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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 幕末とは直接関係ありませんが、『陽炎の辻2』に出演している中越典子さんのインタビューをネットで発見しました。「おこん」ちゃん役に入れ込んでいるようで重畳です。

福島
第54回二本松の菊人形
二本松市(福島県)
「千輪咲き」などの作品や大河ドラマの名場面を再現した菊人形など、菊の芸術が人々の目を楽しませる。

日本最大級の菊の祭典「二本松の菊人形」。藩政時代から菊の愛好者が多く、1955(昭和30)年から現在のように展示するようになった。

期間中、訪れる人々はおよそ20万人。広大な会場には約3万株もの菊が咲き誇り、紅葉とあいまって見事な風景を作り上げる。1本の茎から千個もの花を咲かせる「千輪咲き」などの作品をはじめ、大河ドラマの名場面を再現した菊人形など、見どころが満載。今年は、戊辰戦争ではかなく散った二本松少年隊の雄姿も再現される。

繊細で華麗な芸術を、心ゆくまで堪能しよう。


千葉
復刻:ハリスの覚書翻訳「木村軍太郎伝」 日米修好条約150周年にちなみ /千葉
◇「印旛郷土研究会」のメンバー
 佐倉市ゆかりの偉人について書かれた研究書を後世に残そうと「印旛郷土研究会」(北詰栄男会長)が日米修好通商条約締結150周年を記念し、日本の開国に寄与した佐倉藩士の生涯をつづった伝記「蘭学者 木村軍太郎伝」(1937年発行)を、現代語訳して復刻させた。

 木村軍太郎(1827~1862年)は佐倉藩士で、佐久間象山らから蘭学を学んだ。幕末に来航した米国のタウンゼント・ハリスが差し出した「外国使節待遇の件に関した覚書」を翻訳するなど開国の際に活躍。郷土のヒーローとして、同時期に活躍した佐倉藩士の西村平太郎、依田十太郎とともに「佐倉の三太郎」と呼ばれ、親しまれている。


埼玉
10月から「比企・入間歴史ツーリング」
 ここ数年で続々と地域に戻ってくる「団塊世代」のお父さんらを対象に、埼玉西部の歴史の深さと良さを知ってもらおうという「比企・入間歴史ツーリング」が十月から開かれる。座学ではなく実際に地域に出向き歴史を知ろうという企画。新会社法に則って今年五月、川越や東松山・ときがわなどのフリーの編集者らが作った「LLP(有限責任事業組合)じもとメディア」(市川勤代表)の第一弾の催し。
(中略)
 第二回は十一月九日に同じく旗本の「加賀爪氏四代記」として東松山市の高済寺、岩殿観音などを訪ねる。ほかに「仙波東照宮と天海」「河越城と太田道真・道潅」「甲源一刀流と幕末の農民剣術」などをテーマに越生町や川島町、寄居町、小鹿野町まで足を延ばす予定だ。


東京
街かど展:両国橋350年記念 江戸の粋、文化と伝統を伝える /東京
街かど展:両国橋350年記念 江戸の粋、文化と伝統を伝える /東京
◇高札50カ所に再現 史跡巡り11コース 勝海舟や職人展も
 両国橋架橋350年を記念し、江戸文化と伝統を伝えるイベント「橋架け350 ぶらり両国街かど展」が、墨田区内で開かれている。江戸時代に掟(おきて)書きなどを記した「高札」が再現されるなど江戸・下町の歴史好きにはたまらない粋(いき)な企画展示、ツアーが11月16日まで目白押しだ。

 期間中、両国周辺50カ所には高札が再現される。この高札には、史跡の説明などが記され、忠臣蔵や幕末維新の立役者、勝海舟にちなんだ史跡のほか、各相撲部屋をボランティアガイドとめぐるツアー11コースが約130回開催される。

 10万人以上の犠牲者が出た明暦の大火(1657年)の無縁仏が葬られた回向院(両国2)では、今昔をしのぶパネル展が26日までと、10月1日~11月16日の2回、同院本堂で開かれる。10月12日午後2時からは本堂で薩摩琵琶演奏会もある。

 10月8~13日には、両国4丁目町会会館で「勝海舟展」が、江戸東京博物館では江戸以来の伝統工芸の技を披露する「大江戸すみだ職人展」も開かれる。区観光課では「盛りだくさんの内容があるので、お年寄りから子供まで楽しんでほしい」とアピールしている。

 区と同展実行委員会は多くの人にイベントを満喫してもらおうと、期間中はイベントや街の楽しみ方をアドバイスする案内所を両国リバーホテル(両国2)内に開設。さらに、区内の観光案内所2カ所と近隣区を中心とした「東武トラベル」11カ所で同展について詳しく書かれたガイドブック(200円)を発売する。問い合わせは区観光課(03・5608・6500)。【吉永磨美】


神奈川
菅生神社奉納芝居 今年は坂本龍馬
出演者減少「今年で最後か」の声も
 菅生神社で毎年恒例となっている「奉納菅生神社演芸大会」が10月4日に行われる。毎回人気の菅生青年同志会(小澤幸雄会長)一座の奉納芝居は、『坂本龍馬』だが、役者不足により今年が最後という声もある。



滋賀
日野ゆかり武将・関氏紹介
町立図書館で特別展

日野ゆかり武将・関氏紹介 町立図書館で特別展
 滋賀県日野町ゆかりの戦国武将、関氏を紹介する特別展「関家3代-安芸守盛信・長門守一政・安芸守氏盛」が、同町松尾の町立図書館で開かれている。

 関氏は三重県の土豪で、盛信の時代に織田信長に服し、息子の一政は蒲生氏郷に従って全国各地を転戦、5万石の大名になった。後に領地を没収されたが、養子の氏盛が日野町中山地区などを領する旗本として活躍し、幕末まで存続した。

 ……滋賀県にも日野って地名があるんですね^_^;。

京都
「寺田屋は戦いで焼失」京都市HP変更へ
 幕末の薩摩藩の内紛「寺田屋騒動」や坂本竜馬襲撃事件の舞台とされる京都市伏見区の旅館「寺田屋」について、市は25日、「(当時の建物は)1868年の鳥羽・伏見の戦いで焼失したと考えるのが妥当」との調査結果をまとめ、寺田屋側に文書で通知した。

 寺田屋は「当時の船宿そのまま」とし、竜馬愛用の部屋や、刀や銃弾による傷を展示。建物の疑問が指摘された後、市は観光案内のホームページ(HP)の写真と紹介文を削除しており、今後内容を変更し掲載する。寺田屋にも観光客に誤解を与えないよう求めた。

 寺田屋を経営する会社は「一部が被災しただけで、全焼してなくなったわけではない」と説明。「市のHPを参考にするなどし、いま一度考えたい」としている。

 調査は市歴史資料館が実施。鳥羽・伏見の戦い直後のかわら版は、寺田屋周辺が戦火で焼失したことを図示していた。また現在の寺田屋の東側にある碑(1894年建立)に「寺田屋遺址」と記されるなど、戦い後しばらくは建物が存在しなかったことを示す計九つの資料があったという。

 まだスポニチの記事でしか引っかかってきませんが、京都市としての見解は結論が出たようです。
参照: 9月3日の幕末ニュース

島根
しまね拡大鏡:「浜田城まるごと初級講座」に参加 見せる城に工夫 /島根
しまね拡大鏡:「浜田城まるごと初級講座」に参加 見せる城に工夫 /島根
◇幕末の「自焼退城」説覆る
 旧浜田藩は慶応2(1866)年の第2次長州征伐(石州口の戦)の際、幕府軍の中核として長州軍と戦って敗れ、浜田城(浜田市殿町、城跡は1962年6月、県史跡に指定)は「自焼退城」。築城243年の歴史を閉じた。浜田市教育委員会は、「今年度浜田市ふるさと教育研修会 第1回地域素材実地研修会」として、市内の小中学校の教職員、社会教育関係者にふるさと教育の推進に役立ててもらおうと、浜田城まるごと初級講座を開いた。約20人が参加し、その模様を同行取材した。【大賀英作】


米国マサチューセッツ州
ジョン万次郎友好記念館 所緑のホイット船長宅に 米国マサチューセッツ州日野原博士発起人で設立
 十四歳の時、乗っていた漁船が遭難し、ウィリアム・ホイットフィールド船長率いるアメリカの捕鯨船に救出され、米国に渡った「ジョン万次郎」こと中濱万次郎(一八二七-―八九八、高知県土佐清水市出身)。鎖国中の江戸時代にアメリカに住んだ「初の日本人」で、帰国後は通訳・英語教師として幕末の混乱期に活躍した。その万次郎が滞米中、身を寄せたホイットフィールド船長の旧宅を購入し、日米友好記念館として新設する動きが起こっている。

 『ホイットフィールド・万次郎友好記念館』と名づけた同館開設には、先日来伯した日野原重明氏(聖路加国際病院名誉院長、新老人の会会長)が尽力。政治家、高知県関係者、ボストン日本協会会長など三十六人の発起人を代表して、購入修復に必要な八千万円の募金を日本全国に呼びかけた。

 きっかけは二〇〇七年、米国マサチューセッツ州フェアー・ヘブンに所在するホイットフィールド船長の旧宅が、老巧化が進み競売にかけられていることを知った「新老人の会」ニューヨーク支部長の吉田礼三さん(八一、長崎県出身)が日野原氏に相談したことから。

 ホイットフィールド家と中濱家の交流は五代目となった今でも続いており、「何とか保存を」という両家と在米日系社会の願いに日野原氏が一役買った。

 ホイットフィールド船長の養子となり、一八四三年からフェアー・ヘブンで暮らし始めた万次郎は、「利発で向学心が強く働き者」とよく地元民の口先にのぼる存在だった。寝る間を惜しんで勉強し、英語、数学、測量、航海術、造船技術などを身につけた。

 「このような万次郎は日本の子どもたちの励みにもなる」として日野原氏は、「ペリー来航以前に万次郎を米国に伴い、高等教育の機会を与えたホイット・フィールド船長の家を購入して日米友好の証として末永く保存・活用しよう」と呼びかけたところ、わずか半年間で全国から八千万円が寄せられた。

 その中から四十五万ドル(約五千万円)を投入して旧宅を購入、五月初頭には日野原氏ら四人の発起人がフェアーヘブンを訪れ、開館後は町に寄贈し町の直営管理とする、などの合意覚書に調印した。建物は現在、〇九年五月の記念館開館に向けて修復作業が進められている。

 フェアーヘブンには、万次郎ゆかりの小学校、家庭教師宅、海洋航海・造船術の高等学院などが「万次郎トレール」として整備されており、ホイットフィールド家から万次郎の長男にあてた米国への招待状などの資料も残されているという。

 記念館開設運動により、百六十五年前の「日米友好交流の発祥地」にスポットライトが当たり、これまで近代日本史上であまり表に出てこなかった中濱万次郎という一人の重要人物を再認識するきっかけともなりそうだ。

■帰国後の万次郎=一八五一年帰国。その英語力・造船知識から薩摩藩の島津斉彬、土佐藩の山内容堂公に重用されるが一八五三年、幕府に召聘されペリーの通訳も勤めた。英会話書『日米対話捷径』の執筆、『ボーディッチ航海術書』の翻訳などのほか、造船の指揮、講演、通訳、船の買付などに従事。日本に民主主義思想や『ABCの歌』も紹介した。一八六〇年、勝海舟、福沢諭吉らの遣米使節団に同行し、恩人ホイットフィールドにも再会している。

 米国マサチューセッツ州のニュースをブラジル・サンパウロ発のニュースで見るとは、乙ですなぁ。
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