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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日は晴れたので昼間は気温がけっこう上がりました……陽が陰りはじめると、やはり冷えますが。一年で一番寒いシーズンですねぇ。
 今日は福島県会津若松市で新選組記念館がオープンしたというニュースが入ってきています。

北海道
幻の箱館焼 開港の年に誕生、道内初の焼き物 現存わずか100点
 函館が開港した一八五九年(安政六年)、この地で道内初めての焼き物も誕生した。「箱館焼(はこだてやき)」と呼ばれ、函館の風物を題材にした作品も生まれたが、数年で姿を消した。函館ではこの伝統を守り継ごうと「函館焼」の名で陶芸を続けている作家もいる。開港百五十周年を迎えた今年、陶芸の分野のもう一つの百五十周年を紹介する。(石井昇)
 二〇〇一年に特別展「幕末の箱館と幻の陶磁器 箱館焼の世界」を開いた市立函館博物館によると、箱館焼は美濃(現在の岐阜県)の足立岩次(いわじ)ら陶工の集団が一八五八年(安政五年)、現在の函館市谷地頭町に移住し、翌年に製陶を開始した。移住の経緯ははっきりしないが、蝦夷地(えぞち)の産業育成を目指した箱館奉行の意向が働いていたとみられる。
 箱館焼は北前船で本州各地に運ばれたほか、開港地・箱館に来た外国人にも販売され一定の需要があった。しかし、製陶の材料や生活資材の大部分を本州からの移入品でまかなう状況では経費がかかりすぎ、一八六〇年代には窯を廃止した。
 製品は磁器に染め付けしたものがほとんどで、器の種類は湯飲みや皿、つぼ、花器など多岐にわたる。「箱館八景」やアイヌ民族の姿など函館周辺の風物を題材にした意匠が多いのが特徴だ。
 現存するのは全国でも百点ほど。函館市内のほか、当時、北前船で結ばれていた福井県敦賀市などにも伝わっている。また、足立岩次らが美濃に戻ってから焼いたと見られる作品も残っている。
 約二十七点を所蔵する、市立函館博物館の佐藤智雄(のりお)学芸員は「箱館焼は、開港都市・箱館で生まれた蝦夷地オリジナルともいうべき存在。節目の年に函館を見直すきっかけにしてほしい」と話している。


岩手
「幕末の掟破り 危機越えて」/大船渡
 1851(嘉永4)年に定めた地域の掟(おきて)を受け継ぐ159回目の「元服式」が成人の日の12日、大船渡市赤崎町の沢田地域公民館であり、この春中学を卒業する3年生14人が、地域の15~42歳で構成する若者集団「佐野契約会」(佐々木純会長)に仲間入りした。
 「堪忍のならぬは心の掃除たらぬため」など30カ条の「嘉永4年の定(さだめ)」を守ることを約束した契約書に、一人ひとりが血判代わりの母印を押し、酒代わりのブドウ液の杯を飲み干した。
 契約会は、外国船の来訪で世情が騒がしくなり、明治維新という大変革期を16年後に控えた時期に発足した。佐々木会長は「いま100年に一度の経済危機というが、契約会は159年の歴史があり危機的状況を乗り越えてきた。先人の示した考えを受け継いで人生の道しるべとしてほしい」と励ました。新入会員の佐々木拓哉君は「159年続く式に参加できたのは運がいいこと。自分にできることがあれば何でもやっていきたい」と意気込みを話した。



福島
新選組記念館:会津とのつながり示す資料一堂に 会津若松・七日町にオープン /福島
新選組記念館:会津とのつながり示す資料一堂に 会津若松・七日町にオープン /福島
◇骨董品店営む高橋一美さんの蔵改装

 新選組三番隊長、斎藤一の墓がある会津若松市七日町にオープンした「会津新選組記念館」が、ファンの注目を集めている。京都守護職を務めた会津藩主・松平容保が隊名を付けたという説もあり、戊辰(ぼしん)戦争で藩士とともに戦った新選組と会津のかかわりを示す資料館だ。
 骨董(こっとう)品店「骨董むかしや」を営む高橋一美さん(41)が館長。店舗は明治中期の1889年に作られた蔵で、2階を資料館に改装した。20代のころ、戊辰戦争の戦没者を慰霊する「会津まつり」で、火縄銃の演武を披露する「会津藩鉄砲隊」を組織。当時の銃などを研究、収集するうち、新選組と会津藩のつながりを知ったという。
 「市内には土方歳三が湯治した温泉や近藤勇の墓もある。調べるにつれ、新選組と会津のかかわりの深さを実感した。七日町には、斎藤一の墓がある阿弥陀寺のほか、隊士が宿泊した清水屋旅館もあった。地元に情報を発信し、観光客とも交流できる拠点がほしかった」と高橋さん。
 戊辰戦争当時の鉄砲、隊士が使っていたものと同じ鎖かたびらなど新選組関連資料のほか、母成峠の戦いで使われたとされる木製砲、会津藩祖・保科正之や家老田中玄宰の書状などもある。開館は午前10時から午後5時までで不定休。高校生以上300円、中学生以下200円。【太田穣】




群馬
堀跡や鬼瓦にファン400人 高崎城跡で現地説明会
 本丸の堀跡が初めて出土した高崎城跡(高崎市高松町)で十二日、発掘調査を進める同市教育委員会が現地説明会を開催した。一帯からは、幕末まで藩主を務めた松平(大河内)氏の家紋が付いた極めて珍しい鬼瓦や、築城以前の貴重な中世の堀跡も出土。県内外から詰め掛けた四百人以上の歴史ファンたちは、本丸の堀を築城した「徳川四天王」の一人である井伊直政などに思いをはせている様子だった。
 本丸の堀跡が出土したのは、市が建設を計画する仮称「市医療保健センター・新図書館」の敷地。現時点までの発掘により、幅約二十四メートル、深さ約八メートル、長さは五十メートル以上の大きな規模だった点が判明した。堀跡を分断するような大きな木製施設の遺構も出土し、明治時代以降の廃城時に堀を埋め戻す際に設けたらしい。
 一方、鬼瓦は本丸の堀跡からほかの瓦の破片とともに出土。全体の約三分の二が二つに割れて発掘され、接合すると縦二十六センチ、横四十五センチ、厚さ九センチ。家紋は中央に花びら十六枚のキクが彫られ、その周りをチョウ三匹の彫刻が囲んでいる。
 鬼瓦は周辺にあった門か櫓(やぐら)に付いていた可能性が高く、廃城時に遺棄されたとみられる。瓦の中でも家紋付きは限定的にしか使われず、貴重な発見となる。
 また、中世の堀跡は本丸の堀跡に沿うように約七メートル離れた場所から出土。幅約三メートル、深さ約一・三メートル、長さ二十メートル以上。十六世紀末に築城された高崎城以前の戦国時代、ほぼ同じ場所にあった和田城の時期の堀跡らしい。
 中世の堀跡一帯からは五輪塔や仏具の一部も発掘され、城に組み込まれた寺院の堀だった可能性もある。和田城の時期の遺構もこれまでほとんど発掘されておらず、興味深い発掘成果といえる。
 市文化財保護課の担当者は「本丸の堀跡は中世の堀跡と同じ方位で掘っている。中世の設計思想を継承したのでは」とみている。 (菅原洋)


高崎城本丸に素掘りの堀
最後の城主  松平家の鬼瓦も

 昨年8月から行われている高崎市高松町の高崎城遺跡発掘調査で、本丸を囲む堀(本丸堀)が初めて発見され、高崎市教委は12日、市民らを対象に現地説明会を開いた。
 19回目となる今回の調査では、本丸跡の北東部に幅約24メートル、深さ約8メートルの巨大な素掘りの本丸堀=写真=が見つかり、堀内からは、同城最後の城主である松平(大河内)家の家紋が彫られた鬼瓦が、ほぼ完全な形で発掘された。
 本丸の南北では、中世に作られた溝状遺構が見つかり、素焼きの土器などが出土。高崎城の築城以前にあった和田城の遺構の可能性もあるという。また、井戸やレンガ積みの水路なども発見された。
 説明会には約400人が参加。3人の説明員が各遺跡を案内し、参加者は配布された地図を広げて熱心に説明を聞いていた。夫と訪れた高崎市貝沢町の竜美みゆきさん(46)は「堀の深さにびっくり。遺跡や出土品を生で見て、高崎の歴史の深さを感じた」と話していた。
 高崎城は1598(慶長3)年、落城した和田城を拡張して築かれ、歴代高崎藩主の居城となったが、明治維新で廃城。その後、陸軍歩兵第15連隊が置かれ、堀の多くは埋め立てられた。
 発掘調査は今年5月末まで。


愛知
浮世絵展:きょう開幕 三河地方の作品中心に--豊川 /愛知
浮世絵展:きょう開幕 三河地方の作品中心に--豊川 /愛知
 豊川市桜ケ丘町の桜ケ丘ミュージアムで13日、三河地方の作品を中心に展示する「浮世絵展3 新収蔵資料を中心に」が始まる。2月8日まで。
 07年から開催している3回シリーズの最終回。今回展示するのは、同ミュージアムが新たに収蔵した歌川国貞の美人東海道や赤坂宿を描いた浮世絵計40点。
 歌川広重が赤坂宿のはたごの様子を描いた有名な保永堂版、葛飾北斎の庶民の日常を描いた作品なども展示される。幕末に広重が赤坂宿の松並木を題材にした貴重な初刷りもある。【加藤新市】


奈良
練習後は伝統の狸汁-宝蔵院流槍術など 奈良でけいこ始め
 古武道「宝蔵院流槍術」などのけいこ始めが10日、奈良市法蓮町の市中央武道場で行われ、練習で汗を流した伝習生や地域住民に伝統の狸(たぬき)汁が振る舞われ、寒さで冷たくなった体を温めていた。
 狸汁会(え)は、約450年前江戸時代初期の同流祖、胤栄(いんえい)の時代から行われていた伝統行事。幕末まで続いていたが、平成15年、宝蔵院流高田派槍術(鍵田忠兵衛第20世宗家)らが復活させた。今年で7回目…

 ここから先は本紙を購読する必要があるそうです(苦笑)。

三重
「ええじゃないか!明日は明日の風が吹く」、江戸時代の伊勢参りを再現
「ええじゃないか!明日は明日の風が吹く」、江戸時代の伊勢参りを再現
 お伊勢まいりブームが起こった江戸時代のスタイルを再現して伊勢神宮に参拝しよう――と羽織はかま、旅装束、法被姿などに仮装した「伊勢ええじゃない会」(石川雄一郎会長)メンバーが1月11日、「ええじゃないか!華のお伊勢参り」で伊勢神宮外宮から古市街道を通り内宮までの約3キロを練り歩いた。
 同催しは、株価下落、世界不況などのマイナス要因を江戸時代幕末の民衆運動「ええじゃないか」にあやかり、社会不安を吹き飛ばそうとするもので、同時に成人式を終えた新成人らを行列に巻き込み、祝福した。


宮崎
錦の御旗:佐土原藩主の島津忠寛所有、県総合博物館で展示中 /宮崎
 宮崎市の県総合博物館で、佐土原藩主の島津忠寛が所有していた「錦の御旗」が展示されている。色あせなどを防ぐため、2週間の限定展示で19日まで。
 戊辰戦争(1868~1869年)の際、官軍が掲げたもので、同藩も新政府軍としてこの戦争に加わった。長さ354・5センチ、縦65センチ。赤地の錦に金糸で十六花弁の菊紋が刺しゅうされている。レプリカがNHK大河ドラマ「篤姫」に登場したこともあり、来場者が多い。
 専用の展示ケースがなかったため、同館で最後に展示したのは10年以上前だという。
 ドラマ「篤姫」のファンだという宮崎市東大宮の宮川仁博さん(73)は「今日はこれが見たくて来ました。テレビで見るのとは大違いで、こんなに大きいとは思わなかった」と驚いていた。同館0985・24・2071(火曜日は休み)。【川上珠実】

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