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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 シルバーウィーク中盤になりました。明日は多摩方面に行ってこようかな。

栃木
与一伝承館で特別企画展 栃木・大田原
与一伝承館で特別企画展 栃木・大田原
 戦国時代に現栃木県大田原市域の領主として台頭し、江戸時代には大田原藩の大名だった大田原氏にスポットを当てた特別企画展「大田原氏と大田原藩」が19日、大田原市の那須与一伝承館で始まった。
 会場には大田原氏の礎を築いた資清(すけきよ)とその一族の画像や大田原城の屋敷図、甲冑、女乗物(駕籠)など約50点が展示され、その歴史や地域とのかかわりなどを紹介している。
 大田原氏は、那須家に仕えた豪族衆「那須七党(七騎ともいう)」に数えられた。戦国時代には領主として資清が大田原城を築城。関ヶ原の戦い後は大名(1万1400石)となり、1度の国替えもなく明治維新を迎えた。
 同伝承館の学芸員による展示解説が20日と10月11日に行われるほか、10月18日には記念講演会も予定されている。
 同展は10月25日まで。問い合わせは同伝承館(電)0287・20・0220。



千葉
ちばローカル線の旅(2) 流山線 オーソドックスさが魅力
 流山線の全線を乗り通した。全線といっても松戸市北部の馬橋駅と流山市の流山駅を結ぶ五・七キロ、わずか十分ほどの乗車時間だ。
(中略)
◆沿線の見どころ 
 【一茶双樹記念館】平和台駅から徒歩で十分弱。みりん醸造業を営む秋元三左衛門(俳号・双樹)が小林一茶と交流があったことを記念する流山市の施設で、一茶や双樹の資料を展示したり、季節に合わせた催しを開いている。
 記念館によると、幕末ごろの下総地方の商家建築である秋元本家や茶室の一茶庵(あん)、庭などを再現。建物のうち双樹亭は一八五七年ごろに建てられた秋元家の書院を解体復元した数寄屋風造り。
 観覧料は一般百円、小中学生五十円。問い合わせは管理事務所=(電)04(7150)5750=へ。


神奈川
箱根の景勝地写真集めた特別展/箱根郷土資料館
箱根の景勝地写真集めた特別展/箱根郷土資料館
 明治時代から箱根観光の土産物として人気を集めた風景写真から箱根の変遷をたどる特別展「箱根彩景―古写真に見る近代箱根のあけぼの」が、箱根町立郷土資料館(同町湯本)で開かれている。10月上旬まで。
 箱根の景勝地が被写体となったのは、幕末に来日した外国人写真家が、横浜を中心とした観光地を写真に収めて土産にしたことに始まる。この土産は「横浜写真」や「横浜絵葉書」と呼ばれ、精巧な手彩色が施されて人気を呼んだ。
 これらの風景写真約100枚が並ぶ同展は、「街道の面影」「温泉場の近代化」「交通機関の発達」の3章に分け、明治から現在に至る箱根の風景の移り変わりを紹介している。江戸時代に小田原宿から三島宿までを結ぶ東海道の要所として発展した箱根が、交通網などの発達で温泉場として趣を変えていった歴史が詳しく分かる。
 午前9時~午後4時半。高校生以上200円。問い合わせは、同資料館電話0460(85)7601。


長野
蚕都・上田の「お宝」発見を 10月からシンポや催し
 市民有志でつくる「蚕都(さんと)上田プロジェクト」(代表・三田育雄長野大教授)は、10月4日と11月22日に上田地域の蚕業の歴史を振り返り、地域づくりにどう活用していくか考えるシンポジウムを開く。10、11月には週1回程度、蚕種や養蚕、製糸業に関連した建物などを巡るツアーも計画。一連のイベントを「蚕都上田お宝発見」と名付け、蚕業にかかわる「お宝」の魅力を再発見し、活用方法を探る機会にする。
 上田地域は幕末から昭和初期にかけて蚕業で栄え、鉄道が開業し、蚕糸金融として第十九国立銀行(現八十二銀行)が設立されたほか、現在まで地域経済の柱となっている製造業の礎も築かれた。2回のシンポジウムでは、こうした歴史を踏まえ、当時建設された繭倉や洋館などの建物、伝統の上田紬(つむぎ)の活用法などを議論する。
 「蚕都上田展・巡回ツアー」はバスで、蚕種製造の技法書などを収蔵している藤本蚕業歴史館、かつて製糸業で約2千人が働いていた笠原工業、企画展「蚕都上田と横浜開港」を開く市立博物館、市立丸子郷土博物館を回る。参加費は大人100円、小学生以下50円。ほかに小学生向けの「キッズプログラム」も実施する。
 並行して市民や観光客が訪れやすいように「蚕都上田マップ」を来年3月までに作る。桑畑の跡や蚕室造りの家屋など、マップに載せる建物などを小中学生などから寄せてもらう予定。
 同プロジェクトは長野大教授や、市内の歴史研究家、会社経営者らが、蚕都の歴史をまちづくりに生かそうと昨年7月発足した。問い合わせは事務局(電話0268・38・7771)へ。

石川
七尾旧家で手紙確認 北國新聞創刊者・赤羽萬次郎
 20日に111回目の命日を迎える北國新聞創刊者の赤羽萬次郎(1861~1898)が、創刊翌年の1894(明治27)年、能登を代表する旧家・室木家(七尾市中島町外)に宛(あ)てた書簡が19日までに、七尾市内で確認された。専門家は北國新聞揺籃期の萬次郎の活動を物語る史料として注目し、「新たなスタートに当たり、名望家との紐帯(ちゅうたい)を強め地歩を固めようとしたのだろう」と分析している。
 手紙は室木家当主弥八郎に宛て「前途有望な子息(長男茂太郎を指す)を亡くされた悲しみをお察しいたします。お悔やみ申し上げます」と書き送っている。1月18日の日付が入っており、茂太郎の没年から、94年に書かれたものと分かった。
 萬次郎は1888(明治21)年、立憲改進党系の「北陸新報」主筆として金沢に招かれた。93年6月、自由党系への身売りに反発し、主筆の座を辞して社を去り、同年8月5日に「北國新聞」を創刊している。
 藩政末期から大地主として栄えた室木家は、明治維新後も能登を代表する名家として大きな影響力を持っていた。七尾市史編さん室の和田学学芸員によると、同家文書の中には明治の元勲、大隈重信からの書簡もあり、同家と大隈が中心となって結成した立憲改進党との結び付きを示しているという。
 七尾市史編さん委員を務める本康宏史・石川県歴史博物館学芸課長は「萬次郎が創刊直後に、まず地方の名望家と密な関係を築いておこうとした気配りがうかがえる」と話している。



島根
松江誕生物語 : (36)幕末史を飾った八雲丸(上)
時代先取りした新鋭艦


 薩摩や佐賀、長州など蒸気艦を所有していた藩がわずかだった1862(文久2)年、松江藩は国内で珍しい最新鋭の蒸気機関を備えた軍艦2隻を購入した。「第一八雲丸」(英国製鉄船、ゲセール)と「第二八雲丸」(米国製木造船、タウタイ)。とりわけ鉄船の第一八雲丸は、当時の新鋭艦。時代を先取りした松江藩の軍艦は、幕末史に残る将軍・徳川家茂の上洛や、長州戦争で幕府の兵士を大阪から広島に輸送するなどの歴史の舞台に登場したが、主役の陰に隠れて航跡を知る人は少ない。今回から3回、幕末から明治維新に活動した八雲丸を紹介する。

     ※ ※ ※

 1800年代、日本はロシアやイギリスなど開国を求める外国船の脅威にさらされ、1853年、米国、ペリーの黒船が来航。各藩はこぞって軍備増強にはしり、外国から大型艦船の購入などを画策した。

 中でも、第一八雲丸が、新鋭艦としての性能を広く証明した史実が、1863年の供奉艦競争だった。

 公武合体で、将軍・徳川家茂と皇女・和宮の結婚が実現し家茂の海路上洛が決まると、各藩の艦船は幕府により供奉艦にかり出された。品川を出航した供奉艦の艦隊は家茂の要望に応え遠州沖でスピードレースを実施。参加艦船10隻中、第一八雲丸は薩摩藩の蒸気艦セーラ号を破り1位の座を占めた。

 日本の軍艦に詳しい呉市海事歴史科学館大和ミュージアム(広島県呉市)の戸高一成館長は、「第壱八雲丸」の詳細な図面の写しを前に、甲板中央の「テレガラーク」と記された小さな円盤を「これはテレグラフ。機関室に指示を送る装備で、帆船にはない。幕末の艦船でこれほど詳しく各部の名称が書かれたものは珍しい」と解説する。写しは島根県立図書館が収蔵。スコロフ(スクリュー)、コンパスなど初めて聞いたと思われる装備品の名称がカタカナで書き込まれた貴重な資料だ。

 もう1点、第一八雲丸の姿を知ることができる資料に戦前、撮影された絵の複写写真がある。松江藩の海軍史に詳しい鈴木■(キヘンに僕)実さん(鳥取市湖山町北4丁目)が所蔵。絵の印鑑から、戦前まで海軍が保管していたことが確認できるという。

    ※ ※ ※

 松江藩には長い海岸線と幕府からの預かり領だった隠岐の島があり、海運、海防が重要課題だったが、わずか18万6千石の小藩が新鋭艦を購入したのは洋学、西洋軍学を積極的に取り入れた最後の藩主・松平定安の英断だった。鈴木さんは「定安の強い意志と先見性がうかがえる」と読み解く。

(写真・文 本社報道部 伊藤英俊)

 この企画に関するご意見をお寄せください。郵送の場合は〒690-8668、松江市殿町383、山陰中央新報社報道部「開府400年記念・松江誕生物語」係。
 メールアドレスsyashin@sanin-chuo.co.jp


島根県立図書館所蔵の「第壱八雲丸」の図面の写しから、装備や性能について解説する大和ミュージアムの戸高一成館長=呉市、大和ミュージアム
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第一八雲丸の絵の複写写真。現在、絵の所在は不明。いつ誰が描いたのかも、分かっていないものの、大和ミュージアムの戸高一成館長は「絵にある印鑑などから貴重な資料」という=鈴木■(キヘンに僕)実氏提供


福岡
江戸時代の庶民の風刺を描く 創作舞踊22日上演 八女市
 八女市の国指定重要無形民俗文化財「八女福島の燈籠(とうろう)人形」(21-23日)にちなんだ創作舞踊「八女のちょぼくれ」が22日午後7時半から、同市西宮野町の明永寺で上演される。
 江戸時代末期、久留米藩から倹約令が出され、燈籠人形が禁止された際に民衆がその恨みを歌いはやした、という内容の古文書を基に、郷土史を研究する同市の杉山洋さん(84)が作詞した。
 楽しみ奪った大倹約令/消えた燈籠の明かりとしゃぎり/忘れまいぞえ恨みとカラクリ/チャッポンカラクリドーレドレ
 ちょぼくれは、江戸時代に流行した俗謡。木魚をたたきながら幕政批判などが歌われたとされ、杉山さんは「幕末期に町衆が『世の中が変わる』と予感し、反体制のエネルギーを歌に託したのでは」と語る。
 公演では同市の八女学院高の生徒たちが歌い、地元産の和ろうそくに照らされた舞台で山口市在住の日本舞踊家、花柳寿寛さんが踊りを披露する。入場料3千円。定員100人。市横町町家交流館=0943(23)4311。


大分
幕末・維新の道(1)佐賀関
◆通った港町名所に
 大政奉還の3年前に当たる1864年2月のある日。幕末の混乱を駆け抜けた2人が、蒸気船から佐賀関(大分市)に降り立った。坂本龍馬を連れた幕臣・勝海舟。現在は関アジ、関サバで知られる港町を一望できる丘に建つ徳応寺に、宿泊した記録が今も残る。
 2人が乗ってきた蒸気船のスケッチ、「長崎丸 乗組 七十人余」「軍艦御奉行 勝麟太郎様」、一行の名簿には「坂本龍馬」の名前……。
 東光爾英(ちか・ひで)住職(54)が、第10世住職・龍潭(りゅう・たん)の残した「日本人物誌」を開いてくれた。爾英住職によると、龍潭は仏教学者としても知られ、各地の文化人と交流。人物誌には、肥後藩などの諸大名の宿泊記録のほか、佐賀関沖を通過した外国船の絵も彩色をほどこして描かれている。
 「坂本龍馬」の記載について、爾英住職は「龍馬は偽名を使っていたので、(龍潭は)勝海舟から名前を聞いて書いたのでしょう」。当時、佐賀関でどんな会話が交わされたのか――。師弟は一夜明け、参勤交代路である豊後街道の始点・鶴崎へと急ぐ。
 今、上陸地に残るこの「記録」を生かす取り組みが、地元で広がろうとしている。佐賀関観光ボランティアガイド協会は「龍馬や海舟がこの地に寄ったことは、地元の誇りになる」とし、観光ルート「龍馬が通った道」をつくるという。
    ◇
 秋の行楽シーズンが到来した。鶴崎から野津原、今市、久住へと向かう街道を秋風とともに巡った。(奥正光)
 佐賀関観光ボランティアガイド協会長の越美智子さん(64)
 佐賀関は関アジ、関サバのほかにも、半島の先端には関崎海星館があり、観光客にも人気スポット。そこから見る海は絶景です。近くの海岸「黒ケ浜」も黒い石が美しい。協会では「関あじ関さば通り」、「幸」の字がつく地名などをつないだ「四つ葉のクローバー 幸せめぐり」など11の観光コースを用意しています。ガイドの申し込みは、さがのせきまちづくり協議会(097・575・2000)へ。

豊後街道

 肥後藩主の参勤交代路。加藤清正が江戸時代に整備したとされる。熊本城下から、瀬戸内海への玄関口だった鶴崎(大分市)まで全行程は120キロ超。豊後国内にあった肥後藩の飛び地領を通った。大分側では肥後街道とも呼ばれる。


幕末・維新の道(2)鶴崎
◆宿泊跡ひっそり

 上陸地の佐賀関から西へ約20キロ。国道197号を進み、工場群を横目に大野川を渡ると、鶴崎(大分市)に入る。坂本龍馬を連れた勝海舟は、豊後街道に入るこの宿場で1泊した。当時の面影はどこに。車がひっきりなしに通る国道から、南に入ると同市立鶴崎小学校がある。児童たちの歓声が響くこの一帯に、藩主の宿泊所「御茶屋」があったという。今は碑が、同小の敷地内にひっそりと立つ。

 大御代は
 ゆたかなりけり旅枕
 一夜の夢を千代の鶴さき

 参勤交代でにぎわった鶴崎を詠んだ歌が、海舟の日記にある。幕末の動乱の中でたどり着いた九州。そこで、どんな夢を抱けたのか。
 新たな時代の夜明けまでもうすぐだった。2人が街道を急ぎながら、何を考えていたのだろうか。そこにも思いを巡らし、地元の郷土史家らが「勝海舟・坂本龍馬の銅像と歌碑を建てる会」を結成した。佐賀関の徳応寺に残る記録も調べ、銅像と歌碑の建立を目指す。
 時は幕末。すでに海外事情を知る立場にあった海舟が、龍馬に世界の情勢を伝えながら、新時代を切り開くきっかけになった旅だったのではないか。そんな思いも膨らみ、建てる会は募金集めに奔走。2人の志を追っている。
 御茶屋跡から、すぐ近くにある加藤清正建立の法心寺、劔八幡宮を巡る。木々を揺らす秋風の音しか聞こえない静寂が訪れ、同八幡宮に飾られた肥後藩船の絵馬を見ると、肥後藩領だった往時がよみがえりそうだ。余韻に浸った後、近くの日本茶専門店に立ち寄り、のどを潤した。
 勝海舟・坂本龍馬の銅像と歌碑を建てる会実行委員長の北川徹明さん(75)
 今は北側に工場が林立してますが、鶴崎はかつて参勤交代で瀬戸内海へと向かうための重要な港町でした。肥後藩の飛び地領で、人材の交流も盛ん。JR鶴崎駅から歩いて10~15分の御茶屋跡の周辺には、加藤清正建立の寺のほか、幕末の儒学者・毛利空桑の記念館もあります。次男が営む北川園(日本茶専門店)で一休みできますよ。
(奥正光)


佐賀
CATV受賞番組で道徳授業 武雄・御船が丘小
 武雄市の御船が丘小で同市のケーブルワン制作の番組「葉隠墓苑─先人たちに想いを馳せて─」を活用した道徳授業があった。児童は140年前の戊辰戦争で、武雄の兵士が秋田を救うために出兵した史実を学び、郷土の歴史に理解を深めた。
 同番組は「第35回日本ケーブルテレビ大賞番組コンクール」で奨励賞を受賞、郷土学習に役立ててもらおうとケーブルワンが番組のDVDを市内小中学校に寄贈した。同校では全校一斉の道徳授業参観に合わせ、郷土に対する愛情や先人を敬う心を学ぼうと、6年生の授業で番組を教材として生かした。
 16日の授業では、秋田を救うために出兵した武雄の兵士と、今も兵士を慰霊する秋田の人たちの思いなどについて考えた。児童からは「当時の人たちを誇りに思います」「ふるさとを大切にしたい」などと感想があがった。


長崎
【動画】長崎居留地まつり開幕 イベント多彩にきょうまで
【動画】長崎居留地まつり開幕 イベント多彩にきょうまで
 幕末、長崎にやって来た外国商人らの洋館などを生かしたイベント「長崎居留地まつり」が20日、長崎市の東山手、南山手、大浦一帯で始まり、親子連れや観光客でにぎわった。21日まで。歴史や景観を生かした町づくりなどを目的に市や住民らでつくる実行委が主催。14回目。
 松が枝町の四海樓前広場で、オープニングイベントがあり、近くの市立梅香崎中吹奏楽部(三崎亜佳梨部長、36人)が映画音楽などを披露。アンコールも含めて5曲演奏し、大きな拍手が送られた。市内のフラダンスサークル「プア・マカレア」(草野輝子代表)も登場。華やかな衣装を着た十数人の女性たちが優しい調べに乗って踊り、見物客を魅了した。
 ほかにも居留地スケッチ大会やウオークラリー、国づくりシンポジウムなど多彩な催しがあった。
 21日の主なイベントは▽居留地大バザール(午前10時、大浦居留地商店街)▽オランダ坂かけあがり大会(受け付け午前8時半、大浦天主堂前オランダ坂)▽居留地チェス大会(午前10時半、東山手地区町並み保存センター)▽居留地音楽祭(午前10時、旧香港上海銀行長崎支店記念館)-など。


大浦天主堂で児童合唱
居留地まつり

 幕末から明治時代にかけて、外国人が多く住んだ長崎市東山手、南山手、大浦地区一帯で20日、「長崎居留地まつり」が始まった。21日まで。
 この日、大浦天主堂では、地元の大浦小の児童でつくる「居留地キッズコーラス」のメンバー計55人が「アベマリア」など8曲を合唱。荘厳な雰囲気の天主堂に元気な歌声を響かせ、多くの観光客らを魅了した。


「居留地まつり」開幕 坂かけあがり大会 市民バンド演奏も イベント多彩に 長崎市
 幕末から明治にかけて外国人居留地があった長崎市の大浦地区で20日、「2009長崎居留地まつり」が開幕した。21日まで洋館群や孔子廟(びょう)などで多彩なイベントが繰り広げられる。
 同地区には外国人商人らが滞在した洋館が多く残り異国情緒が街の魅力となっている。南山手町の大浦天主堂では地元の小学生らで作る「居留地キッズコーラス」が合唱を披露。グラバー園では市民バンドが演奏するなどまつりを盛り上げた。明治デザインのドレスに身を包んだ愛媛県の歯科衛生士赤瀬彩さん(21)は「まるで別の国に来たみたい。街並みの美しさが自分をも美しくしてくれるようです」と話した。
 21日は「オランダ坂かけあがり大会」(大浦天主堂前)や、「居留地赤ちゃんはいはいレースIN孔子廟」などがある。


【動画】長崎居留地まつり開幕 初日はフラダンスや吹奏楽など
 幕末、長崎にやって来た外国商人らの洋館などを生かしたイベント「長崎居留地まつり」が20日、長崎市の東山手、南山手、大浦一帯で始まり、親子連れや観光客でにぎわった。21日まで。歴史や景観を生かした町づくりなどを目的に市や住民らでつくる実行委が主催。14回目。
 松が枝町の四海樓前広場で、オープニングイベントがあり、近くの市立梅香崎中吹奏楽部(三崎亜佳梨部長、36人)が映画音楽などを披露。アンコールも含めて5曲演奏し、大きな拍手が送られた。市内のフラダンスサークル「プア・マカレア」(草野輝子代表)も登場。華やかな衣装を着た十数人の女性たちが優しい調べに乗って踊り、見物客を魅了した。
 ほかにも居留地スケッチ大会やウオークラリー、国づくりシンポジウムなど多彩な催しがあった。
 21日の主なイベントは▽居留地大バザール(午前10時、大浦居留地商店街)▽オランダ坂かけあがり大会(受け付け午前8時半、大浦天主堂前オランダ坂)▽居留地チェス大会(午前10時半、東山手地区町並み保存センター)▽居留地音楽祭(午前10時、旧香港上海銀行長崎支店記念館)―など。


龍馬に会いたい:/11 龍馬橋 /長崎
龍馬に会いたい:/11 龍馬橋 /長崎
◇勤皇志士ら渡り、神社へ
 長崎市伊良林の丘の上。坂本龍馬が創設した「亀山社中」跡は長い石段を登ってようやくたどり着く。そこに先月、往時の間取りを復元した記念館がオープン。来年放送の「龍馬伝」への期待と相まって、辺りは一躍人気スポットになった。
 余波は、歩いて1~2分の若宮稲荷神社にも届く。神社は直立した青竹の上でキツネに扮(ふん)した若者たちが芸を演じる「竹ン芸」で知られるが、ファンのお目当てはもちろん龍馬。神社は幕末、勤皇の志士たちがあこがれた武将・楠木正成の守護神を祭り、龍馬もたびたび参詣したとされる。ここに隠れた“龍馬スポット”がある。
 境内に入る手前、名もない小さな石橋がある。ほんの6、7歩で渡れてしまうのだが、欄干に刻まれた文字は「元治二年」。龍馬が長崎を初めて訪れた元治元年(1864年)の翌年だ。
 幕末に詳しい市シーボルト記念館の織田毅さん(47)は「参詣した龍馬が渡った可能性は高い。龍馬の時代の数少ない物品の一つ」。地元住民は「龍馬橋」と呼んでいる。【阿部義正】


シルバーウイーク始まる にぎわう県内行楽地
 秋の大型連休「シルバーウイーク」が始まった19日、県内の行楽地は天候に恵まれ、市民や観光客らでにぎわった。
 長崎市内では、街歩き観光「長崎さるく幕末編」のコースの一つ、「龍馬が見上げた長崎の空」に、県内外から参加。ボランティアガイドの説明を受け、風頭公園内の坂本龍馬像や亀山社中記念館などのコースを約2時間かけて歩いた。
 同記念館では、参加者が展示品に見入ったり、龍馬がもたれ掛かったとされる柱の前で記念撮影。埼玉県草加市から観光で来た刃金真里子さん(57)は、歌手の福山雅治さんのファン。今回見聞を広めたことで「大河ドラマを身近に感じることができると思う」と話した。長崎国際観光コンベンション協会によると、19日は同コースを通常の1日1回から4回に増やして多数の予約者に対応した。
 また長崎市では、「長崎さるく幕末編」の特別企画として、日蘭通商400年を記念した「日本オランダ年記念さるく」もあり、駐大阪・神戸オランダ総領事や市民ら約60人が参加。日蘭貿易の拠点となった出島などを歩いた。20日は平戸市の平戸文化センターで演奏会と「平戸からはじまる日蘭通商と蘭学(らんがく)」と題したトークイベントがある。

 ◇  ◇  ◇

 佐世保市内の観光施設も大勢の観光客らでにぎわった。
 ハウステンボス(HTB)は「敬老の日」にちなんだ入場無料などのサービスや、「マイケル・ジャクソン追悼企画」を展開。ジャクソンさんゆかりのアミューズメント施設「クリスタルドリーム」やステージで繰り広げられるダンスパフォーマンスを家族連れらが楽しんだ。
 西海パールシーリゾートでは「九十九島」にちなみ毎年9月19日に開いている「九十九島の日感謝祭」に大勢の市民らが来場。同市出身の男女デュオ「Sandy Trip」などのライブを満喫。夜は「九十九島の日」制定10周年を祝う919発の花火が夜空を彩った。同感謝祭は20日まで。
 また九十九島水族館「海きらら」が募集していた3頭のイルカの命名式もあり、ハンドウイルカは「ニーハ」と「ナミ」、ハナゴンドウは「リリー」と決まった。(佐世保)


グラバー:居留地の歴史後世に 来日150年、功績しのぶ /長崎
グラバー:居留地の歴史後世に 来日150年、功績しのぶ /長崎
 明治維新に貢献した英国人政商トーマス・グラバー(1838~1911年)の顕彰式が19日、長崎市南山手町のグラバー園であった。グラバーは150年前の1859(安政6)年のこの日、長崎に渡航。参列した旧外国人居留地の住民らが功績をしのんだ。
 グラバーの胸像に関係者が献花したあと、椎木恭二副市長が市長代読で「機関車の導入や造船術の基礎を築き上げるなどグラバーは多大な業績を残した。先達をたたえるとともに旧居留地の歴史的遺産を広く紹介したい」とあいさつ。地元住民らでつくる「居留地男声合唱団」や、グラバーの出身地スコットランドにちなんだバグパイプの演奏があった。
 7~8月にグラバーが育ったアバディーン市に留学した長崎大4年、松本旭さん(22)が撮影した写真展示もあり、松本さんは「古い街並みを大切にし、石造りの建物がきらきらと光る美しい街でした」と話していた。【錦織祐一】


熊本
榎木孝明さんら三角西港でロケ
 明治維新から西南戦争にかけて活躍した薩摩藩士の桐野利秋(中村半次郎)を描く映画「半次郎」の撮影が19日、宇城市の三角西港であり、大型連休で居合わせた観光客らが興味深そうに見つめた。
 映画は俳優の榎木孝明さんが企画、主演。EXILEのAKIRAさんや白石美帆さんらが出演し、小説の影響で「人斬(き)り半次郎」のイメージが定着する半次郎の実像に迫る。17日に鹿児島県でクランクイン。19日は約30人のエキストラも参加し、三角西港の19世紀に建てられた問屋を使って撮影した。県内では10月6日まで、熊本市の旧細川形部邸や美里町の二股橋などでも撮影が続く。
 榎木さんは「建物の外観も立派で、使わせてもらって良かった。地域の協力を受けながら、『人斬り』のイメージとは違う実際の半次郎の姿を描きたい」と意気込む。





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