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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 暑さ寒さも彼岸まで、お彼岸の中日になってようやく猛暑から解放されたようですね。秋が短くなるという予報で、春と秋が好きな自分はちょっと悲しいです。

宮城
土方歳三軸に描く戊辰戦争 「戦塵 北に果つ」
仙台・甲斐原さん作家デビュー

 戊辰(ぼしん)戦争で最後まで新政府軍に抵抗した新撰組副長の土方歳三を軸に、東北、北海道などでの戦いを描いた小説「戦塵 北に果つ―土方歳三戊辰戦始末」(学研)が出版された。作者は仙台市在住の甲斐原康(かいばらこう)さん(63)で、今作品がデビュー作。「東北でも激戦が繰り広げられた。英雄の背後に名も無き人がいる。それぞれの思いをかけて戦った人が日本を作っていったことを知ってほしい」との思いを込めた。
 大阪市出身の甲斐原さんは流通会社に勤務後、30年ほど前に仙台市の財団に転職し、仙台に居を構えた。市民センターや児童館の館長などを歴任し、今年3月、定年退職した。
 仙台で暮らし始めた頃、散歩の途中で幕末の仙台藩士・玉蟲左太夫(たまむしさだゆう)の墓を訪れた。奥羽越列藩同盟の結成に尽力するなどし、責任を問われて切腹させられた玉蟲の生涯に触れ、東北での幕府軍と新政府軍の戦いを初めて身近に感じたという。
 文献にもあたり、長年構想を練って執筆した同作品が昨年、歴史群像大賞(学研主催)の優秀賞に選ばれ、出版の運びとなった。
 物語は土方を軸に、幕府軍に加わった元江戸の町火消し・佐吉を語り部に展開する。戦場で抜群の剣の冴(さ)えと統率力を示し、おじけづく味方を容赦なく切り捨てる冷徹さから戦鬼と呼ばれた土方。反面、平時は部下への優しい心配りを示す土方への、愛憎半ばする周囲の思いが描かれる。
 仙台出身で、新撰組内の路線対立から切腹させられたとされる山南敬助も登場するほか、当時の国分町のにぎわいも再現される。
 江戸を脱出後、幕府軍は負け続け、東北を北上する。新時代を前に揺らぐ人たちを前にしても、土方は自らが掲げた武士の道に殉じ、戦い続ける。
 甲斐原さんは「土方は潔く、正義だが危うい。自分なりの誠を貫き、その誠に周りが巻き込まれていった」と分析している。
 本は四六判256ページで1500円(税別)。


神奈川
「龍馬」講演会
 「18歳当時の龍馬の考えについて−龍馬没後の土佐人の思想−」と題した公開講座が25日(土)市民会館で開催される。主催は相模原地域大学。14時から16時。講師は、「さがみ龍馬先生顕彰会」会長の溝渕誠之氏。幕末動乱期の龍馬の生き方を通じて、現代の私たちが学ぶべきものを探る。定員は先着150人。要資料代500円。希望者は本日23日中に、主催事務局(【電話】042・747・2913)へ。


大阪
高槻藩士が着用か 寄贈陣羽織を公開
 高槻藩士が幕末に着用したとみられる陣羽織=写真=が高槻市教委に寄贈され、10月2日から同市城内町の市立しろあと歴史館で特別公開される。同館は「高槻藩に関する資料の多くは明治維新以降に散逸しており、藩士の陣羽織の実物を確認したのは初めて」と説明している。
 同館によると、陣羽織「緋羅紗地八角(ひらしゃじはっかく)に桔梗紋(ききょうもん)」(身丈95・6センチ、肩幅54・6センチ)は当時、舶来の高級毛織物だった「羅紗(らしゃ)」の赤い生地を使い、背面に「八角に桔梗」の家紋がかたどられている。両肩に皮製の肩飾りがあり、西洋式軍服の影響で陣羽織に肩飾りをつけることが流行した幕末に作られたとみられる。
 陣羽織を寄贈したのは熊本県菊陽町の飲食業石田雅陽(まさひ)さん(46)。石田家の墓は乾性(けんしょう)寺(高槻市天神町1丁目)にあり、陣羽織は藩士だった先祖のものと伝えられていた。幕末の高槻城下を描いた絵図に、石田姓の中堅武士の屋敷が三の丸にあることなどから、この人物の陣羽織だった可能性があるという。
 同館の千田(ちだ)康治学芸員は「陣羽織は役職を持つ藩士が公用の外出時などに着用した。保存状態もよく、貴重な資料だ」と話している。
 特別公開は同館の1階エントランスで10月2日から11月28日まで。無料。休館日は祝日を除く月曜と祝日の翌日。問い合わせは同館(072・673・3987)へ。


兵庫
ブームに乗って 龍馬の和歌、風呂敷に 明石
 明石観光協会は、幕末の志士坂本龍馬が「明石にて」と題して詠んだ和歌をあしらった風呂敷を作成した。
 「うき事を独明しの旅枕磯うつ波もあわれとぞ聞」。龍馬が神戸の海軍操練所で活動していた1863年ごろ、当時は明石藩の領内だった舞子砲台を訪れ、近くの旅館に泊まった際に詠んだとされる。「龍馬詠草」として京都国立博物館に所蔵されている。
 風呂敷は紺色の71センチ四方で、坂本家の家紋である「組み合わせ角に桔梗紋」を添えている。同協会の榎本伸行専務理事は「遅ればせながら、龍馬ブームに参戦しました」。1800円。明石駅の観光案内所などで販売中。同協会TEL078・918・5080
(森本尚樹)


山口
高杉晋作の書簡、きょうから公開 小郡文化資料館 山口
 幕末の長州藩で「正義派」と「俗論派」の攻防が激化してきた元治元(1864)年9月に高杉晋作が吉田松陰の兄、杉梅太郎に記した書簡が、山口市小郡文化資料館で22日から初公開される。
 手紙が書かれたのは、長州藩が「禁門の変」を起こして幕府から征伐令が出され、さらに下関が四国艦隊の砲撃を受けた後のまさに激動の時期。書面では、高杉が藩から「石州口御軍政取計」という職を与えられようとしている状況などを、杉に報告している。杉と高杉は信頼関係が強く、たびたび手紙をやり取りしていたという。
 こののち、急進的な正義派は衰退し、幕府に恭順を示す俗論派が主導権を掌握。高杉は、身の危険を感じて一時九州へ逃れる。
 資料は、所有していた市内の収集家の遺族が平成6年、同資料館に寄贈。市教委の調査や整理を経て、同資料館で22日から10月31日まで開かれる企画展の中で初めて公開される。


福岡
特別展:「村上仏山」の業績しのぶ 行橋市歴史資料館で生誕200年展 /福岡
◇書、日記、手紙など108点
 幕末から明治時代、上稗田村(現行橋市上稗田)に私塾「水哉(すいさい)園」を開き、優秀な門人を輩出した漢学者、村上仏山(ぶつざん)(1810~79年)の生誕200年記念特別展「村上仏山」(行橋市教委など主催)が、行橋市中央の市歴史資料館で開かれている。11月5日まで。火曜休館。
 村上が残した書、日記、手紙、塾の教材、門下生の名簿など108点を展示。卒塾した門下生と飲んでは語った愛用の酒用ひょうたんもある。
 村上は9歳の時、近くの神官から漢学を教わり26歳で水哉園を開いた。儒教を基に漢詩文を中心にした講義を展開し、明治の内相、末松謙澄(1855~1920年)や元号「昭和」を考案した宮内省編修官、吉田学軒(1866~1941年)ら約3000人が学んだ。
 資料館の山中英彦館長は「日本の歴史を動かす人材を輩出した水哉園は、蔵春園(豊前市)などと並ぶ優れた私学校だった」と語る。
 26日午後1時、同市大橋の市中央公民館で、村上のやしゃごで元高校教諭の村上良春さんらの記念講演(入場無料)▽10月24日は水哉園跡など村上ゆかりの地を巡る「ゆくはし探訪」(1000円、10月7日申し込み締め切り)もある。同館0930・25・3133。【降旗英峰】
〔京築版〕





佐賀
幕末と今・・・有田「今昔図」完成
古絵図手に住民調査 26日に歩こう会
 江戸時代の有田と現在の有田町の違いが一目でわかる今昔図「新有田郷図」が完成した。同町のNPO法人「アリタ・ガイド・クラブ」(大橋康二理事長)と町歴史民俗資料館(尾崎葉子館長)が参加者を募り、約150年前の絵図を元に町を歩いて移り変わりをチェック、現在の地図に重ね合わせた。26日には新郷図を使った歩こう会を開く。
 絵図は県立図書館(佐賀市)所蔵の「松浦郡有田郷図」。幕末の安政6年(1859年)、鍋島藩が作製した。現在の有田陶器市のメーン会場、内山地区を中心に描かれている。
 調査には小学生から80歳代まで約60人が参加。地区を5ブロックに分けて「歩こう隊」を組織し、昨年11月から約5か月間、絵図を見ながら通りや住居、川の流れなどを確認した。
 その結果、主要道路や川筋は幕末から大きく変わっておらず、絵図に残るほこらや鳥居なども正確に描かれていることがわかった。
 新郷図は縦42センチ、横59センチ。現存するものは実線、未確認のものは点線で透明フィルムに印刷、現在の地図の上に置いて2枚重ねにしており、すでにない登り窯などの位置もわかる。
 500部作製。巻物風にして、隊員が絵付けをした磁器の帯留めとヒモで結んでいる。1部1500円で同資料館などで販売。
 「住民が地域を見つめ直す機会になったと思う。新郷図を観光にいかし、有田に元気を呼び込みたい」と同クラブ。歩こう会は参加無料。問い合わせは同クラブ(050・5539・5349)へ。




コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(80)東大教授・山内昌之 西郷隆盛(下)
「正義」「正道」信じ生きた
  
 菅直人首相を支える新たな顔ぶれはまことに味わい深い。留任した仙谷由人官房長官に加え、新任の岡田克也民主党幹事長と前原誠司外相は、“小沢一郎何するものぞ”という気概に溢(あふ)れた政治家たちである。この3人が時に揺れ動いた菅首相を叱咤(しった)激励しなければ、小沢陣営の気迫に菅陣営はたじろぎ苦杯を嘗(な)めていたかもしれなかった。
 このトリオで、民主党代表選のさなかに尖閣諸島沖を侵犯した中国漁船による海上保安庁巡視船への不法行為を原理と原則に基づいて処理してもらいたい。もし鳩山由紀夫前首相と小沢一郎元幹事長のコンビであれば、法律に照らして正当な中国人船長の逮捕や起訴に踏み切るか否か、疑問も残ったのである。
 ◆主権や国威を忘れず
 「友愛の海」で中国の勝手な跳梁(ちょうりょう)を許し抗議もしなかった鳩山氏や、多数の民主党議員を嬉々(きき)と胡錦濤国家主席との記念写真に応じさせた小沢氏と異なり、菅新政権の核の3人には、どの国が相手であろうと日本の主権と国民の安全を犯す行為に厳しく対処することを内外に闡明(せんめい)してもらいたいものだ。ここでも西郷隆盛の言葉を思い出さざるをえない。
 「正道を踏み国を以(もっ)て斃(たお)るるの精神無くば、外国交際は全(まった)かる可(べ)からず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親却(かえっ)て破れ、終に彼の制を受るに至らん」(岩波文庫『西郷南洲遺訓』一七)
 西郷隆盛の遺(のこ)した文章のなかでも、この言葉ほど日本の外交環境を憂える者に勇気を与える表現はない。西郷の言葉は、国土交通相だった前原氏も高く評価した海上保安官たちの毅然(きぜん)とした対応や司法当局の自律性とさながら重なるかのようであり、日本人の耳朶(じだ)を打ってやまない。現代語に訳しても、西郷発言の格調の高さは変わらない。
 正義のために正道を歩み、国家と一緒に倒れてもよい精神がなければ、外国との交際は満足にできない。その強大さに畏(かしこ)まって小さくなり、揉(も)めずに形だけすらすらと進めばよいと考えるあまり、主権や国威を忘れてみじめにも外国の意に従うならば、ただちに外国からあなどりを招く。その結果、かえって友好的な関係は終わりを告げ、最後には外国による命令を受けることになる。
外国に対し毅然と
 小沢氏が好きな人物として西郷を挙げるのは心強い限りだが、西郷からは外国に対する毅然とした精神と姿勢も学んでほしいものだ。鳩山・小沢コンビにはアメリカにはことさら厳しく、中国には訳もなく甘いところがあった。ことに鳩山前首相は、その在任中に中国海軍が沖縄近辺海域を何度も示威航行し、日本の排他的経済水域で挑発行為を繰り返しても、抗議もせず不快感を表明するでもなかった。今度の事案でも自分の首相在任中には日中関係が良くなっていたと呑気(のんき)なことを語っている。
 鳩山氏の姿勢は、「彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する」典型と言われても仕方がない。氏に「正道を踏み国を以て斃るるの精神」がないのを今更あげつらうつもりもない。しかし、アメリカから自立するポーズをどれほど取ろうとも、国益を毀損(きそん)し中国の「制を受るに至らん」危険を生むなら、何のための自主自立外交なのかという疑念が湧(わ)かないのだろうか。
 対米外交で失敗した氏は対露外交で復権を狙っているという観測もある。しかし首相を退いた氏の最優先事項は、米軍普天間問題解決の下支えのために粘り強く働き、県民の素意と日米同盟の重要性を両立させる方策を探り名誉挽回(ばんかい)に努めることではないのか。氏の姿勢ではアメリカや中国に加えて、ロシアからも「軽侮」を招くことは必至であろう。
 西郷は、「正義」や「正道」を人間の守るべき大事な価値と信じて生き抜いた。彼は、この2つを国際関係でも実現されるべき要素と確信していたからだ。この信念のためなら、自分の命も天にささげる覚悟をもっていたがために、その発言に気迫がみなぎっていたのである。ここにこそ現代の政治家と国民が西郷に学ぶべき点があるといえよう。(やまうち まさゆき)


文化芸能
西郷隆盛の側近「半次郎」映画公開 「鹿児島から世界へ発信」 榎木さん舞台あいさつ
 幕末から明治初期にかけて「人斬(き)り半次郎」の異名で知られ、西郷隆盛を側近として支えた中村半次郎(桐野利秋)を描いた映画「半次郎」(五十嵐匠監督)の公開初日の18日、主演の俳優榎木孝明さん(54)=鹿児島県伊佐市出身=が、鹿児島市中央町の映画館「鹿児島ミッテ10」で舞台あいさつした。
 2009年9月17日の撮影開始からちょうど1年。映画を企画した榎木さんは「やっとこの日が来ました。表現者の一人として鹿児島から何かを伝えたかった。この作品を鹿児島から世界へ発信できてうれしい」と笑顔であいさつ。会場を埋めた観衆350人から拍手がわき起こった。
 ヒロイン役の白石美帆さんは「榎木さんの思いが現場のスタッフ、エキストラのみなさんに伝わり、いいものを作ろうと一丸になれました」と撮影を振り返った。
 映画は、征韓論に敗れて隆盛とともに東京から郷里鹿児島に戻った半次郎が、隆盛を擁して決起、政府軍を相手に戦い抜き、壮絶な死を遂げる姿を描いている。18日から福岡、熊本、鹿児島で先行公開。来月9日から全国上映される。








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今から勝沼へ
by 2010/09/23 14:01 編集
突然失礼します・・
京都市に住む者です。
今から勝沼にいくので、検索していたら見つけました。

職場は壬生にありながら、新撰組に興味を持ったのは最近です・・

しかし、土方歳三さんが好きで好きで、おとといは休みがとれたので、1日だけ石田寺にお参りにいきました☆

今から家族で勝沼ワイナリーに行く道中、柏尾古戦場に寄ります!
    
よい旅行となりますよう
by 白牡丹 2010/09/23 16:19 編集
楓さん、こんにちは。初書き込みありがとうございます。

職場が壬生にあるとは、毎日、あの辺りの空気を吸って生活されているんですね。羨ましいです。

日野、勝沼とよい旅行をされているようですね。恙なくご帰宅されますよう。
    
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