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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日の幕末ニュースから、土方さん関係の記事だけ独立させました(笑)。

 まずは栃木県から、土方さんが傷を癒したと口伝が残る川治温泉の話題です。

栃木
鬼怒川・川治温泉ブランド戦略委:パック旅行に文化財・旧跡 /栃木
◇若手経営者ら開発中、まず旧藤原町で史実・口伝集め
 鬼怒川・川治温泉の旅館・ホテルの若手経営者や後継者らが温泉街活性化を目指して設立した「鬼怒川・川治温泉ブランド戦略委員会」(小野吉正会長)が、文化財・名所旧跡など「地元の良さ」を組み込んだ旅行商品の開発に乗り出した。メンバー17人がすでに、ふるさとの魅力を再発見するための視察を始めている。
 同委員会が商品化の検討にまず着手したのは、旧藤原町。同町は日光に隣接し、会津藩と宇都宮藩との境だったこともあり、珍しい道祖神や慈眼寺の木造十一面観音菩薩立像などがある。
 またイギリスの女性旅行家、イザベラ・バードが藤原を通り東北地方に向かったことが「日本奥地紀行」で紹介されているほか、新選組副長の土方歳三が宇都宮の戦いで負った傷を川治温泉で癒やしたと伝えられているなど口伝も多い。


 何と、川治温泉にも「土方歳三湯治」の口伝が残っているんですか(^^)。これは初耳。

 ちなみに検索してみたら、川治温泉の旅籠世話人ブログの下記記事がヒットしました。
幕末の川治温泉
 幕末の長州戦争から函館五稜郭の戦いを題材にした「野口武彦」著作の「幕末不戦派軍記」のなかで鬼怒川川治を含む藤原の戦いの中に新撰組の土方歳三が登場してますが、言い伝えでは宇都宮の戦いで足を負傷した歳三が日光から会津に行く途中川治温泉で数日間湯治をしたと言われております、その頃鬼怒川温泉付近は戦場でした。

 野口武彦『幕末不戦派軍記』はフィクションなので(苦笑)要注意ですが、口伝のお話は別でしょう。

 川治温泉の女将ブログにも以下の記事があります。
川治温泉の歴史
 風雲急を告げる幕末、新撰組を率いる近藤勇が官軍に捕らわれてから土方歳三は宇都宮城に入り官軍を迎え撃ったが流れ弾が左足を貫き仲間に担がれて日光に逃げましたがそこも危なくなり大笹を越え会津に向かう途中、川治の薬師の湯で傷を癒したと伝えられております。

 入湯逗留の記録がどこかに残っていたらいいなぁ……。

おまけ・東山温泉
 ちなみに、会津の東山温泉で土方さんが逗留した可能性が高いといわれているのは不動滝ですが、名称変更して「くつろぎ宿 新滝別館(不動滝)」となっている模様です。
 そして、新滝の温泉説明にはこんな案内文が。
 古くは川の脇の素朴な湯治場として会津藩士に親しまれました。
 戊辰戦争の折には療養中の土方歳三も訪れ、当時の岩風呂から川に飛び込んだという逸話が伝えられています。

 ひゃー、「岩風呂から川に飛び込む」土方歳三! 全国の女性ファンの熱意にガソリンをぶちまけるようなネタじゃありませんか(笑)……白牡丹も、今夜は簡単に寝付けそうにありません(爆)。

 ちなみに、こんなコラムがあります。
東山温泉 歴史秘話: 土方歳三が湯治をした浴場跡
東山温泉は1200年ほど前、僧侶の行基が発見したという、温泉地によくある伝説を持つが、歴史ファンにとっては、新選組副長・土方歳三が湯治に訪れたことで興味深い場所であろう。

慶応4年(1868)3月、下総流山で近藤勇と別れた土方歳三は、残った新選組隊士を率いて宇都宮での合戦に参加し、足を負傷してしまう。敗戦後は会津に向かい、4月下旬に若松城下へ到着。七日町の市街地にあった『清水屋旅館』(現在は大東銀行になっている)に投宿した。そこで医師の治療を受けるが、土方の足の傷は思いのほか深く、『天寧温泉』(現在の東山温泉)に通って療養につとめることとなった。

さて、その東山温泉には「土方が入ったとされる源泉地」が複数存在する。まず、現在の『旅館向瀧』の前身は【きつね湯】と称し、会津藩士の保養所だったという歴史を持つので、土方が藩の勧めによって、ここの敷地内で入湯した可能性がある。次に、これまた会津藩の共同湯があったとされる【瀧の湯】の場所には、現在『庄助の宿・瀧の湯』という旅館が建っている。『清水屋旅館』があった会津市街から東山温泉までは、徒歩で歩くとかなりの距離がある。足の傷のことを思えば、土方が訪れたのは市街地から最も近い位置にある【瀧の湯】だったとも考えられる。

東山温泉で最も古い3つの源泉(猿の湯、こがの湯、不動湯)を所有する『不動滝旅館』では、土方が入ったとされる【猿の湯】(上写真)を公開している。この湯は、昔は浴場として利用されていたが、設備上の理由から現在は使用せず、保存公開するだけに留めているという。手を入れてみるとややぬるく、源泉の温度は38度だそうだ。『不動滝旅館』専務の佐藤功武さんによれば、「幕末当時に浴場があったのはここだけ」という。明治初期の頃の写真や絵図を見せてもらうと、それらしい建物の存在が確認できるのは確かにここだけだ。さらに、土方は治癒後のリハビリに【猿の湯】の前にある川で泳いだというが、昭和初期の頃まで実際に河原に下りて泳いだり、洗濯をする人々の姿が多く見られたらしい。川の流れは明治時代からずっと変わっていないから、充分に信憑性のある話といえる。

ただ、この頃の土方に関する記録はほとんど残っていないので、はたしてどれが正しいのかは今ひとつハッキリしない。しかし、彼が東山温泉を訪れた事だけは確かである。土方は会津に滞在中、近藤勇が板橋で処刑されたことを知り、温泉近くの『天寧寺』に墓を建てた。一説によると、この墓には近藤の遺髪か首が納められたという。そして8月に戦線へ復帰すると、すぐに新選組へ合流して薩長軍と交戦、援軍を求めて米沢・庄内へ向かい、やがて函館へと落ち延びていった。以後、二度と会津に戻ることはなかったが、東山温泉で過ごした数ヶ月は、彼にとって貴重な安らぎの時であったに違いない。(文・写真/上野哲弥)
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無題
by かよこ URL 2008/11/14 18:37 編集
白牡丹さん
素敵なネタのご紹介、ありがとうございました(爆)
リンク(一つ前の記事も)&TBさせていただきました。
蛙みたいな土方さん。
新選組を斎藤さんに預けて、何やってたんでしょ~~(笑)
    
かよこさん、ツボですよね(笑)
by 白牡丹 URL 2008/11/14 18:44 編集
一足早く、かよこさんのトラックバック元記事を拝見していたところです。

このネタに反応していただける同志に捧げる言葉は、「あなたは私です」byふでさん@『新選組!』です(^^)。

> 蛙みたいな土方さん。

多摩川と浅川にはさまれた土地で生まれ育った土方さんなので、川遊びは童心に返る環境だったんじゃないかなぁと、ふと思いました。きっと、思うように歩けないという療養中のストレスを、川遊びで発散していたでしょうね^_^;。
    
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