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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 八王子郷土資料館に特別展示を見に行った時に購入。

八王子郷土資料館 図書の販売
ブックレット『千人のさむらいたち~八王子千人同心~』監修 村上直(八王子郷土資料館)
千人同心は、八王子を本拠地とした江戸幕府の家臣団です。
その成り立ちから解体までを簡潔に記述した千人同心の概説書です。
難解な用語には頭注をつけ、写真や図表も多く盛り込んで読みやすくなっています。

A5版・126ページ・口絵カラー
価格1000円


 先日読んだ『江戸幕府八王子千人同心』に比べてコンパクト、口語体で書かれていてわかりやすく、八王子千人同心の概要や通史を知る目的ならこちらのブックレットで十分。

 以下、『江戸幕府八王子千人同心』読書メモの補完も兼ねた読書メモ。

・八王子千人同心の身分や職務について、補完
 千人同心は、10人の頭に1000人の同心という形態になってわけであるが、恒常的に幕臣としての地位を有していたのは頭だけであって、組頭以下の同心たちは、任務に就くときだけ武士としての身分が与えられた。

 「千人」同心とはいえ、同心の実数は500人に及ばないくらい。また、頭も創設時は9人、時代の変遷とともに改易・絶家や分家など数は前後して、幕末には9人だった。
 千人頭たちはいわば常雇い。
 幕臣として知行地を与えられていた千人頭たちに隊士、一般の同心たちは八王子周辺の村に居住して、ある特定の時期だけ同心としての役割を担っていた。

 同心たちは、公務に就く時だけ武士身分として扱われた。
 ……ふっと、新選組の組織のつくり方について、千人同心と比較すると多くの共通点が見出されるのではないかと思った。直感的には、禁門の変に出動した時の組織編成が千人同心の公務の組織編成に近いという気がする。

・八王子千人同心の蝦夷移住
 前回の読書メモには特記しなかったが、寛政年間、ロシアの南下政策を意識して幕府直轄地となった蝦夷地に、まさしく屯田兵(リンク先はwikipedia)の先駆けのような形で、八王子千人同心の一部とその家族が勇払(現・苫小牧市、リンク先は苫小牧市「八王子千人同心顕彰碑」紹介)・白糠(現・北海道白糠町、リンク先は白糠町「八王子千人同心頭 原半左衛門」紹介)に入植した。
 約4年の開拓は厳しい自然との闘いの連続だった。文化元年(1804)年3月の段階で、蝦夷地に渡った130人のうち、死者は移住者全体の4分の1に達する32人。その主な原因は野菜不足による壊血病・浮腫、次が寒さによるもの。
 残留者のうち26人は白糠に残ったが、一部は箱館や鵡川などに転居、19人は帰国……と、挫折といっていい。
 しかし安政年間にも八王子千人同心の一部家族が蝦夷地に移住し、うち、箱館近郊の七重村に移住した者たちは養蚕・織物で一定の成功をみた。
 こうして蝦夷地に残った八王子千人同心の子孫たちの一部は、榎本武揚率いる旧幕府脱走軍が蝦夷地を占領した時、抵抗・スパイ活動をしたり、新政府軍に編成されたりしている。つまり、多摩出身で旧幕府脱走軍の土方さんや中島登さんと敵対し、戦った……歴史の皮肉だなぁ。

・松本斗機蔵 補足
 最上徳内と交流する前に、そもそもなぜ蝦夷地に関心があったのか、だが。
 寛政12年(1800)には、千人頭原半左衛門が同心の子弟100名を率い、開拓と防衛の任を帯びて蝦夷地に渡っています。同時に、江戸霊巌島に、実務を担当する蝦夷地御用江戸掛として組頭五人が置かれ、斗機蔵の父胤保も文化2年(1805)までの6年間勤めました。この時期早くも斗機蔵は、蝦夷地の諸情報を身近に受け取る環境にあったと思われます。

 なるほど。
 前回「浦賀奉行として赴任するはずだった」と書いたけど、訂正。
 天保12年、斗機蔵は浦賀奉行の与力として赴任直前、9月19日病没しました。

 中島三郎助さんと同輩になる予定だったのね。

・品川台場と多摩八王子
 坦庵公こと江川英龍様が築造した品川台場に、ちょこっと関係。
 台場は11基計画され、そのうち第5、第6番台場の松丸太9900本の切り出しが多摩郡鑓水村《やりみずむら》(現・八王子鑓水)に命じられた。現在東京都史跡公園として保存されている(お台場)。第6番台場の土台には、今も鑓水村から切り出された松丸太が、海底で台場を支えている。

 第六台場は立ち入り禁止で野鳥のパラダイスになっているのだが、その海底で支えているのね。

・八王子千人同心と洋式軍隊化
 ここで、多摩を含む広い天領を預かっていた江川家の「江川塾」が出てこないはずがないと思っていたが……ビンゴ!
 (中略)千人同心が近代化された軍隊への一歩を歩み始めるのは、安政2年(1855)、老中阿部正弘から西洋銃の修行を命じられてからのことである。その命を受け、幕臣家臣団が正式に発足する前の芝新銭座(芝新銭座大小砲修練場)に入門していった。安政2年9月の従士組《かちぐみ》の入門を皮切りに、小十人《こじゅうにん》組、小姓組、書院番などがつぎつぎに入門し、千人同心も安政3年(1856)3月、各組から一人ずつ選ばれた組頭9名が新銭座の門をたたいた。6月まで、一通りの訓練を受け、帰郷している。帰郷するとこの9名を教示型手伝いとし、9組から同心42名が選ばれ高嶋流砲術が調練された。

 芝新銭座の修練場とは、安政2年に江川英龍が病没して直後、代官職と太郎左衛門を引き継いだ江川英敏が幕府から拝領した土地に開いた西洋式砲術の調練場(別名「縄武館」)。この調練場を実質的に切り盛りしていたのは、代官手代の柏木総蔵(柏木忠俊、明治維新後に足柄県令)だったといわれている。
 ちなみに成績。
 千人同心の新銭座への入門者の中で、免許皆伝まで至った者は3名であることから、入門期間の制限など考慮しなければならない条件もあるかと思われるが、洋式銃の訓練はかなり苛酷であったと予想される。ちなみに、千人同心と同時期に新銭座へ入門した他の幕臣たちの場合をみてみると、小十人組230人中、最初に伝授される目録以上に達したものは53名で、その割合は四分の一、従士組に至っては10分の1という成績であった。これらの数字をみる限りにおいては、千人同心の習得ぶりは江戸の幕臣をも凌ぐものであった。そのような状況中で、千人頭の河野仲次郎の成績は抜きん出たもので、着発弾の伝授を受けている。この着発弾の伝授は免許皆伝の者にのみ許された高度なもので、当時の砲術に関する最高の知識と技術を修得していたといわれている。

 後の日野農兵隊が誰から調練を受けていたかが気になっていたのだが……八王子千人同心の子弟が江川塾で洋式軍隊の調練を受けていたことは、関係あるんじゃないかな?

・第二次長州征討に参加した八王子千人同心
 帰国時に温泉や名所旧跡をまわったという記述を読んで、「うーん、この時の幕府軍の為体《ていたらく》とシンクロしてる(汗)」と思っていたのだが……やはり近代戦の走りだけあって、戦線に立たされた者には苛酷だったようだ(ごめんなさいm(__)m)。
 頭4名、同心400名に目付支配に組み込まれた旗指方の同心32名を加えると総勢436名の出張であった。

 で……。
 しかし、その代償として砲術方79名にも及ぶ「従軍中に病死または病気療養中による国元送還などによって4人に1人が戦線を離脱」(『同心史』)していった事実が伝えられる。「武」の代償は余りにも大きなものであった。
 こうした長州征討の間においても八王子に残った千人同心たちは休む間もなく役務をこなしている。定番である日光勤番、武州一揆への対応、第二次横浜警衛など、幕府の威信回復への道程の中でその歩みを進めていた。しかし歴史の潮流は皮肉にも幕府の崩壊へと突き進んでいくのである。

 八王子千人同心と新選組は、歴史の表舞台に立ったら途端に幕府の崩壊に直面したという意味で、やはりシンクロしているなぁ……。





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