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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日も録画した『新選組!』再放送の第2回を見ながら、これを書いています。

京都
牛若丸の衣装を新調 壬生狂言、4月公演から
 新選組ゆかりの壬生寺(京都市中京区)で、毎年春と秋にある壬生狂言の衣装で、牛若丸のはかま3着が新調され23日、関係者に公開された。4月の公演から使用する。
 はかまは紫にササリンドウの模様を染め抜いている。子どもの演者にも合うよう大中小の3着で、京都市の友禅作家が製作した。人気演目「橋弁慶」の牛若丸や「本能寺」の蘭丸に使う。

 地元の京都新聞で拾えなかったのが残念ですが、画像付きの記事を神戸新聞から。牛若丸や蘭丸の衣装、というところが面白いですね。

徳島
小倉富三郎の辞世の句発見 庚午事変で「最後の切腹」徳島藩士
 徳島藩士が家老・稲田家家臣団を襲撃した「庚午(こうご)事変」の責任を問われ、一八七〇(明治三)年に刑法史上、「最後の切腹」に処せられた徳島藩士・小倉富三郎(生年不詳-一八七〇年)が、辞世の句四首を書いた軸が見つかった。富三郎は事変で厳罰を受けた十人のうち、新居水竹(一八一三-七〇年)とともに、東京・芝白金の藩邸で切腹した人物。辞世の句は、子孫の家に保存されていた。二十三日から開かれる徳島県立文書館の特別企画展「庚午事変の群像」で初公開される。
(中略)
 小倉富三郎は、幕末・維新期に藩校・長久館の学館管事を務めた徳島藩の幹部で、槍術(そうじゅつ)師範としても多くの藩士を指導した。明治三年四月、稲田家の分藩運動に対する徳島藩(蜂須賀家)の立場を政府に説明するため、藩の精神的指導者だった長久館学頭・新居水竹らとともに十二人で上京。ところが、血気にはやる若い藩士八人が帰郷して稲田家襲撃を引き起こしたため監督責任を問われ、身柄を拘束されていた東京で切腹した。


コラム
【ひとすじの蛍火-吉田松陰 人とことば】春編(18)まる裸の付き合い
「一言する時は必ず温然和気婦人好女の如(ごと)し。是(こ)れが気魄(きはく)の源なり」
 嘉永4(1851)年6月、吉田松陰は、肥後藩士で10歳年上の親友・宮部鼎蔵(ていぞう)とともに浦賀や久里浜(ともに現在の神奈川県横須賀市)などの探索に出かけた。浦賀沖に、米国東インド艦隊のペリー司令長官が率いる軍艦4隻が姿を現すちょうど2年前のことである。

 このシリーズ、幕末の志士たちに影響を与えた吉田松陰についてですので、全部クリップしてもいいのですが……そこまで手が回らず^_^;、「幕末」「維新」というキーワードがある時に限っています。
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