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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 後ほど別記事をアップしますが、今日はさっそく東大総合研究博物館の特別展示を見てきました。

山形
追跡やまがた:農民闘争「ワッパ騒動」 庄内農業発展のさきがけ /山形
追跡やまがた:農民闘争「ワッパ騒動」 庄内農業発展のさきがけ /山形
◇鶴岡の住民有志、9月に顕彰碑建立
 住民自治の精神を後世に--。明治維新のさなか庄内平野で起きた農民闘争「ワッパ騒動」を伝えようと、鶴岡市の有志でつくる「ワッパ騒動義民顕彰会」(日塔哲之代表)が今年9月11日、農民が蜂起した場所近くの同市水沢に顕彰碑を建立する。会員や建立地の住民らは「庄内の農業が発展するさきがけとなった運動。よりよい地域づくりのために学ぶべき点が多い」と賛同を呼びかけている。【長南里香】
 ワッパ騒動は1873(明治6)年、酒田県(当時)の不当な地租の取り立てに反対した農民らが起こした農民闘争。勝てばワッパ(弁当箱)1杯の金が戻ってくると、農民の間で合言葉にされたことに騒動の名は由来する。旧櫛引町などの農民らが酒田県に改善を求めたが、酒田県は指導者の農民や士族を拘束したため騒動は激化。庄内全域で1万人以上の農民や非権力商人らが酒田県庁を目指し、指導者の釈放を求めて一斉に蜂起し、78人が拘束された。
 日塔代表や事務局を務める元小学校教諭の同市大西町、星野正紘さん(73)らは、ワッパ騒動の歴史が地元でもあまり知られていないことに疑問を感じ、04年に会を設立した。「年寄りがしなければならないことは、歴史を正しく伝えること」と、碑文を刻む石や寄付を募るなどして、顕彰碑の建立に向け準備を着々と進めてきた。
 星野さんによると、農村部を中心に多くの人たちに賛同の輪が広がりつつあるという。同市水沢でそば店「大松庵」を経営する漆山永吉さん(57)は、自分の土地に顕彰碑を建立することに快く同意した。地元住民92人でつくる「上郷文化財愛護会」(五十嵐進会長)は運動を全面的に支援した。
 星野さんは「ワッパ騒動後の庄内は、地主制度が発展するなどして水田の整備が進み、明らかに農業が発展した。庄内の農業史を切り開いた事実を、多くの人に伝えていきたい」と意気込んでいる。

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■ことば

◇ワッパ騒動
 1872(明治5)年、明治政府は従来は米で納めていた租税をお金で納める「石代納」を許可した。しかし、折からの米価高騰に目をつけた酒田県は農民に通達せず従来通りに米で納める「現物納」を強制し、納めさせた米を一部の特権商人に売却し換金。得た利ザヤを商人と分け合い、松ケ岡開墾事業などに充てた。これに農民らが反対し、士族や商人が加わって発展したのがワッパ騒動。騒動の中で、酒田の商人、森藤右衛門は75(明治8)年、元老院に「過納金返還」を求める意見書を提出。大審院の判事が鶴岡で臨時裁判を開いた末、78(明治11)年、農民に対し総額6万3000円を支払う一部勝訴の判決を得た。


福島
茶室「麟閣」、会津若松市に寄贈へ
 会津若松市の鶴ケ城本丸に移築復元されている茶室「麟閣」が4月、市に寄贈される。
 400年以上前の蒲生氏郷時代に建てられた県指定文化財で、会津の茶道文化を今に伝えている。
 氏郷は千利休の弟子「利休七哲」の一人で、麟閣は16世紀後半、鶴ケ城内に建てられた。
 戊辰戦争後に払い下げられた後、市内に移築され、平成元年再び城内に移された。
 所有者である薬局経営の森川容佑さんが市に有償で貸す形となっていたが、20年後に寄贈すると取り決めをしていた。
 今春譲渡されることになった。
 一般に公開されているほか、茶会などに活用されている。
 寄贈後も観光客や茶道家の利用に変更はない。
 菅家一郎市長は「しっかりと顕彰し、本市の文化、観光の拠点として大切に活用したい」と話している。


東京
明治天皇国外流出の1枚 東大・日仏展で写真公開
 東京大学総合研究博物館は28日からの特別展「維新とフランス」で、明治天皇を初めて撮影した写真や書簡、標本など幕末・明治期の日本とフランスの交流を裏付ける約450点の新出史料の公開を始めた。6割がフランスの日本学者クリスチャン・ポラック氏のコレクション。会期は5月31日まで。入場無料。
 初撮影の明治天皇の写真は、1872年にオーストリア出身の写真家、スティルフリードが神奈川県の横須賀造船所を訪れた天皇ご一行を無断撮影したため問題となった。明治政府の没収を逃れ、国外に持ち出された1枚が展示されている。日本初公開で、明治の「パパラッチ写真」でもある。


新潟
金GOLD展:渡部・県立歴史博物館主任研究員、佐渡金銀山・絵巻文化で講演 /新潟
金GOLD展:渡部・県立歴史博物館主任研究員、佐渡金銀山・絵巻文化で講演 /新潟
 県立万代島美術館で開催中の「金GOLD 黄金の国ジパングと佐渡金銀山展」(県教委など主催、毎日新聞社共催)の関連イベントとして、県立歴史博物館の渡部浩二・主任研究員(38)による講演会「描き継がれた佐渡金銀山絵巻」が28日、新潟市中央区の万代島ビルで開かれた。
 佐渡金銀山では江戸中期から幕末まで、採鉱や小判鋳造など一連の作業風景を描いた絵巻が約100点残されている。佐渡奉行や組頭が交代する度、金銀山の仕事を説明するため描き直し、解任の時に土産として渡したとされる。
 構図はそのままに、年代によって排水設備や照明、換気道具が違うため、技術の変遷が一目で分かる。島根県の世界遺産「石見銀山」でも4、5点しか確認されておらず、これだけ大規模な絵巻文化は珍しいという。
 渡部さんは「絵巻は、佐渡が日本の金銀山文化の中心にあったことを示している。県内には30点前後しかなく、もっと地元に戻ってくれば、世界遺産登録への貴重な資料になるのでは」と語った。
 同展は4月19日まで。問い合わせは同美術館(025・290・6655)。【黒田阿紗子】


長野
薬師堂で数珠回し撮影 井上井月顕彰会の映画製作進む
 幕末から明治初期に上伊那地方を漂泊した俳人、井上井月(1822-87)を題材としたドキュメンタリー映画の製作が進んでいる。28日は、伊那市美篶笠原の薬師堂で数珠回しの撮影が行われ、地域住民が春彼岸の伝統行事を再現した。
 映画製作は、井月の研究と顕彰を行う井上井月顕彰会(堀内功代表理事)の映画製作委員会が、今年度から3年計画で取り組む。顕彰会理事で、同市美篶青島出身のドキュメンタリー映像作家北村皆雄さん(66)=東京都=が監督を務める。
 北村さんは「井月の句と伊那の自然や風土は切っても切れない。井月をとらえるには、伊那の自然や風土、文化なども描く必要がある」と話し、昨年夏から井月ゆかりの地域で伝統行事などの撮影を始めた。
 薬師堂での数珠回しは、地元の笠原山梨集落の住民約10人がエキストラで協力。薬師如来の前で輪になり、南無阿弥陀仏を唱えながら大きな数珠を回す様子を、北村さんが映像に収めた。
 今後も伊那の風土を追いながら、冬からはスタッフを増やして本格的な撮影に入るという。「四季折々の中に句を交え、井月も登場させたい。井月の生涯に絡めながら伊那の自然や風土もとらえたい」と北村さんは抱負を話し、撮影を通じ「映画に使うかどうかは別として行事そのものも資料として残していきたい」としている。
 顕彰会ではこのほか、井月の人物と作品を広めていく目的で4月上旬にホームページ(HP)の開設も予定している。






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