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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 なかなか涼しくなりませんねぇ(汗)……9月に入ったというのに、明日も明後日も最高気温が35度という予報って(-。-;)。

静岡
「仕掛けの絵師、河鍋暁斎展」あす開幕 三島・佐野美術館
 幕末から明治期にかけて風刺画などで活躍した絵師・河鍋暁斎(1831~1889年)の没後120年を記念した「仕掛けの絵師 鬼才・河鍋暁斎展」(佐野美術館、三島市、同市教委、静岡新聞社・静岡放送主催)が4日、三島市中田町の佐野美術館で始まる。開幕を前に2日、作品が搬入され、展示作業が行われた。
 動物や妖怪、がい骨などをモチーフにした戯画や肉筆画、浮世絵など、約100点をそろえた。踊る妖怪や相撲を取るカエルが極彩色で描かれるなど、独創性あふれる作品ばかり。ゆかりのある伊豆に残された作品や史料なども展示される。
 会期は10月11日まで。開館時間は午前10時~午後5時。23日を除く毎週木曜は休館。入館料は一般1000円、小・中・高校生は500円。毎週土曜日は小中学生は無料。23日は午後2時から、暁斎の曾孫で河鍋暁斎記念美術館の河鍋楠美理事長が講演する。
 問い合わせは佐野美術館〈電055(975)7278〉へ。


滋賀
彦根城の魅力に触れ 井伊家伝来の茶道具34点
博物館であすから 大名物や直弼ゆかり展示
 彦根城博物館(彦根市金亀町)で3日から、テーマ展「井伊家伝来茶道具名品選―名物茶器から直弼まで」が始まる。譜代大名筆頭である井伊家ならではの大名物(おおめいぶつ)「宮王肩衝茶入(みやおうかたつきちゃいれ)」や、幕末を代表する大名茶人だった13代藩主直弼ゆかりの道具など34点を展示する。28日まで、会期中無休。
 茶の湯文化は室町時代が源流で、桃山時代には戦国武将たちの間で盛んに取り入れられ、江戸時代には大名を中心に定着した。井伊家でも家格にふさわしい茶道具を収集しており、とりわけ直弼はたしなみの域を越え、自ら一派をなすほどの情熱を注いだ。
 宮王肩衝茶入は、室町時代に中国から渡ってきた名品。千利休の謡の師匠で、能の小鼓打だった宮王三郎鑑氏(あきうじ)が所持していたことから「宮王」と呼ばれる。戦国武将・松井友閑(ゆうかん)から豊臣秀吉に献上されたが、大坂城落城の際に徳川家康に渡り、井伊家2代目の直孝に与えられた。
 開館は午前8時半~午後5時。4日午後2時から、学芸員が解説するギャラリートークも。観覧料は大人500円、小中学生250円。問い合わせは同館(0749・22・6100)。

大阪
龍馬、めいに手紙で悪口
 幕末の志士、坂本龍馬の手紙に詳しい宮川禎一・京都国立博物館学芸部室長=写真=が、泉大津市旭町のテクスピア大阪で「日本をせんたくいたし申し候―誰にも好かれた男の生き方」をテーマに講演、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」などで注目を集める龍馬の意外な素顔などを紹介した。
 約140通残る龍馬の手紙の中から、姉の乙女や土佐藩重臣の後藤象二郎らにあてた6通を紹介。宮川室長が薩長同盟成立(1866年)前夜に書かれたと分析する、めいの春猪あての手紙には、春猪への悪口が並ぶ。宮川室長は「当時の龍馬が抱えていたストレスを心安い春猪にぶつけてはらしたのでは」と推し量った。
 12日にも宮川室長がテクスピア大阪で「龍馬をとりまく二人の女性―おりょうと千葉佐那」をテーマに語る。午後2時から。参加無料で、当日先着500人。


兵庫
三田演技塾:川本幸民の生涯描いた舞台劇、小道具でリアルに 制作、急ピッチ /兵庫
◇幸民カメラ/和綴じの本/小机…
 三田出身の蘭(らん)学者・川本幸民(1810~71年)の生涯を描いた舞台劇「ええお日和(ひより)やなぁ」(毎日新聞阪神支局後援)で、舞台の雰囲気をよりリアルに演出しようと、忠実に再現した小道具の制作が急ピッチで進んでいる。公演する三田演技塾は「小道具にも研究や工夫を凝らしている。家庭に舞台で使える古い家具などがあれば声を掛けてほしい」と呼び掛けている。
 同劇は、同市の脚本・演出家、中畑八郎さん(66)が主宰し、昨年7月に旗揚げした演技塾の塾生31人が出演する。演出する中畑さんの厳しい指示が飛ぶなか、稽古(けいこ)が続き仕上げ段階に入っている。
 劇中には、幸民が日本で初めて作ったカメラも登場。中畑さんは、幸民を研究する同市の歴史関連NPO法人のメンバーから、詳しくそのカメラについて教えてもらい、縦横24センチ、長さ36センチの「幸民カメラ」を仕上げた。幸民が自宅の庭でビール醸造する場面で使われ、記念撮影で薩摩藩士らが息を止めるなど、コミカルなシーンを演出する。
 学者の幸民だけあって、多くの場面に書物も必要。右側にひもを通して和綴(と)じした本も数冊作製した。小机や火鉢用の炭入れなども、江戸末期の資料を研究しまねて作った。また、鎌(かま)や鍬(くわ)などの農具も舞台で使いやすいよう手作りした。
 舞台上をできるだけリアルにみせようと、古道具を探したところ、知人から古い木製の灯ろうや殿様がひじ掛けに使う脇息(きょうそく)などが寄せられた。中畑さんは「幕末の空気を、演技だけでなく小道具でも伝えたい」と話している。
 10月23日午前11時半と午後4時半の2回公演。前売り券(3000円)は、郷の音ホールチケットセンター(079・559・8101)か中畑さん(090・8888・5084)。【粟飯原浩】


広島
竜馬宿泊 鞆の旧商家11月公開
 幕末98件の志士、坂本竜馬がいろは丸事件の際に宿泊した福山市鞆町の旧商家「桝屋清右衛門宅」が11月に一般公開されることになり、間もなく改修工事が始まる。竜馬ブームが続く中、市は新たな観光資源として期待している。
 竜馬率いる海援隊の蒸気船が鞆沖で海難事故に遭い、多額の賠償金を勝ち取ったいろは丸事件。「桝屋」は木造2階(延べ約290平方メートル)で、相手方の紀州藩と談判する際に宿泊先として利用された。明治期に改築されているものの、柱や梁(はり)など当時のままの部分が残っている。
 11月13日から3日間、無料で一般公開される。「桝屋」は以前にも公開されているが、今回は市などで組織する「福山観光キャンペーン実行委員会」が公開に向けて改修工事を行う。県の補助金も活用し、約260万円をかけて畳の張り替え、階段の設置などを行う予定。
 見学する際の目玉は2階部分屋根裏にある“隠し部屋”。当時、竜馬が身を隠したとされる。天井や柱が当時のまま残されるなど、幕末98件ロマンを感じられるスポット。公開期間中はボランティアによるガイドも付ける。
 公開最終日の11月15日は竜馬の誕生日で、命日でもある。NHK大河ドラマ「龍馬伝」でもいろは丸事件は今秋、登場する予定。


佐賀
佐賀藩、幕末北海道絵図に書き込み見つかる
 旧佐賀藩主鍋島家の資料「鍋島文庫」(鍋島報效(ほうこう)会所蔵)のうち、江戸末期の北方探検家松浦武四郎(1818~88年)が1854(嘉永7)年に作製した樺太(からふと)や北海道を描いた地図に、先に測量や探検を行っていた伊能忠敬や間宮林蔵の実測データを佐賀藩が書き込んでいたことが分かった。同じ地図は全国に7点伝わるが、伊能らの実測値を記入した地図はなく、幕末期に佐賀藩が北方に強い関心を寄せていたことを示す資料として注目される。
 「伊能図」研究の第一人者の渡辺一郎・伊能忠敬研究会名誉代表が一日、鍋島報效会・徴古館で調査した。
 地図は松浦武四郎作製「蝦夷地(えぞち)之図」(270センチ×365センチ)で、上部に大きく樺太を、下部に北海道などを描写。余白部に「松前」など数十地点を挙げ、緯度経度を表にして記述している。
 渡辺名誉代表はほかに6点現存する嘉永7年製の地図と同一と確認。緯度経度を書き込んだ例はほかになく、「佐賀藩が入手し、描かれた地形が不正確だったため、実測データを書き込んだのでは」と推測した。
 この地図のほか、伊能作とされてきた別の「蝦夷地之図」と、松浦が1859(安政6)年に作製していた「東西蝦夷山川地理取調図」も調査。両者がともに「東西蝦夷山川地理取調図」であることが分かった。また、この「蝦夷地之図」には釧路地方に「御国御支配」と朱書きするなどの記載があり、1869(明治2)年に佐賀藩が釧路地方統治を決めたころの書き込みと推測された。徴古館は「北海道開拓への意気込みが感じられる」とあらためて評価した。
 佐賀藩は幕府の北海道調査に島義勇を派遣するなど、アイヌの人々が暮らし「蝦夷地」と呼ばれていた北海道開拓に意欲を示していた。明治維新では10代藩主鍋島直正が北海道開拓使の初代長官となったほか、新政府が有力藩に「分割支配」を認めると、釧路地方を統治。1871(明治4)年の「廃藩置県」まで、現地で基盤整備を進めた。


蝦夷地の古地図を検証 伊能忠敬図無かった… 鍋島報效会開拓の貴重な史料
 佐賀藩鍋島家の文物を所蔵する財団法人鍋島報效(ほうこう)会(佐賀市)は1日、同館が所蔵する蝦夷地(えぞち)(北海道)の古地図の検証を行った。3枚の地図のうち1枚は、江戸時代に精密な日本地図を作製した測量家伊能忠敬の地図と伝えられていたが、伊能図でなく、ほかの2枚同様、幕末に蝦夷を探検した松浦武四郎の作製と判明。書き込みなどから、幕末明治期の佐賀出身者による北海道開拓に関係する「貴重な史料」と位置付けられた。
 検証を行ったのは、伊能忠敬研究会(東京)の渡辺一郎名誉代表ら4人。地図はいずれも松浦による作製で、うち1枚には伊能の測量データの一覧表が記されており、伊能の功績が後世に受け継がれていたことがうかがえる。
 明治新政府の1869年、鍋島直正(10代佐賀藩主)が、初代北海道開拓使長官に当たる蝦夷開拓督務に着任。佐賀の七賢人の一人で札幌市街建設を進めた島義勇(しまよしたけ)ら、多くの佐賀出身者が北海道開拓に従事した。
 鍋島報效会は「佐賀出身者が開拓した厚岸(あっけし)など3郡を朱塗りで示した地図もあり、古地図が北海道開拓に活用された貴重な確認ができた」としている。


コラム
【幕末から学ぶ現在】(77)東大教授・山内昌之 松平春嶽
地位に追いつかぬ能力
 民主党代表選をめぐる動きはすこぶる不可解だった。「政治とカネ」をめぐる問題で引責辞任した両首脳の1人が代表選出馬を表明したのも訝(いぶか)しいが、首相を辞めた政治家は次回総選挙に出るべきでないと高言した前首相が須臾(しゅゆ)のうちに変心し、調停者あるいは「正直な仲介者」を自負した姿を見ては唖然(あぜん)たらざるをえない。いかな民主党支持者であっても呆然(ぼうぜん)とすることだろう。
 政治や外交の世界では主観的な善意は傍(はた)迷惑になるだけでなく、国益を大いに毀損(きそん)することを示したのが鳩山由紀夫氏ではなかったのか。この教訓を学ばない民主党の議員たちは、まさか政治的不感症(アパシー)に陥っているわけでもあるまい。民主党代表選をめぐる混沌(こんとん)のなかで、氏の感性や振る舞いにうんざりした市民有権者の間に、政治への不信感や絶望が瀰漫(びまん)しないように願うのみである。
 ◆欠点は世論に媚びる傾向
 ピーターの法則というのがある。藩主や議員くらいであれば何とか務まる人物でも、分不相応に老中や大臣になると馬脚を現し挫折や破局に導かれるように、能力の限界を超える場合に使われる術語だ。幕末でいえば、ピーターの法則にあてはまる代表例は、松平春嶽(しゅんがく)であろう。
 『幕末政治家』を書いた福地桜痴(ふくち・おうち)は春嶽を指して、藩主であれば「良主」か「英主」かもしれないが、一国を動かす政治家としては格別に称賛できる価値を見いだせないと言い切っている。春嶽の欠点は、あまりにも世論に媚(こ)びる傾向があったことだ。老中として外交上の功績の高かった安藤信正を罰して封を削減したのは、井伊直弼(なおすけ)の息がかかった者たちを処分して大向こうを唸(うな)らせたかったからだ。
また春嶽は、徳島藩主の蜂須賀斉裕(はちすか・なりひろ)を陸軍総裁、佐賀藩の鍋島閑叟(なべしま・かんそう)を将軍文武修業の相談役に当てるなど意外な人事を試みたが、いずれも人気取りで、実なく泡のように消えてしまった。「畢竟(ひっきょう)世間の風潮に漂えるまでの処置にて、一としてその実に適せるものを見ざるなり」という旧幕臣の桜痴の言は、テレビ受けばかりを狙ういまの政治家にも戒めとなるだろう。
 春嶽のもう一つの欠点は、優柔不断であり政敵との正面対決を嫌ったことである。生麦事件が起きたとき、島津家に下手人を出させ武士の名誉をもって処分すればよかったのに、薩摩藩を恐れたせいか島津久光の行列を譴責(けんせき)もせずに出発させた。これは政事総裁職だった春嶽の責任である。この傍観こそ幕威を下げ、薩英戦争を引き起こす原因となり、賠償金支払いという重い負担を徳川幕府に強いたのである。
 幕府にとって最悪だったのは、春嶽が参勤交代の制を緩め、大名妻子の帰国を許した点である。幕府の力が強い時ならいざしらず、その命脈が弱まっているのに、むざむざと反幕諸侯の機嫌をとる政策を英断とはいわない。この措置は、もともと外国の脅威に対する国防強化の見地から判断されたが、外様大名を中心にますます幕威を軽んじる風潮をつくった点で春嶽の責任は軽くない。
 ◆貴種ゆえの臆病さ
 そのうえ春嶽にも、徳川慶喜(よしのぶ)のように、他人に大きな仕事を委ねながら不利と見るや一目散に逃げる貴種の臆病さもあった。会津藩主、松平容保(かたもり)に京都守護職の重責を負わせながら、最後には彼を見捨ててしまう。一越前藩主なら大目に見られる振る舞いでも、幕府の中心や朝廷の周辺で活躍する政治家として許されない所業もある。
 桜痴も語るように、春嶽の改革は所詮(しょせん)、「幕府の実権実力なきを天下に示したるに終(おわ)りたり」という成果しかなかったのではないか。それにしても、幕末の徳川宗家はまことに不幸なことに、一門一族の力で滅亡への道を加速させられたといえなくもない。ことに徳川斉昭(なりあき)・慶喜父子とともに、松平春嶽もその責めの一端を負わなくてはならない。
 それでも春嶽に幸いだったのは、橋本左内(さない)や横井小楠(しょうなん)といった謀臣がいた分、彼の改革や周旋に虚実取り混ぜ幻想も付加され、ピーターの法則も減殺されたことだ。他方、橋本や横井もおらずに“周旋”に熱を上げた鳩山氏の振る舞いは、永田町でなら格別に不思議でないのだろうか。このあたりも民主党の政治体質に興味の尽きない所以(ゆえん)なのである。(やまうち まさゆき)
                   ◇
【プロフィル】松平春嶽 
 まつだいら・しゅんがく 文政11(1828)年生まれ。名は慶永(よしなが)。父は徳川三卿田安家3代、斉匡(なりまさ)。越前福井藩主、松平斉善(なりさわ)の養子となり、第16代藩主に。横井小楠、橋本左内らを登用し藩政改革を推進。安政の大獄での謹慎処分をへて政事総裁職に就任し、幕政改革にあたる。維新後、民部卿、大蔵卿などを歴任。明治23(1890)年、61歳で死去。




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