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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 近所(といっても徒歩2キロ近く^_^;)の桜並木を見てきました。まだ開花していないソメイヨシノも多く、一番早い幹で三分咲きってところでした。
 予報によれば木曜日から暖かくなるそうですから、この週末がひとつの見頃でしょうか。雨や風に遭わなければ、今年は長く楽しめるかも。

栃木
黒羽藩の農兵隊の史料見つかる 栃木・大田原市
黒羽藩の農兵隊の史料見つかる 栃木・大田原市
 幕末に、黒羽藩が編成した農兵隊について書かれた掛け軸が、大田原市寺宿の光厳寺で見つかった。藩が設置した農兵隊の訓練場の1つ「峰岸館」(那須町)で訓練を受けた人々が、“武士”として戊辰戦争にどうかかわったかを知る上で貴重な史料といえそうだ。
 掛け軸は昨年、光厳寺の石倉から見つかった。漢文で書かれた文章を、郷土史に詳しい黒羽高校の大沼美雄教諭が解読した。
 大沼教諭によると、峰岸地区(那須町)に建つ「峰岸館兵従軍之碑」の碑文を山野辺清という人物が筆で紙に書き、表装して掛け軸にしたものだという。本紙部分は縦139センチ、横61センチ。
 従軍之碑は旧黒羽藩士で当時の陸軍少将、大沼渉が峰岸館の関係者らに依頼されて撰文(せんぶん)し、明治27年に峰岸地区(現那須町の国道294号沿い)に建立されたもの。
 碑文には黒羽藩が慶応2(1866)年に農兵隊を編成し、訓練所を峰岸のほか、須賀川、寺子、田町など6カ所に設けたこと、毎年季節がかわるごとに教官を派遣し軍事訓練を行ったこと、戊辰戦争で峰岸館から36人が農兵隊として駆り出され、11人が死傷したこと-などが克明に記されている。
 掛け軸は、撰文した大沼の菩提(ぼだい)寺である光厳寺に奉納したのではないかとみられている。同寺は掛け軸を「黒羽芭蕉の館」に寄託した。
 黒羽藩の歴史に詳しい同館の新井敦史学芸員は「農兵として戦にかかわったことを後世に残そうという峰岸の人たちの思いが伝わる貴重な史料」と評価。解読した大沼教諭は「今も農兵の子孫たちが暮らす那須町の峰岸、寄居、簑沢などの人たちに見てもらいたい」と語った。
 掛け軸を発見した光厳寺の渡辺陽子さん(43)は「大沼渉ゆかりの貴重な品として、いつまでも大切にしていきたい」と話している。


大高氏記録:気温解析成果、日本地理学会で発表 毎日新聞茨城面、元日に詳報 /茨城
大高氏記録:気温解析成果、日本地理学会で発表 毎日新聞茨城面、元日に詳報 /茨城
 茨城大が所蔵する水戸藩商人の日記「大高氏記録」に残された幕末約15年分の気象データから、当時の水戸の気温変動の解析を試みた研究成果が、28、29日に帝京大学(東京都八王子市)であった日本地理学会で発表された。記録からは1850年代が比較的温暖だったことや、現在よりも寒暖差が大きい傾向が見てとれる。この詳報は今年元日の毎日新聞茨城面が掲載した。
 発表は首都大学東京の財城真寿美・特任研究員を筆頭著者に、日記に気象記録が残されていることを突き止めた磯田道史・茨城大准教授、記録の抽出、分析にあたった毎日新聞水戸支局の2記者ら6人の連名。観測時刻のずれなどを補正して現在の水戸市の気温と比較した結果、日記が残された1852~1868年の1月の推定平均気温は2・3度(現在の平年値2・8度)、8月は25・9度(同25・0度)だった。
 19世紀半ば以前に日本人が機器で観測した気象記録は珍しい。歴史文書から古気象の復元に取り組む財城研究員は「これまで大高氏記録のような個人の気象観測記録は知られていなかった。数値そのものはまだ検証の余地があるが、日記に残る気候の記述から調査を続けたい」と話している。

 現在の平年値、冬が幕末よりも暖かいのは納得ですが、夏は幕末の方が暑かったんですか(汗)。


京都
“おりょう”ゆかりの地に石碑
京都龍馬会 木屋町に設置

“おりょう”ゆかりの地に石碑 京都龍馬会 木屋町に設置

 幕末の志士・坂本龍馬のファンでつくる特定非営利活動法人(NPO法人)「京都龍馬会」はこのほど、龍馬の妻・おりょうが暮らしたとされる京都市中京区木屋町通六角下ルに石碑を設けた。
 おりょうは龍馬に出会う以前、父の死去に伴い家族6人で「京都の木屋町」に移住したとされる。石碑は、この付近が京都府知事や滋賀県知事を歴任した中井弘が暮らした地とも紹介している。
 式では、赤尾博章同会理事長や、監修の歴史地理研究者・中村武生さんらが除幕し、ファンらが祝った。同会は今後もゆかりの地に建碑をすすめる。


高知
「新時代つくる」龍馬に誓い
「新時代つくる」龍馬に誓い…児童ら脱藩再現・高知
 幕末の志士・坂本龍馬が活躍の舞台を求め脱藩したことをしのぶ「龍馬脱藩祭」が29日、高知市神田の和霊神社で開かれた。龍馬は1862年3月24日、同神社に立ち寄って脱藩したと伝えられている。
 藤原健裕宮司が龍馬を顕彰する祝詞を読み上げた後、近くの市立神田小などの児童6人が「龍馬の心意気を受け継ぎ、新しい時代をつくります」と〈脱藩宣言〉を読み上げ、水杯を交わした。
 この後、剣道着姿の児童がたいまつを持って当時の様子を再現し、尾崎知事や岡崎誠也・高知市長と一緒に参道を歩いた。同小6年の上田史織さん(12)は「龍馬のように活躍して、世の中を良くしたい」と話した。
 児童や尾崎知事らが龍馬について意見を交わすフォーラムも同小で開かれ、参加した約120人が龍馬に思いをはせていた。


福岡
平野国臣の功績 後世に 銅像再建45年 120人集い式典 中央区・西公園
平野国臣の功績 後世に 銅像再建45年 120人集い式典 中央区・西公園
 福岡出身の幕末の志士、平野国臣の銅像再建から45周年を記念した式典が29日、銅像がある福岡市中央区の西公園であった。国臣の子孫や地元住民など約120人が参加した。
 平野国臣は1828年に福岡藩で生まれ、58年に脱藩。尊皇思想や開国を強く訴えた。また、文人としても知られ「我胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 烟(けむり)はうすし 桜島山」など和歌や論文を多数残している。
 1915年、同公園に銅像が建立されたが43年、太平洋戦争のため供出。国臣を祭る平野神社(同区)や地元住民たちが64年に再建した。
 式典は国臣の功績や思想を後世に伝えようと同神社が5年ごとに開催。山内勝二郎宮司が祝詞を奏上後、国臣のひ孫に当たる原國郎さん(83)=柳川市=が「最近、国臣の伝記や資料が相次いで発行されています。子孫としては大変うれしい」とあいさつした。
 同神社責任役員の橋田文也さん(71)は「愛国心を持って世界平和を考えた国臣を、次の世代の人たちにも知ってもらいたい」と話していた。


鹿児島
武家屋敷を再現 「維新ふるさとの道」一部オープン/鹿児島市
 鹿児島市加治屋町の甲突川左岸緑地の歴史ロード「維新ふるさとの道」の下流側が30日、オープンした。幕末維新をイメージして、江戸時代後期の武家屋敷を再現したほか、バリアフリーの散策路などを整えた。夜間はライトアップする。
 市が昨年10月から南洲橋-高麗橋の175メートル沿いの約3150平方メートルで工事を進めていた。武家屋敷は、木造平屋建ての「二つ家」と呼ばれる当時の典型的な下級武士の住まいで、維新ふるさと館前に建築した。午前9時-午後5時、屋外から見学できる。
 オープニングセレモニーで森博幸市長は「歴史を感じる空間として、観光客や市民に楽しんでもらいたい」と話した。







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