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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 雷雨が起こりがちの不安定な空模様が変わり、今日からは秋晴れが続きそうです。早速、大物を洗濯しました。
 昨日クリッピングしたニュースからお届けします。

福島
町野家と南摩家の霊を慰める/坂下
 会津坂下町勝方地区で7日営まれた会津藩の町野家と南摩(なんま)家の人たちを慰霊する法要には、多くの関係者が出席し戊辰戦争で自刃した両家の女性や子どもたちの霊を慰めた。
 読経の後、出席した約60人が焼香し法要を終えた。
 主催した渡部三郎実行委員長が町野、南摩家の悲劇を説明しながらあいさつ。
 町野家の子孫に当たる井村陽一さんが感謝の言葉を述べた。
 戊辰戦争で奮戦した町野主水の孫で、主水に育てられたという井村百合子さんは104歳ながらしっかりとあいさつし、「ただただ感謝感激。今まで生きてきて良かった」と述べた。


新潟
栄凉寺に歴代長岡藩主ら納骨
 旧長岡藩牧野家の2代藩主忠成公ら歴代藩主ら10人の遺骨が8日、菩提寺である長岡市東神田3の栄凉寺(斉藤哲雄住職)の「旧越後長岡藩主歴代之墓」に納められた。遺骨は東京都港区の「済海寺」にあったが、栄凉寺に移され、約10年間、本堂に安置されていた。子孫は墓への納骨で「やっと先祖の供養ができた」と喜んでいた。
 今回、納骨されたのは、2、4、5、6、7、8、9、10代の各藩主と親族2人。
 もともとは東京の済海寺にあったが、同寺の整備計画で墓地が移されることになり、それに伴い栄凉寺に1988年「歴代藩主の墓」を建立、先に人類学上の学術調査を終えた11代忠恭や正室の遺骨を納めた。その後、2代らの遺骨も栄凉寺に来て、本堂の位牌堂に置かれた。戊辰戦争から140年の節目もあり、この日の納骨となった。
 17代当主、牧野忠昌さん(66)=神奈川県逗子市=ら子孫が栄凉寺に駆け付け、納骨。その後、子孫の手で丁寧に般若心経百巻を納めた。
 牧野さんは「戊辰戦争から140年の節目に当たり、遺骨を納めることができ、本当にうれしく思う。皆さん安らかに眠ってほしい。やっとわたしの仕事が果たせたかな」と笑顔で話した。
 なお、12、13、15代の墓もそれぞれ栄凉寺にある。初代は長岡市の普済寺、3代は同市の蒼柴神社にある。


三重
神職と僧侶がそろって式典に、「神仏霊場会」発足祝う
 伊勢神宮のほか、延暦寺、東大寺、石清水八幡宮など近畿の150社寺でつくる「神仏霊場会」(会長・森本公誠東大寺長老)は8日、三重県伊勢市の皇学館大で式典を開き、会の発足を祝った。神職と僧侶が共に神仏をまつり、拝もうと、祝詞の奏上に続いて般若心経が唱えられた。
 式典後に、近くの伊勢神宮の内宮にそろって参拝。正装した宮司や住職ら約220人が五十鈴川に架かる宇治橋を渡り、社殿に向かった。
 神仏霊場会は、神と仏が和合してきた明治維新前の信仰の再興を目指し、伊勢神宮と150の社寺を結ぶ新たな巡拝の道を提唱している。


神+仏、そろって伊勢参り
 伊勢神宮のほか、延暦寺、東大寺、石清水八幡宮など近畿の150社寺でつくる「神仏霊場会」(会長・森本公誠東大寺長老)は8日、三重県伊勢市の皇学館大で式典を開き、会の発足を祝った。神職と僧侶が共に神仏をまつり、拝もうと、祝詞の奏上に続いて般若心経が唱えられた。
 式典後に、近くの伊勢神宮の内宮にそろって参拝。正装した宮司や住職ら約220人が五十鈴川に架かる宇治橋を渡り、社殿に向かった。
 神仏霊場会は、神と仏が和合してきた明治維新前の信仰の再興を目指し、伊勢神宮と150の社寺を結ぶ新たな巡拝の道を提唱している。



愛媛
幕末の宇和島、藩の役割浮き彫り 松山の作家が新刊
幕末の宇和島、藩の役割浮き彫り 松山の作家が新刊
 松山市在住の作家、青山淳平さん(58)が愛媛県の宇和島藩に関する諸史料を保存・展示している「伊達事務所」(宇和島市)の史料類をもとに、日本の開国と近代化に大きな足跡を残した幕末の蘭学者・高野長英(1804~1850年)らに関する新たな歴史的事実を盛り込んだ歴史小説「長英逃亡潜伏記」(光人社刊)を出版した。10日から全国の書店の店頭に並ぶ。
 江戸末期、日本のとるべき道を教示した長英は、「幕末の四賢候」として活躍した宇和島藩の8代藩主・伊達宗城の思想的土壌を形成したとされる。長英は、幕府の対外政策などを批判したとして投獄され、脱獄。お尋ね者となっている長英ではあったが、宗城は嘉永元年(1848)4月、幕府の追っ手をかわしながらその身を宇和島へ招き入れた。
 小説は長英と宗城を軸に展開するが、登場人物には長英とともにシーボルトの教えを仰ぎ宇和島で再会した蘭医の二宮敬作、敬作に託したシーボルトの娘のイネ、長英が去った後に招かれた大村益次郎、宇和島を訪れている西郷隆盛ら歴史上の人物がめじろ押し。
 これらの著名な人物が四国西南部という一地方ながら、進取性に富んだ藩主の存在によって歴史的な時間を共有し合い、活躍していたのだ。伊達家史料の新たな研究成果などもちりばめられており、歴史愛好家にとっては垂涎(すいぜん)の一冊といえそうだ。
 また、郷土史家だった兵頭賢一氏(故人)の姿も描かれ、青山さんは「素晴らしい学者が宇和島にいた。兵頭さんの目を通して、宇和島(藩)の歴史的役割を浮かび上がらせたかった」と執筆の動機を語った。
 激動の日本を動かした人物と宇和島とのかかわりを新事実や創作を交えて語りかけているが、長英については「気性が激しく好戦的と思われているが、戦争を避けることに心を砕いた平和主義者ではなかったか」と青山さん。「アメリカに開国し、(太平洋戦争)でアメリカに焼かれた」とも書き、今日にも通じる外交戦略の重さも示唆している。


長崎
龍馬ゆかり「あの場所」がついに一般公開再開へ。
 幕末の志士、坂本龍馬が海援隊の前身として結成したのが、日本初の商社「亀山社中」である。その建物は長崎市に現存しているが、2006年から一般公開を中止されていた。それが来年、再公開されるという。9月6日付けの西日本新聞朝刊によると、8月2日に長崎市、田上市長が建物の所有者と契約を交わした。内容は土地と建物を市が 10年間借り受けるというもので、来年の公開にむけて早速補修工事をおこなっていくようだ。
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