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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 おはようございます、白牡丹です。同じ新刊についてブックレビューが2本ありましたので、まとめてご紹介します。

山県有朋 愚直な権力者の生涯 伊藤之雄著 ~長い政治生命を維持した不人気指導者の実像を解明
 リンク先は『東洋経済』のサイトです。
評者 ノンフィクション作家 塩田 潮

 山県有朋元首相は軍制の父、巨大な官僚閥の頭領、元老筆頭の大物政治家だった。だが、83歳で死去した際、国葬の参列者は雨天も影響して1000人にも達しなかった(第14章)。一方、18年後に91歳で他界した西園寺公望元首相の場合は、著者の前作『元老西園寺公望』によれば、冬の寒い日なのに国葬には数万人が参列したという。
 山県は不人気指導者の代表格だった。「超保守」「権力欲と権勢欲」「権謀の政治家」「政党敵視」「軍拡の権化」「官僚支配の元祖」など、悪役のイメージがつきまとう。近現代政治史の実証的な研究で評価が高い著者が、同時代の日記や手紙など一級の第一次資料に徹底して当たるといういつもの丹念な手法で実像の解明に挑んだ。
 木戸孝允と西郷隆盛の狭間で揺れた青壮年期、旧友の伊藤博文との微妙な関係、後輩の離反と後継育成の失敗、政党政治家・原敬への晩年の信頼と期待など、紆余曲折を通して気弱さ、愚直さ、慎重さという素顔が浮かび上がる。いわば二番手リーダーながら長い政治生命を維持できた秘密はそこにあった。 
 思い込みや特定のイデオロギー、歴史観などに依拠した人物評伝を読み慣れた読者には、入念な検証によって山県の80年余の全人生を克明にたどる470ページ超の本書は、読み切るのに骨が折れるかもしれない。だが、悪役イメージのベールが一枚ずつ剥がれていき、奥に潜む等身大の姿が現れる。長編を読み切った読者だけが味わうことができる最大のお楽しみだ。
 一点だけ、本書に言及はないが、藩閥体制下で形成された山県系官僚閥が、現代まで脈々と続く中央集権的官僚支配の原型だとすれば、この本が伝える山県系官僚閥の膨張と衰退の歴史は、官僚主導体制変革のヒントになり得るのではと感じた。

いとう・ゆきお
京都大学大学院法学研究科教授。法政理論専攻。1952年福井県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。京都大学博士(文学)。確かな史料に基づいて、明治維新から現代までの政治家の伝記を執筆するのをライフワークとする。

文春新書 1365円 272ページ


真面目で几帳面、だから嫌われた~『山県有朋──愚直な権力者の生涯』
伊藤 之雄著(評者:尹 雄大)

 リンク先は日経オンラインのサイト(閲覧に会員登録が必要、無料)です。
 山県有朋は、足軽に充たない身分から明治維新の原動力となった奇兵隊の実力者、さらに日本陸軍の建設者となり、元帥の地位まで上り詰めた。また、大正11年2月、84歳で亡くなるまで政界のキングメーカーとして影響力を行使し続けた。だが、栄華を極めたはずの山県の葬儀は、実に閑散としていた。
 駐日フランス大使、ポール・クローデルは、山県の国葬を見送った後、次のように記した。
「彼の愛国主義とは、自分の主君の影響力が大なるのを見るという望みだけだったのでしょうし、彼は同胞を帝のつましい従僕であるという点でしか、愛することができなかったのでしょう。したがって、日本国民は彼に対して大きな親近感はもっていなかったことを認めなければなりません」
 一カ月前に没した大隈重信の葬儀では、大勢の人々が葬列を見送った。東京日々新聞はこう報じた。
「大隈候は国民葬。きのうふは〈民〉抜きの〈国葬〉で幄舎の中はガランドウの寂しさ」
 山県は生前から蛇蝎の如く嫌われた。その理由は、自由民権運動を弾圧し、政党政治を憎悪し続けたことに求められるだろう。
 後世の評判も悪い。軍人勅諭と教育勅語の作成により、天皇主義国家の成立に血道をあげた。軍令に関して内閣や議会の容喙を許さない統帥権の独立や帷幄上奏の慣例を敷くなど、昭和における日本軍部の暴走を許す契機をつくった。
 本書に先行し、山県の評伝を著わした作家の半藤一利氏は、山県の政治、軍への関わりを「自分の権力を拡大かつ保全たらしむるため」のものだと断罪する。

悪役の「優しさ」と「生真面目さ」
 山県は国民に愛されようなどとは思っていなかったようだ。彼は権力を愛し、70歳を越えてこう洩らした。「人間は権力から離れてはならない。それ故、自分も権力の維持に力を尽くしている」。それゆえ人々は山県を忌み嫌い、恐れた。

 本書の著者・伊藤之雄氏もまた悪評を認める。

〈長州閥・軍閥・官僚閥の巨頭であった山県は、政党政治家やジャーナリズム・国民から、政党政治やデモクラシーの妨害者としてそびえる壁とみなされた。彼は、今でも明治・大正時代の「悪役」として、申し分のない存在である〉
 従来の山県の評伝の多くは、「反動の権化のようなイメージ」を伝えるものが多い。しかし、本書はそれらが依拠しなかった、新たに公開された手紙や文書をもとに「生身の山県の声を伝える」と意気込む。
 本書が「山県の実像」に迫ろうとする中、目に付くのは、「優しさ」と「生真面目で几帳面な性格」という表現である。著者はこれらの語を繰り返す。
 たとえば、西郷隆盛を中心とした征韓論をめぐる政変だ。閣議のメンバーではない陸軍卿の山県は中立を保ったが、その政治的姿勢を著者はこう指摘する。
〈山県は権力志向の強い人間だとみなすのが、一般の理解である。しかし征韓論政変の山県の動きから、山県の西郷への「優しさ」と、軍は政府から自立しているべきだという主義にこだわりを残す生真面目さがわかる〉
 「優しさ」とは何か。山県は二度、西郷に窮境を救われていた。一度目は、徴兵制導入に際し薩摩系将校の反発を受けたとき。二度目は、山県に汚職事件の嫌疑がかけられ、軍内で突き上げられたとき。著者は、その恩義から西郷に反対せず、政争から遠ざかったことを評価しつつ、そこに「義理のみならず人情や主義に動かされ、損得を中心に考えない若さと未熟さ」を看取する。
 他方の「生真面目さ」とは、軍は政治から距離を置くべきという態度のことだ。山県は「陸軍の近代化と政治からの独立という主義や理想」を持っていた。理想を達成するには「若さと未熟さ」からの脱却が必要だった。次第に山県は「用心深く行動」し、「人脈や派閥を構築」することに勤しむようになる。
 「政治からの独立」という点で著者が特に強調するのが「シビリアン・コントロール」だ。
 著者によれば、誕生したばかりの日本政府は「イギリスに比べ、シビリアン・コントロールが不十分」であったが、不平士族による武装蜂起は、大久保利通を中心とした「シビリアン・コントロール(「文民統制」)のもとで鎮圧された」。
 さらに、明治以降の軍の研究は一次資料を軽んじたものであり、〈兵部省や陸軍省・海軍省といった軍の統率が、人事的にも戦略的にも、大久保・木戸・岩倉・伊藤らを中心に、「シビリアン・コントロール」で行われてきた事実に気づいていない〉と批判し、明治の元勲たちは後に「陸軍が政府の統御に服さなくなっていくことはまったく考えなかった」という。
 だが、評者は思う。シビリアン・コントロールとは、国民に選出された政治家が軍を統制するという概念のはずだと。明治初期、政治家とは、国民の意と関係なく権力を奪取した薩長閥のことであり、また四民平等が施行されたとはいえ、そもそも国民国家を担う意識が国民になかった。
 少なくとも大久保は「人民ニ愛国憂国ノ志乏シク」と覚めていた。欧米のような議会制民主主義を定着させるにはほど遠い。だから方途をこのように定めた。
「民主未タ取ル可カラス、君主モ亦捨ツ可カラス」
 明治6年、「国政ヲ執行スルニ無上ノ特権ヲ有ス」と天皇の絶対的権限が規定された。大久保は天皇輔弼の体裁をとりながら、地方行政と警察と殖産興業を所管する内務省の実権を握り、体制を恣にした。つまり、大久保は近代化を推進する体制の補完者として天皇を見ていた。
 このような背景を踏まえると、「佐賀の乱」をはじめとした内乱で、大久保が平定の指揮をとったことは、著者が〈大久保ら文官が軍の人事や作戦の大枠を主導していた〉と評するような「シビリアン・コントロール」ではなく、有司専制と見るべきだろう。
 権力の専有は「君民共治を成さんがための一時適用の至治」であり、そのための天皇絶対主義であった。だが、大久保は刺客に倒れた。

「模倣者」山県有朋の限界

 大久保の死後、権力の中枢に躍り出た山県は「君主モ亦捨ツ可カラス」の意を解せなかったと思われる。そして、本書が踏み込まないのは、天皇主義者としての山県だ。著者はこう記すに止めている。
〈山県の信念からすれば、政党の台頭を促進することは、国家に対する罪ともいえた〉
 ありていにいえば、国家とは国体、つまり天皇のことだ。山県が制作にかかわった「教育勅語」には「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」とあるが、ここには大久保の「一時適用の至治」のようなリアリズムは霧消している。
 明治天皇の暗殺を企てたとし、幸徳秋水らが検挙された大逆事件の公判にあたり、山県はこう詠んだ。
「天地(あめつち)を くつがへさんと はかる人 世にいづるまで 我ながらへぬ」
 山県にとって天皇は天地であり、国体を守るのが軍の役割であった。そのため国体を揺るがしかねない政党政治に対して峻烈な態度で臨んだ。
〈本来は優しい心を持っている山県であるが、場合によっては全てをかけて残酷なまでの攻撃的行動を取るのであった。彼らを許さないことが、陸軍にとって、日本にとって正しいことだという確信があったからだ〉
 山県の「生真面目で几帳面な性格」とは、民主主義の排撃、政党政治への弾圧も含まれるはずだが、著者はなぜかその理非を問うことはない。畢竟、山県の実像とは、「愚直という言葉がもっともふさわしい」もので、「自分の利害や人気を勘定に入れず、やるべきと考えることを全力でやる」と結ぶ。
 著者の強調する「生真面目さ」とは、司馬遼太郎が山県を評していった「模倣者」にあたるだろう。模倣者の限界は、グランドデザイナーの真意を汲めない点にある。山県は国民皆兵というモデルを日本陸軍創始者の大村益次郎に倣った。政権運営の手法を大久保利通に真似た。模倣において山県がきわめて「几帳面」であったことは、著者の指摘通りだろう。
 だが、自己懐疑力のない愚直さと権力の結びつきほど、醜悪なものもないのも確かなことだ。
(文/尹 雄大、企画・編集/須藤 輝&連結社)


 こちらの結びの「だが、自己懐疑力のない愚直さと権力の結びつきほど、醜悪なものもないのも確かなことだ」が強烈なメッセージですなぁ^_^;。
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