新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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先週の放送以来、毎日のように「のだめカンタービレ in Europe」の録画を見ています……うう、至福の時です。
東京
江戸の日々つらつらと 桑名藩勘定頭の弟の日記発見
福井
受験を応援、合格グッズ 「大丈夫鉛筆」「すべらサンド」
佐賀
大隈重信侯の遺徳しのぶ 龍泰寺で87回忌
宮崎
都城島津邸:幕末~昭和の建造物群現存 国の登録文化財に申請も /宮崎
ブックレビュー
今なぜ竜馬なのか――富国ということ
津本陽著『商人龍馬』
IT
福沢諭吉の稀覯本174冊がグーグルで閲覧可能に
東京
江戸の日々つらつらと 桑名藩勘定頭の弟の日記発見
江戸時代末期、江戸の桑名藩邸に住んでいた武士が日々の見聞を詳細に記した日記が見つかった。三重県桑名市博物館などの調べで、筆者は同藩の役人を兄に持つ藩士と判明。つじ切りなどが頻発し、外国人が歩き回る町の様子から薩英戦争などの歴史的事件まで、市井の風聞や生活が生々しくつづられており、幕末の世相が分かる貴重な史料になりそうだ。
表紙に「文久日記」と書かれた文書は2003年、元東京女学館大教授の金子皓彦(てるひこ)さん(65)が東京都内の骨董(こっとう)市で見つけた。内容も分からず買い求めたが、文字を拾ううち「面白い」と直感。出版を手掛ける角川春樹事務所に持ち込んだ。
約600ページにわたる文書を専門家が3年がかりで活字に直した結果、日記は文久元(1861)年から同3年に書かれ、筆者は日本橋にあった藩邸内の長屋に住んでいたと判明。桑名市博物館学芸員の杉本竜さん(33)が寺の記録などを調べ、勘定頭を兄に持つ「宮部善八」と突き止めた。
福井
受験を応援、合格グッズ 「大丈夫鉛筆」「すべらサンド」
大学入試センター試験が19、20日に迫った。毎晩、机にかじりついてきた受験生やその親たちにとって、験を担ぐ「合格グッズ」も七つ道具の一つのようだ。福井県内の社寺やショッピングセンターで人気の品を探った。
福井市大宮2丁目の県護国神社では、昨年売り出した「勝お守り」「大丈夫お守り」に加え、6本セットの「大丈夫鉛筆」「勉学お守り」(各700円)もお目見えした。
禰宜(ねぎ)の宮川貴文さん(35)によると、大丈夫という言葉は秀才と言われた幕末の福井藩士、橋本左内が書箱に書いた言葉で「いかなる時も動じない心」を表しているという。削っても削っても黒色の鉛筆は「何色にも染まらない真っすぐな気持ち。精神的な強さを持って試験に臨んで」と応援する。
佐賀
大隈重信侯の遺徳しのぶ 龍泰寺で87回忌
「佐賀の七賢人」の1人で早稲田大学の創始者である大隈重信侯(1838―1922年)の第87回忌法要が10日、佐賀市赤松町の龍泰寺であった。大隈記念館保存会や早稲田大学校友会のメンバーら約30人が出席し、先師の遺徳をしのんだ。
宮崎
都城島津邸:幕末~昭和の建造物群現存 国の登録文化財に申請も /宮崎
都城市が購入を検討している同市早鈴町の都城島津邸が9日、報道陣に公開された。1・5ヘクタールの敷地に幕末~昭和初期の木造建築や土蔵、プールなど、文化財級の歴史的建造物が残る。昭和天皇が73年、小林市であった全国植樹祭に出席した際、休憩、宿泊した本宅の部屋は、調度品などを含めて当時のまま保存されている。
旧都城領主の島津氏が現在地に屋敷を構えたのは、1879(明治12)年ごろ。その後、本宅は1935(昭和10)年に改築し、54年に2階部分を増築した。昭和天皇宿泊に際して2階の更衣室などを改修した。広さは約560平方メートル。
建造物で最も古いのは剣道場で、1867(慶応3)年の建築。明治期に移築した。現在は板蔵(倉庫)だが、市内最古の木造建築でもある。土蔵も1872(明治5)年ごろの建物。このほか執事らが住んだ大正初期の住宅群、50年以上前のプール、池もある。
ブックレビュー
今なぜ竜馬なのか――富国ということ
津本陽著『商人龍馬』
2007年12月、坂本竜馬が没して140年を迎えた。その節目に当たって著者は「志士としての竜馬ではなく、商人としての竜馬を描きたかった」と執筆の動機を語る。
IT
福沢諭吉の稀覯本174冊がグーグルで閲覧可能に
幕末から明治にかけて進歩的言論を展開し、日本の近代化に多大な影響を与えた福沢諭吉。諭吉は、例えばその著作『尚商立国論』において、武道や軍事を大切なものと考える「尚武」という概念に対して、「尚商」との造語を考案した。江戸時代から続く商業蔑視の風潮が根強い時代にあって、経済活動の重要性を説いた。官に依存した考え改め、民による実業を盛んにして立国する必要があるとした。100年以上前に諭吉が喝破した官尊民卑という宿痾(しゅくあ)は、現代日本に今もまだ残る。福沢翁に耳を傾ける現代的価値は小さくない。
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