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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 昨日の記事でもスポニチの記事を取り上げましたが、各紙の記事が出そろいましたので、寺田屋関連の記事をまとめてご紹介します。

時事通信
寺田屋は「再建」=鳥羽伏見の戦いで焼失-京都市調査
寺田屋は「再建」=鳥羽伏見の戦いで焼失-京都市調査
 幕末に起きた「寺田屋騒動」当時のままの建物としていた京都市伏見区の旅館「寺田屋」について、同市は25日、「すでに焼失したと考えるのが妥当」とする調査結果を発表した。津幡学社長は「同じ建物だという認識は変わらないが、焼失説も明示するようにする」としている。
 市は2日、当時の建物ではないとする一部報道の指摘を受け、調査を開始。市歴史資料館が当時の瓦版や石碑を検討し、騒動後の1868年に起きた鳥羽伏見の戦いで焼失したと結論付けた。
 市は観光ホームページに掲載していた寺田屋の項目を変更し、寺田屋側に観光客に誤解を与えないよう適切な対応を取るよう求めた。


朝日
寺田屋「鳥羽伏見の戦いで焼失後に再建」 京都市が修正
 坂本龍馬(1835~67)ゆかりの場所として知られる京都市伏見区の旅館「寺田屋」について、京都市は25日、「1597(慶長2)年建設」としていた市の観光情報ホームページの説明を「鳥羽伏見の戦い(1868年、慶応4年)で焼失後に再建」と修正すると発表した。専門家の間では以前から再建説が強かったが、現在の寺田屋は観光客らに「幕末当時のまま」と説明していた。
 寺田屋は、定宿にしていた龍馬が幕吏に襲われ危うく難を逃れた事件(1866年、慶応2年)や、薩摩藩急進派の有馬新七らを島津久光が派遣した藩士が討った寺田屋騒動(1862年、文久2年)の舞台になった。
 現在は、1976年から建物を所有する会社が旅館として営業。400円で見学もでき、龍馬関係の資料を展示するほか、柱の穴や傷について龍馬が襲われた時の「弾痕」や「刀痕」と説明している。今月初め、週刊誌が展示内容を疑問視する記事を載せ、建物の由来をめぐって論議が改めて浮かんだ。
 そこで、京都市歴史資料館が調べたところ、鳥羽伏見の戦いを伝える瓦版に周辺一帯の焼失を示す図があったほか、明治時代の寺田屋関係者が残した文書にも「家屋諸共焼失シ」といった記述があった。現在の建物の東隣にある明治時代の碑にも「寺田屋の遺址(い・し)に建てた」とあり、鳥羽伏見の戦いで焼けたと結論づけた。
 市は寺田屋に適切な対応を求めた。寺田屋を所有する「冨信」の津幡学社長は、展示内容は以前の運営者から受け継いだものとしたうえで「過去の経緯と市の調査結果を精査し、わかりやすい説明ができるようにしたい」としている。
 幕末・明治維新の史料を展示する霊山歴史館(同市東山区)の木村幸比古学芸課長は「明治に再建された建物なのは間違いない。ロマンはロマンとして残し、史実はしっかり説明して、地域の観光につなげていくべきだ」と話す。(山村哲史)


読売
龍馬ゆかりの「寺田屋」、鳥羽伏見の戦いで焼けていた
龍馬ゆかりの「寺田屋」、鳥羽伏見の戦いで焼けていた
 幕末の歴史の舞台となった旅館「寺田屋」(京都市伏見区)が当時の建物でない可能性があるとされた問題で、京都市は25日、鳥羽伏見の戦い(1868年)で焼失した後、現在の建物が再建されたと考えられると発表した。
 市は、観光案内のホームページに記載すると共に、旅館側には案内テープを修正するように求めた。
 市は、市歴史資料館の文献資料などを調査。その結果、当時の瓦版に描かれた鳥羽伏見の戦いによる焼失地域に寺田屋が含まれることがわかった。さらに、女将(おかみ)・お登勢が、寺田屋で襲撃された坂本龍馬の妻・お龍にあてた手紙に、焼失後に建てたとみられる仮屋を意味する「かり屋」の文言があったことを確認した。
 旅館を運営する会社の津幡学社長(35)は案内テープに「市の調査結果をつけ加える」とする一方、「鳥羽伏見の戦いで一部を被災したが、修理するなどして現在に至っている」などと反論。暗殺未遂事件で龍馬が放ったピストルの弾の跡や刀傷が柱などに残っていることについて、「刀傷や弾痕は、当時ついたものだ」と語った。


毎日
寺田屋:1868年に焼失 「幕末のまま」と解説、京都市「修正が必要」
寺田屋:「幕末のまま」に京都市が「修正」要請
<寺田屋>「幕末のまま」に京都市が「修正」要請
寺田屋 「幕末のまま」に京都市が「修正」要請
 幕末の寺田屋事件や坂本龍馬襲撃の舞台となった旅館「寺田屋」(京都市伏見区)について、市は25日、鳥羽伏見の戦い(1868年)で焼失したのに「当時そのまま」と誤解を招く解説をしているとして、説明の修正など適切な対応をとるよう要請した。市の観光案内ホームページにも注釈を付ける。
 寺田屋はテープで「維新の舞台となった当時そのまま」と解説しており、入浴中だった妻おりょうが龍馬に襲撃を知らせるため素っ裸で駆け上がったとされる階段や弾痕、刀傷が当時のままと客は受け止めてきた。
 疑義を呈する指摘があり、市が調査。当時の瓦版などから、鳥羽伏見の戦いで焼失したと結論付けた。運営会社の津幡学社長(35)は「被災したのは一部で、現存の建物は幕末当時のものと認識している。市の調査結果は説明に付け加えたい」としている。【小川信】



産経
平成の寺田屋騒動で「寺田屋は焼失」と京都市が公式見解
 幕末の「寺田屋事件」の舞台となった旅館「寺田屋」(京都市伏見区)の建物が再建されたものだったとの可能性が指摘された問題で、市は25日、調査の結果「当時の建物は焼失したと考えるのが妥当」との見解を発表。寺田屋に対して、観光客らに誤解を与えることがないような対策を取ることを要請した。
 寺田屋側は市の見解を館内に記した上で、現状のまま経営を継続するという。
 調査では、慶応4(1868)年の鳥羽伏見の戦いで発生した火災を伝えた瓦版が焼失範囲の中に寺田屋を記していたほか、寺田屋が過去にこの位置にあったことを示す「寺田屋遺址(いし)」の碑が現在の建物の東側にあるなど、計9件の資料を精査。その結果、当時の建物は焼失と判断した。
 寺田屋側は「館内に市の見解を記すようにするが、今も一部が焼失しただけと認識しており、今あるままの寺田屋の形を存続していきたい」と話している。
 この問題では、現在の寺田屋が「当時のままの建物」をうたい、柱などに残った弾痕や切り合った際の刀傷などを展示。これに対し専門家らが、「多くの資料から現在の建物は明治後期の建築」と指摘していた。


京都新聞
「寺田屋」は鳥羽伏見の戦いで焼失
京都市が公表 展示改善を要請

「寺田屋」は鳥羽伏見の戦いで焼失 京都市が公表 展示改善を要請
 幕末の「寺田屋騒動」などの舞台として伏見観光の人気スポットとなっている京都市伏見区南浜町の旅館「寺田屋」について、市は25日、「(建物は)1868年の鳥羽伏見の戦いで焼失した」として幕末から残る建物ではないとの調査結果を公表した。
 現在の寺田屋では柱の刀傷や弾痕などを1862年の寺田屋騒動で残った実物として展示しているが、当時の建物ではないとの一部報道があり、市が今月に入って調べていた。
 市歴史資料館が、書物や石碑など9つの資料を点検した。鳥羽伏見の戦いがあった1868年1月27日直後に出たかわら版の地図で焼失範囲に寺田屋が含まれており、1906年に記された「寺田屋伊助申立書」にも戦いで焼失したとの文言があった。
 現在の寺田屋東側に立つ薩摩藩士の顕彰碑(1894年建立)にも、壊された建築物を意味する「遺址(いし)」の言葉が刻まれている。
 同館では「以前から当時の建物ではないと言われていたが、あらためて一つずつ資料を点検した結果、焼失したことが確認された」としている。
 市は寺田屋に対して展示の改善を要請し、市観光協会などには各観光施設で展示に誤解を与えないよう周知することを求める文書を送った。
 寺田屋は「あくまで市の見解であり、今までの旅館の取り組みがすべて否定されるものではない」と反論しているが、今後については「明確で分かりやすい展示を考えたい」としている。


スポニチ
「寺田屋は戦いで焼失」京都市HP変更へ
 幕末の薩摩藩の内紛「寺田屋騒動」や坂本竜馬襲撃事件の舞台とされる京都市伏見区の旅館「寺田屋」について、市は25日、「(当時の建物は)1868年の鳥羽・伏見の戦いで焼失したと考えるのが妥当」との調査結果をまとめ、寺田屋側に文書で通知した。
 寺田屋は「当時の船宿そのまま」とし、竜馬愛用の部屋や、刀や銃弾による傷を展示。建物の疑問が指摘された後、市は観光案内のホームページ(HP)の写真と紹介文を削除しており、今後内容を変更し掲載する。寺田屋にも観光客に誤解を与えないよう求めた。
 寺田屋を経営する会社は「一部が被災しただけで、全焼してなくなったわけではない」と説明。「市のHPを参考にするなどし、いま一度考えたい」としている。
 調査は市歴史資料館が実施。鳥羽・伏見の戦い直後のかわら版は、寺田屋周辺が戦火で焼失したことを図示していた。また現在の寺田屋の東側にある碑(1894年建立)に「寺田屋遺址」と記されるなど、戦い後しばらくは建物が存在しなかったことを示す計九つの資料があったという。


中日
京都市「寺田屋は戦いで焼失」 HP変更へ
 本物は焼失していた-。幕末の薩摩藩の内紛「寺田屋騒動」や坂本竜馬襲撃事件の舞台とされる京都市伏見区の旅館「寺田屋」について、市は25日、当時の建物は旧幕府側と新政府軍の戦火で失われたとする調査結果をまとめた。
 旅館は「当時の船宿そのまま」と案内し、竜馬愛用の部屋や、刀や銃弾による傷を展示。責任者は「市の見解の明示も含め考えたい」とする一方で「建物は一部が被災しただけ。全焼してなくなったわけではない」と主張、新たな「寺田屋騒動」は収まりそうにない。
 調査は市歴史資料館が実施。1868年の鳥羽・伏見の戦い直後のかわら版は、寺田屋周辺が戦火で焼失したことを図示。現在の寺田屋の東側にある碑(1894年建立)にも「寺田屋遺址」と記されるなど、戦い後しばらくは建物が存在しなかったことを示す計9つの資料があったという。
(共同)


拙ブログ内関連記事
DVDに収録されなかった「新選組を行く」の回 (2007年2月13日): コメント欄にkeiさんからのコメントで寺田屋再建説が紹介される
9月3日の幕末ニュース: 寺田屋が再建かどうか京都市が調査開始
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