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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 今日一日でなかなかの大漁でした。

北海道
白虎隊員の直筆年賀状 札幌の福井さんが発見 「大変珍しい」
 幕末の一八六八年(慶応四年)八月、新政府軍と旧幕府軍が戦った戊辰戦争で集団自決した白虎隊隊員唯一の生き残りで、明治末期に札幌で暮らしていた飯沼貞吉(後に貞雄と改名)の年賀状を、札幌市手稲区の郵便史研究家福井卓治さん(83)が発見した。白虎隊の悲劇は飯沼により、後世に伝えられた。関係者によると、飯沼の直筆のはがき、手紙などは大変珍しいという。
(中略)
 飯沼は十五歳で白虎隊に加わり、新政府軍と戦ったが、砲煙が上がる鶴ケ城(会津若松市)を見て絶望。仲間の十九人とともに飯盛山で自決を図ったが、地元の人に助けられ一命を取り留めた。
 飯沼はその後、逓信省の技師となり、一九○五年(明治三十八年)から五年間、札幌郵便局工務課長として札幌に住んでいた。同記念館の佐藤さんは「記念館にも飯沼の書があるだけで、直筆のはがきや手紙はない。大変珍しい」と話している。

 蘇生後はひっそり暮らされたという飯沼さん、どんな思いで大正三年のお正月を迎えられたのでしょうね。

静岡
手作りパン2千枚で反射炉づくり 日本のパン発祥の静岡
 日本のパンの発祥地と言われる静岡県伊豆の国市で20日、「パン祖のパン祭」が始まり、手作りパン約2000枚を使った高さ3メートルの反射炉(大砲鋳造の溶鉱炉)が登場した。21日まで。
 日本で初めてパンを作った幕末の韮山代官・江川英龍(坦庵公(たんなんこう))にちなんだ催し。

 坦庵先生ファンの白牡丹、「パン祖のパン祭」というイベントがあると知って、嬉しいです。そして、若い人たちが「坦庵さん」と呼んでいるのを読んで、地元で慕われていることが嬉しいです。

愛知
【尾張】新選組の足跡訪ねる
蟹江の団体 佐野隊士の墓碑など

 蟹江町のかにえガイドボランティア(加藤俊男代表)のメンバーら25人が京都市内を訪れ、同町出身の新選組隊士、佐野七五三之助(しめのすけ)の足跡をたどった。
 七五三之助は30歳で新選組に入隊して活躍したが、新選組の幕臣取り立てに反発して自殺した。京都でメンバーたちは、七五三之助の墓碑がある光縁寺や新選組発祥の壬生屯所跡、壬生寺などを訪ねた。

 背後に写っているのは記事中で「壬生屯所跡」とされている八木邸ですね。

京都
19世紀宮廷の美、間近に──京都御所障壁画を初公開
 京都国立博物館(京都市)で「京都御所障壁画」展が2月18日まで開かれている。現在の京都御所の御殿が造営されたのは江戸末期。一流の絵師たちが描いた御所の襖(ふすま)絵が公開されるのは初めてで、19世紀の京都画壇を考察する上でも意義は大きい。
(中略)
 京都御所御殿は1854年の火災で大半を焼失したが、わずか1年後の55年に再建された。障壁画制作は公募制で行われ、画壇を担っていた精鋭の絵師たち97人が参加、約1800面もの襖絵が作られた。
(中略)
 13日に京博で講演した佐々木正子京都嵯峨芸術大学教授はこの襖絵について「鳳凰の目は人の目のように描かれており知性を感じる。鳳凰と泉の青色は鮮やかで、高価な絵の具がふんだんに使われている」と解説した。当時は幕末の開国直後。今後調査が必要だが、西洋の画材が使われた可能性もありそうだ。

 西洋の画材が使われた可能性……異人嫌いの孝明天皇のお耳に入ったら、どうなったかしら^_^;。

「揺らぐ近代」展:日本画と洋画のはざまに--京都国立近代美術館 /京都
 日本画と洋画のはざまにある作品を集め、ジャンル分けを問い直す展覧会「揺らぐ近代」が、左京区の京都国立近代美術館(075・761・4111)で開かれている。近代日本絵画の先駆者とされる高橋由一や狩野芳崖をはじめ、横山大観や黒田清輝ら55作家の約150点。小林永濯など日本初公開の4点も。作家自身が、はざまを自由に横断しながら創作した可能性をうかがう好機だ。来月25日まで。
(中略)
 今展ではまず由一と芳崖を対比する。芳崖は、東京大で哲学を教えた米国人フェノロサに見いだされた。絶筆「悲母観音」(1888年、重文)は最近の研究によって、群青や胡粉(ごふん)といった純粋な日本画材が使われた事実が分かったが、奥行きある画面は実に西洋的。主題も、仏画というより西洋の母子像を思わせる。
 一方で、維新後初の油絵画家・由一の「美人(花魁)」(1872年、重文)は日本的なモチーフを油彩で描いた。日本画にはないリアルな人物描写ながら、構図は浮世絵風だ。

 キーワード「維新」で引っかかりました。

石川
企画展:前田土佐守家お抱えの学者たち 学問への関心の高さ実感--金沢 /石川
 加賀藩重臣の家に仕えた学者ゆかりの資料を集めた企画展「前田土佐守家お抱えの学者たち」が20日、金沢市片町2の前田土佐守家資料館で始まった。当時の学問への関心の高さがうかがえる展示となっている。
(中略)
 ▽藩士、村田芝園がアナグマを描いた絵に、儒学者、岡野和がアナグマとムジナの違いを説いた「野獣図」(1816)▽幕末の儒学者、岡野温厚が写しを手掛けた諸外国の国旗の図鑑「外国旗譜」(1847)――などを展示している。



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パンの反射炉!
by 青空百景 URL 2007/01/23 09:51 編集
新聞のコラム欄にカラー写真で載っているのを見て、思わず快哉を叫んでしまいました(笑)。
「パン祖」としてのイベントですが、反射炉にもちゃんとスポットが当たってるんですね。彼の業績を端的に示すものになっていて、感心しました。
    
担庵先生の業績
by 白牡丹 2007/01/23 19:49 編集
青空百景さん、お書き込みありがとうございます。

> 彼の業績を端的に示すものになっていて、感心しました。

あと、「お台場」ですかね……『風雲児たち』に影響されているので、当初の計画通りに建設できなかった「お台場」を担庵先生が自分の業績として認めるかどうか微妙な気がしますが^_^;。
    
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