新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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昨日と今日の幕末ニュース記事で紹介した、東大総合研究博物館の特別展示をさっそく見てきました。
「維新とフランス――日仏学術交流の黎明」展 東京大学総合研究博物館
総合研究博物館は地下鉄大江戸線の本郷三丁目駅が最寄りで徒歩2~3分ぐらい、懐徳門から入って右手すぐでした(丸の内線の本郷三丁目駅からだと、+3~4分)。
博物館に入ってすぐに受付があります。入場無料で特に何も手続きや支払いもなく、そのまま展示を見ることができます……ただ、特別展のパンフレットと特別展示の解説が掲載されている『東京大学総合研究博物館ニュース』はもらっておいた方がいいと思います。図録は近日発行(刊行物案内を参照)とのことで現物を拝見できませんでしたが、日本語版8,925円、フランス語版は確か1万円+αとのことで、私には手が出ません(汗)。
照明はやや暗めですが、建物の外装と内装がちょいレトロで、特に展示会場の一部は洋館のリビング&書斎のような造りになっているので、落ち着けます(腰掛けられる椅子も何脚かありました)。先客は数名でした(が、私が館内を出る12時前には、およそ20名ほどが後から入館していしまた)ので、ゆっくり落ち着いて見られました。
以下、展示を見た時にはメモを取れませんでしたので、博物館を出た後に記憶をもとに走り書きしたメモ(うろ覚えや記憶違いがあるかも知れませんので、その点はご容赦くださいという意味です^_^;)。
・フランス第1次軍事顧問団書簡集
確か、『その時歴史が動いた』の「土方歳三、北の大地に死す」の回でクリスチャン・ポラック氏が書棚から出して見せた書簡集のファイルが、これじゃなかったかしら。その中に、ジュール・ブリュネ(リンク先はwikipedia)が蝦夷地での土方さんの教練の巧さを報告していた手記だったか書簡があったと思います。
今回の展示では、残念ながら、その書簡は見られませんでした。何通かの、フランス軍事顧問団の書簡がファイルから抜き出されて展示されていたのですが……。
・カズヌーヴ雇用契約書
アンドレ・カズヌーヴ(リンク先はwikipedia)
シャノワーヌ文庫の一部として展示されていたかと思います。推薦状みたいな書簡には、砲兵隊付きのラバを飼育するエキスパートだということが強調されている、という解説がありました……wikipediaの解説でも「フランス帝室種馬飼育場付伍長」と書かれてますね。今さらながら、そうだったのかぁ、って^_^;。
上記はwikipediaの解説からの引用です。
・フォルタンのビュラン宛書簡
アルテュール・フォルタン リンク先はwikipedia
フォルタンは、ジュール・ブリュネやカズヌーヴと同様、フランス軍事顧問団を脱走して箱館戦争に加わったフランス人のひとりです。
ビュランとは、シャルル・ビュラン。いただいた東京大学総合研究博物館ニュースの記事「日仏修好条約締結百五十周年記念特別展示『維新とフランス――日仏学術交流の黎明』展」谷川愛氏の解説によると……「元治元(1864)年夏頃に来日し、騎兵隊からの出向の身分で、フランス公使館の護衛に就いた。レオン・ロッシュ公使付の護衛隊長であったという」。
フォルタンとビュランは友人だったようです。「第一次軍事顧問団の団員で箱館戦争に参加したフランソワ・ブッフィエ、アルチュール・フォルタンが宮古と箱館から、横浜にいるビュランに宛てて戦況を報告している書簡がある」。
展示されていたのは、フォルタンが松前での戦勝を報告する書簡でした。解説に何人かの名前が出ていました……ひとりだけ記憶してのは「細谷」という苗字でした……横浜仏語伝習所で学んだ細谷安太郎じゃなかったかな。残念なことに、知っているチーム箱館の幹部の名前は出てなかったです。
・ジュール・ブリュネの愛人トミのブリュネ宛て書簡
ジュール・ブリュネ(リンク先はwikipedia)
ブリュネさん、現地妻がいたんですね(汗)……ほとんどカナ書き、金釘流の手紙(「ブリュネ」は「フリュ子」でした)は、トミさんご本人の直筆でしょうか。
「ハコダテ」という地名の前後の文章がよく読み取れなかったのですが、箱館の反乱軍に加わっていると噂を聞いて心配しているというような内容じゃないかという印象でした。
ブリュネさんがフランス軍を脱走してからたちまち生活に困ったらしく「タクサンコマル」とか、どうもお腹に子供がいるらしき記述とか、切羽詰まった文面がほろりと来ました。
・いろいろな写真
あちこちに幕末~明治の写真が展示されていて、興味深かったです。風景写真は、長崎、横浜、江戸、横須賀など。たとえば横浜は大火で焼けた跡に立てられたフランス公使館とその周辺とか。
人物写真も数多く、これまた興味深かったです。何人か、白牡丹の関心を引いた人物について、以下。
明治天皇&皇后……教科書などでよく見る写真でした。
パパラッチ明治天皇……和装でした。お供の者たちも和装。横須賀で撮影された写真で、幕末から明治にかけて横須賀造船所をつくったヴェルニー(リンク先はwikipedia)が写っていたのがちょっと嬉しかったりして。
徳川慶喜……平服と正装、彩色写真とモノクロ(縁なしの裁ち切り画像なのが珍しいと解説あり)の2点×2種など、何点か。
山内豊信……容堂公じゃありませんか(笑)。ぱっと見、40代ぐらいの感じで、目鼻立ちがくっきりしてなかなかの好男子。右手に持った扇が半開きなのが気になりましたが、いかにも大藩のお殿様という感じでした。
大鳥圭介……明治政府の高官の写真画像を20人ぐらい並べた額の中に、よく見る写真(たとえばリンク先wikipediaの画像)があって、「ケースケ、元大名とか、薩長出身の高官の中に混じってるじゃん」と声を掛けたくなる額でした(笑)。
榎本武揚……よく見る写真画像3点(リンク先は国立国会図書館近代日本人の肖像)と違うショットで、おや、と思いました。リンク先の写真よりも若く、口ヒゲはちょっと小さめ(爆)、30代後半って印象。写真2よりも細め、頬がこけているので、出獄してから5年以内ってところでしょうか。
ベアト写真
ご存じ、スフィンクスで記念撮影するサムライたち、幕府使節団の写真。これと、幕末に来日したフランス海軍の集合写真(もちろん、全員が洋装^_^;)がほぼ同時代のものだったりするんだよな~(汗)。
他にも動植物の標本とか、フランス語の教本とか、幕末~明治期に輸入された医療器具とか、展示物は多岐に渡ってました。
「維新とフランス――日仏学術交流の黎明」展 東京大学総合研究博物館
主要展示品
■フランスからの里帰り品
-デシャルム文庫
(南仏サロン・ド・プロヴァンスのアンペリ博物館蔵の第一次および第二次軍事顧問団騎兵科教官レオン・デシャルム遺品)
-ビュラン文庫(遺族ジョルジュ・ド・リュスネー氏蔵の第二猟騎兵連隊少尉シャルル・ビュラン遺品)
-サヴァティエ文庫(遺族ミシェル・サヴァティエ氏蔵の海軍軍医リュドヴィク・サヴァティエ遺品)
-サヴァティエ標本(パリ国立自然史博物館蔵のリュドヴィク・サヴァティエ日本産植物標本)
-徳川幕府パリ万博出品標本(パリ国立自然史博物館蔵の田中芳男採集「昆虫」標本)
■クリスティアン・ポラック・コレクション
-シャノワーヌ文庫(クリスティアン・ポラック氏蔵の第一次軍事顧問団団長/パリ司令部付大尉シャルル・シャノワーヌ遺品)
-日仏交流関係資料一揃い(書簡、写真、書籍等)
■東京大学コレクション
-文久三(一八六三)年徳川幕府遣仏使節関係資料(三宅一族旧蔵)
-慶応三(一八六七)年パリ万国博覧会関係資料(田中芳男旧蔵)
-サヴァティエ標本(総合研究博物館蔵のリュドヴィク・サヴァティエ寄贈ヨーロッパ産植物標本)
-エジプト・ミイラ他医学資料(東京帝国大学医科大学旧蔵)
展示会期: 2009年3月28日(土)-5月31日(日)
開催場所: 東京大学総合研究博物館 東京都文京区本郷7-3-1東京大学本郷キャンパス内 アクセス/地図開館時間: 10:00-17:00 (入場は16:30まで)
休館日: 月曜 (祝日の場合は翌火曜)
入館料: 無料
総合研究博物館は地下鉄大江戸線の本郷三丁目駅が最寄りで徒歩2~3分ぐらい、懐徳門から入って右手すぐでした(丸の内線の本郷三丁目駅からだと、+3~4分)。
博物館に入ってすぐに受付があります。入場無料で特に何も手続きや支払いもなく、そのまま展示を見ることができます……ただ、特別展のパンフレットと特別展示の解説が掲載されている『東京大学総合研究博物館ニュース』はもらっておいた方がいいと思います。図録は近日発行(刊行物案内を参照)とのことで現物を拝見できませんでしたが、日本語版8,925円、フランス語版は確か1万円+αとのことで、私には手が出ません(汗)。
照明はやや暗めですが、建物の外装と内装がちょいレトロで、特に展示会場の一部は洋館のリビング&書斎のような造りになっているので、落ち着けます(腰掛けられる椅子も何脚かありました)。先客は数名でした(が、私が館内を出る12時前には、およそ20名ほどが後から入館していしまた)ので、ゆっくり落ち着いて見られました。
以下、展示を見た時にはメモを取れませんでしたので、博物館を出た後に記憶をもとに走り書きしたメモ(うろ覚えや記憶違いがあるかも知れませんので、その点はご容赦くださいという意味です^_^;)。
・フランス第1次軍事顧問団書簡集
確か、『その時歴史が動いた』の「土方歳三、北の大地に死す」の回でクリスチャン・ポラック氏が書棚から出して見せた書簡集のファイルが、これじゃなかったかしら。その中に、ジュール・ブリュネ(リンク先はwikipedia)が蝦夷地での土方さんの教練の巧さを報告していた手記だったか書簡があったと思います。
今回の展示では、残念ながら、その書簡は見られませんでした。何通かの、フランス軍事顧問団の書簡がファイルから抜き出されて展示されていたのですが……。
・カズヌーヴ雇用契約書
アンドレ・カズヌーヴ(リンク先はwikipedia)
シャノワーヌ文庫の一部として展示されていたかと思います。推薦状みたいな書簡には、砲兵隊付きのラバを飼育するエキスパートだということが強調されている、という解説がありました……wikipediaの解説でも「フランス帝室種馬飼育場付伍長」と書かれてますね。今さらながら、そうだったのかぁ、って^_^;。
大鳥圭介は、『南柯紀行』で「学術は浅かったけれども篤実朴直の性質で、戦地では鋭敏で臨機の策に長じ頗る勇猛で兵隊に先ちて進軍すると云ふ勢ひで、松前進軍の時も屡々勲功があった」と評している。
上記はwikipediaの解説からの引用です。
・フォルタンのビュラン宛書簡
アルテュール・フォルタン リンク先はwikipedia
フォルタンは、ジュール・ブリュネやカズヌーヴと同様、フランス軍事顧問団を脱走して箱館戦争に加わったフランス人のひとりです。
ビュランとは、シャルル・ビュラン。いただいた東京大学総合研究博物館ニュースの記事「日仏修好条約締結百五十周年記念特別展示『維新とフランス――日仏学術交流の黎明』展」谷川愛氏の解説によると……「元治元(1864)年夏頃に来日し、騎兵隊からの出向の身分で、フランス公使館の護衛に就いた。レオン・ロッシュ公使付の護衛隊長であったという」。
フォルタンとビュランは友人だったようです。「第一次軍事顧問団の団員で箱館戦争に参加したフランソワ・ブッフィエ、アルチュール・フォルタンが宮古と箱館から、横浜にいるビュランに宛てて戦況を報告している書簡がある」。
展示されていたのは、フォルタンが松前での戦勝を報告する書簡でした。解説に何人かの名前が出ていました……ひとりだけ記憶してのは「細谷」という苗字でした……横浜仏語伝習所で学んだ細谷安太郎じゃなかったかな。残念なことに、知っているチーム箱館の幹部の名前は出てなかったです。
・ジュール・ブリュネの愛人トミのブリュネ宛て書簡
ジュール・ブリュネ(リンク先はwikipedia)
ブリュネさん、現地妻がいたんですね(汗)……ほとんどカナ書き、金釘流の手紙(「ブリュネ」は「フリュ子」でした)は、トミさんご本人の直筆でしょうか。
「ハコダテ」という地名の前後の文章がよく読み取れなかったのですが、箱館の反乱軍に加わっていると噂を聞いて心配しているというような内容じゃないかという印象でした。
ブリュネさんがフランス軍を脱走してからたちまち生活に困ったらしく「タクサンコマル」とか、どうもお腹に子供がいるらしき記述とか、切羽詰まった文面がほろりと来ました。
・いろいろな写真
あちこちに幕末~明治の写真が展示されていて、興味深かったです。風景写真は、長崎、横浜、江戸、横須賀など。たとえば横浜は大火で焼けた跡に立てられたフランス公使館とその周辺とか。
人物写真も数多く、これまた興味深かったです。何人か、白牡丹の関心を引いた人物について、以下。
明治天皇&皇后……教科書などでよく見る写真でした。
パパラッチ明治天皇……和装でした。お供の者たちも和装。横須賀で撮影された写真で、幕末から明治にかけて横須賀造船所をつくったヴェルニー(リンク先はwikipedia)が写っていたのがちょっと嬉しかったりして。
徳川慶喜……平服と正装、彩色写真とモノクロ(縁なしの裁ち切り画像なのが珍しいと解説あり)の2点×2種など、何点か。
山内豊信……容堂公じゃありませんか(笑)。ぱっと見、40代ぐらいの感じで、目鼻立ちがくっきりしてなかなかの好男子。右手に持った扇が半開きなのが気になりましたが、いかにも大藩のお殿様という感じでした。
大鳥圭介……明治政府の高官の写真画像を20人ぐらい並べた額の中に、よく見る写真(たとえばリンク先wikipediaの画像)があって、「ケースケ、元大名とか、薩長出身の高官の中に混じってるじゃん」と声を掛けたくなる額でした(笑)。
榎本武揚……よく見る写真画像3点(リンク先は国立国会図書館近代日本人の肖像)と違うショットで、おや、と思いました。リンク先の写真よりも若く、口ヒゲはちょっと小さめ(爆)、30代後半って印象。写真2よりも細め、頬がこけているので、出獄してから5年以内ってところでしょうか。
ベアト写真
ご存じ、スフィンクスで記念撮影するサムライたち、幕府使節団の写真。これと、幕末に来日したフランス海軍の集合写真(もちろん、全員が洋装^_^;)がほぼ同時代のものだったりするんだよな~(汗)。
他にも動植物の標本とか、フランス語の教本とか、幕末~明治期に輸入された医療器具とか、展示物は多岐に渡ってました。
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ご紹介と感想、ありがとうございました。
「その時歴史が動いた」で紹介された書簡がないのは残念ですが、フォルタンの書簡やトミの書簡、写真類が楽しみです。
トミさんといえば、ブリュネが肖像画を書いてますね。
4月になったら、私も見てこようと思います。
リンク&TBさせていただきましたので、よろしくです。
『その時歴史が動いた』で紹介されたブリュネさんのシャノワーヌさん宛書簡が展示されていないのは残念でしたが、フランス陸軍と幕府の協力関係を示す書簡が何通も展示されていました。また、横浜仏語伝習所関係も点数が多かったです。
いつも丁寧な記事を書かれる、かよこさんのご感想を楽しみにしております。