新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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昨日は野間みつねさんと東京都写真美術館を訪問して土方さん生写真を見てきました。みつねさんとはかれこれ2003年来のお付き合いで幕末維新の史跡やイベントをご一緒させていただいてますが、今年で満10年になりますね……この濃ゆいご縁に感謝です。
秋田
医学の道究める姿描く わらび座ミュージカル「幕末ガール」
福島
「八重の時代」に理解 若松・鶴ケ城で幕末テーマに企画展
会津藩から17歳で渡米 「おけい」の志学び、未来開け
旅館業を通して会津のファンを増やしたい。くつろぎ宿 新滝・千代滝 女将・佐原香織(後編)
神奈川
<新島八重>望郷の思い切々 自筆和歌見つかる
新島八重:郷愁切々と 晩年の和歌、神奈川で発見
京都
幕末の長岡京 浮き彫り 市立図書館で企画展
エンターテインメント
大河視聴率 今季最低11・7%危険水域
降谷建志 : 大河出演を決めた心境明かす 「勇気が必要だった」
秋田
医学の道究める姿描く わらび座ミュージカル「幕末ガール」
劇団わらび座のミュージカル「幕末ガール」の公演が13日、仙北市田沢湖のわらび劇場で始まった。ドイツ人医師シーボルト(1796〜1866年)の娘で、幕末から明治の激動期を生き抜いた産科女医・楠本イネの人生を描いた作品。
2部構成。異人の娘に生まれた境遇や偏見にめげず、シーボルトの弟子・二宮敬作や、後に大村益次郎となる村田蔵六と出会い、命の尊さを学びながら医学の道を究めていく姿を、晩年のイネが回想する形で展開していく。
公演は6月9日まで(休演日あり)。問い合わせはわらび劇場TEL0187・44・3939
福島
「八重の時代」に理解 若松・鶴ケ城で幕末テーマに企画展
NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公で、会津出身の新島八重が生きた会津藩の「幕末」をテーマにした企画展示「会津人戊辰戦争のまえとあと」第1期は12日、会津若松市の鶴ケ城天守閣で始まり、観光客が“幕末の会津”に理解を深めている。同市観光公社の主催。
第1期では、天守閣郷土博物館や同志社大が所蔵する書など38点を展示。会津の女性を紹介する展示では、新島八重の掛け軸や名刺、手記をはじめ、松平照や山川二葉らの直筆の書などが並ぶ。展示からは、武器を手に戦い、籠城戦で男を支え、明治期に活躍した会津女性の強さがうかがえる。展示品を眺めた来場者は「立派な文字に気品を感じた。会津への興味が強くなった」と話していた。第1期は5月15日まで。
同展は、戊辰戦争の関係資料を紹介する企画展のメーン企画で第4期まで続く。期日は9月9日まで。第2期は「白虎隊」、第3期は「藩主を支えた重臣」、第4期は「会津藩公用人手代木直右衛門伝来品など」。特に第4期では東日本初公開となる貴重な資料が並ぶ。紙芝居「新島八重物語」の上演や、パネル展「会津藩と新島八重」も同時開催している。
(2013年4月13日 福島民友トピックス)
会津藩から17歳で渡米 「おけい」の志学び、未来開け
144年前、戊辰戦争で敗れた会津藩から米国に渡った移民の女性「おけい」を縁に、同国で東北の若者に東日本大震災の教訓を語ってもらう企画を米自然保護団体が進めている。関係者は「おけいの勇気を学んで未来へのばねとし、復興を国内外で語り継いでほしい」と期待する。
おけいは17歳だった1869年、農園開拓を志した会津藩士二十数人とともに渡米した。会津藩の鉄砲指南役だったプロシア人宅で子守をして働いたが、開拓は2年で挫折。おけいは病を患い、71年に19歳で異境の地に没した。
招待企画に取り組むのは、カリフォルニア州の日系移民でつくるアメリカンリバー自然保護団体(ARC)。3年前、会津藩士が入植した土地110ヘクタールを購入した。おけいの墓を保護しながら毎年5月、「若松コロニー祭」を開いている。
今回は震災支援の一環として5月16~20日、東北在住の17~20歳の1人を招待する。期間中、現地の高校で震災体験を英語でスピーチしてもらうほか、コロニー祭に参加し、会津藩士やおけいの足跡を学んでもらう。
ARCのメンバーで、元バンクーバー公立高校日本語学科教師の山根洋子さん=岡山県出身=は「おけいさんの精神と、復興に懸命に立ち向かう姿勢を風化させることなく、世界で語り継いでほしい」と話す。
交通費やホームステイ滞在費はARCが負担。震災体験や復興に対する考え、おけいについて調べたことを400字程度にまとめ、電子メールで送る。締め切りは15日。
旅館業を通して会津のファンを増やしたい。くつろぎ宿 新滝・千代滝 女将・佐原香織(後編)
老舗の看板にも評価にも甘えず常にさらなる上を目指していく
会津藩主松平容保公ゆかりの温泉や、新撰組の土方歳三が戊辰戦争の傷を癒した温泉を有し、明治・大正時代には竹久夢二が逗留、与謝野晶子も訪れた歴史ある旅館。居心地の良さ、料理の上質さ、配慮の行き届いたもてなしには定評がある。
「ものづくりチーム」による第一号、新滝のダイニング「遊仙」。
「じゃらんnet」で3年連続「東北エリア売れた宿ランキング」の1位受賞、「楽天トラベルアワード2012 東北エリア・レジャー部門」で、新滝が銀賞、千代滝が敢闘賞のW受賞という快挙を果たしたのも、歴史ある老舗旅館の看板に甘えることなく、日々、切磋琢磨してきた結果だろう。
「評価されることはたいへん嬉しいです。でも、どれほど評価を得ようとも、常にさらなる上を目指していかねばと思うのです。今年は大河ドラマ『八重の桜』の影響で、お客さまも増えていますが、自分たちの軸足を太くしていき、次につなげることが大切だと考えています」
震災後、修学旅行などの団体客が戻っていないものの、一般客はほぼ戻りつつある。数日間の滞在や、何度も訪れるリピーターも増えてきた。
「私たちは旅館業を通して会津のファンづくりをしたいんです。会津をよく知っていただくことを一番のポリシーにしています。だから、どこでもあるようなことはしません。例えば温泉旅館のお料理というと、判で押したようにお刺身と天ぷらが出ます。でも当館では、あくまでも会津にこだわり、手づくりにこだわっています」
千代滝ないる和風ダイニング「本丸 鶴城」が「ものづくりチーム」の第2号となった。
地元の旬の食材をふんだんに、会津の伝統料理を取り入れた創作郷土料理は、旅人の旅情をも満たす。地酒と供に食せば、会津の伝統そのものをいただいているような気分になれる。「ふるさと」というものは単に生まれ故郷というだけでなく、その土地の風土をもってあたたかくもてなしてくれる場所でもあるのかもしれない。そこには何にも代えがたい「くつろぎ」がある。
「評価が上がってくるとお客さまのレベルもあがります。その対応のための勉強もさらに重ねなければなりません。会津へのこだわりもさらに明確化していきたい。課題は山ほどありますが、ひとつひとつ確実に乗りこえて、当館の魅力としていきたいですね」
震災時、「くつろぎ宿」に非難していた大熊町の人々は、今では宿泊客となって、何度となく訪れる。特別な思いをスタッフと共有した大熊町の人々にとって、忘れがたい宿であることは確かだ。
誰にとっても、そんな旅館となること。「くつろぎ宿 新滝・千代滝」は、さらなる高みを目指す。
神奈川
<新島八重>望郷の思い切々 自筆和歌見つかる
同志社大の創立者・新島襄の妻、八重(1845~1932)が最晩年に会津若松(福島県)に里帰りした際に詠んだ自筆の和歌2首が、神奈川県二宮町の徳富蘇峰記念館で見つかった。明治維新後に会津を離れ、亡くなるまで約60年を京都で過ごした八重は、NHK大河ドラマ「八重の桜」で描かれているように戊辰戦争を戦った勇ましいイメージがあるが、和歌は古里への思いを切々と詠んでいる。研究者は「八重の直筆の和歌は現存するものが少なく、価値がある」と評価している。
【写真特集】「八重の桜」1~3話の場面写真
同館が今年1月、資料を整理中に見つけた。B4判大の半紙1枚に墨で書かれていた。
若松のわが古郷(ふるさと)に来てみれば さき立(つ)ものはなみだなりけり
たらちねの御墓のあとをとふことも 今日をかぎりとなくほとゝぎす
半紙を入れた封筒には、親交のあったジャーナリスト、徳富蘇峰(1863~1957)が赤鉛筆で「昭和五年初夏 新島未亡人和歌」と記している。
1930(昭和5)年4月、84歳の八重は、実家の墓参のため会津若松を訪問。最後の里帰りとの思いがあったのか、到着するなり涙を流し、墓前でいつまでも別れを惜しんだという。2首は、その時の古里や親(たらちね)への敬慕の心情を詠んだもので、同年発行された同志社の同窓会報にも掲載された。
蘇峰は同大の前身、同志社英学校に学んだ新島の教え子。学生時代の蘇峰は、勝ち気で進歩的な振る舞いを見せる八重を快く思わず「日本ともつかず、西洋ともつかず、所謂(いわゆ)る鵺(ぬえ)の如き形をなしてをり」(蘇峰自伝)と批判するなど、関係は良くなかった。
しかし、新島が1890年に亡くなる間際、蘇峰は八重と和解。その後、八重を物心両面で支援する理解者となった。
同館の塩崎信彦学芸員は「気心の知れた蘇峰に自作の和歌を見せ、帰郷を果たした感慨を伝えたかったのではないか」と推測する。
八重の生涯をまとめた著書があり、同館の依頼で八重の直筆と鑑定した同志社女子大の吉海直人教授(国文学)は「八重の生涯を深く知る蘇峰が大切に保管していたのだろう」と話している。
【五十嵐和大】
新島八重:郷愁切々と 晩年の和歌、神奈川で発見
◇若松のわが古郷に来てみれば さき立ものはなみだなりけり
同志社大の創立者・新島襄の妻、八重(1845〜1932年)が最晩年に会津若松(福島県)に里帰りした際に詠んだ自筆の和歌2首が、神奈川県二宮町の徳富蘇峰記念館で見つかった。明治維新後に会津を離れ、亡くなるまで約60年を京都で過ごした八重は、NHK大河ドラマ「八重の桜」で描かれているように戊辰戦争を戦った勇ましいイメージがあるが、古里への思いを切々と歌った作品で、研究者は「八重の直筆の和歌は現存するものが少なく、価値がある」と評価している。【五十嵐和大】
同館が今年1月、資料を整理中に見つけた。B4判大の半紙1枚に墨で書かれていた。
若松のわが古郷(ふるさと)に来てみれば さき立(つ)ものはなみだなりけり
たらちねの御墓のあとをとふことも 今日をかぎりとなくほとゝぎす
半紙を入れた封筒には、親交のあったジャーナリスト、徳富蘇峰(1863〜1957年)が赤鉛筆で「昭和五年初夏 新島未亡人和歌」と記している。
1930(昭和5)年4月、84歳の八重は、実家の墓参のため会津若松を訪問。最後の里帰りとの思いがあったのか、到着するなり涙を流し、墓前でいつまでも別れを惜しんだという。
2首は、その時の古里や親(たらちね)への敬慕の心情を詠んだもので、同年発行された同志社の同窓会報にも掲載された。
蘇峰は同大の前身、同志社英学校に学んだ新島の教え子。学生時代の蘇峰は、勝ち気で進歩的な振る舞いを見せる八重を快く思わず「日本ともつかず、西洋ともつかず、所謂(いわゆ)る鵺(ぬえ)の如き形をなしてをり」(蘇峰自伝)と批判するなど、関係は良くなかった。
しかし、新島が1890年に亡くなる間際、蘇峰は八重と和解。その後、八重を物心両面で支援する理解者となった。
同館の塩崎信彦学芸員は「気心の知れた蘇峰に自作の和歌を見せ、帰郷を果たした感慨を伝えたかったのではないか」と推測する。
八重の生涯をまとめた著書があり、同館の依頼で八重の直筆と鑑定した同志社女子大の吉海直人教授(国文学)は「八重の生涯を深く知る蘇峰が大切に保管していたのだろう」と話している。
京都
幕末の長岡京 浮き彫り 市立図書館で企画展
幕末の動乱期における京都府長岡京市域での出来事を紹介する企画展が、同市天神の市立図書館で開かれている。集落を荒らす浪士への注意を促す高札や幕府と対立する長州藩の手勢が光明寺(同市粟生)に陣を敷いた記録など貴重な資料が展示されている。
NHK大河ドラマ「八重の桜」の放映に合わせ、同じ時代で今からちょうど150年前にあたる1863年前後の資料を選んだ。
伏見宮家が所領した下海印寺村(現在の長岡京市下海印寺地域)に掲げた高札は、浪士が金銭を要求したり、タケノコやマツタケを乱獲するなどの乱暴を働いているとして、実際に出会った場合は報告するよう求めている。
光明寺の僧が記した「光明寺雑記」には入洛した将軍徳川家茂への面会を申し入れて許可されたことや、幕府と長州藩が戦った禁門の変に際して同藩の部隊が光明寺に陣取ったなどの内容が見える。
「友岡村御触(おふれ)状写帳(じょううつしちょう)」は、第一次長州征伐に向かう幕府軍が淀(京都市伏見区)に立ち寄った際、友岡村(現在の長岡京市友岡地域)に炊き出しを命じたことが記されている。
6月末まで。5月14日に展示資料を入れ替える。
エンターテインメント
大河視聴率 今季最低11・7%危険水域
7日に放送されたNHK大河ドラマ「八重の桜・第14話」の視聴率が、関東地区で今年最低の11・7%(前週比2・6ポイント減)だったことが8日、ビデオリサーチの調べで分かった。
同作は幕末の会津藩砲術指南の家に生まれ、1868年の戊辰戦争時にはスペンサー銃を手に新政府軍と戦い“幕末のジャンヌ・ダルク”と呼ばれた山本八重の物語。今年1月6日に視聴率21・4%で好スタートを切ったが、以降は徐々に数字を落とし、ここ5回は15%以下に低迷している。
7日の同時間帯の他局番組は日本テレビ「日テレ系人気番組No.1決定戦」の13・8%がトップだった。
降谷建志 : 大河出演を決めた心境明かす 「勇気が必要だった」
ミクスチャーロックバンド「Dragon Ash」の降谷建志さんがNHK大河ドラマ「八重の桜」で、新選組の斎藤一役として本格的な俳優に初挑戦している。出演を決めた心境を、「14歳くらいからロックバンドをやっていて、20年、これしかやっていない。バンドマンが世界一カッコいいと思っている。今までかたくなに(ほかのことを)やらなかった。もともとテレビに出ないことを美徳にしているので、(出演には)勇気が必要だった」と語る降谷さんにドラマへの思いを聞いた。(毎日新聞デジタル)
「八重の桜」は、福島県出身で戊辰(ぼしん)戦争の落日、会津の鶴ケ城に500人の女たちと立てこもり、銃を持って戦ったことから“幕末のジャンヌ・ダルク”と呼ばれ、のちに同志社を創設した新島襄(オダギリジョーさん)の妻となる八重(綾瀬はるかさん)の生涯を描く。降谷さんが演じる斎藤一は、新選組三番隊組長で「局中一、二の剣客」と記した資料もあるほどの剣の使い手。新選組を率いて会津戦争に加わり、維新後、八重の幼なじみ・高木時尾(貫地谷しほりさん)と結婚。警視庁に入り、西南戦争にも従軍。晩年は東京女子師範学校の庶務係兼会計係となる。
降谷さんは、内藤愼介エグゼクティブプロデューサーからオファーを受けた際、最初は「人生、初めての寝耳に水」と驚いたという。出演を決めた理由として、ドラマが東日本大震災の被災地である福島県を舞台にしていることを挙げ、「大河ドラマの舞台になると観光など大きなお金が動くと聞いて、(自分が出演することで)100円でも1000円でも上乗せできるのなら……と思ったら、『ノー』という度胸がなかった」と当時の思いを振り返る。
降谷さんは、内藤プロデューサーからドラマに登場する斎藤一について「カミソリみたいに触るものを傷つけてきた男が、愛する女性と出会って変わっていく」と説明されたといい、「結婚して、子どもができて……というのは男にとっては階段。自分もそうなれたらと思う」と自身と重なるところがあったようだ。さらに、斎藤一への思いを「(04年放送の大河ドラマ)『新選組!』でオダギリジョーさんが斎藤を演じていたのを見ていたのと、『るろ剣』(斎藤が登場する「マンガ『るろうに剣心』)世代なので、そのイメージ。自分も仲間と群れて行動しているので、新選組にシンパシーを感じる」と語る。
共演者には「17歳くらいのときにお話ししたことがある」という木戸孝允役の及川光博さん、「レジェンド。カッコいいし、メチャクチャうまい」と尊敬する西郷隆盛役の吉川晃司さんといったミュージシャンの顔を持つ人物も名を連ねる。撮影現場では、吉川さんに「こういうの初めて?」「(ドラマに)出ちゃうんだ?」などと声を掛けられたこともあるといい、「バンドマンはバンドマンに優しいですよ」とうれしそうに話す。
「ルーキーですから、セットにいるだけで楽しいし、誰よりも一生懸命やっているつもり」とフレッシュな気持ちで撮影に 臨んでいる降谷さん。現在は、ドラマの撮影を1週間行った後、音楽制作に1週間費やす……という日々を過ごしているという。「(音楽制作の)スタジオワークってこんなに孤独だったんだ……と思った。それを感じるようになったのがデメリットかな? 20年間、ロックから片時も離れたことがなかったし、器用なタイプではないけど、盲目的にまい進しています」と撮影に音楽に前向きに語っていた。
NHK大河ドラマ「八重の桜」はNHK総合テレビで毎週日曜午後8時から放送中。
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