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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日は昼間の最高気温が35度近くと、暑い一日でした。でも、気が付けば、旧盆まであと少しです。旧盆過ぎれば夕方から夜にかけて湿気が減って気温も涼しくなる……はずです(苦笑)。

北海道
苫小牧・勇武津資料館で入館者5万人突破
 苫小牧市勇払にある勇武津(ゆうぶつ)資料館(長谷川充館長)の入館者が今月1日に5万人を突破、記念式が行われた。
 同館は平成13年4月の開館。建築面積は約398平方メートル。幕末の勇武津会所を模した建物は国産の杉材で内外装されており、弁天貝塚からの出土品やアイヌ民具など約150点が展示されている。
 また、教育面では「ふるさと歴史講座」「生活体験教室」などの事業も実施している。
 5万人目となったのは、市内沼ノ端在住の島紘一さん(67)夫妻。「夏休み中の孫に苫小牧の歴史を見せたくて来ました」と幸運にニッコリ。花束を贈った長谷川館長も「5万人を機に、地域と一緒にいろいろな事業を展開していきたい」と張り切っていた。
(高橋昭博)


 勇払といえば、土方さんより何世代か前、多摩の八王子千人同心の家族たちが入植したものの挫折した土地ですね……いつか行きたいところのひとつです。


千葉
2つの流山市史
改ざん抗議の市史執筆者、元の原稿で刊行

「流山市史」の元の原稿で出版された「流山近代史」 流山市が刊行した「流山市史 通史編2」の執筆に参加しながら、「原稿を勝手に改ざんされた」として市側に抗議し、執筆者の名前から外れていた元小学校校長の山形紘さん(63)(東京都板橋区)が、元の原稿をそのまま本にした「流山近代史(『流山市史 通史編2』原著全五章)」を刊行した。同市立図書館も4冊購入して置く予定で、近代に関して二つの市史が併存することになりそうだ。
 山形さんは「通史編2」の約3分の2を担当したが、校長の仕事などで多忙のため編集会議の多くを欠席。山形さんが知らないまま、市担当職員などの判断で計2328か所の原稿の加筆や表現の修正、削除などが行われ、「通史編2」は2005年3月にいったん刊行された。
 市は山形さんの抗議を受け、販売を取りやめていたが、今年1月、巻末の執筆者名から山形さんの名前をシールで隠すとともに、「特に戦争に関する歴史的な評価を大幅に加筆した部分が多数ありました」などとする謝罪文を市報と市のホームページに掲載し、販売を再開していた。
 6月25日に刊行された「流山近代史」は全5章で、明治維新の混乱期や政治、経済、交通、社会生活などを取り上げた。流山で11人が亡くなったとされる昭和戦争での空襲被害や関東大震災に関する記述など「通史編2」では削除された部分が復活した。特に昭和期の部分では、「通史編2」にない資料や記述が多く、別の本として読むことができる。巻末には、刊行までの経緯を、市の文書資料を引用して解説した。
 山形さんは「市史編さん委員をしてきた自分の責任は、この本で果たせたと思う」と話している。一方、流山市教委は「市史の大本の資料であり、内容がおかしいということはないはず」としている。B5判335ページ。税込み3150円。問い合わせは崙(ろん)書房出版(04・7158・0035)へ。




京都
維新勤王隊の衣装ずらり
平安神宮で虫干し

維新勤王隊の衣装ずらり 平安神宮で虫干し
 夏空が広がった3日、京都三大祭りの一つ「時代祭」で使われる衣装の虫干しが京都市左京区の平安神宮で行われた。毛で覆われたかぶりものや、色とりどりの着物がござにずらりと並べられ、強い日差しのもと関係者が作業に汗を流した。
 虫干しした衣装は維新勤王隊列(明治維新時代)の約100点。同隊列を担う市民組織「平安講社第8社」(中京区)が虫食いやかびを防ぐため、毎年この時期に行っている。
 この日の京都市内の最高気温は36・1度で、1週間ぶりの猛暑日となった。セミのにぎやかな鳴き声のもと、第8社の役員やボランティアの大学生ら約45人がタオルで汗をふきつつ、収蔵庫から羽織やはかまなどを出して広げ、日や風をあてていた。



大阪
篤姫直筆の短冊発見 決意はっきりと
 徳川13代将軍家定に嫁ぎ、将軍養母としても江戸幕府を支えた「天璋院篤姫(てんしょういん・あつひめ)」(1835―83)の、直筆とみられる和歌の短冊が大阪府内で発見された。
 黒船来航や安政の大地震といった内憂外患の中、徳川将軍家での内助の功を誓う内容。鑑定をした愛知文教大副学長の増田孝教授(書跡史学)は「気性が表れた、しっかりした字。徳川家で生きる決意が表れている」と話している。
 短冊は、大阪府池田市の会社顧問東田一郎さん(57)が1年半前に入手した、薩摩藩島津家ゆかりの人々の短冊26枚の中に含まれていた。
 短冊を包んでいた畳紙(たとう)に「御台(みだいどころ)様御染筆御上り前拝領 安政三辰年十月」とあり、篤姫が御台所(正室)として江戸城へ入る直前の、1856(安政3)年に書かれたとみられる。
 和歌は「年をへし池の岩ほの亀も猶 うこかぬ御世に契りてやすむ(池の岩にいる亀よりもなお長生きをし、結婚して幕政の安定の一助とならなくては)」と詠まれていた。
 増田教授によると、短冊に使われた料紙の装飾や紙の質が幕末の特徴と一致し、現存する篤姫の書の筆跡と比べても篤姫直筆とみて間違いないという。
 篤姫は島津家一門の出身で、藩主斉彬(なりあきら)、公家の近衛忠熙(このえ・ただひろ)の養女を経て、将軍家定に輿入れした。江戸城の無血開城や徳川家存続のために奔走し、幕府崩壊後も薩摩に帰らなかった。
 所有者の東田さんは「篤姫は和歌の決意通りの人生を送ったと思う」と語った。


篤姫直筆の短冊発見 大阪、徳川家に嫁ぐ決意詠む
 徳川十三代将軍家定いえさだに嫁ぎ、将軍養母としても江戸幕府を支えた「天璋院篤姫てんしょういん・あつひめ」(一八三五―八三)の、直筆とみられる和歌の短冊が大阪府内で発見された。
 黒船来航や安政の大地震といった内憂外患の中、徳川将軍家での内助の功を誓う内容。鑑定をした愛知文教大副学長の増田孝ますだ・たかし教授(書跡史学)は「気性が表れた、しっかりした字。徳川家で生きる決意が表れている」と話している。
 短冊は、大阪府池田市の会社顧問東田一郎ひがしだ・いちろうさん(57)が一年半前に入手した、薩摩藩島津家ゆかりの人々の短冊二十六枚の中に含まれていた。
 短冊を包んでいた畳紙たとうに「御台様御染筆御上り前拝領 安政三辰年十月」とあり、篤姫が御台所みだいどころ(正室)として江戸城へ入る直前の、一八五六(安政三)年に書かれたとみられる。
 和歌は「年をへし池の岩ほの亀も猶なお うこかぬ御世に契りてやすむ(池の岩にいる亀よりもなお長生きをし、結婚して幕政の安定の一助とならなくては)」と詠まれていた。
 増田教授によると、短冊に使われた料紙の装飾や紙の質が幕末の特徴と一致し、現存する篤姫の書の筆跡と比べても篤姫直筆とみて間違いないという。
 篤姫は島津家一門の出身で、藩主斉彬なりあきら、公家の近衛忠熙このえ・ただひろの養女を経て、将軍家定に輿こし入れした。江戸城の無血開城や徳川家存続のために奔走し、幕府崩壊後も薩摩に帰らなかった。
 所有者の東田さんは「篤姫は和歌の決意通りの人生を送ったと思う」と語った。


 大河ドラマ『篤姫』放映中に発見されるとは、なかなかのグッドタイミングではないでしょうか。

兵庫
上野彦馬賞フォトコン作品展:古写真収集家の石黒さんが講演--尼崎 /兵庫
上野彦馬賞フォトコン作品展:古写真収集家の石黒さんが講演--尼崎 /兵庫
 日本写真の祖とされる上野彦馬にちなんだ「第8回上野彦馬賞九州産業大学フォトコンテスト受賞作品展」(毎日新聞社など主催)を開催中の尼崎市総合文化センター(同市昭和通2)で3日、古写真収集家の石黒敬章さんが講演した。
 石黒さんは同展と同時開催の特別企画展「幕末・明治のおもろい写真」で、コレクション108点を出品。講演では「明治期の写真には笑顔で写ったものが少ない。一方で、ヒゲをたくわえた肖像写真が多い」などと解説した。


徳島
阿波踊り:女性お囃子170年前から “お鯉さん”のルーツ--徳島城博物館 /徳島
阿波踊り:女性お囃子170年前から “お鯉さん”のルーツ--徳島城博物館 /徳島
◇「稽古の成果発表の場」
 「阿波よしこの」の第一人者で4月に亡くなった“お鯉(こい)さん”こと多田小餘綾(こゆるぎ)さんに代表される、阿波踊りに花を添える三味線弾きの女性たち。女性のお囃子(はやし)はいつから歴史に登場し、わき立つようなぞめきのリズムを奏でてきたのだろう。最近の研究では女性が鳴り物に参加する時期は意外に遅く、天保年間(1830~44)ごろと考えられているようだ。【深尾昭寛】
(中略)
 現存する絵画資料で描かれる阿波踊りの光景は、この資料を分岐点に、それ以前と以降で全く様相が異なる。18世紀末ごろに描かれた「阿波盆踊図」(鈴木芙蓉(ふよう)画)や、約20年後の文化12(1815)年の情景を描いたとみられる画巻「徳島盂蘭盆(うらぼん)絵組踊之図」(作者不詳)では、登場するお囃子は男性ばかり。鳴り物を担当する女性の姿は確認できない。
 一方で、吉成葭亭(1807~69)が幕末期に描いたとされる「阿波盆踊図屏風(びょうぶ)」になると、三味線を弾いたり、太鼓を打ち鳴らす女性の姿が、中心的存在になっている。


島根
(13)松江藩のインフラ整備・其の一 佐陀川開削
水運、新田開き藩を潤す

 宍道湖から日本海に注ぐ松江市内の佐陀川は、松平松江藩七代藩主治郷(不昧)の時代に開削された川。度重なる洪水に見舞われていた松江城下と宍道湖周辺の水害対策に、湖水を日本海に流し、被害を緩和させるというものだった。
 効果はてきめん、佐陀川の開削以後、一雨降れば沼地になった地域での新田開発に拍車が掛かった。さらに、松江と日本海を最短距離で結ぶ新航路の誕生は、運送費の軽減と大幅な時間短縮をもたらした。佐陀川はさしずめ”現代版高速道路”、松江藩に物資の輸送革命を引き起こした。そんな佐陀川の歴史と現在の姿を紹介する。
(中略)
 幕末から明治にかけての佐陀川航路は全盛期を迎え、河口の恵曇は、県内有数の港へ発展していく第一歩を踏み出した。大正時代には合同汽船の定期便も就航した。しかし、時代の変遷に伴い、佐陀川は航路としての役目を終え、単なる放水路になってしまった。


山口
桜山神社:維新志士を慰霊 創建143年記念祭--下関 /山口
桜山神社:維新志士を慰霊 創建143年記念祭--下関 /山口
 奇兵隊士ら維新の志士を祭る下関市上新地町の桜山神社で3日、創建143周年の記念祭が開かれた。遺族ら約60人が出席し、志士たちの御霊を慰めた。
 同神社は1865年、高杉晋作の発議で奇兵隊の招魂場として建設された。現在は晋作や吉田松陰ら志士391柱を祭っている。創建140周年を迎えた2005年からは毎年8月3日の落成日に記念祭を開くなど顕彰活動を活発化している。
 式典では宮司らが祝詞や吟詠をささげ、出席者たちが次々と神前で焼香。阿部匡紀宮司は「今年も無事祭事を執り行うことができてありがたい」と感謝の言葉を述べた。
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