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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 ちょっと更新が滞ってしまいました。その分記事を貯め込んでしまったので、大変です(^^ゞ。

北海道
箱館奉行所来館者 年間19万6000人を予測…市教委生涯学習部
 函館市教委生涯学習部は、来年7月29日のオープンを予定している箱館奉行所(五稜郭町44)の来館者見込みをまとめた。平年ベースでは五稜郭タワー搭乗者の4分の1程度、年間19万6000人の来館を予測。オープン1年目の2010年度は話題性から1・25倍に設定し、8月からの8カ月間で14万7000人(年間換算で24万5000人)を見込んでいる。

 開館効果は3年間続き、2年目は21万7000人、3年目が20万8000人で、4年目以降は19万6000人を見込んでいる。

 第3回定例市議会に奉行所の設置条例案を提出。他都市の同様の施設を参考に、入館料は大人500円、学生・児童・生徒は250円とした。入館料収入は、初年度が8カ月で5600万円、2年目8200万円、3年目7900万円、4年目以降は7400万円とした。

 公の施設を民間に管理代行させる指定管理者制度を導入し、予算案は5年間で上限が2億9700万円、1年間で6000万円弱となる。入館料収入は市の歳入となり、見込みでは入館料収入で管理委託料を賄える。設置条例の可決後、指定管理者の公募、選定作業に入る。

 社会教育施設として市が特別史跡五稜郭跡の整備の一環で建設。基本設計、実施設計を経て06年度に着工し、11年度までの5カ年計画で建設している。建設費用のおおむね7割が交付税措置される合併特例債を活用。特例債が適用される実施設計と建設工事分の事業費は約18億2800万円で、借金の償還額は年間約1億円だが、実質的な負担は約3000万円で済むという。


先人の思い胸に決意新た…遺愛学院135周年記念式典
 学校法人遺愛学院(野田義成理事長)創基135周年記念式典が26日、函館市杉並町の同学院内の遺愛アリーナで行われた。来賓と全校生徒ら計約900人が地域に根差して女子教育を進めた先人の功績をたたえるとともに、今後の発展に向けて決意を新たにした。

 式典で野田理事長は「学院の歴史は国の激動の歩みと重なる。『信仰・犠牲・奉仕』の遺愛の三大精神は卒業生や在学生1人ひとりの心に受け継がれており、今後も有意な人材の育成に努めたい」と式辞を述べ、福島基輝学校長が感謝の辞を語った。西尾正範函館市長らの祝辞に続き、生徒代表の高校3年生浜津薫さん(17)が「遺愛生はハリス夫妻やキャロライン夫人の遺志と同窓生の深い思いを次世代に受け継がねばならない。優しく明るい校風で学べてうれしい」と喜びの言葉を語った。

 この後、記念コンサートとして生徒によるハンドベルや吹奏楽曲の演奏、卒業生によるソプラノ独唱が繰り広げられ、参加者は節目を祝った。

 同学院は1874(明治7)年、米メソジスト教会の宣教師として夫と来函したM・C・ハリス夫人が「日々学校」(デイスクール)を開設したのがきっかけ。キャロライン・ライト婦人らの献金で1882年、元町に校舎を建築。現在まで一貫してキリスト教主義の女子教育を実践している。


函館メサイア、150年前の静養の音楽響く
 函館メサイア教育コンサート実行委員会主催の開港150周年記念演奏会「函館メサイア2009」が22日、市芸術ホール(五稜郭町)で開かれた。幕末に日本に来たペリーの黒船艦隊が箱館などで響かせたユニークな西洋音楽を、合唱と器楽アンサンブルなどで演奏。来場者約300人は、薫り高い西洋音楽を満喫した。

 節目を機に、いち早く西洋音楽が入ってきた函館、道南を盛上げようと企画。同実行委音楽監督の声楽家、徳永ふさ子さんが指揮を、函館メサイア合唱団・管弦楽団などが演奏した。

 「黒船がもたらした音楽」との第一部では、1854年、箱館に停泊中の黒船でにぎやかに奏でられたという「艦内厨房生活」「お嬢さん結婚しませんか」などを再現。オルガニストの石崎理さんによるナレーションとスライドで、楽曲の背景なども分かりやすく伝えた。

 第二部はバッハの「ロ短調ミサ曲」から「キリエ」「グロリア」を披露。合唱団と管弦楽団の約60人が壮麗で厳かなこの大曲を厚みのあるハーモニーで響かせ、会場から惜しみない拍手が送られた。 

 ……ひょっとして見出しの「静養の音楽」って「西洋の音楽」の変換ミス?

150周年記念ミサ 聖堂に讃美歌…カトリック元町教会
 函館が開港した1859(安政6)年に宣教が始まった函館カトリック元町教会(ジェル・ロー神父)は21日、函館市元町の同教会で創立150周年記念ミサを行った。同教会や市内のカトリック教会などの信者、国内外からの神父ら約400人が参列。響きの良い聖堂で賛美歌を歌いながら、厳粛な祈りをささげた。

 パリ外国宣教会のメルメ・カション神父が同教会の歴史の第一歩をしるし、これまでに28人の主任司祭の下、5000人以上の受洗者と聖職者が召命されてきた。記念ミサは共同ミサとして執り行われ、札幌教区長のペトロ地主敏夫司教が司式を務めた。

 パリ外国宣教会管区長のオリビエ・シェガレ神父ら17人の司祭団が歌に合わせ聖堂に入った。荘厳な雰囲気の中、救世主の預言「イザヤの預言」などが朗読されたり、賛美歌とオルガンの音色が溶け込んだ神秘的なハーモニーが会場を包み込んでいた。地主司教が「今後も函館市民のために開かれた教会として発展していければ」と述べたほか、聖体拝領では祭壇などに広がった司祭団が信者らにパンとワインを手渡した。

 ミサ終了後は関係者による祝賀会を五島軒本店(末広町)で開き、教会の節目を祝い、さらなる発展を誓った。


黒船伝来の旋律復活 函館でメサイアコンサート 「音楽が外交手段」解説も
 幕末のペリー艦隊来航時に日本に伝えられた音楽を紹介する演奏会が22日、函館市芸術ホールで開かれた。近代西洋音楽の先駆けのまち・函館。黒船がもたらしたメロディーが1世紀半の時を超えて広がった。(志村治)

 「函館メサイア2009~『黒船のもたらした音楽』と道南の力を結集!『ロ短調ミサ曲』」。函館開港150周年に合わせ、函館メサイア教育コンサート実行委が主催した。

 ペリー一行が1853年に久里浜(横須賀市)で米大統領の親書を日本側に手渡した時に軍楽隊が演奏した「ヘイル・コロンビア」、ペリーが親書を渡した後の帰艦時に鼓笛隊が演奏した「ヤンキー・ドゥードゥル」(アルプス一万尺)、54年に函館停泊中の艦船に招いた松前藩士に披露された歌の数々などを金管五重奏や合唱で紹介した。

 また、曲の合間には、ペリー来航時の様子を描いた絵などをステージ上のスクリーンに映し出し、ペリー艦隊にとって音楽が外交手段の一つだったことを解説した。


黒船のメロディー メサイアコンサートで復活 函館
幕末のペリー艦隊来航時に日本に伝えられた音楽を紹介する演奏会が22日、函館市芸術ホールで開かれた。近代西洋音楽の先駆けのまち・函館。黒船がもたらしたメロディーが1世紀半の時を超えて広がった。

 「函館メサイア2009~『黒船のもたらした音楽』と道南の力を結集!『ロ短調ミサ曲』」。函館開港150周年に合わせ、函館メサイア教育コンサート実行委が主催した。

 ペリー一行が1853年に久里浜(横須賀市)で米大統領の親書を日本側に手渡した時に軍楽隊が演奏した「ヘイル・コロンビア」、ペリーが親書を渡した後の帰艦時に鼓笛隊が演奏した「ヤンキー・ドゥードゥル」(アルプス一万尺)、54年に函館停泊中の艦船に招いた松前藩士に披露された歌の数々などを金管五重奏や合唱で紹介した。

 また、曲の合間には、ペリー来航時の様子を描いた絵などをステージ上のスクリーンに映し出し、ペリー艦隊にとって音楽が外交手段の一つだったことを解説した。(志村治)


宮城
歴史資料:遠藤家末裔から戦国・近代まで 寄託を受け調査、整理--白石 /宮城
◇数千点寄託を受け--白石市博物館建設準備室
 白石市在住の仙台藩重臣・遠藤家の末裔(まつえい)から、戦国時代から近代までの貴重な歴史資料数千点が市に寄託されたことを受け、市教育委員会博物館建設準備室は21、22の両日、NPO法人「宮城歴史資料保全ネットワーク」などの協力を得て資料保全の調査、整理を実施した。

 これまでの調査で戦国時代の書状など約45点を確認。調査指導に当たっている同ネットワーク代表の平川新・東北大学院教授は「仙台藩・伊達家と今川、徳川、北条家などとの外交関係を知る上で、全国的にも注目される資料の可能性が高い」と注目している。

 今回の歴史資料は遠藤家から、「歴史的、学問的な評価がどうなのか正確に調べてほしい」と寄託された。資料は、遠藤家で長年にわたり長持や茶箱に大切に保管されていた物と、親類関係にある中島家の資料。

 調査・整理は博物館建設準備室と同ネットワーク、白石古文書の会など約70人が参加。長持、茶箱から一点一点資料を取り出し、写真を撮影した。今後は、資料を解読して目録を作成する。戦国時代の資料を最優先的に調査するが、本格調査は来年度から取り掛かり、終了には2~3年かかる見通し。

 今回の調査では、戦国時代の書状約45点のほか、遠藤家系図、押印、朱印状、地図などの資料を確認した。

 遠藤家は仙台藩の重臣。藩の奉行職を代々務め、栗原郡川口(現在の栗原市、旧一迫町)に約1万3000石を拝領。祖は伊達政宗の父輝宗の重臣である遠藤基信(1532~1585年)。

 「片倉代々記」によると、基信は片倉小十郎景綱を「後来国家の大器たるべしと称賛」。伊達家に景綱を推挙した。遠藤家は幕末維新期に藩の奉行として活躍した。奥羽越列藩同盟崩壊後の戦後処理には遠藤文七郎充信(さねのぶ)、明治期には日本画家の遠藤速雄らがいる家系。

 一方、中島家は仙台藩重臣。天文年間(1532~1555年)、稙宗のころから伊達家に仕え、伊具郡金山(現在の丸森町金山)に2000石を拝領、多くの奉行職を輩出した。

 同市では06年、「貴重な文化遺産を後世に」と市民有志による博物館建設の要望書提出を受け、博物館建設準備室を設置。基金制度を設けるなど建設準備を進めている。【豊田英夫】

 「遠藤文七郎充信(さねのぶ)」って、土方歳三を「升屑の小人、論じるに足らず」と評した、あの人ですよね(汗)……遠藤家が白石にゆかりのある人物と知り、母方の祖母が白石出身で土方ファンの自分は複雑な気分です(^^ゞ。

北方武家屋敷遺跡:眼鏡、陶磁器などが出土 あす現地説明会--仙台 /宮城
 仙台市内の地下鉄東西線工事に伴う仙台城跡の北方武家屋敷遺跡発掘調査で、仙台市教育委員会は24日、東北大川内北キャンパス(青葉区)の調査区域から幕末から明治時代初期とみられる眼鏡1点や陶磁器など数百点が出土したと発表した。調査区域は明治時代に軍に接収され、戦後は米軍駐屯地となった場所で、市教委文化財課は「江戸時代の地形が軍隊により大きく作りかえられていたことが分かった」としている。

 調査は今年4月から行われており、調査面積は約2000平方メートル。明治時代に軍によって築かれた石垣を取り払い、当時盛られた土を取り除くことで武家屋敷跡につながる緩やかながけなど江戸時代の地形が現れた。

 今回の調査区域からは建物跡を示す遺構は見つからず、文化財課は屋敷内の空き地だったとみている。「支柱式天狗(てんぐ)眼鏡」や、瀬戸美濃焼や相馬焼などの陶磁器の多くはがけの傾斜面から出土した。

 北方武家屋敷は仙台城下でも城に最も近い屋敷地で、安政年間(1854~1860)に家老職に当たる奉行を務めた人物が屋敷を構えるなど、仙台藩の上級家臣の屋敷地だったという。

 現地説明会は26日午前10時から。【高橋宗男】


4百年前の古文書、伊達家の外交物語る
 伊達政宗の父輝宗の「片腕」とも言われた遠藤基信を祖とする仙台藩の重臣・遠藤家に伝わる古文書が白石市に寄託され22日、公開された。戦国時代に伊達家の外交を担っていた基信あてに、東北地方の戦国武将、芦名盛興(もり・おき)をはじめ最上家の外交担当や、東海地方の今川家ゆかりの人物が書いた多くの「外交文書」があり、平川新(あらた)・東北大教授は「戦国時代の外交関係が具体的に分かる資料。まとまって出てくるのは珍しく非常に貴重だ」と話している。(石井力)


 市教委によると、基信は片倉小十郎景綱を見いだし、「政宗の教育係に」と輝宗に推薦、片倉家の栄達のきっかけを作った人物だ。江戸時代、遠藤家は現在の栗原市一迫地区に1300石を拝領し、藩の奉行職を代々務めた。幕末維新期には奥羽越列藩同盟崩壊後の戦後処理に功のあった奉行の允信(さね・のぶ)が出る。


 古文書などは白石市内に住む子孫宅にあったもので、約6千点。このうち、戦国時代の「外交文書」が約45点あり、当時、基信が伊達家の外交を担っていたことが確認できた。芦名盛興からの文書には人質に関する記述があり、戦の後処理に関するものとみられる。他家の外交担当からの文書も多く、他家同士の和解に関するとみられる資料も。「今川周防」という人物からの文書もあり、今川家とのつながりもあったようだ。平川教授は「400年たって、当時の外交文書が情報公開されたようなもの。当時の大名間の関係も具体的に見えてくると思う」という。


 遠藤家の親類にあたる中島家の文書も約300点あり、今回の資料では最も古い1565年に政宗の祖父晴宗から中島家の領地の所有を認めるものもあった。


 資料整理は平川教授が理事長を務めるNPO法人「宮城歴史資料保全ネットワーク」が全面的に協力。この日は資料の写真撮影を中心に行った。今後、目録を作成して解読にあたるが「数年かかる見込み」という。風間康静市長は「歴史ブームの中、こうした資料が出てきたのは何かの縁があるのだろう。しっかり守っていきたい」と話した。


伊達家重臣遠藤基信あて書状発見 戦国時代の貴重資料
 戦国時代の真っただ中に東北の諸大名らが、伊達家の重臣遠藤基信(1532~85年)へあてた書状の数々が宮城県白石市内の民家で見つかった。判明しているだけで50点近くに上る書状の文面には「和平」「人質」「仲介」などといったキーワードが散見され、専門家は当時の外交史に迫る貴重な歴史資料とみている。

 発見されたのは、栗原郡(現栗原市)に約1300石を拝領した遠藤家に伝わる文書。戦国時代から明治時代に至る約6000点を、白石市内に住む子孫が長持ちや茶箱に保管していた。

 特に史料価値が高いと考えられているのが、伊達家の外交を担当していた基信あての書状。差出人には伊達政宗の正室愛姫の父で三春城主の田村清顕をはじめ、岩城家や芦名家、葛西家など奥州のそうそうたる家柄の当主や重臣が並ぶ。今川家や徳川家、北条家などにも及んでいた。

 書状の詳細な解読や分析作業はこれからだが、中には人質を指定するくだりや進物のやりとりを示す内容もある。

 仙台藩の奉行職を代々務めた遠藤家の初代基信は政宗の父輝宗に仕え、片倉小十郎景綱を政宗の守り役に推挙した。幕末には第12代允信が奥羽越列藩同盟崩壊後の戦後処理に当たった。

 白石市教委がNPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク(仙台市)に寄託史料の整理と調査を依頼。21、22の両日にはすべての史料を一枚一枚写真撮影する作業が行われ、地元の研究家も含め延べ約70人が参加した。

 戦国時代の文書がこれだけまとまって見つかるのは全国でも珍しく、NPO理事長の平川新東北大教授は「第一級の外交機密文書が400年の時を経て情報公開されたようなものだ。大名間の力関係が一気に解明される可能性もある」と胸を躍らせる。

 白石市の風間康静市長は「眠っていた史料が、戦国武将ブームのさなかに日の目をみたことに何かの縁を感じる。寄託史料は白石だけでなく、日本の宝だ」と話した。


福島
景勝、菊姫も出陣 勇壮に会津藩公行列
 福島県会津若松市で22日から開かれている会津まつり(同実行委主催)のハイライト、「会津藩公行列」が23日、市中心部で行われた。大勢の見物客が勇壮な時代絵巻に見入っていた。
 行列には、同市とゆかりがあり、交流をしているむつ市や神奈川県横須賀市、三重県桑名市などからも含め市民約500人が参加。歴代の藩主や白虎隊など会津ゆかりの人物に扮(ふん)し、4時間余りかけて約7キロを練り歩いた。
 小雨が降る中、若松城(鶴ケ城)本丸で出陣式をして気勢を上げた後、会津藩祖保科正之や新選組副長の土方歳三らが「城下」に繰り出した。地元の中学生や高校生が装った白虎隊やなぎなたを携えた娘子(じょうし)隊などには沿道の客から拍手が送られた。
 午後からはNHKの大河ドラマ「天地人」で、一時期会津を治めた上杉景勝、妻菊姫の役を演じている俳優の北村一輝さんと比嘉愛未さんが洋装で特別参加、祭りを盛り上げた。
 まつり最終日の24日は、藩校日新館にちなみ、市内の児童が武者姿で中心部を歩く「童子行列」などが行われる。


「会津戊辰戦争慰霊の集い」開催
 東軍、西軍、官民を問わず会津戊辰戦争で犠牲になったすべての人を弔う「会津戊辰戦争慰霊の集い」は22日、会津若松市の鶴ケ城本丸茶屋脇にある慰霊の碑前で行われた。

 実行委員会の主催。

 真部正美実行委員長が「戊辰戦争から学んだ教訓を生かし、世界の恒久平和実現のために全力を尽くす」と祭文を読み上げた。

 菅家一郎市長が追悼の言葉を述べ、芳賀公平会津弔霊義会理事長があいさつした。


会津まつり開幕、先人しのび提灯行列
 会津の秋を彩る「会津まつり」が22日、会津若松市で開幕した。
 この日は141年前の戊辰戦争で鶴ケ城の明け渡しが行われた歴史的な日。
 先人をしのびながら、子どもたちによる提灯(ちょうちん)行列などが市中心部で繰り広げられた。
 提灯行列には市内の子どもたち約1万人が参加した。
 手に紅白の提灯を持ち、会津陸上競技場から神明通りまでを歩いた。


会津のアマ劇団 「宿敵地」薩摩公演へ 来月鹿児島
 戊辰戦争で戦った会津と薩摩の和解をテーマにした演劇「明治の兄弟―山川家の人々」が10月、福島県会津若松市のアマチュア劇団「ぴーひゃらら」によって鹿児島市で上演されることになった。会津藩士の家に生まれた山川捨松と薩摩藩出身の大山巌との結婚を軸に、西郷隆盛の弟の従道や捨松の兄らとの心の交流を描く。「ぜひ鹿児島で」という劇団側の熱意が通じ、かつての宿敵の地での上演が決まった。

 「明治の兄弟」には会津藩士からそれぞれ東京高等師範学校長や東京帝大総長となった山川浩、健次郎の兄弟や、初の女子留学生として渡米した妹の捨松らが登場する。

 時代は戊辰戦争(1868~69年)から14年後の1883(明治16)年。捨松に、薩摩藩出身の軍人で陸軍大臣などを務めた大山巌との縁談が舞い込む。

 戊辰戦争で薩摩や長州(山口県)から攻められた経緯があるため、兄の浩は当初かたくなに断る。しかし大山のいとこに当たる西郷従道から、西南戦争で兄隆盛と戦った悲しみを聞き「戦争でつらい思いをしたのは自分たちだけではない」と心を開いていく―というストーリーだ。

 福島県教委が2007年に公募した「ふくしまの歴史と文化の再発見 演劇祭」で入選した作品で、県内各地で上演されている。

 劇団関係者は以前から「会津と薩摩がテーマなので、ぜひ鹿児島でも上演したい」と念願。昨年から鹿児島市役所に手紙や演劇の映像を送るなどして熱心に働き掛け、10月13日に鹿児島市中央公民館で上演されることが決まった。

 「ぴーひゃらら」には会津地方の12~62歳の団員約30人が所属する。団長の近藤直宣(なおのり)さん(30)は「つらい思いをした戦いの歴史から、見る人が何かを感じてくれる機会にしたい」と話す。

 今月上旬には会津若松市内で公開リハーサルも行い、劇団員は来月の本番に備える。鹿児島での上演は運搬費などがかさむため、劇団は寄付も募っている。連絡先は事務局の鈴木さん090(7932)2382。


今年のゲスト「上杉公夫妻」
あすの会津まつり

 戊辰戦争で亡くなった先人らを慰霊する「会津まつり」で、23日に行われる呼び物の時代行列のゲストに、俳優の北村一輝さん、比嘉愛未さんの特別出演が決まった。2人は会津も舞台として登場するNHK大河ドラマ「天地人」で、上杉景勝と妻・菊姫を演じていることから白羽の矢が立った。


 2人の登場は午後1時ごろで、会津若松駅前の旧サティ前を出発、神明通りの入り口までを輿に乗って通る。途中2カ所でファンに向けたあいさつも予定されている。




 


茨城
開藩400年・水戸藩の光芒 『二夫にまみえず』は建前? 全国5例目の離縁状の意味
 旧水戸藩士だった岡崎家(東京)で最近見つかった「返り一札」と呼ばれる武士の離縁状受取書が興味深い。

 「嫡女(ちゃくじょ)(長女)の儀、此度(このたび)不縁に付き御離別の趣、承知令(せし)め候」

 原文は文字通り「三くだり半」の短文だが、専修大教授の高木侃(ただし)氏(法制史)の研究によると、こうした武士の離縁状の授受を示す史料は全国で五例目という。

 同藩の重臣、朝比奈弥太郎泰然が天保七(一八三六)年十一月、長女の離婚について承知した旨を、娘の夫だった天野孫七郎にあてた書状で、署名に朝比奈の花押もきちんと据えられている。

 朝比奈弥太郎といえば、城代家老も務めた水戸藩の名門で、幕末期に同藩内の尊王攘夷派「天狗(てんぐ)党」と激しく藩内抗争を演じた一方の主役、「諸生党」の大幹部として知られる。

 一方の天野孫七郎の父、景寿は五百石、小姓頭で、朝比奈家の方が家格が上だった。このため、夫の側からの一方的な離婚だけでなく、協議離婚もしくは妻の側から求めて離婚した可能性も考えられなくはない。また、二人は共に再婚していることから、当時の武家社会で重んじられていた「貞婦は二夫にまみえず」は建前にすぎなかったことをうかがわせる。

 ところで、そもそも武家の間で当時、離縁状を取り交わす慣習はあったのだろうか。

 これまでの通説では、武士の離婚は、藩への届け出だけで、庶民のように離縁状を取り交わす必要はなかったとされてきたが、高木氏は「御三家であった水戸家、しかも家老級の受取書が残っていたということは、藩への正式な届以外に、離縁状の授受が広く行われていたことを示す証左」と注目する。

 江戸時代は武士も庶民も離婚率が高かった。これまでの研究成果には、武士の離婚率が11%、再婚率は59%というデータもある。現代の離婚率約2%と比べても、江戸時代の武士の離婚、再婚率は極めて高い。

 夫の側から離婚を言い渡された武家の妻たちも、持参金を返還され、さっさと再婚していたのである。武家の女性といえば、夫の両親に仕え、財産もなく、虐げられた存在と思われがちだが、こと離婚に関しては現代人が考えるほど、「暗黒社会」ではなかったのかもしれない。

 関心と興味のある方はぜひ、県立歴史館で二十七日まで開催中の史料紹介展「文書にみる近世の女性たち」に展示されている原史料をご覧いただきたい。 (吉原康和)


偉人たちの扁額がズラリ
龍ヶ崎で企画展

 龍ヶ崎市馴馬町の市歴史民俗資料館で企画展「小学校のお宝」が開かれている。10月25日まで。

 企画展は、市内の小学校が所蔵する、室内外に掲げる横長の額「扁額(へんがく)」を中心に計15点を展示。古くは幕末に江戸城無血開城に尽力した幕臣・山岡鉄舟が、1878年に龍崎学校(現・龍ヶ崎小)の校舎新築を記念し、学校名を書いて贈った扁額もあり、同資料館は「当時は著名人の扁額を掲げることで、子どもを集めて就学率を上げる目的もあったのではないか」とする。

 ほかにも北茨城市出身の詩人野口雨情(1882~1945年)が、天に通じる子どもの純真な心を意味して書いた「天通童心」(龍ヶ崎小所蔵)など、本県ゆかりの人物による扁額が展示されており、同資料館は「普段目にする機会の少ない地元の貴重な財産を知ってもらいたい」としている。



栃木
黒羽の偉人 三田地山の生涯講演 栃木
 幕末、明治初期の黒羽の代表的な知識人として知られる三田地山(称平、1812~97)にスポットを当てた文化講演会が27日、栃木県大田原市役所黒羽支所2階の多目的ホールで開かれる。

 黒羽文化協会の主催。中国文学者で三田の研究を続ける黒羽高教諭、大沼美雄さん(51)が「三田地山翁の人と生涯」と題して講演する。

 黒羽藩士の三田は、6代の藩主に仕え、藩学問所(のちの作新館)の学頭などを務めた。黒羽小に残る旧作新館講堂の格天井に書かれた漢詩は三田の指導によるものとされている。

 戊辰戦争では、三田は断固、奥羽越列藩同盟への参加を拒否。その後、黒羽藩は新政府軍に加わり、戊辰戦争の陰の功労者といわれている。また、廃藩まで黒羽藩の領内だった益子で焼き物の指導に当たり「称平徳利」を発案、益子焼のルーツともいわれている。

 講演会は午後2時~3時半。入場無料。問い合わせは文化協会研修部(電)0287・59・0978(丸山)、または(電)0287・54・3214(八木)。


千葉
請西藩主の企画展、木更津市郷土博物館で
 幕末、藩主自らが脱藩して「上総義軍」を名乗り、官軍を相手に転戦、降伏した請西藩の林忠崇(ただ・たか)(1848~1941年)の企画展「書画に見る請西藩主 林忠崇」展が10月18日まで、地元の木更津市郷土博物館金のすずで開かれている(月曜休館)。諸藩がひざを屈する中、最後まで徳川家への忠節を変えずに戦ったのが忠崇。殿様の筆が激動の時代を浮かび上がらせる。(高山修一)


 展示資料は35点。生前の忠崇と交わりのあった人の家族の所蔵品が中心で、これまでも断片的に公開展示されたことはあるが「書画を一堂に集めた企画展は初めてではないか」と稲葉昭智学芸員。


 86歳の折に書いた短冊の「戦場述懐」の「曇りなき心や見せんあすの夜はかは(ば)ねの露に照らす月影」は、忠崇の箱根戦争への決意を表明したものだ。
 林家の大名行列や、請西藩陣屋からの出撃風景、戦に負けて帰農して請西で畑を耕す自分、函館で商人を志す姿などの絵もある。


 林家は徳川家譜代の旗本だったが、11代将軍の家斉に取り立てられて大名になった。忠崇は3代目の藩主。今の木更津市貝渕に陣屋を置き、後に同市真舟に陣屋を移して請西藩となる。


 新政府軍が迫る慶応4(1868)年4月、忠崇は脱藩、藩兵を連れて旧幕軍とともに新政府軍と戦った。後に東北に転戦したが、明治元(1868)年10月に仙台で降伏した。会津藩や長岡藩、東北諸藩のように官軍に抵抗して戦った藩はあるものの、藩主が脱藩までして戦ったのは請西藩だけ。取りつぶされたのも全国で請西藩だけだ。


 親藩、譜代も新政府軍に恭順する中での小藩の決起。どんな判断が忠崇と家来にあったのか。『木更津市史』は「真実を知ることは困難」と書いたあと、「譜代の名誉にかけて徳川家のためと道義貫徹のため最後まで戦った林忠崇らの活躍は(中略)万丈の気を吐くもの」と郷土の武士たちをたたえている。


 明治26(1893)年。林家の家名を継いだおいが男爵になり、忠崇も男爵家の一員としての礼遇を受けるようになった。90歳を超えて長生きし、晩年は「最後の殿様」と言われた。


 稲葉学芸員は「80歳を過ぎてからの書が多い。諸行無常、敗者の開き直りのようなものを感ずる。幕末の歴史や林家について知りたいという来館者の希望が多く、実現した企画展」と話している。


 入館料は一般が200円、高校・大学生は100円、65歳以上と中学生以下は無料。常設展も見られる。問い合わせは同館(0438・23・0011)へ。

 これ、興味あります。東京都でも城南地区在住の者には、木更津って川崎からフェリーで渡った方が近いかな(汗)……車持ってないのですが(爆)。


東京
土方歳三の巨大かぼちゃ出現
 東京都日野市に生家がある元新撰組副長、土方歳三のイラストをあしらった巨大かぼちゃが24日、同市役所1階食堂にお目見えし、市民や職員の目を楽しませている。
 巨大かぼちゃの直径は約70センチ。市内百草の倉沢地区で農業を営む石坂ファームハウス(生産者・石坂一雄さん)で収穫され、石坂さんが無償で提供した。土方のイラストは食堂の女性従業員が描いたという。
 同市では「多摩丘陵の秋の恵みをたくさんの人に実感してほしい」と話している。展示は30日まで。

 ……あのー、それは、土方歳三ではなく、日野市のキャラクター「幕末チャレンジャー選之介」くんです^_^;。

清元、宮薗節など紹介 「江戸音楽~」 来月から3年目
 東京・紀尾井小ホールで、二〇〇七年から年三回、三年がかりで実施している「江戸音楽の巨匠たち~その人生と名曲」公演が、本年度も十月二十九日から開かれる。

 江戸音楽の創始者と創作の背景に迫るシリーズ。これまで義太夫節、一中節、河東節、豊後節、長唄、新内を取り上げたが、本年度は以下の三種が登場する。

 ▽第七回(10月29日)は清元の「初世清元延寿太夫」。美声だった初世は一八一四(文化十一)年に清元節を創立した。時は江戸町人文化の爛熟(らんじゅく)期、また歌舞伎舞踊の全盛期でもあり、はやり歌などを取り入れ、軽妙洒脱(しゃだつ)に市井風俗を描いた名曲が次々と生まれた。

 「吉原雀」を浄瑠璃・清元延寿太夫、三味線・栄三ら。ほかに「柏の若葉」「保名」。

 ▽第八回(11月16日)は宮薗節の「宮薗鸞鳳軒」。十八世紀前半、初世宮古路薗八が京都で語り出したものを、弟子の二世薗八(宮薗鸞鳳軒)が大成したので、宮薗節と呼ばれるようになった。作詞作曲に長じた鸞鳳軒だったが、劇場出演の記録はないという。

 「鳥辺山」を浄瑠璃・宮薗千碌、三味線・千佳寿弥らで、立方に花柳基・小三郎。ほかに「山崎」。

 ▽第九回(1月22日)は長唄の「三世杵屋正次郎」。三世は幕末から明治にかけて活躍した大名人で数多く作曲。特に芝居の下座音楽に名旋律を生み出し、いまなお演奏家たちの聴かせ所などで活用されている。

 「正次郎連獅子」を唄・稀音家義丸、三味線・助三朗ら。ほかに「元禄風花見踊」。囃子(はやし)・堅田喜三久社中。

 各午後六時半開演、竹内道敬氏らの対談付き。4千5百円。三公演セット券1万1千円。追加で来年度も三回を予定している。(電)03・3237・0061。 

  (田中冴子)


シルバーウイークは終わったけど…10月イベント先取り情報
(中略)
【山口県イベント】

 山口県では25日(9~15時)に「長州・大江戸スタンプラリー」を開催する。雨天決行。東京・日本橋にある山口県のアンテナショップ、おいでませ山口館に集合して、吉田松陰の活動拠点だった日比谷公園、練兵館跡の靖国神社、赤穂浪士ゆかりの泉岳寺など5カ所から3カ所以上を経由して、世田谷区内にある松陰神社にゴールするもので、参加者には抽選で宿泊券付きの東京-山口 往復ペア航空券や特産品が当たる。

 参加無料、交通費・食事代は自己負担。当日、松陰神社周辺では「世田谷幕末維新祭り」を開催している。申し込みはHPで検索「おいでませ山口館」から。


ふるさとナビ:耳より情報 /東京
<地域交流のページ>

 ◇東北・B級グルメを売り込む団体を設立
 東北地方でB級ご当地グルメに取り組む10団体が「東北Le’s(れっ)飯(ぱん)同盟」を設立した。東北の食を全国に売り込み、B級グルメが人気を競う「B-1グランプリ」で東北勢初の優勝を目指す。

 参加したのは「愛Bリーグ(B級ご当地グルメでまちおこし団体連絡協議会)」の北海道・東北支部に加盟する4県の団体。設立した団体の名称は、幕末に北海道や東北の藩が組んで新政府軍に挑んだ「奥羽越列藩同盟」にならった。

 同盟事務局を務める「八戸せんべい汁研究所」の木村聡事務局長は「何とか東北勢でグランプリを取りたいと結集した。連携して活動し、各地のブランド化を進めて地域を元気にしていきたい」と話している。
(以下略)


写真展「近代皇族の記憶展 写真が語る山階宮家三代の暮らし」を開催 ─―学習院大学
 学習院大学では、同大学史料館で調査研究を進めてきた旧山階宮家史料を展示、明治から昭和初期にかけての宮家の暮らしの記録を紹介する。



 山階宮家は、幕末、伏見宮家の王子晃(あきら)親王により創設された宮家で、二代菊麿(きくまろ)王、三代武彦(たけひこ)王で終焉を迎えるが、この三代の人々は、皆、進取の気鋭に富み、なかでも菊麿王とその王子、王女たちは、当時はまだ普及していなかった「写真」を趣味としていた。これらの人々が自ら撮影した写真は、山階宮家の日々の暮らしを記録に残す大切な手段でもあった。武彦王と弟の芳麿王が学生生活をおくった学習院でのようすも写真に収められている。

 このたび学習院大学史料館は、京都勧修寺および財団法人山階鳥類研究所から寄託された上記写真を含む旧山階宮家史料を下記のとおり展示し、現代のわれわれにとっても興味深い当時の皇族の社会や日常をご覧いただくこととした。

◆「近代皇族の記憶展 写真が語る山階宮家三代の暮らし」   (入場無料)
  ・開催日時 平成21年10月1日(木)~11月30日(月)(※下記閉室日をのぞく)
       ・平日 12:00~17:00
       ・土曜日10:00~12:00
       ・10月12日(月・祝)、10月24日(土)10:00~17:00
       ※閉室日 ・日曜日、上記以外の祝日
            ・大学休講日(10/16、17、30、31、11/2)
  ・場所   学習院大学(目白キャンパス)北2号館1階 史料館展示室

 なお、10月17日~11月30日、関連展示を地下鉄副都心線雑司が谷駅に隣接した雑司ケ谷アートギャラリーで開催する。(協力 財団法人としま未来財団)
(以下略)


結成15周年記念し靖国神社で奉納演奏 全日本津軽三味線友の会
 毎年秋に弘前市で開かれている全日本津軽三味線友の会の「活き活きライフ 40歳以上津軽三味線全国大会」が、同会結成15周年を記念して10月に靖国神社(東京都)の能楽堂で開かれる。大会後に文化講演会を開く大條和雄会長(81)は「明治維新後に現在の日本がある。津軽三味線はそれと同時に発展してきた日本の伝統・民俗音楽。大会と文化講演会を通じて、奏者や三味線に関心のある人たちにそのことを理解してもらいたい」と意気込んでいる。
 同大会は1999年に始まった。40歳以上を対象とするのは「津軽三味線はすっかり若い人の音楽になってしまった。全国大会で優勝するのは20代の人ばかり。40、50代や定年後に三味線を始めた人の発表の場がなかった」ことから。以来2度の休止はあったが、毎年弘前市で開かれてきた。
 同会は95年に結成されてから今年7月に15周年を迎えた。これを記念し、同じく今年140年という節目を迎えた靖国神社へ奉納演奏できないか大條会長が打診。その結果、神社側から快諾を得て大会は同神社の創立140年を記念した行事の一環として10月18日に能楽堂で開催される運びとなった。また、大條会長の文化講演会も同日、大会後に境内にある靖国会館で開かれる。
 大條会長は「戊辰戦争が終わった1869年(明治2年)に靖国神社ができた。そのあたりから(津軽三味線奏者の始祖)仁太坊が門付けで歩いている」とし、「津軽三味線は日本の近代国家とともに産声を上げた音楽と言える」と話す。
 大会では「英霊に日本の歌を聴いてもらいたい」と、「荒城の月」「故郷」などを大條会長ら会員5人が奉納演奏する。「靖国神社で津軽三味線を演奏することは意義のあることで、慰霊になると思う」と大條会長は目を輝かせた。



神奈川
馬屋曲輪で発掘現場見学会開催へ/小田原城
 小田原市教育委員会は26日、小田原城の馬屋(うまや)曲輪(くるわ)で発掘現場見学会を開催する。二重櫓(やぐら)の北側の石段は松の根を除去したことで、その全体像が初めて明らかになった。関東大震災による崩落も確認されたという。参加費は無料。

 馬屋曲輪は馬出(うまだし)門に続くL字形の広場で、面積は約7千平方メートル。元禄時代まで馬を留め置く馬屋や待合所の大腰掛があった。2階建ての二重櫓は1643(寛永20)年に建設され、幕末まで現存していたという。

 二重櫓の櫓台の発掘調査は8月27日に始まった。北側の石段に入り込んでいた松の根を伐採したことで全体像が判明。6段が現存しており、安山岩を使用していた。城郭の石段としては古い要素を持つという。西側の石段は14段が認められ、このうち12段がほぼ完全に残されていた。

 櫓台の石垣は「小田原城の石垣としては唯一、江戸時代の姿をとどめている」と市教委。「北側と西側の石段、石垣も関東大震災による一部崩落が確認されたが、予想以上に良好に残されている」と説明している。

 市教委は本年度、国指定史跡「小田原城跡馬屋曲輪」の修景整備に着手した。10年度までに馬屋曲輪全体を修復する方針。

 見学会は26日午後1時半から同2時半まで。見学希望者は馬出門前に集合する。小雨決行。問い合わせは、市教委文化財課電話0465(33)1717。


オランダ人男性が幕末の事件の情報収集に奔走/横浜
 幕末動乱のさなか、開港間もない横浜で起きたオランダ人船長殺害事件。はるか異国の地で2人が命を落とした史実を知る人は少ない。事件の存在を一人でも多くの人に伝えたい―。150年の節目となる来年に向け、オランダ人男性が横浜を訪れ情報収集に奔走している。

 男性はミッシェル・ネリスさん(48)。オランダで会計監査の仕事をしている。日本との歴史に関心を持ち、2001年以降、長崎の出島などを度々訪ねている。今年の初め、オランダで一冊の本と出合う。そこには横浜の居留地で1860年に起きた船長2人殺害事件の記述が「たった一行だけ載っていた」。

 事件はオランダでもあまり知られていないという。興味を抱いたミッシェルさんは「横浜に行けば、何か情報が集められるかもしれない」と今春来日。しかし、横浜外国人墓地に2人が埋葬されていること以外、本町通りを歩いても事件を伝えるものは見つけられなかったという。

 いったん帰国後、当時のオランダ総領事が本国にあてた手紙を公文書館で見つけた。仕事の傍ら、殺害されたオランダ人船長の子孫探しにも力を注ぐ。「おじいさん、ひいおじいさんに遠い日本の地で何が起きたのか。そしてお墓はどこにあるのかを教えてあげたい」

 今年3回目となる横浜滞在は27日まで。「どうして事件は起きたのか」の疑問が氷解するまで、活動を続けるつもりだ。幕末の小さな史実に光を当てる意義をミッシェルさんはこう考えている。「人間は過去を知り、そこから学ぶことで、未来に向けた新たな行動を取ることができます」

 情報の窓口は、ギャラリーあいお☆らいと電話045(633)3475。


長野
井上井月の映画制作へ 上伊那ゆかりの俳人、顕彰会企画
 伊那市などの俳句愛好家や研究者でつくる「井上井月顕彰会」(約200人)は今冬から、上伊那ゆかりの俳人井上井月(1822~87年)を描いた映画「ほかいびと~伊那の井月~」を制作する。井月を通じて上伊那地方に住む人や風俗を描く映画といい、同会は「地域に対する関心、愛着をはぐくむ作品にしたい」としている。


 同市美篶出身の映像作家北村皆雄さん(66)=東京=が監督。現在、週に1回ほど伊那を訪れ、同市山寺の「やきもち踊り」や南箕輪村の「盆正月」など上伊那地方の古くからの祭りや伝統行事、稲刈りの風景などを試し撮りしているという。北村さんは「近代化の流れでモノ中心の世の中になった。映画では人と人のつながりを描き、モノ中心とは違った生き方を問うてみたい」と意気込んでいる。


 同会によると「ほかいびと」は、その日の食を求め歩く人を表す。映画は井月の句や日記を基に幕末~明治時代の上伊那の四季を再現し、井月の生き方を描く。制作費は約3900万円を予定。22日に市内で開いた総会で、2011年夏の完成を目指すことなどを確認した。今後、会の中に映画製作実行委員会を設け、制作費の募金活動をし、市町村にも協力を働き掛けていくという。


 同会は昨年3月、市内で井月を研究するグループが連携して発足。井月を広く知ってもらおうと長野市で展覧会を開いたり、全集を復刊したりしてきた。同会会長で同市美篶出身の堀内功さん(89)=東京=は「井月を通じて昔からの風習を知り、後世に残していきたい」と話している。


静岡
【見にいく!】イギリスの作家にも影響を与えた吉田松陰 静岡
■下田開国博物館の企画展「海が育てた高い志-吉田松陰没後150年企画展-」

 吉田松陰といえば、幕末の志士の一人として、また数多くの志士を育てた師として歴史に名を残している。「思いついたらすぐ行動するので準備不足のこともありますけどね。そこが魅力でもありますが」と笑いながら話すのは博物館参与の尾形征己さん。

 だが、あふれる学識と人間性に影響を受けたのは日本人だけではなかった。「宝島」や「ジキルとハイド」を著したイギリスの作家、R・L・スティーブンスンは松陰に深く影響を受け、国外で初めて彼の伝記を書いた一人だ。展示では、スティーブンスンの研究家、よしだみのり氏の最新の研究を基に松陰に影響を受けた人々も紹介する。

 若きスティーブンスンは作家になりたいという夢を持っていた。だが、建築技師の一族に生まれ、反対されるのは目に見えていた。それで深く悩んだという。そのとき日本から松陰の弟子がやってきて、松陰の生き方を聞いたことが彼に決心させたという。

 スティーブンスンは作家になるため筆を執る。そうして書いた小説や童話は、詩人の金子みすゞや文豪、夏目漱石に影響を与えた。尾形さんは「こういう思いがけない奇縁が面白いところ」と話す。

 日本人、吉田松陰の生涯がイギリスの青年に勇気を与え、その青年の書いた小説や童話が世界中の子供たちに夢を与えている。

                   ◇

 静岡県下田市四丁目8の13、下田開国博物館2号館1階特別展示室。12月20日まで。入館料は大人1000円、子供500円。午前8時半~午後5時半まで。年中無休。【問】(電)0558・23・2500。







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