新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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今日も猛暑でしたが、陽が落ちて少しだけ涼しい気がしました。残暑はまだまだ続きそうですが……。
福島
早乙女貢さんの墓建立、会津若松・天寧寺
栃木
塩原温泉観光協会:凌霜隊の縁で岐阜・郡上市と交流へ /栃木
神奈川
かながわ遊ナビ:「神奈川歴史散歩」--来月25日・10月2日 /神奈川
山口
マツノ書店:「松陰先生と吉田稔麿」関連論文増補し再復刻--周南 /山口
松陰門下の幕末志士、吉田稔麿の伝記を復刻
長崎
「そうめん帆船」 長崎県庁に登場
帆船:ポルトガル海軍「サグレス」、長崎寄港 きょうから一般公開 /長崎
文化芸能
これぞ九州男児の生きざま!ベテラン俳優・榎木孝明が自ら企画した『半次郎』!EXILE・AKIRAや白石美帆も出演
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(73)辻元清美と「黒豆」の政策転換
福島
早乙女貢さんの墓建立、会津若松・天寧寺
「会津士魂」など歴史・時代小説で知られる直木賞作家・故早乙女貢さんの墓が会津若松市の天寧寺に建立されることになり、9月12日に現地で入魂式が行われる。
会津藩士を曾祖父に持ち、敗者の側から幕末・維新史をとらえ直した早乙女さんの魂が、友人たちの手でゆかりの地に帰る。
市内に記念館を建てて早乙女文学を顕彰しようという計画もあり、早乙女さんが思い続けた「会津士魂」に再びスポットが注がれそうだ。
栃木
塩原温泉観光協会:凌霜隊の縁で岐阜・郡上市と交流へ /栃木
幕末に結成された「凌霜隊(りょうそうたい)」の縁で、塩原温泉観光協会(田代茂樹会長)と、同隊ゆかりの岐阜県郡上市が交流を深めていくことになった。観光面での活用を狙っていくという。
那須塩原市で和泉屋旅館を経営する田代芳寛さん(62)は7月28日、郡上市で開催された「郡上藩凌霜隊140年記念事業」に招かれ講師を務めた。この際、田代さんは観光協会会長の「凌霜隊を介して共通の体験をした住民同士の心の交流、ひいては観光などの経済交流まで実現できればと夢見るものです」とのメッセージを郡上市の日置敏明市長に手渡した。これに対し、市長は「よいお付き合いをしたい」と答えたという。
田代さんは4日に開かれた観光協会の役員会で、郡上市側が塩原側との交流を希望していることを伝えた。田代会長は「これを機会に郡上市側の郷土史家を招いて凌霜隊について講演をしてもらったり、凌霜隊が塩原で地元民と踊ったという郡上踊りを視察して復活を図るなどして交流を進めていきたい」との考えを明らかにした。【柴田光二】
神奈川
かながわ遊ナビ:「神奈川歴史散歩」--来月25日・10月2日 /神奈川
◇旧東海道など探索
神奈川区いまむかしガイドの会(横浜市神奈川区、大平修会長)は9月25日と10月2日、恒例の「神奈川歴史散歩」を開催する。
9月25日は「旧東海道東戸塚から保土ケ谷宿を訪ねる」の5キロコース。JR東戸塚駅に9時集合、権太坂や保土ケ谷宿問屋場跡などをめぐり、JR保土ケ谷駅で12時半に解散する。10月2日は「激動の幕末を見つめた神奈川宿」として、京急神奈川新町駅に9時に集合し、金蔵院や熊野神社など4・5キロを回り、JR横浜駅西口で12時半に解散する。
各コースとも参加費500円。はがきかファクスでコース名、開催日、氏名、住所、電話番号を明記して〒221-0802横浜市神奈川区六角橋1の10の11すぺーすろっかく内「神奈川区いまむかしガイドの会」(ファクス045・401・8320)へ。
山口
マツノ書店:「松陰先生と吉田稔麿」関連論文増補し再復刻--周南 /山口
周南市銀座2のマツノ書店(松村久店主)が、「松陰先生と吉田稔麿(としまろ)」(A5判、430ページ)を再復刻した。初版は1938(昭和13)年で著者は来栖守衛(くるすもりえ)。90年に同書店が復刻したが、今回は巻末に増補している。【川上敏文】
吉田稔麿(栄太郎)は萩藩の下級武士の家に生まれ、16歳で松下村塾で吉田松陰に師事。高杉晋作、久坂玄瑞、入江九一と机を並べ、「松門四天王」の一人。脱藩して諸国を巡って幕臣に仕えた後、長州藩に復帰。その後、晋作が興した奇兵隊に参加。京都三条の池田屋事変で新選組と戦い負傷、自害した。24歳の若さだった。
同書には、稔麿が両親や吉田松陰にあてた書簡などが多数収録されている。松村さんは「塾の様子や、松陰の教育方法、稔麿の人柄などが分かる本」と話す。増補部には「吉田稔麿の政治思想」など(三宅紹宣・広島大学大学院教育学研究科教授)▽「池田屋事変における吉田稔麿」(町田明広・佛教大学非常勤講師)の論文や、推薦文「吉田栄太郎(稔麿)の魅力」(一坂太郎・萩博物館特別学芸員)を収めた。
本は後払いで8000円(税込み、送料300円)だが、残部は少ないという。同書店は、200点を超える明治維新史関係の復刻出版に取り組んでおり、07年、その文化的貢献が評価され菊池寛賞を受賞した。問い合わせは同書店(0834・21・2195)。
松陰門下の幕末志士、吉田稔麿の伝記を復刻
吉田松陰の門下生で萩出身の幕末志士、吉田稔麿(1841~1864年)の伝記「松陰先生と吉田稔麿」の復刻本が、山口県周南市のマツノ書店から出版された。
原本は1938年に県教育会から刊行され絶版になったあと、同書店が90年に500部の復刻本を出版したが完売、稔麿について書かれた唯一の評伝として再版が待たれていた。新たに論文を加えるなどし、400部を発行した。
稔麿は、萩・松本村の下級武士の家に生まれた。江戸で黒船騒動を体験したあと、松下村塾で松陰に師事、高杉晋作、久坂玄瑞らとともに松陰門下生の四天王の一人とされた。幕府に勤王を説くために脱藩、江戸で幕臣に仕えたり、奇兵隊にも参加したりした。京都・三条の池田屋事変で新撰組と戦い、負傷して自害したとされる。
著者は教育家でもあった来栖守衛で、松陰の愛弟子に対する教育のあり方を記録し、稔麿研究のための資料保存などを目的に執筆。昭和初期に当時、萩にあった吉田家に残されていた稔麿や松陰らの多くの書簡、文書類を調べ、吉田家で逸話などを見聞きするなどしてまとめた。松陰の教育現場が具体的に書き表されたところもあり、松陰や幕末史の研究者たちにとって貴重な必携図書になっているという。
今回は三宅紹宣・広島大大学院教授と町田明広・佛教大非常勤講師の論文を載せ、内容の充実を図った。萩市特別学芸員の一坂太郎さんも巻末文を寄稿しており、「幕末の動乱に身を投じた、一人の若き草莽
そうもう
の息吹が伝わる好著」と記している。
原本を拡大したA5判の上製箱入りで430ページ、8000円。注文や問い合わせはマツノ書店(0834・21・2195)へ。(横木稔郎)
長崎
「そうめん帆船」 長崎県庁に登場
長崎県南島原市の特産「島原手延そうめん」で作った幕末の蒸気帆船が長崎県庁の玄関ロビーにお目見えした。南島原市の地域おこし団体「みそ五郎倶楽部(くらぶ)」(本多祥彦代表)が毎年製作しており、今回は坂本竜馬が乗った「いろは丸」をかたどった。
全長2・3メートルで千食分。めんを加湿して軟らかくし、しめ縄や三つ編み状にして組み立てた。腰が強く切れにくい特徴を生かしたという。
今月下旬まで飾った後、南島原市で11月にある「みそ五郎まつり」で披露し、解体して食べるイベントも検討中。冷やしうどんや冷製パスタに押され気味ともいわれるそうめん。本多代表は「粘り腰で消費拡大を目指します」。
帆船:ポルトガル海軍「サグレス」、長崎寄港 きょうから一般公開 /長崎
ポルトガル海軍の練習帆船「サグレス」(1940トン)が3日、長崎港(長崎市)に入港した。世界一周航海中で、日本とポルトガルが幕末に修好通商条約を締結してから今年で150年となるため、その記念の寄港だ。8日まで滞在し、5~7日には船内が一般公開される。プロエンサ・メンデス船長(43)は「ぜひ多くの市民の皆さんに訪問してほしい」と述べた。
サグレス号の長崎寄港は、17年ぶり4度目。ポルトガル人が鹿児島・種子島に漂着して鉄砲を伝来(1543年)してから450年となった93年以来だ。長崎とポルトガルとの関係は深く、1571年の長崎開港から1636年の出島築造に至るまで続いた。
田上富久市長は「『世界一美しい帆船』と呼ばれるポルトガルの宝を市民に見せてもらいありがたい」と述べた。【錦織祐一】
文化芸能
これぞ九州男児の生きざま!ベテラン俳優・榎木孝明が自ら企画した『半次郎』!EXILE・AKIRAや白石美帆も出演
[シネマトゥデイ映画ニュース] 自身の故郷である九州を舞台にした映画『半次郎』で主演を務めるベテラン俳優の榎木孝明だが、自ら企画段階からかかわり、プロモーションにも積極的に参加するなど気合の入った様子を見せている。ほかの出演者には、AKIRA(EXILE)、白石美帆、北村有起哉、主題歌を平原綾香が務めるなどそうそうたるメンバーがそろっており、激動の時代を見事に映像化した。
本作は、「鹿児島発の映画で日本を元気にしたい!」という榎木の思いがこめられた時代もので、明治維新から西南戦争に至る激動の時代を、西郷隆盛の右腕として戦った薩摩武士・中村半次郎の視点から描いた作品だ。自ら企画を立ち上げた榎木は、西郷役のオーディションにも審査員として参加するなど、精力的に作品にかかわった。それもすべては現代日本に活を入れるためだ。
榎木演じる中村半次郎の盟友役にはこれが時代劇初挑戦となるAKIRA(EXILE)。殺陣の場面では監督が思わず「カット」と言うのを忘れるほど見事なアクションを披露し、天性のパフォーマーぶりを見せつけた。半次郎を慕うさとを演じる白石も、サトの墓前で撮影終了を報告するなど、この作品には並々ならぬ気合が入っている様子だ。
主人公の中村半次郎は剣術に優れ、開けっ広げな性格で敵味方かかわらず愛された人物。40歳という若さで命を落としてしまうが、幕末から明治維新にかけての流れを生み出した一人として評価されている。ベテラン俳優、榎木が送る本作は、今だからこそ、人々に観てもらいたい作品に仕上がった。
映画『半次郎』は9月18日より九州先行上映 10月9日より全国公開
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(73)辻元清美と「黒豆」の政策転換
東大教授・山内昌之 姉小路公知
辻元清美氏が社民党離党を表明した。辻元氏といえば、政策通でも知られた社民党の顔だっただけに、離党劇は残された社民党議員らにとってショックであろう。米軍普天間飛行場の移設問題をめぐる福島瑞穂党首との確執もささやかれている。
社民党には、民主党や国民新党と連立政権を組んで政治のリアリズムに鍛えられた政治家ばかりいるわけではない。自己の信念を抱きながら柔軟に権力の責任に対応して成長を遂げた政治家、個人の信念だけで政治が動くと勘違いし政策を少しも動かせない(あるいは動かす気のない)政治家など、社会民主党の指導者群像には興味深いものがある。
少なくとも、辻元氏は国土交通副大臣として前原誠司大臣の信頼も厚く、現実政治で何事かを進めようとする心構えや気迫が見えた。かつて議員給与の流用問題などで失職した体験を「半生の一大厄難」(陸奥宗光(むつむねみつ))として活(い)かしているのかもしれない。政治を現実に動かす与党の立場になれば、野党気質の無責任なイデオロギーを封印するか、清算し転換するか、いずれかの立場を強いられるのは当然である。
幕末政治における最大の政策転換は、攘夷(じょうい)から開国への国是の変化である。そこには大きな犠牲も伴う。代表例は、姉小路公知であろう。
「白豆」と仇名(あだな)された三条実美(さねとみ)とともに、色黒のために「黒豆」と揶揄(やゆ)された姉小路は、文久2(1862)年9月、コンビを組んで江戸に向かい幕府に攘夷の早期決行を迫った。「皇国の武威」を奮い「攘夷の成功」を遂ぐべしという勇ましい勅旨(ちょくし)を伝えたのである。
正使の三条と一緒に、勝海舟の案内で江戸湾岸を視察した。帰洛後、「黒豆」は国事参政になっても「白豆」とともに幕府を困らせる攘夷派の先鋒(せんぽう)であった。しかし翌年5月に深夜の朝議を終え帰邸する途中、朔平(さくべい)門外の猿ケ辻で刺客に襲われ、まもなく自宅で卒去したのである。
これは幕末の暗殺テロでも謎の多い事件である。残されていた刀などの物証から、薩摩藩の田中新兵衛が下手人と目されたが、取り調べ中に田中が自刃したために真相は闇に沈んでいる。
◆勝海舟の説得で開国に?
通説では、姉小路が勝海舟の説得にあって攘夷の不可なることを痛感したからだともいう。確かにテロは、文久3年に国事参政となってまもなく4月に摂海防備巡察の職を兼摂(けんせつ)した直後に起きた。
姉小路公知は、4月23日から摂海巡視で初めて海に出たとき、勝海舟と論議を重ねて開国論を理解するようになったらしい。馬場文英の著した『元治夢物語』(岩波文庫)によれば、「公知朝臣(あそん)、天保山近海、御廻見有(あり)て、追日(ひをおって)御帰京」とある。姉小路の帰洛後すぐに、朝廷は幕府に「摂海防備三か条」の沙汰(さた)を下している。これは勝と姉小路との出会いの成果ではなかろうか。
勝自身は、自分の意見を吸収した姉小路が朝議を動かした結果だと語っており、姉小路の盟友だった東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)も、摂海巡視の時に勝から「無謀の攘夷は出来ぬ」と説かれたことで帰洛後に「鋭鋒(えいほう)が挫(くじ)けた」と述べていた。姉小路の転向は武市半平太(たけちはんぺいた)などには癪(しゃく)の種であり、幕府にとっては心強い味方になる矢先の凶変である。孝明天皇の死とともに幕末政治の転回を決定づける事変だったことは間違いない。
◆強固な意志力と勇猛心
姉小路公知の偉いのは、襲われた時に、太刀をもった侍臣の1人が卑怯(ひきょう)にも逃げたのに、肩に深手を負っても笏(しゃく)などで凶漢に立ち向かい、自邸に戻って絶息したことである。武士も及ばぬほどの勇気と闘争心ではなかろうか。攘夷運動の先駆となった天誅(てんちゅう)組の中山忠光といい、姉小路公知といい、公家にも強固な意志力と勇猛心をもつ者もいたのである。
さて辻元氏には、姉小路のような決心をもって、日本政治を大転回させる機会として離党を活用してほしいものだ。だとすれば、有権者たちは「嘆くべきでない人々について嘆く」必要はないのだ。賢者は死者についても賢者についても嘆かぬ者だというインドの古典『バガヴァッド・ギーター』(上村勝彦訳)の一節は正しいのである。
辻元氏の前途は姉小路のように多難かもしれない。しかし、そもそも政治の中核に入っても何一つ変わらず変わろうともしなかった福島瑞穂氏については、嘆くべきなのか、嘆かざるべきなのか、『バガヴァッド・ギーター』さえ答えてくれない。(やまうち まさゆき)
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【プロフィル】姉小路公知
あねがこうじ・きんとも 天保10(1839)年、京都生まれ。三条実美と親交を結び、尊攘派公家の中心人物として活躍。日米修好通商条約調印の勅許に反対した。和宮(かずのみや)降嫁に絡み、岩倉具視(ともみ)らを弾劾。勅使、三条実美のもと副使として江戸に赴き、幕府に攘夷を督促。国事参政となり、摂海(大阪湾)を巡視した。文久3(1863)年、御所からの帰途、暗殺された。享年25。
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