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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 中岡慎太郎の写真の原板が見つかったというニュースがあったので、急ぎご紹介します。

歴史
中岡慎太郎の写真 原板公開へ
 幕末の志士で、坂本龍馬とともに薩長同盟の実現に力を尽くした、中岡慎太郎の写真の原板が、このほど見つかり、8日から、中岡の出身地の高知県北川村で公開されることになりました。
 中岡慎太郎は、尊皇攘夷運動を展開した「土佐勤王党」に参加したあと、坂本龍馬などと薩長同盟の実現に力を尽くしましたが、30歳の時に京都で龍馬とともに暗殺されました。写真の原板は、中岡が京都で下宿していた書店の経営者の子孫にあたる、富山市の80歳の男性が保管していました。写真は、縦およそ8センチ、横およそ10センチで、中岡が暗殺される1年前に京都の祇園で撮影されました。笑顔の中岡のひざには女性の着物の一部が掛かっていますが、隣にいたはずの女性の姿は、削り取られたり塗りつぶされたりしています。この写真の原板は、中岡の出身地の高知県北川村にある中岡慎太郎館で、8日から3日間展示されることになっていて、豊田満広学芸員は、「女性といっしょにいる姿を人に見られるのを恥ずかしがって、中岡みずから原板を削り取った可能性もある。中岡の写真の原板としては唯一残っている貴重なものだけに、多くの人に見てほしい」と話しています。


高知
龍馬の手紙寄託の男性 高知県が感謝状贈る
 高知県は6日、幕末の志士・坂本龍馬が大政奉還の実現に向け土佐藩の重職・後藤象二郎にあてた直筆の手紙の下書きを県立坂本龍馬記念館に寄託した同県いの町の南道さん(86)に感謝状を贈った。
 手紙は慶応3(1867)年10月13日付で、土佐藩が提出した大政奉還建白書の採否を決める会議に出席する後藤象二郎を激励した内容。手紙の実物は所在不明になっているが、下書きは祖父の代から南さん方に伝わっていた。
 尾崎正直知事から感謝状を受け取った南さんは「草案なので大したことはないと思っていた。私の家に置いておくより、多くの人に見てもらい、龍馬への理解を深めてもらいたいと考えた」と話した。
 手紙の下書きは10月8日まで同記念館で展示されている。


鹿児島
島津家伝統の七夕飾りの展示始まる 鹿児島市・仙巌園で
 旧暦の七夕に合わせて、5色の吹き流しなどで飾り付けた孟宗竹(もうそうちく)を展示する「島津家伝統の七夕飾り」が7日、鹿児島市の仙巌園で始まった。10日まで。
 園の裏山から切り出した長さ10メートル超の竹を使い、御殿前に2本、受付前に1本、尚古集成館前に1本を立てた。吹き流しのほか、「無勢とて敵をあなとることなかれ たせいを見てもをそるへからず」と記した戦国時代の島津忠良の「いろは歌」、幕末の島津斉彬の座右の銘「思無邪(思い邪(よこしま)無し)」を書いた短冊などを付けた。
 明治時代初期に島津家が行っていたものを1990年に再現、以来、毎年行っている。
 岡山市から旅行中というともに会社員の前田明子さん(32)と垂井慈江(よしえ)さん(33)は、「風になびく姿がとても涼しげ。桜島が後ろにそびえているのもいい」と喜んでいた。
 鹿児島市吉野町の県立吉野公園の周辺道路でも、地元町内会などが、街路樹わきに、色紙などで飾った約80本の笹(ささ)を取り付けた。14日頃まで。


ブックレビュー
【新書】『江戸のことわざ遊び』南和男著
 幕末の刊行以来、明治まで上方を中心に「ベストセラー」となった滑稽(こっけい)本『諺臍(ことわざへそ)の宿替(やどがえ)』の現代語訳。「目から鼻へ抜ける」「顔が広い」など現代人にもなじみ深いことわざをユーモラスな挿絵とともに紹介している。(平凡社新書・819円)


コラム
【龍馬を慕(おも)う】(19)下関・白石邸 志士たちを支援した豪商
 JR下関駅周辺には、百貨店や商業ビル、ホテルなどが建ちならんでいる。駅北側の出口からクルマが行きかう道を100メートルほど行くと、歩道沿いの一画に、
 「白石正一郎邸跡」
 と刻まれた石碑が立ち、後ろ側を垣根が囲んでいた。垣根の裏手は、中国電力下関営業所の駐車場だった。手前には、白石の業績をたたえた「中国電力」名の説明板もあった。もちろん幕末の回船問屋、白石正一郎と中国電力とはなんの関係もない。
 白石はこの地の豪商というだけでなく、国学者として尊王攘夷の熱心な信奉者でもあった。書き残した日記は維新研究の一級史料で、滞在した志士は西郷隆盛や大久保利通、木戸孝允(たかよし)、坂本龍馬ら四百余人にのぼるとされる。
 たんなるパトロンではない。文久3(1863)年6月、この地で結成された高杉晋作の奇兵隊にも隊員としてくわわっている。この時、すでに50歳を過ぎていた。
 白石邸跡から海岸部までは100メートルほど離れているが、当時は西側の白石邸の裏手は船着き場になっていた。薩長の志士たちは、もっぱら船でやってきた。
 ●脱藩後の「空白」を探る
 文久2年3月24日、沢村惣之丞とともに脱藩した龍馬は大洲藩(愛媛県)の長浜から出航して瀬戸内海を渡り、5日後の29日には三田尻港(山口県防府市)に着いた。ここまでは後年、聞き書きを残した沢村の口述で分かっている。
 このあとの龍馬の動きは、史料からは拾い出すことはできない。下関まで船で行き、4月1日に白石邸に入った、と書かれた文献もある。だが白石の「日記」に龍馬が記載されるのは後年になってからだ。
白石は几帳面(きちょうめん)な性格で、龍馬が脱藩した直後、吉田東洋暗殺にくわわった那須信吾ら3人が4月半ばに来訪したことは、きちんと記載している。
 龍馬の動向は6月11日、大坂で沢村と再会するまでは、「空白」にちかい。「空白」を埋めるためには、この時期の天下の情勢を俯瞰(ふかん)しておかなければならない。
 薩摩の島津久光が、藩兵1000人を引き連れて武装上洛を決め、すでに3月16日、薩摩をたっていた。激派の志士たちは「革命前夜」ととらえ、一気に倒幕に向けて、動き出そうとしていた。もちろん公武合体派の久光には、そんな心づもりはなかった。
 白石邸には3月22日早朝、その先鋒(せんぽう)として西郷隆盛が訪れた。九州諸藩の情勢などをさぐるのが目的であった。久光からは「下関でわしを待て」と厳命されていた。
 だが西郷は、諸藩の志士たちが沸騰しているのを目の当たりに見た。もともと気があわない久光の命令を無視し、志士たちを鎮静化(ちんせいか)させるため、すぐに大坂に向かった。これが久光を怒らせ、西郷の2度目の島流しにつながった。
 久光の下関着は28日である。龍馬の下関入りとほぼかさなっている。白石邸は諸藩の志士たちがあいついで訪れ、騒然とした雰囲気につつまれていたはずである。まだ無名の志士である龍馬は立ち入ることもできなかったのではないだろうか。
 龍馬の脱藩の理由は不明な部分がおおいが、この時は決起に参加するつもりなどなかった。久光はこの後、薩摩の激派を弾圧するために、伏見・寺田屋で陰惨な上意討ちをおこなっている。
●破産も未練みせず
 では龍馬は、大坂に姿を見せるまで、どこでなにをしていたのか。薩摩に向かったという説がある。薩摩藩は密貿易などによって有数の「大藩」となり、土佐で河田小龍から聞いた反射炉などの近代施設を持っていた。
 薩摩が土佐の脱藩藩士などを受け入れてくれるわけはなく、藩境であっさりと門前払いを受けた。しかたがなく、諸藩の動向をさぐりながら大坂入りしたのではないだろうか。
 司馬遼太郎の『竜馬がゆく』にも、この時期の龍馬の動向は描かれていない。下関で白石邸を訪れたが、すぐに大坂に向かったとしている。
 大坂の心斎橋をブラブラしていると、藩から放たれた警吏の岩崎弥太郎とバッタリと会ってしまう。弥太郎の同僚、井上佐一郎に両側をはさまれ大坂・土佐藩邸まで連行されかけた。
 だが途中で、井上の右肩にみねうちをくわせて倒した。弥太郎は刀を抜いたものの、龍馬が井上を相手にしている最中に、逃げ出した。弥太郎は肩をおさえて帰ってきた井上に非難されるが、
 「この岩崎弥太郎、その時節がくれば千万人が相手でも、やる。もしそれが勝つ喧嘩(けんか)ならばだ。しかし、負ける喧嘩なら、一人が相手でもわしは遁(に)げる」

と平然と言ってのけた。のちの三菱創始者らしいセリフである。
 同じ商人である白石は、みずからが信じた「尊王攘夷」のために、奇兵隊などに莫大(ばくだい)な資金を提供しつづけ、破産した。維新政府に対し、ミレンがましいことは一言も言わなかった。
                   ◇
 ≪メモ≫
 下関市は本州最西端に位置し、関門海峡をはさんで九州(北九州市)と向かい合う。古くから交通の要衝として栄え、平氏が滅んだ「壇ノ浦合戦」など歴史の舞台にもなった。幕末期には、高杉晋作による奇兵隊結成の際の陣屋が置かれた。龍馬も脱藩以降たびたび訪れ、高杉や三吉慎蔵ら長州藩士と交流した。慶応3(1867)年2月には妻、お龍と下関での生活を楽しんでいる。
                   ◇
 ■きょうの「龍馬伝」 NHK総合 午後8時~ほか
 下関に来なかった西郷(高橋克実)を追って、京の薩摩藩邸にやって来た龍馬(福山雅治)と中岡慎太郎(上川隆也)は面会を断られ、龍馬は伏見の寺田屋へ向かう。そこで龍馬は新選組の近藤勇(原田泰造)がお龍(真木よう子)に酒の相手をさせているのを知り、危険を冒して近藤を泥酔させ、お龍を助ける。近藤は龍馬にとって、以蔵を追い、亀弥太を殺した憎き相手だったが、刀を抜くことを思いとどまる。同じ時、千葉重太郎(渡辺いっけい)が、妹・佐那(貫地谷しほり)の思いのために龍馬を追って寺田屋を訪れていた。重太郎はお登勢(草刈民代)とお龍の会話から、龍馬が日本を変えるという大きな仕事に邁進(まいしん)していることを知る。







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