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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 5月26日の記事では「だくだく」について一言書いただけで沈没しました……雷は落ちなかったが、雨はけっこう強くて肌寒い夜でした。


市也「たらちね」
 時間の関係で八五郎が「自らことの姓名は、父は元京都の産にして、姓は安藤、名は慶三、字を五光。母は千代女(ちよじょ)と申せしが、わが母三十三歳の折、ある夜丹頂の鶴を夢見て妾(わらわ)を孕めるが故、垂乳根の胎内を出でしときは鶴女(つるじょ)。鶴女と申せしが、それは幼名、成長の後これを改め、清女(きよじょ)と申し侍るなり……チーン、親戚の方からどうぞご焼香を」でサゲ。
 「あーら我が君」も聴きたかったなぁ。

市馬「子ほめ」
 新聞記事では「久しぶりだと思うネタをやってみたい」と言われていたけど、前座噺ですか。前座噺を真打ちがかけるとこんなに面白くなるというお手本のような「子ほめ」。
 ひとつだけツッコミ……竹さんの赤ちゃんの隣で昼寝してる爺さんがメガネかけてるって(苦笑)。昼寝する時ふつうはメガネ外しますよね。鼻ヒゲってけっこうダンディなお爺ちゃん。 

市楽「稽古つれづれ」
 今日になって5分上がれと師匠に言われたのだそうな。
 師匠の「子ほめ」は寄席ではたぶん一回しか聴いていないそうで。自分に稽古をつけてくれた時のこと、録音させてもらったのだけど、途中で宅配便が届いたり何だと中断が入り、また師匠も久しぶりのネタだったので途中で飛んでしまったり。「あ、俺、ばかだな」と呟いた師匠に、一楽さんが弟子の習い性で師匠を持ち上げるつもりで「そうですね」と言ってしまったところがテープに残っているのだそうです(笑)。
 稽古つながりで、入船亭扇橋師匠に稽古をつけていただいた時のこと。扇橋師匠の真似をしながら、何だかんだと前置きや雑談が「30分ぐらい入ってしまった」とか。
 で、稽古つながり話題ということで、川柳川柳師匠に話題が。「いや、噺の稽古に伺ったわけではなくて」と前置きに爆笑。お酒の席で市馬師匠にあまり辛い目にあわされたことがないと聞いて、川柳師匠が「よし、これから俺が地獄を見せてやる!」と宣言……師匠は『ゲッターロボ』の早乙女博士ですか(師匠には通じないツッコミだな^_^;)。
 で、酔っぱらった川柳師匠を家までオクラされたのが、地獄を見せられたことだった、とオチ。
 雑談だけだったけど、師匠方のこういうエピソードって面白いので、面白かったです。

 
市馬「だくだく」
 マクラに扇橋師匠と川柳師匠の出身地と少年時代の噺をちょっぴり。扇橋師匠は東京だけど青梅で八王子からさらに汽車で入ったようなところ。川柳師匠はさらにもっと奥の(埼玉県秩父郡)横瀬村で、青梅まで片道2時間半かけて歩いて汽車を見に行くようなところ。川柳師匠は柿の木に登って軍歌を歌っていたという。
 さらに、枕は小さんが空き巣被害に遭ったというエピソード。当時、落語家は貧乏というのが常識であったから「落語家の家に空き巣に入るなんて」と新聞や雑誌で取り上げられたそうだ。現金その他多少被害があったが、女将さんの宝石も含めて被害総額「八百万円」と報道されたのは、小さんの見栄も少し入っていたのではないか。ちなみに弟子はまず一番怪しいからと警察署で全員指紋を取られた。今でも警察署の倉庫のどこかに保管されているんじゃないか。ちなみに、小さん(当時落語協会会長)の高座は馬生(当時副会長)、と、ここで馬生の真似がはいる。高座は「穴どろ」だったと、粋だねぇ。
 「だくだく」大好きなんで、大好きな市馬師のライブで見られて嬉しい。
 八五郎と絵師の冒頭の会話で「人にものを頼むなら世辞のひとつも云え」となって、さっきやった「子ほめ」の場面をちょっと重ねてみせる、というくすぐりが楽しい。
 絵師の仕草がダイナミックで、壁に金庫やらタンスやらが描かれていく様子にo(^-^)oワクワクしてしまう。長火鉢の上に載った鉄瓶から出てくる湯気がさびしいので「しゅー」と横に文字を書いてくれとか、欠伸をしている猫のとなりに「たま」と名前を書くとか、こういうバカバカしいくすぐりが面白いんだよね。
 泥棒と八五郎の「つもり」合戦は、爆笑に次ぐ爆笑の連続。仕草が大きい市馬師匠のダイナミックな格闘(の、つもり)に笑いが止まらず、酸欠気味で休憩……はぁはぁ。

中入り

二女囃子「吹き寄せ」
 明治の実業家にして政治家、戯曲も音曲も小説もつくったという文化人の益田太郎冠者が全国の花街を遊び歩いてつくった端唄「所変われば」。
 名古屋、上方(京都)、長崎、鹿児島、仙台、江戸の芸者さん言葉と土地の端唄を披露するという、それぞれのお国言葉が楽しい作品。
 ……で、江戸では我らが市馬師匠が「赤城の子守歌」を聴かせるという設定(笑)。やんややんや。

市馬「佃祭」
 そろそろ聴きたかったネタなので、市馬師匠版で聴けて嬉しい。「情けは人のためならず」という言葉の解説、それから昔は病気に関連する願掛けがいくつかあって歯痛は梨の実に痛いところを描いて、橋の上から西を向いて梨を投げるという願掛けがあったとか。
 祭り好きの小間物屋次郎兵衛が佃島の祭り見物に行き、神田にもどろうと仕舞い舟に乗ろうとしたところを袖を引き留める婦人がいて、乗れなかった。ご婦人は、5年前の娘時代に商家に奉公していて何らかのしくじりをしたために吾妻橋から身投げしようとしたところを次郎兵衛に止められ、三両持たされて助かったものだと説明。仕舞い舟に乗り損なった次郎兵衛を、今の亭主が船頭だからいつでも舟を出すからと家に案内し供応する。
 そこにもどってきた船頭の亭主が、仕舞い舟が座礁して船頭始め客はひとり残らず溺死したと伝える。では、この女房に引き留められなかったら自分も土左衛門になっていたかと、かつての人助けが回り回って自分の命拾いに繋がったと喜ぶ。
 一方、治郎兵衛宅では主人が戻らず、仕舞い舟の沈没も伝わり、これは死んだに違いないと早手回しに葬儀が始まってしまう。
 葬儀の途中に帰宅したご本人が登場し、長屋のみんなが「じじじじじじ……」と二の句が継げない(笑)。念仏を途中でやめた和尚さんが「情けは人のためならず」と説教してお開きに。
 これを聴いた与太郎が、身投げを止めたら自分にいいことが来ると信じて毎日橋のたもとで身投げを待ち受ける(苦笑)。らしき婦人があらわれたっとばかり止めにかかるが、身投げでなく、梨の実を投げにきただけだった……というオチ。

 人によってはクサクなりがちな人情噺を、あまり小細工せずに気持ちよく描くという作品。今日も幸せな一時をありがとうございます、師匠。














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