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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 台風の影響で雨風が強くなったので4時半にオフィスを出ましたが、自宅に着いた時には雨が止んでました^_^;。

宮城
仙台藩士幕末渡米記
150年後子孫が現代語訳出版西洋文明克明に記録

出版した本を手に、玉蟲の魅力を語る山本さん
 幕末の動乱期、幕府使節団の一員として渡米した仙台藩士・玉蟲(たまむし)左太夫が記録した、「航米日録」の全文を現代語訳した「仙台藩士幕末世界一周」が出版された。翻訳したのは玉蟲から5代目の子孫にあたる仙台市の山本三郎さん(74)。玉蟲は武士の常識にとらわれず、民主主義の理念をくみ取り、西洋文明を詳細に記録。今年は渡米から150年後にあたり、山本さんは「幕府使節団や玉蟲のことを若い人にも知ってほしい」と話している。

◆咸臨丸が随行
 玉蟲は1860年1月に日本を立ち、日米修好通商条約の批准書交換のため、幕府正使が乗ったポーハタン号の一員として渡米。勝海舟らが乗った随行艦が咸臨丸だった。一行はニューヨークで10万人の市民から大歓迎を受けるなどして、アフリカ、インド洋を巡り、同年9月に帰国した。
 航米日録は全8巻あり、出発から帰国までを記録した7巻までは、正式な記録として仙台藩に献上された。8巻は個人的な感想が記され、当時の体制を批判する意見も書かれている。
 翻訳本は1~7巻を巻ごとに章立てし、時系列で紹介。8巻は「三郎のひと言」として、関連個所に山本さんの解説付きで挿入した。
 玉蟲は太平洋を渡る途上、アメリカ人の艦長が水夫と一緒に嵐に立ち向かい、すぐに全員に報奨金を出したことに感銘を受け、「このようであるから、一旦(いったん)緩急の時には全員が身を忘れて力を尽くすのだ。この国が盛んな理由も、こんなところにあるのであろう」と記した。病死した水夫のため涙を流す艦長に対し、自国は「上下の情は誠に薄く、彼らに対して恥ずかしい」と封建体制に批判的な意見も明かしている。
 西洋文明への関心は高く、蒸気機関や汽車には特に興味を示した。水洗トイレやシャワー、洗濯機などについても使用法や仕組みを観察、克明に記録。料理にも触れ、ビールは「苦味なれども口を湿するに足る」と感想を残した。

◆列強に警戒感
 一方、当時、アジア進出を目指す列強への警戒感もにじむ。ハワイで会った中国人の薬商からは、英国人について「野蛮人で虎やオオカミに等しく、心は残忍で聖道とは全く相反している」と聞かされた。サンフランシスコでは友人が現地の中国人から聞いた話として「米国は最初は親切だが、用心しなければいけない」との助言が紹介されている。
 「玉蟲は武士階級を超えたやわらかい頭で客観的に物事をとらえ、幕府や薩長ではなく日本ということを意識していた。坂本龍馬と同時代に、そういう傑物が仙台にいたことを知ってほしい」と山本さんは話す。
 四六判520ページで2100円(税別)。問い合わせは出版社「荒蝦夷(あらえみし)」(022・298・8455)。

◇玉蟲左太夫 

 1823年に仙台藩士の家に生まれたが、脱藩して江戸に。57年蝦夷(えぞ)地と呼ばれた北海道や樺太を巡行、気候や風土、アイヌの生活様式などを「入北記」にまとめた。渡米後は再び仙台藩士に取り立てられ、戊辰戦争では奥羽越列藩同盟の結成に尽力し、その後、責任を問われて69年、切腹した。


京都
花園大准教授ら、幕末の京町家を立体CGに
 江戸後期から末期の間取図を基に、京町家を精密に復元した立体CG(コンピューターグラフィックス)を、花園大の師茂樹准教授(情報歴史学)と文化遺産学科の学生たちが制作した。当時の生活文化の一端を実感でき、町家の構造を考える上でも役立つという。
 同大学の明珍健二准教授が、天保5(1834)年の婚儀の記録と一緒にまとめられた梅忠町(三条通の烏丸-東洞院間の両側)の町家27軒の間取図を発見した。当時の町家は多くが焼失し、その構造を知る貴重な史料だった。高さ制限で天井が低かったため、利用実態がよく分からない2階の図面も添付され、家人や使用人が居住していた可能性があることも分かった。
 CGは、うち1軒の呉服屋を、間取図と現存する町家や絵画などを参考にミリ単位まで正確に復元した。2軒をつなげたとみられる間口18メートル、奥行き12メートルの大きな町家で、帳場や走り庭、土蔵、井戸、手洗いのほか、格子や調度品も再現した。CGの視点は屋内外を自由に移動でき、実物に近い色調に変えれば当時の町家の雰囲気も体感できる。
 師准教授は「正確に復元することで、2階の空間利用など京町家の構造を詳細に検討できる。情報端末から見られるようにして、学習や観光にも使えるようにしたい」と話している。

徳島
殿様の肖像:歴代徳島藩主 14代藩主・蜂須賀茂韶/上 /徳島
◆14代藩主・蜂須賀茂韶-(1846~1918)

◇最後の藩主 廃藩の意義、告諭し去る
 14代・茂韶(もちあき)は徳島藩最後の藩主だ。明治維新を迎え藩が消滅した後は、華族に列し、中央で活躍した。東京府知事、貴族院議長、文部大臣と政府の要職を歴任しただけでなく、数多くの企業の創業・経営に携わり、産業界にも大きな足跡を残した。また、北海道では農場の経営にも取り組むなど活躍の幅は広く、茂韶時代の蜂須賀侯爵家は大富豪として繁栄する。だが、藩主・知藩事時代の茂韶は、明治政府の目指した中央集権化の中で、波乱に巻き込まれた。

    ◇

 茂韶の父、13代・斉裕が徳川将軍家の出身であることから、幕末の徳島藩は倒幕か佐幕か、立ち位置を明確にできなかった。だが、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府側が敗れ、同時期に斉裕が死没したことで、徳島藩は新藩主・茂韶のもと、倒幕へと方針を固め、戊辰戦争にも加わっていく。
 出遅れ感は否めないが、茂韶は新政府の中枢に入り込むことに成功した。公家の三条実美や岩倉具視、前佐賀藩主・鍋島直正、長州藩主・毛利敬親の養嗣子・元徳らと並んで、新政府の議定に任じられ、さらに新政府が明治2(1869)年に民政を管轄する民部官を新設すると、トップの民部官知事になった。官職も歴代藩主として最高となる権中納言に上っている。
 もちろん、実権は大久保利通や木戸孝允(桂小五郎)ら維新志士たちが握っており、「お飾り」の色合いが強いのは否めない。だが、茂韶のもとで民部官副知事だった長州藩出身の広沢真臣は「阿公(茂韶)は華族中格別御人材、既ニ御維新砌(みぎり)より議定職ニ御奉命故、必す藩政御不都合之議は無之御事」と書簡に記し、茂韶の資質を評価している。
 ところが皮肉なことに、この書簡が書かれてすぐ、「藩政御不都合之議」が徳島藩を揺るがすことになる。明治3(1870)年5月、徳島藩士が筆頭家老・稲田家の家臣を襲撃した庚午事変が発生したのだ。
 事変については多くの書籍で触れられており、最近では県立文書館が07年に特別企画展を開催した際、新政府の公文書や日記などをもとに詳細にまとめている。
 稲田家は、藩内で別格の存在だった。祖先の稲田植元(たねもと)は、徳島藩主蜂須賀家の家祖・蜂須賀小六正勝と同僚のような間柄で、ともに織豊政権の天下統一事業の中で戦った。徳島藩成立後の同家は、大名並みの1万4000石以上を与えられ、淡路統治の要である洲本城代を務めた。また、幕末期には徳島藩とは対照的に勤皇派として積極的に倒幕運動に加わり、功績を残している。
 1869年、中央集権を目指す新政府は大名から天皇に版図と領民(戸籍)を返還させる版籍奉還を実施する。茂韶の立場も藩主から、徳島藩知事(知藩事)へと変わった。これに伴い、藩の制度改革も始まった。藩士は士族に区分され、収入はそれまでの約1割に減らされた。さらに、茂韶から見て家臣の家臣(陪臣)にあたるものは士族とされず、一段下の卒族とされた。
 この改革は広く藩士に不満を生じさせたが、特に稲田家中にそれは強かった。大半が陪臣として卒族に位置づけられ、また卒族は藩に直属するので、それまでの稲田家当主との主従関係解消も求められたのだ。
 不満を募らせた稲田家は、幕末の功績をアピールしながら、士族編入を求める運動を展開。一方、藩内ではこの動きを茂韶への不忠行為とする声が強まり、両者の対立が表面化していった。
 新政府は両者の対立に厳しい裁定を下す。稲田家に北海道への移住・開拓を、徳島藩にはその開拓費の負担を命じたのだ。だが稲田家は移住開拓を受け入れる条件として分藩独立を要求。藩側の強硬派藩士が暴発した。
 決起した藩士たちは、攻撃目標として稲田家の拠点である洲本と猪尻(美馬市脇町猪尻)を狙った。洲本では藩兵たちが、稲田屋敷や稲田家家臣の屋敷を次々と攻撃、稲田側に死者15人、自殺者2人、負傷者多数が出た。一方、猪尻攻撃は藩庁の必死の説得工作が成功して未遂に終わるが、その過程で説得にあたった藩士2人が切腹し、犠牲となった。
 事件は、茂韶に責任が及ばないよう考慮してか、彼の上京時に起きた。とはいえ、何十人もの死傷者を出す事件の発生は、十分に藩の存亡のかかった事態だった。事変後の徳島藩士たちへの処分は厳しく、首謀者とされた10人は死罪に、さらに大勢の藩士らに流罪や禁固刑が言い渡された。茂韶も太政官に謹慎を命じられている。
 事変後、稲田家は北海道へと移住。また同家の領地は淡路島に集められ、兵庫県に組み込まれた。この後、廃藩置県後に成立した徳島県が淡路島南部を県域としたり、名東県(現・徳島市に県庁があった県)が島全域を管轄する時代もあったが、近代以降の県境は鳴門海峡に落ち着くことになった。
 1871年、廃藩置県が行われ茂韶ら全国の知藩事は免官、東京に移住することになった。茂韶は同年の暮れ、士族・平民に対し、「世襲の知事を免じ、広く人材を求めるのは当然のことわり」と廃藩置県の意義をアピール、「四民一同よく茂韶の心情を理解してほしい」と切々と告諭し、徳島を後にしている。
 最後の藩主は去った。残された徳島城も、1872年の名東県博覧会開催を最後の華に75年、鷲の門を残して解体された。殿様の栄華や、さまざまな逸話の舞台となった城は消滅し、徳島は近現代に本格的に突入する。
 「殿様の肖像」最終回となる次回は、徳島藩主・蜂須賀家のその後と、徳島との関係を追う。【深尾昭寛】


香川
咸臨丸渡米150年で記念事業/丸亀
 咸臨丸渡米からことしで150年。日本の近代史に大きな足跡を残した史実の裏には、塩飽諸島出身の水夫たちの貢献があった。郷土の先人の功績をたたえようと、塩飽諸島の中心地・本島(香川県丸亀市本島町)で150周年記念事業が始まり、11月30日まで多彩なイベントを繰り広げる。主催する同事業本島実行委員会は「島の魅力を知ってもらい、活性化にもつなげる事業としたい」と意気込んでいる。
 咸臨丸は1860年、日米修好通商条約の批准書交換のため、勝海舟や福沢諭吉、ジョン万次郎ら96人を乗せて渡米。咸臨丸の水夫50人のうち35人が、戦国時代から幕末226件期まで、日本の海運業を支えた塩飽諸島出身者だった。これを踏まえ、本島では海洋国家・日本発祥の地としての島の歴史を内外にアピールし、観光促進と活性化などを図ろうと、地元住民が5月に同実行委を発足。島内で順次イベントを開催する運びとなった。
 メーンは、本島港での水夫顕彰碑の建立。10月24日に除幕式を実施する。同月1日からはかつての政庁・塩飽勤番所で、新たに制作した咸臨丸時代の本島ジオラマなど数十点の資料を展示。本島観光案内所では、咸臨丸模型などの展示会が始まっている。
 期間中は講演会を4度開催するほか、ウオーキングイベントも実施。島内の民宿で咸臨丸内での食事を現代風にアレンジした懐石を提供したり、記念切手を発行するなど島を挙げての一大プロジェクトとなっている。問い合わせは本島市民センター〈0877(27)3222〉。


山口
周南再生塾:「松陰と龍馬」テーマに 一坂さん、25日に公開講座 /山口
 周南市のまちづくりを担う人材育成を目指す「周南再生塾」実行委員会は25日、幕末維新史に詳しい萩市特別学芸員の一坂太郎さんを講師に一般公開講座を開く。NHK大河ドラマにもちなんで、吉田松陰と坂本龍馬を中心に「松陰と龍馬」の題で講演する。
 第3期再生塾(9月~11年8月)の第1回講座として開催する。会場は周南市徳山保健センター1階多目的ホールで、時間は午後6時~7時半。定員100人(申し込み受け付け順)。受講料500円。
 申し込みは、はがき・電話・ファクス・電子メールのいずれかで▽住所▽氏名▽電話番号を同実行委事務局に伝える。問い合わせは同事務局(0834・22・8621)。【内田久光】


コラム
カッコいい“髪形”の歴史上の人物は?

 株式会社 毛髪クリニック リーブ21は、「『歴史上の人物』イメージ調査」を実施した。「歴史上の人物で、1番髪型がカッコいいなと思うのは誰ですか?」との質問でトップ3は、束ねるだけの自然な髪型の坂本龍馬、ざんばらオールバックの土方歳三、びしっとちょんまげの織田信長となった。3人の髪型はそれぞれ違うが、坂本龍馬、土方歳三の2人は総髪(そうはつ)、織田信長は茶筅髷(ちゃせんまげ)と呼ばれる当時では最先端の髪型であったという。

*総髪(そうはつ)…前額側から頭頂部にかけて頭髪を剃り落とす月代(さかやき)を作らずに、前髪を後ろに撫で付けて、髪を後ろで結うか、もしくは、頭頂で束ねるか、垂らす形。









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