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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 夕方になって黒めな雲が出てきました。明日は降ったり止んだりだそうです。

東京
充実したセカンドライフ・千住の史跡ウオーキング
 三郷市立北公民館は(財)いきいき埼玉(伊奈町・県民活動センター内)と協働事業で先月19日、セカンドライフ交流イベントとして「千住界隈の史跡を訪ねるウオーキング」を開催、30人が参加した。
 このイベントは、60歳以上を対象に、充実したセカンドライフを過ごしてもらおうと、手作りのウオーキング・施設見学などを平成10年度から実施している。県内の企業から推薦されたサラリーマンOBやスタッフ養成研修修了生が運営委員となり、自ら持っている様々なノウハウを生かして得意なコースを設定して企画する事業。今回のコースは宮代町在住で、以前は旅行会社で添乗員として働いていた経歴を持つ阿部重太郎さん。当日はガイド役も務めた。
 当日は、つくばエクスプレス南千住駅に集合し、15か所の史蹟を約6㌔、約5時間かけて歩いた。近代医学の発祥記念地として杉田玄白、前野良沢らが刑死者の解剖を初めて行った「観臓記念碑」のある回向院、幕末の戊辰戦争の激戦を物語る、無数の弾痕が残る上野寛永寺の黒門が移築されている円通寺、北千住駅前通りにある外観・内観ともに見ごたえのある洋館風建築でレトロな雰囲気の大橋眼科など、どれも見ごたえある楽しい散策となった。
 参加者からは「千住の宿場町の様子や刑場跡など知らなかった歴史の深さを感じました」との声が聞かれました。


愛媛
【わがまち讃歌】酒蔵が町並みのシンボル 愛媛・宇和島
【わがまち讃歌】酒蔵が町並みのシンボル 愛媛・宇和島
 四国西南部に位置する愛媛県南予地方に、日常の慌ただしさからフッと解放されるような懐かしい癒し空間がある。宇和島市津島町の岩松地区に残る古い町並みがそれ。しかし、過疎化の進展に歯止めはかからず、静かなたたずまいはいっそう寂しい思いを強くさせる。さびれゆく岩松に活気と住みやすさを取り戻したい-。町に残る酒蔵を核としたまちづくりへ果敢に取り組むグループ「岩松町並み保存会」(兵頭肇代表)の挑戦が始まっている。(松山支局宇和島通信部 浅野幸治)
 かつて岩松は、米の集積地であり、豊富な水を背景に3つの蔵元が軒を並べる酒どころだった。最盛期には3軒で5000石(一升瓶で50万本)以上の酒が造られていたという。太平洋戦争の最中、妻の故郷だったこの地で過ごした作家の獅子文六は、小説「てんやわんや」で町を面白おかしく紹介した。文六が滞在した建物をはじめ、昭和初期のたたずまいが色濃く残る町並みはいまだ現存する。
 活況だった酒造りは、昭和51~52年にかけて3軒とも立て続けに操業をやめ、岩松の酒造りの火は消えてしまった。現在、1軒は取り壊されて駐車場に、もう1軒は建材店や居酒屋へと変容。残る旧西村酒造場の酒蔵だけが、往時の姿のまま残っている。
 西村酒造場は明治27年の創業で、酒蔵は昭和13年に建てられた。酒蔵は町並みには欠かせない岩松に残る最大級の建造物のシンボルだ。酒蔵2階では平成2年からコンサートや落語、講演、ギャラリー、映画会などが催されている。蔵の重厚な造りは体験したこともない音色を生み出し、内部の木肌は歴史を物語るように変色。ライトに浮かぶとセピア色の幻想の世界へと観衆を誘う。
 17年4月、酒蔵を含む酒造場は所有者から旧津島町に寄贈された。これを機会に、兵頭肇さん(53)らは、岩松の歴史や文化、景観を再認識し、これらの資源を生かした町づくりに取り組もうと保存会を立ち上げた。保存会のメンバーは現在、30~50歳代までの8人だ。
 保存会は19年3月、「どぶろく特区」の認定を受けて「企業組合いわまつ」を設立。山間部の棚田での米作りから麹作り、瓶詰などを手作業でこなし同年11月、辛口のどぶろく「なっそ」(「なぜ」「どうした」という方言)を初めて蔵出し、販売を始めた。
 兵頭さんは「目標は岩松の町並みが、文化庁の『重要伝統的建造物群保存地区』に選定されること」と夢を語る。選定されると、老朽化した建物の修理や新築、増改築などに対し、補助金などの支援が受けられる。
 「(選定のための)調査報告書は出来上がったが、国に提出するには地域住民の7割の同意が必要。選定を受けることに異議や懐疑心を持つ住民もいてハードルは高い」。それでも100%の同意取り付けを目指すという。
 保存地区に選定されれば、町並みはリニューアルされて観光客も訪れるようになり、岩松に活気が戻ってくるのではないか-。さらなる町づくりへ挑戦を秘めながら夢を抱き続けている。
 <岩松の町並み> 合併前の旧津島町にあり、JR宇和島駅からバスで南に約30分。宇和海と山に囲まれた平野を分断するように流れる岩松川の河口付近に、川の流れに沿うように南北に約1キロの集落をなす。津島郷は藩政時代から山海川の恵みを受け、岩松は物資の集散地として栄えた。岩松川の港からは、交易の千石船も出入りしたと伝えられ、域内の村々を束ねる町として幕末から昭和初期にかけて隆盛を極めた。川では今もなお、アオノリ採取や躍り食いで知られる「シラウオ(ハゼ科のシロウオ)漁」が続いている。


[薩摩歴史探訪]
歴史ロード“維新ふるさとの道”完成 &“維新ふるさと館”リニューアル
~西郷・大久保らゆかりの“歴史観光ゾーン”一帯がさらに魅力アップ!~

[薩摩歴史探訪]
歴史ロード“維新ふるさとの道”完成 &“維新ふるさと館”リニューアル
~西郷・大久保らゆかりの“歴史観光ゾーン”一帯がさらに魅力アップ!~

 西郷隆盛、大久保利通をはじめ明治維新で活躍した多くの偉人を輩出した鹿児島市 加治屋(かじや)町に、「歴史ロード“維新ふるさとの道”」(南洲橋~高麗橋)が完成、あわせて“維新ふるさと館”もリニューアルされ、“歴史観光ゾーン”一帯がさらに魅力アップしました。
 是非この機会に、維新のふるさと「鹿児島市」におじゃったもんせ(お越しください)!

◆歴史ロード“維新ふるさとの道”◆

 鹿児島中央駅にも程近い鹿児島市 加治屋町・甲突川の左岸緑地に、歴史を感じながら気軽に散策などを楽しめる「歴史ロード“維新ふるさとの道”」(南洲橋~高麗橋)が完成し、3月30日(月)にオープンしました。
 今回完成した区間は、幕末期をイメージして、武家門風の維新歴史ゲート、島津日新公いろは歌47首を紹介する広場などを設け、江戸時代後期の加治屋町の武家屋敷も再現しています。

◆維新ふるさと館◆

 歴史ロードに隣接する“維新ふるさと館”では、音や光、ロボットなど多彩な演出によって明治維新を立体的に体感できる「維新体感ホール」が2月26日(木)にリニューアルオープンしました。
 上映ドラマ『維新への道』で登場する西郷ロボット・大久保ロボットが最先端の技術によって生まれ変わり、顔の表情が豊かに、腕などもスムーズな動きになりました。
 また、薩摩藩がイギリスへ派遣した若き留学生たちを描いた新ドラマ『薩摩スチューデント、西へ』も上映を開始し、二本立てでご覧いただけるようになりました。

-「篤姫館」の展示物が“維新ふるさと館”に移設!-

 3月31日で閉館した「篤姫館」の展示物のうち、篤姫の居室セットや御鈴廊下、ハイビジョンシアターの映像、衣装、パネルなどが“維新ふるさと館”に移設され、4月18日(土)から公開されています。


文化芸能
前進座、80周年へ足掛かり
 前進座は、真山青果作「江戸城総攻」、松本清張作「左の腕―無宿人別帳」を、5月10日から22日まで、東京・三宅坂の国立劇場で上演する。
 代表の中村梅之助は記者会見で、「再来年の劇団創立80周年を展望しての2演目。若い俳優たちが張り切って取り組むので、自分も一生懸命頑張る」と力強く語った。
 「江戸城総攻」は、幕末、徳川慶喜(嵐圭史)の命を守り、江戸の町を戦火にさらすまいと奔走する勝麟太郎(瀬川菊之丞)、山岡鉄太郎(嵐広也)と、攻め入る側の西郷吉之助(藤川矢之輔)らの葛藤を描く。
 瀬川は「登場人物が想像を絶するくらい大きく、役者冥利に尽きる」とコメント。嵐広也も「感情を腹にため込んで、激することなくせりふを観客に届けたい」と力を込めた。
 「左の腕」は、清張の連作短編小説集「無宿人別帳」の中の一作。あめ売り(梅之助)を見舞う悲劇を描く世話狂言だ。女形を演じる河原崎國太郎は「劇団で何度も上演され、完成された作品で、きっちり継承しなければならない。非常にプレッシャーを感じている」と緊張気味に話していた。(電)0422・49・2811。
(2009年4月20日 読売新聞)



インタビュー
◇不屈のひみつ
愛と死見つめ 執筆決意

 幕末の動乱期に薩摩藩から徳川家に嫁いだ女性の生涯を描いた昨年のNHK大河ドラマ「篤姫」は、全50回の平均視聴率が24・5%というヒット作となった。下調べや取材を含め、執筆期間は足かけ3年。「家族愛、夫婦愛、師弟愛、友情。様々なものをぶち込もう」と臨んだ意欲作だった。
 〈女の道は一本道にございます。さだめに背き、引き返すは恥にございます〉。篤姫の養育係のせりふは有名になったが、自身が歩んだ道には紆余曲折があった。
 東京の短大を卒業後、「何をしたいのか見えないまま」郷里で銀行に就職。1年で再上京し、編集者、塾講師、プログラマーと職を転々としていたある日、ふと開いた新聞に出ていたシナリオ学校の生徒募集に飛び付いた。初めて書いた作品が認められ、26歳でデビュー。だが、間もなく壁に突き当たる。
 「いいものを書きたいと思っても、技術も、人間的な成熟度も追いつかない。書くことが苦しくて、これは地獄だな、と思いました」
 耐えられずに、執筆を断念した。作詞家になろうと思い立ち、通信講座を受けもした。だがあるとき目が覚める。自分は逃げていただけだったのだ――。脚本の仕事に戻ろうと決意した。
 それでも、自分の望むレベルに到達できないジレンマは常に付きまとい続けた。「何を書いても、面白いか面白くないかもわからない。真っ暗闇になる」こともしばしばだった。
 そんなときは、「できる限りの最悪の事態を想像してみる」。この仕事を降りたらどうなるか。子供2人を養っていけるだろうか。狭い家に引っ越して、わびしい食事をして……。「ハッと気がつくと、まだ脚本家でいる自分がいる。『一晩だけ頑張ってみよう』と思って書いてみると、目の前が開けた。そんな体験が何度あったかわからない」
 「書きたいものと書けるものとのギャップが縮まってきた」と実感したのは「さくら」を書いた頃。出産や離婚の経験が、いつしか作品の糧になっていた。大河ドラマの執筆に取りかかったころに再婚した夫も、支えになってくれた。

夫の末期がん判明

 実は、「篤姫」は最後の仕事になるはずだった。「大河を書き上げられたとしたら、脚本家にとっては一つの山を越えたくらい意味があること。次のことをゆっくり考えたいと思った」
 だが脱稿直後に、夫の末期がんが判明。収録終了から2週間後の10月半ば、夫は帰らぬ人となった。世間が篤姫人気に沸く中、「私自身はどん底でした。喜びなんかどこにもなかった」。
 「これ以上の悲しみがあるだろうか」という体験を経た今、「愛する者を失う苦しみ、悲しみも初めて我がものとなったと思う」と語る。もう再び筆を断つつもりはない。(堀内佑二)




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