼一元さん
 2年前の6月、栃木県那須塩原市にある長兄の家で、祖父貞雄が書いた「白虎隊顛末(てんまつ)記」という文書が見つかった。
 貞雄(貞吉から改名)は戊辰戦争のとき、会津藩の少年で構成された白虎隊に属し、現在の福島県会津若松市の飯盛山で、ほかの隊士とともに自刃を図ったが果たせず、ただ一人生き残った人物だ。
 文書によると、白虎士中二番隊の少年たちが城下が燃えているのを見て、「城に戻って戦おう」「敵陣に突入しよう」などと激論を交わした。だが、圧倒的な敵兵力に追われ、飯盛山へたどりついていたことから、城下に向かえば捕虜になるおそれがあった。そこで、教導の篠田儀三郎が「何の名目やある。潔く自刃し、武士の本分を果たすべき」と提案。隊士たちはその言に従ったという。
 飯沼さんは「城下が燃える煙を見て、落城したと勘違いし、自刃したというのでは、説明が足りない」と訴える。県外の客が事情も知らずに、不十分な説明を受けただけで帰られたのでは、「議論した上で、“会津の教え”を忠実に守り、死んでいった白虎隊に失礼ではないか」とも。
 白虎隊が取った行動を史実として、後世に正しく伝えたい。そんな思いが今年4月の「白虎隊の会」発足につながった。
 メンバーは約100人。半数は福島県人だが、東京や京都、仙台のほか、会津の敵だった長州・下関の人もいる。実は、貞吉には長州に連行され養育された経緯があり、長州人の中には「会津に嫌われていることが何とかならないか」という心情を抱える人もいるようだ。
 会長は家老だった西郷頼母の筋に当たる山本英市さん。副会長は東京帝大総長などを務めた山川健次郎のひ孫の木下健さん。
 会は、(1)史実の調査(2)交流(3)企画-を主な活動としている。白虎隊が出陣し、飯盛山へ至るルートを歩き、隊がいつ、どんなことをしたかもほぼ解明。その結果を説明板や記念碑に表し、史跡として残したいと考えている。
 一方で、「国のため命をささげ、散るのはいいことと、後の戦争に利用された」との忸怩(じくじ)たる思いがある。会津も観光の素材としてのみ白虎隊を利用しているのではないかとの疑問も。
 ならぬことはならぬ。白虎隊が命をかけて示した「義」は、筋を通すことだった。「隊士たちがいまの世の中をみたら、どう思うか。筋を通す生き方を、強く訴えていく必要がある」と、飯沼さんは思っている。
 祖父については「まじめに生きた。会津魂そのまま。曲がったことは大嫌い。自刃に失敗し、長州の世話を受けたため、会津人から白い目で見られ、白虎隊のことは内面にしまい込んでいた。家ではタブーだった」と振り返る。
 入会は、ホームページ(http://byakko1868.web.fc2.com/)からでもできる。会費は年3千円。(土樋靖人)
                   ◇
【プロフィル】飯沼一元
 いいぬま・かずもと 仙台市出身。東北大大学院博士課程修了後、NEC入社。画像通信の研究などを担当した。退職後は、米ぬか原料食品の製造販売会社「ライステック」を創業。東京都在住。67歳。


茨城
全国歴史研究会、「水戸の歴史を応援する会」発会へ-水戸藩の役割再評価 /茨城
 全国歴史研究会(東京都品川区、TEL03-3779-3127)の「水戸の歴史を応援する会」(通称=水戸の会)の幹部が8月1日、発会式の事前調査のために水戸を訪れた。同会は明治維新の原動力となった水戸藩を再評価するために、県外の歴史研究者らにより結成する。(水戸経済新聞)

 「歴史研究」を発行する同会が、幕末に果たした水戸藩の役割について再評価。水戸の歴史に関心を寄せる研究者ら外野からの応援によって、水戸の歴史を語り合う場を作ろうと「水戸の会」が発足する。
 事前調査では、同会代表の吉成勇さんらが「幕末明治の博物館」「願入寺」「徳川博物館」「桜田門外の変オープンセット」「祇園寺」などを訪れ、8月29日の発会式を兼ねた「歴史を楽しむ会in水戸」のツアーの下見を行った。
 当日、水戸・祇園寺で行われる発会記念講演会では、「幕末水戸の文武道」をテーマに岩瀬秀敏さんが、「水戸と土佐の田中光顕」をテーマに竹村紘一さんが、それぞれ講演を行う。
 吉成さんは「明治維新の始まりとなった水戸の名誉を回復したい。水戸を応援して水戸を盛り上げたい」と発会の趣旨主旨を話す。
 発会記念講演会は13時50分から。会場は水戸・祇園寺。参加費500円。事前申し込みが必要。


東京
宮内庁の貴重図書 秋に初の公開
 宮内庁で保管されてきた貴重な図書や文書などを、初めてまとまった形で一般公開する催しが、ことしの秋に皇居で開かれることになりました。
 この催しは、皇室の図書や文書などを保管してきた宮内庁の書陵部が45万点を超える所蔵品の中から、特に歴史的価値の高い古代から近代までの日記や絵巻、文書などあわせて40点余りを選んで開きます。このうち、幕末の志士、坂本龍馬自筆の書は、薩長同盟の密約の立会人となった龍馬が、長州藩の木戸孝允に密約を保証した裏書きで、最後に龍馬の名前の一部が記されています。また、「かぐや姫」を題材に江戸時代に作られた絵巻物は、国語の教材としても使われているものです。宮内庁で保管されてきた貴重な図書などが、まとまった形で一般公開されるのは初めてで、宮内庁は「好評であれば展示内容を替えながら続けていきたい」としています。この催しは、ことし9月18日から皇居にある三の丸尚蔵館で、平日の月曜日と金曜日など一部の休館日を除いて10月17日まで開かれます。


新潟
「偉人館めぐりスタンプラリー」スタート 新潟
 連合艦隊司令長官、山本五十六や幕末の長岡藩家老、河井継之助ら長岡市ゆかりの偉人を紹介する記念館などを歩く「まちなか偉人館めぐりスタンプラリー」が始まった。
 長岡駅を軸とした中心市街地の活性化が目的で、山本五十六記念館▽河井継之助記念館▽如是蔵博物館▽駒形十吉記念美術館-の4館が参加。入館料の割引や景品などの特典も付き、2館以上シールを集めると「まちなか観光プラザ」で購入する土産品などが10%引きになる。11月30日まで。市観光課は「長岡駅周辺は見どころも多い。歩いて楽しんで」と話している。


山口
鉄道の父 没後100年で切手
 幕末に英国に密航し、近代技術を学んだ「長州ファイブ」の一人で、「日本の鉄道の父」とされる萩市出身の井上勝(写真・1843~1910年)の没後100年の記念切手が発売された。萩市内では8月、講演会などの記念事業がある。
 井上は長州藩士の三男として萩市土原で生まれた。1863年に伊藤博文や井上馨たちと英国へ渡り、ロンドン大で鉄道を研究。68年の帰国後は明治政府の鉄道頭に就き、72年、新橋―横浜間に日本初の鉄道を開通させた。
 記念切手は1500部の限定発売。80円切手10枚セット(1200円)で山口、萩、長門、美祢の4市と阿武町の全99郵便局で販売する。
 萩市の萩博物館では8月1日から9月26日まで記念展を開催。英国留学時の写真や書簡など23点を展示し、初日には道迫真吾主任研究員による記念講演会がある。命日の8月2日には萩市の田町商店街でミニSLの運行や写真展もある。

【写真説明】井上勝没後100年を記念して発売された切手


香川
咸臨丸:渡米150年で記念碑 塩飽の水夫35人たたえ--坂出 /香川
 幕末の1860年、日本の船として初めて太平洋を横断した咸臨丸。渡米150年を記念し、香川県丸亀市などの歴史愛好家4団体が同県坂出市の櫃石島に石碑を建てた。水夫の多くは、優れた操船技術で知られた地元・塩飽諸島の出身で、石碑には水夫35人の名が刻まれている。
 咸臨丸は江戸幕府の軍艦。遣米使節団を乗せた米国の軍艦に随行した。浦賀港(神奈川県)を60年1月に出発、同5月に帰港した。勝海舟や福沢諭吉、ジョン万次郎らが乗り組んだ。
 坂本龍馬を研究する「讃岐龍馬会塩飽社中」(丸亀市)などによると、水夫は50人のうち35人が瀬戸内海の塩飽諸島出身者。島の人たちは戦国時代は「塩飽水軍」と呼ばれ、操船技術に優れていた。江戸時代には御用船方(ふなかた)として、幕府の荷物を運んだり、戦に出たりした。丸亀市の本島にある国史跡「塩飽勤番所」を政所に自治も認められていた。
 咸臨丸の水夫には、龍馬が作った海援隊に入った佐柳島(香川県多度津町)の佐柳高次(1835~91)がいた。讃岐龍馬会塩飽社中の丸野忠義会長(70)らは01年ごろ、佐柳を通じ、塩飽の水夫たちの功績を知った。塩飽勤番所の保存資料などで乗組員の名簿を手に入れ、渡米150年の節目に35人全員を顕彰するため、他の歴史愛好会などと「咸臨丸水主を顕彰する有志の会」を結成。櫃石島の自治会や坂出市が場所を提供してくれたため、6月末に同島東部の旧港に石碑を完成させた。
 与島石製で高さ、幅各約2・5メートル。咸臨丸と塩飽の水夫の歴史を伝え、水夫の名前と出身の島などを記した。丸野会長は「使命感を持ち、命を懸けて未知の航海をした先人たちの功績を後世に伝えていきたい」と話している。【馬渕晶子】








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