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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 昨日今日クリップした記事をまとめてご紹介します。

北海道
原田さんの「海霧」 今度は芝居で 劇団民芸が12月に東京公演
 明治から昭和にかけ、釧路でひたむきに生きた一族を描いた作家原田康子さん(79)=札幌市=の長編大河小説「海霧」が、日本を代表する劇団のひとつとして知られる劇団民芸(本部・川崎市)によって舞台化される。十二月に東京で公演予定で、原田さんも舞台を心待ちにしている。
(中略)
 原田さんの曽祖父に当たる人物が明治維新後間もなく、佐賀から新天地を求めて釧路へ移り、雑穀問屋を興して富を得るが、一族の奮闘むなしくつぶれてしまう。この推移を一族の女性三代の目から映し出しており、舞台化では、どの人物を軸に、どの場面を切り取るのかが見どころとなる。


宮城
伊達な文化の躍動:/7止 華 ホストクラブ「R&J」の黒崎靖さん /宮城
記事はホストさんへのインタビューなんですが、国分町の歴史解説に幕末明治維新の記事が。
 国分町は、藩政期は奥州街道の一部で旅人が行き来し、明治維新後、陸軍の駐在などを契機に高級旅館や料亭、遊郭が次々と開業。戦後も70年代から東京資本が流入し、飲食店ビルが林立するなど、華やかな仙台の歓楽文化の中心を担ってきた。

 戊辰戦争の時、土方さんが国分町の「外人屋」に滞在してましたね。仙台出張があった時に、国分町にその跡を探しに行きました……もちろん昼間です(^^)。

福島
白虎隊剣舞 継承のDVD
 悲運の最期を遂げた白虎隊を鎮魂する「白虎隊剣舞」の舞い方を収めたDVDが、舞を継承する会津高校のOBにより製作された。剣舞は白虎隊士の17回忌に奉納されて以来、毎年の墓前祭などで舞われる会津の風物詩だが、最近、県外などから「舞いたい」という問い合わせが増加。今年は白虎隊自刃140年の節目でもあり、舞の作法や精神などを正しく後世に伝えることにした。

 製作した会高剣舞会の穴澤耕二事務局長(54)は「不正や偽装が横行する中、一途な品格ある生き方へのあこがれが増しているのでは」と話むむす。

 「少年団結す 白虎の隊」で始まる漢詩の吟で舞う剣舞は、白虎隊が祖国存亡の危機に立ち上がり、戦いに敗れて敗走、集団自決する最期などを約7分の吟と舞で物語る。1884年、戊辰戦争後の初法要のために会津藩校日新館で製作され、旧制会津中学、会津高校と伝えられている。


千葉
仁王像内部から「お札」7千枚…「江戸の世相うかがえる」
 千葉県市川市本行徳の徳願寺=中野亨順(こうじゅん)住職=の山門内にある一対の仁王像の内部から、江戸時代後期の庶民が書いたとみられる願掛けのお札(ふだ)計約7000枚が見つかった。

 病気回復や家内安全への願いが記されており、専門家は「当時の庶民心情や世相の一端がうかがえる貴重な資料」としている。

(中略)

仏像史に詳しい新潟県立近代美術館長の水野敬三郎・東京芸大名誉教授(日本彫刻史)は「仏像の内部からはしばしばお札や巻物が見つかるが、大抵は『極楽往生』や『先祖供養』を願う内容。徳願寺のお札は病気回復を祈るものが多く、現実的な点が珍しくおもしろい。幕末に向かう世相とも何らかの関係があるのかも」と分析する。


流山市史書き換え販売中止問題:市教委が謝罪 執筆者と和解 /千葉
 流山市教委が05年3月に発刊した「市史通史編2」について、執筆者の1人が「原稿を無断で書き換えられた」と抗議し、同年5月から販売中止となっていた問題は、市教委がこの執筆者に謝罪して和解した。15日発行の市広報紙と、市のホームページに同日から1年間、謝罪文を掲載し、市史巻末に印刷されたこの執筆者名をシールで隠して販売を再開する。
 謝罪文は鈴木昭夫教育長名で、「特に評価の分かれやすい戦争に関する歴史的な評価を大幅に加筆した部分が多数ありました」「最終確認を得ずに発刊したことは、事務的な不手際であり、心から謝罪させていただきます」としている。
 「通史編2」は幕末~現代の市史で、担当職員1人を含む7人が執筆した。抗議していたのは元小学校長で、全体の約3分の2を執筆したが、担当職員が原稿を2328カ所変更、うち1941カ所は加筆したり表現を修正していた。

 一件落着したようで、何よりです。

東京
外国人歩き回り 『コロリ』が流行  幕末混迷の江戸日記
 江戸時代の末期、江戸・日本橋の桑名藩邸に住んでいた武士が日々の見聞を記した日記が見つかった。三重県桑名市博物館などの調べで、筆者は同藩の役人を兄に持つ藩士と判明。つじ切りなどが頻発し、外国人が歩き回っていた町の様子から、薩英戦争(一八六三年)などの歴史的事件まで、市井の風聞や生活が生々しくつづられており、幕末の世相が分かる貴重な史料になりそうだ。(桑名通信局・境田未緒)

 日記は、表紙に「文久日記」と記された文書で二〇〇三年、東京女学館大の元教授の金子皓彦(てるひこ)さん(65)が東京都内の骨董(こっとう)市で見つけた。「たばこと塩の博物館」(東京都渋谷区)で開催中の「幕末ニッポン」展で初公開中(十四日まで)。

 日記からは、鎖国が解け、幕府の威信が低下して社会不安が高まっていく幕末の様子が読み取れる。

 町中では、幕府が編成した護衛隊に守られた外国人が歩き回る一方、イギリス公使館が置かれた東禅寺を水戸浪士らが襲う東禅寺事件(一八六一年)が発生。外国人が子どもの生き血を吸うといううわさも流れた。

 一方、押し込み強盗やつじ切りが頻発し、浪人が象の見せ物小屋で料金を支払わず刀を抜き、「見せろ」と脅す事件も。「将軍に会いたい」とたばこ屋の亭主が江戸城の奥まで入り込んだという記述もある。

 当時、「コロリ」と呼ばれたコレラが大流行し、筆者は毎日、多くの棺おけが日本橋を通り過ぎていくのを目撃。各町で山車を引き出し、邪気払いをする様子なども書かれている。

 また、薩英戦争など遠方の事件では、当初「薩摩が英国に勝ったらしい」などと書いてあるなど、情報がかなり錯綜(さくそう)していたこともうかがえる。


 「将軍に会いたい」というタバコ屋のご亭主、どうやって江戸城の奥まで入り込んだんでしょう(汗)……簡単に侵入を許してしまうほど、江戸城の警備に穴があったということなんでしょうが。


長野
松本の歴史巡るすごろく 市立博物館友の会が企画、作製
 松本市立博物館を支える市民グループ「松本まるごと博物館友の会」が、同市の歴史をたどることができる開運すごろくを作った。同館で200円で販売されている。

 市制101年目を迎えるにあたり、記念となることをしようと同会が企画した。明治維新から現代までのできごとが、54のますに書き込まれている。



新潟
立志元服式:中学3年生42人 成人の誓い--佐渡 /新潟
 佐渡市新穂瓜生屋の「トキの村・元気館」で8日、市立新穂中(斉藤行高校長)3年の生徒42人の「立志元服式」(新穂地区公民館主催)が行われた。

(中略)

 記念講演した佐渡伝統文化研究所の石瀬佳弘所長は「幕末の地理学者、伊能忠敬が日本地図の測量の志を立てたのは50歳」と話し、立志に年齢は関係ないと激励した。


愛知
美しい浮世絵140点 ボストン美術館で名品展
美しい浮世絵140点 ボストン美術館で名品展
 日本初公開の浮世絵を多数集めた「浮世絵名品展」(中日新聞社共催)が、名古屋市中区の名古屋ボストン美術館で開かれている。

 世界一とされる米国ボストン美術館の浮世絵コレクションから、写楽や広重、北斎など約140点を厳選して展示する。

 会場には、初期の墨摺(ず)りの浮世絵から、多色で鮮やかな幕末のものまでを時代に沿って展示。浮世絵の歴史だけではなく、庶民習俗の移り変わりもよく分かるようになっている。



香川
力餅耐えた180キロ,さぬき
 特大の鏡餅(かがみもち)を持ち上げ、歩いた距離を競う「大鏡力餅運搬競技」が7日、さぬき市長尾西の四国霊場第八十七番札所・長尾寺であり、2回の合計で62・95メートルの記録を出した徳島県鳴門市、スポーツジム指導員生田英大さん(35)が優勝した。

 幕末に、力士が長尾寺の境内にあった石で力試しを繰り返し、金剛力を授かったとされる故事にちなんだ行事で、三方を含めた重量は昨年より約15キロ重い180キロ。県内外から参加した男性8人は、腹に二つ折りの座布団をさらしで巻き付け、鏡餅を抱えるようにしながら歯を食いしばって歩き、見物客から「頑張れ」と声援を受けていた。


高知
土佐を継ぐ 
「いつか描く」波の色

 米ハワイ出身で元サーファーの歌手ジャック・ジョンソンが奏でる、穏やかで心地よい音楽が工房に響く。アコースティックギターのリズムに合わせ、カラフルな服装の市川伸一さん(39)が、海に入る平安末期の武将・那須与一が描かれた巨大な布に、ハケで色を付けていく。横には、作務衣姿の父、誠郎さん(68)。伸一さんは、カリフォルニアの〈あの波〉の色を表現しようと懸命だ。

 須崎市東古市町の商店街にある「市川染物店」。歴史は古く、江戸時代からフラフや幟を製作する。高知城下を追放された幕末の絵師・金蔵が一時寄宿し、創作の場としていたという逸話もある。



佐賀
佐賀藩築造の台場石垣が崩壊危機 長崎
 幕末期に長崎警備を強化するため、佐賀藩が築いた四郎ケ島台場(長崎市神ノ島地区)の石垣が崩壊の危機に直面している。日本初の反射炉で鋳造した鉄製大砲を据えた貴重な遺構だが、1991年の台風で傷んだまま放置され、いよいよ危険な状況に。科学技術史の研究者や市民団体から補修を求める声が上がっている。

 四郎ケ島は長崎湾の湾口部にあり、開国を求める欧米列強の動きに危機感を持った佐賀藩が1851年から独力で整備。反射炉で鋳造した大砲を据えて警備に当たった。今もほぼ完全な姿で石積み遺構が残っており、全国に約3000カ所あったとされる幕末の台場の中でも「これほど当時の姿をとどめる台場は珍しい」(鈴木一義国立科学博物館研究主幹)と評価されている。

コラム
将軍家定・篤姫夫妻 好物の木の横に眠る
 大河ドラマ『篤姫』の第一回、堺雅人さん演じる愛らしい(爆)家祥殿に目を奪われた『新選組!』ファンは自分ひとりではないだろうと思いつつ(笑)……。
 NHK大河ドラマで注目の「篤姫」。薩摩藩主島津斉彬(なりあきら)に見込まれて養女になり、十三代将軍家定に嫁いだ女性だ。

 それだけ聞くと、シンデレラストーリーのようだが、幕末の緊迫の中、病弱と言われた上様との暮らしや大奥のお局様たちとのバトル(?)など、のんきなお姫様生活とはかけ離れた日々だった。

 その「篤姫」ゆかりの地を東京に探した。まず渋谷の薩摩藩別邸跡。嘉永5年(1852)に薩摩藩屋敷になり、その後拡張され、1万8千坪の広大な敷地となった。篤姫は安政3年(1856)にここから将軍家に嫁いだという。渋谷駅から車で約5分。ここが渋谷?と疑いたくなるほど静かな一角だ。近隣には渋谷区郷土博物館や常陸宮邸がある。かつて「常磐松」という大きな松があり、これが島津家ゆかりとの口伝があったことから、斉彬の家来が建てた石碑が今も残されている。

 でも、ちょっと待て。江戸時代の渋谷は郊外で、しかもここは別邸。大切なお姫様は上屋敷で過ごすのが常識では?

 実は芝にあった本来の薩摩藩邸は、安政の地震で被災。さらに、海に近い藩邸は海上の黒船から攻撃を受ける可能性もある、と姫を渋谷に移したとの説もある。まさに油断できない時代だったのだ!

 話は飛ぶが、家定に先立たれ天璋院(てんしょういん)となった姫は、明治16年(1883)死去。上野寛永寺に眠っている。訪ねてみたが「個人の墓所なので一般公開はしていません」とのことだった。残念。家定の墓所の横には柿、姫の墓所の横にはビワ、それぞれの好物の木が植えられているという。誰の配慮か。粋な心遣いだと思う。(ペリー荻野 コラムニスト)

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