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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 今日の幕末ニュースから一本独立させてみました。記事のタイトルは、狙ったわけじゃありませんが、『楢山節考(リンク先はWiki)』のもじりになっちゃいました^_^;。

開港当時の流行歌「野毛山節」アレンジコンテスト-にぎわい座
開港当時の流行歌「野毛山節」アレンジコンテスト-にぎわい座
 横浜市西区は3月16日、横浜にぎわい座で開港当時の流行歌「野毛山節」のアレンジコンテスト決勝大会を開催する。野毛山節は全国に伝わる「ノーエ節」のルーツとする説もあり、新たな地域音楽として全国に発信する試み。 
 野毛山節は、「ノーエ」の囃子言葉が特徴で、幕末から明治維新にかけて生まれた民謡。野毛の山から見た、異人館や外国人練兵場など、開港当時の横浜の情景をやゆ的に歌ったものとされている。ノーエ節、サイサイ節とも言われ、全国各地にそれぞれの歌詞があることでも知られている。


 気になったのは、野毛山節が元で全国にノーエ節が拡がったと読み取れる解説。野毛山節と三島農兵節、どちらが先に生まれたのかが、気になるところ。

横浜市西区のホームページより、歌詞
野毛の山からノーエ/
野毛の山からノーエ/
野毛サイサイ/
山から異人館をみれば/
鉄砲かついでノーエ/
鉄砲かついでノーエ/
お鉄砲/
サイサイ/
かついで/
小隊進め

オッピキ/
ヒャラリコ/
ノーエ/
オッピキ/
ヒャラリコ/
ノーエ/
オッピキ/
サイサイ/
ヒャラリコ/
小隊進め/
チーチーガタガッテ/
ノーエ/
チーチーガタガッテ/
ノーエ/
チーチーガ/
サイサイ/
ガタガッテ/
小隊進め


横浜市西区のホームページより、野毛山節解説。
 野毛山節は、幕末から明治維新にかけての流行歌で、「野毛の山から」見た、異人館や外国人練兵場など、開港当時の横浜の情景をやゆ的に歌ったものとされています。歌詞のはやし言葉からノーエ節、サイサイ節とも言われています。作詞者・作曲者はわかっていません。
 野毛山節(ノーエ節)は、「富士の白雪ァノーエ」の歌詞で知られる静岡県三島市の三島農兵節など、全国各地にそれぞれの歌詞があることでも知られています。野毛山節(ノーエ節)の起源については、諸説ありますが、横浜で歌われた野毛山節がノーエ節のオリジナルで、全国各地に伝わったという説もあります。


 ちなみに横浜開港は1859年。

 対して、三島農兵節。三島市のホームページから解説
 「富士の白雪ァノーエ」の文句で知られる三島農兵節の起源は比較的に新しく、その元歌は嘉永年間(1848~1854)すでに三島地方の盆踊り唄や、地唄として唄われていたとされています。 節まわしは、幕末の韮山代官江川坦庵が幕府の許可を得て調練した農兵の唄に採用したものであるといわれています。
【農兵節のルーツ】
 白滝公園内に建つ「富士の白雪の碑」には三島の民謡「農兵節」の元詞が刻まれています。「富士の白雪 朝日に溶て、三島女臈衆の化粧水」昭和7年(1932)三島水明会によって建立されました。書は平井源太郎です。
 農兵節の起源には諸説あります。幕末、韮山代官の江川英龍(坦庵公)が三島で洋式農兵調練を行った際に、長崎伝習から帰った家臣・柏木総蔵が伝えた音律が坦庵公の耳にとまり、行進曲として唄い始められたという説、三島宿の人々が当時唄っていた田草取歌が盆踊り歌に発展し、その後尻取り歌「ノーエ節」として流行したのが始まりという説、文久2年(1862)に横浜で作られた野毛山節(ノーエ節)が三島に伝わり農兵節になったという説など諸説様々ですが、いずれにしても、大正末期頃に三島で歌われていたノーエ節を洗練し、三島民謡として全国に宣伝を始めたのが平井源太郎と矢田孝之の二人でした。
 その宣伝方法は、東京・大阪などへ赴き、「農兵節」の幟を立て、源太郎は農兵指揮官の装束である韮山笠・陣羽織を着用して大・小刀を腰に差し、近在の若者達と共に農兵踊りを披露し人目を引きました。一方、昭和9年に日本コロンビアより赤坂小梅の唄でレコード化しヒットさせています。こうして「農兵節」はレコードやラジオで全国へ広まり、現在でも「三島」といえば「農兵節」といわれるほど有名になりました。


 なるほど、三島農兵節のルーツは諸説あって、江川坦庵公が手代・柏木総蔵(惣蔵とも。明治維新の時代に入って柏木忠俊と名乗り韮山県大参事を経て足柄県令になります)から聴いた節を元にしたという説もあれば、野毛山節が三島に入ったという説もあるんですね。

 いや、なんで別項立てて検証しようとしたかといえば、横浜開港後にできた野毛山節成立と、私が贔屓にしている坦庵公の農兵調練と三島農兵節の成立とでは、時代の流れが逆になるんじゃないかという気がして、気になったものですから……結局、諸説あってわからないという結論ですね(苦笑)。

 農兵節の歌詞は以下の通りです。

富士の白雪ノーエ
富士の白雪ノーエ
富士のサイサイ
白雪朝日でとける

とけて流れてノーエ
とけて流れてノーエ
とけてサイサイ
流れて三島にそそぐ

三島女郎衆はノーエ
三島女郎衆はノーエ
三島サイサイ
女郎衆は御化粧が長い

お化粧ながけりゃノーエ
お化粧ながけりゃノーエ
お化粧サイサイ
ながけりゃ御客がおこる

お客おこればノーエ
お客おこればノーエ
お客サイサイ
おこれば石の地蔵さん

石の地蔵さんはノーエ
石の地蔵さんはノーエ
石のサイサイ
地蔵さんは頭が丸い

頭丸けりゃノーエ
頭丸けりゃノーエ
頭サイサイ
丸けりゃからすが止まる

からす止まればノーエ
からす止まればノーエ
からすサイサイ
止まれば娘島田

娘島田はノーエ
娘島田はノーエ 
娘サイサイ
島田は情けでとける


 ドラマ正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』をご覧になった方は、旧幕府軍の歩兵たちが、土方さんら新選組が新政府軍の陣地から「かっぱらってきた」(本人談)酒を配ってもらって、一人一杯の酒に沸き立っている場面でご存じだと思います。

 こちらの方は政治色のない歌詞です(苦笑)。これでも軍隊の行進曲なんですが。
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