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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日読み終わりました。



 かなり深い幕末ファンには、ちょっと物足りない評伝です。190ページほどの本は、さらっと読むには適当な量ですが、浦賀奉行与力として米国船と接触した後にテクノクラートとしてのキャリアを歩む中島三郎助の生涯をざっと見るには丁度いい情報量なものの、白牡丹的にはもったいない。

 たとえば、戸田におけるディアナ号築造の調査に行った時、韮山代官所の江川英龍との接点はどの程度だったのか? 長崎海軍伝習所で勝海舟と仲が悪かったとありますが、たとえばどんな確執があったのか(咸臨丸のアメリカ渡航に中島三郎助が機関長に選ばれなかったのはなぜかと知識人はいぶかった、という程度)……その辺りの掘り下げが特に物足りなく感じられました。

 ただ、知らなかったこともいくつか、収穫はありました。

 たとえば、文久元年から病気で仕事を辞し、以後、慶応三年まで、出仕したりしなかったり、健康に問題があったこと。写真を見ると癌ではないかと疑うような痩せた方ですから、何らかの病気を抱えていたのではないかと思います。

 また、息子ふたりを連れて、妻と娘たちと乳飲み子の末息子を浦賀に置いて、榎本艦隊に加わったこと。長男の恒太郎が、もうひとり(息子を)残した方がいいのではないかと進言すると、刀を抜いて「この不忠者!」と追いかけたそうです。それほどまでに旧幕府に義を尽くすと決めていたのは、先祖代々の恩顧に加え、三郎助が幕府海軍創世期に貢献したこともあって、三郎助は旗本待遇に昇格、同時に恒太郎が与力に採用されるという、一家ふたりが採用されるという滅多にない待遇を受けたことが大きかったようです。逆に、それさえなければ、三郎助と共に恒太郎・英次郎と浦賀奉行所で三郎助に仕えた部下やら親戚筋らまでも揃って千代ガ岡で散華するということにはならなかったかもと、歴史の皮肉を感じます(ただ、三郎助の信念の強さから考えて、もしもこれらの恩顧がなかったとしても、箱館の旧幕府軍に合流しただろうと思えます)。

 さらにもうひとつ、中島三郎助は蝦夷地の箱館に上陸してから、一ヶ月にほぼ一回以上のペースで、江戸から駿河に移住した妻子と老母に手紙を書き送っていることも知りました。二月までは元気で暮らしていますという内容だったのが、三月に入って玉砕を覚悟しているので覚悟して欲しいという内容に変わっているというところが、涙を誘います。そして、中島親子三人が千代ガ岡の出陣の時に残した漢詩、三郎助の絶筆である和歌と俳句、どれも、切なくほろりとします。

 一応、評伝の形式で事実を追っています。ちょっとだけ会話体などでフィクションでふくらませているところがありますが、量は少ないです。
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