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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 今日は「1月23日」、「1・2・3」ということで元気が出る日なんだそうです。語呂合わせですが、あやかりたいものです。

宮城
■華やぐ昭和、躍る銀幕スター
2010.01.23
石巻「岡田劇場」所有 映画ポスター展
アート喫茶 来月1日まで/

 石巻市の老舗映画館「岡田劇場」(菅原聖人社長)が所有する映画ポスターが20日から同市中里6丁目のアート喫茶「カフェ・ヌーン」で展示され、話題を集めている。往年の銀幕のスターが躍動するポスターに、年配の客が懐かしさと思い出をよみがらせている。
(中略)
 岡田劇場は幕末・明治から庶民に親しまれた芝居小屋が前身。48年に映画館に衣替えし、邦画を中心に上映してきた。保存ポスターは上映作品のほか、知り合いの映画館などから譲られたものという。



福島
安積艮斎講演会/3月2日・郡山市で
 郡山が生んだ幕末の儒学者安積艮斎の没後150年を記念した講演会が3月2日午後4時から、郡山市清水台の安積幼稚園で開かれる。
 主催する「ごんさい先生に学ぶ会」は受講者を募集している。
 艮斎が万延元(1860)年に亡くなってから150年の節目の年を記念し、安積国造神社の氏子青年会が母体となって学ぶ会を結成、講演会を企画した。
 学ぶ会顧問の安藤智重宮司が「安積艮斎先生と岩崎弥太郎」の題で調査報告する。
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」のもう一人の主役・弥太郎の人生に艮斎の教えがいかに影響を与えたかなどを語る。
 続いて艮斎研究の第一人者の早稲田大名誉教授村山吉広氏が「偉大なる儒学者安積艮斎先生〜歴史に残した功績とは」の題で講演する。
 受講料500円で、定員は170人。
 申し込み、問い合わせは安積国造神社電話024(932)1145へ。


神奈川
直系4代目がジョン万次郎を語る、幕末ブームにタイムリー企画/平塚
 ジョン万次郎(中浜万次郎)の直系4代目で作家の中浜武彦さん=大磯町在住=が万次郎について語る講演会が2月14日、平塚市中央公民館で開かれる。
 市文化連盟の主催。日本古来の文化の魅力などを伝える恒例の講演会で今年で10回目。あらためて幕末ブームの兆しがある中で、タイムリーな企画となった。
 万次郎は坂本竜馬と同郷の土佐(高知県)生まれ。江戸末期に米国の捕鯨船に救助され、日本人として初めて米国大陸に渡ったことで知られる。英語や航海術、造船技術などを学んだ後、鎖国下の祖国に帰国。幕末の激動期に通訳などとして活躍、竜馬にも多大な影響を与えたという。
 講演では、万次郎の三男・慶三郎さんの孫で、「ファースト・ジャパニーズ・ジョン万次郎」の著書もある中浜さんが、時代背景や曾祖父の生涯や志について語り尽くす。
 入場無料。午後1時~3時半。定員250人。事前申し込みは不要。


八重水仙 早くも見ごろ 三浦県立城ケ島公園で「まつり」
 三浦市三崎町城ケ島の県立城ケ島公園で、第九回「水仙まつり」が開かれ、約十万株の八重水仙が早くも見ごろを迎えている。二月七日まで。入場無料。
 例年は一月末ごろに満開となるが、今年は暖冬の影響で一足早く最盛期を迎え、公園内は水仙の甘酸っぱい香りに包まれている。二宮町から訪れた主婦(65)は「水仙を見るなら三浦半島ではここが一番。数が多く、香りも強い」と語った。
 三十一日には公園内で、幕末の黒船来航以来の伝統を持つ海防陣屋太鼓の演奏会が開かれ、地元の魚のつみれや野菜が入った陣屋汁も振る舞われる。 (新開浩)


【湾岸プロムナード】浦賀の燈明堂
 江戸時代の慶安元(1648)年、神奈川県横須賀市の浦賀港入り口の岩場の上に、灯台の役割の燈明堂が建てられた。菜種油の明かりは、7キロ先にも達したといわれ、夜の海上安全に貢献した。その明るさの程度はともかく、夜の闇が深かった時代には、相当の効果があったのだろう。
 燈明堂は明治5年に廃止になるまで、毎晩明かりをともしたから、幕末に来航したペリーの黒船も見たのだろう。
 その建物は、明治中頃に風雨で崩壊したが、平成になって復元され、もちろん今は電気がつく。
 海辺の岩場の夕暮れは、いい雰囲気だ。
 だけど、散歩に来た人が言った。
 「暗くなるまで撮る? 気を付けてください、出るらしいから。昔はこの辺りは、浦賀奉行所の首切り場だったので」
 その一言で、早々に取材を切り上げた! (写真報道局 野村成次) 



京都
【龍馬ゆかりの地を行く】水陸に利点ある京の拠点 酢屋
 京都の繁華街、河原町通から高瀬川へ向かう小路は、「龍馬通」と呼ばれている。かつて坂本龍馬も歩いたとされ、道沿いにはカラオケ店や飲食店が立ち並ぶが、通りを進むと異彩を放つ建物が目に入る。坂本龍馬が暗殺される3日前まで過ごしていたと伝えられる材木商「酢屋(すや)」である。
 酢屋の事業は現在、別の場所で営まれており、江戸時代の面影を残す当時の建物は、龍馬に関する史料を展示する「ギャラリー龍馬」などとして運営されている。
 2階の表通りに面した場所には、出格子がみえるスペースがある。当時は、6~8畳くらいの部屋だったというが、現在は2畳ほどの畳の上に机を配し、机上にはすずりと筆が置かれている。
 「手紙を書いていた龍馬の部屋を再現してみました。あの出格子から、龍馬は持っていたピストルの試し打ちをしていたそうです」
 酢屋の10代目当主にあたるという中川敦子さんは、そんなエピソードを交えながら、館内を案内してくれた。

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 龍馬が投宿先として酢屋に着目したのは、立地条件が大きかったようだ。
 かつては浜地で、高瀬川へつながる舟入(港)が広がっていたとされ、中川さんは「陸路や水路に利点があったので、龍馬は酢屋を拠点にしました」と説明する。
 幕末当時、酢屋の当主は高瀬川の木材独占輸送権を得て運送業も行っていた6代目の酢屋嘉兵衛。取引先の土佐藩で龍馬と知り合ったとされる嘉兵衛は、京都に移った龍馬に支援を惜しまず、酢屋の2階には海援隊京都本部が置かれていたという。
 「海援隊が京に入ってきた目的は、龍馬が一番やりたかった『国を変える』ということですが、新しい日本を目指した龍馬に理解を示さなければできないことです。(嘉兵衛は)命がけで匿い、勤王家であっても黙っていました」と、中川さんは祖先の功績を回想する。

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 慶應3(1867)年6月、龍馬は酢屋で、姉の乙女に手紙を書いた。投宿を知らせる内容だったが、その手紙は長さ5メートルにもおよんだという。
 幕末史に詳しい霊山歴史館(京都市東山区)の学芸課長、木村幸比古さんによると、現存する龍馬の手紙は家族や他の志士らにあてた130通余だが、なかでも乙女あてが13通で最も多いそうだ。
 「乙女姉さんは母親代わりでしたからね。兄に手紙を送ったところで『早よ帰ってこい、うろうろするな』の一点張りだし」と、木村さんは笑う。
 幼いころ母を亡くした坂本龍馬は、生涯にわたって姉の乙女を慕っていた。龍馬より3歳年上で、身長175センチ、体重110キロの大柄な女性だったとされ、「坂本のお仁王様」とも呼ばれていた。剣術や馬術、水練など何でもこなし、少年期は泣き虫だったとされる龍馬を教育した。
 出格子から高瀬川を舟が行き来する様子がみえる酢屋は、日増しに身に危険の迫る龍馬にとって心癒やされる空間でもあったのだろう。そして、郷里・土佐にいる乙女はいつまでも大きな心の支えだったようで、龍馬は机に向かいながら熱心に筆を走らせていたに違いない。
 そんな龍馬にとって、酢屋は安住の地だったが、やがて、この場所でも身の危険を感じるようになり、醤油(しょうゆ)商の近江屋に移ることになる。


 「酢屋」 享保6(1721)年創業という京都の材木商。現当主は10代目になるが、事業はグループ企業の千本銘木商会(京都市、中川敦子社長)に引き継がれ、酢屋は従来の建物で「創作木工芸酢屋」や「ギャラリー龍馬」を運営する会社として存続する。海援隊の支援に尽力した6代目当主時代、海援隊京都本部が置かれ、坂本龍馬や陸奥宗光、長岡謙吉ら数多くの藩士が投宿していた。毎年、龍馬の命日とされる11月15日には「追悼献酒」が行われ、あわせて海援隊士が龍馬が暗殺される模様をまとめた「涙痕帖」が特別公開されている。(山田淳史)


兵庫
維新期の神戸、版画で克明に 欧米の新聞など収集 
 約140年前、当時のアメリカやイギリスの新聞・週刊紙が、明治維新期の神戸を報じていた。神戸市中央区の桝田輝郎さん(67)が所有する原紙には克明な木版画が掲載されており、欧米の記者たちが当時の神戸をどのように見ていたのかを今に伝えている。(大月美佳)
 桝田さんは約15年前から東京の古書店や海外のインターネット競売サイトを活用し、神戸を報じた英、米、仏の新聞や週刊紙を収集。大手商社を退職し、一昨年に故郷の神戸に戻ってからも、収集を続ける。
 当時、全米で購読された週刊紙「ハーパーズ・ウイークリー」の1868年5月9日号(旧暦)は同年の「神戸事件」を取り上げた。フランスの水兵が岡山藩士の行列を横切ったことに端を発し、米英も巻き込んだ銃撃戦に発展。維新政府にとって初めての外交問題になった。記事には英文でこう記された。
 2月4日、松平備前守(かみ)と200~300の武装した藩兵が、侮辱し、外国人居住者を攻撃しながら神戸の大通りを進行した。運上所(税関の前身)に近づくと発砲し、フランス水兵2人とアメリカ水兵1人にけがをさせた。
 版画では、米兵が運上所を占領し、外国人居留地に進む場面を再現。星条旗や英国旗が棚引き、兵士が列をなし上陸する姿が描かれている。
 芦屋大学の楠本利夫教授によると、外国人の居住者は当時ほとんどおらず、発生場所も史実との食い違いがあるという。「外交問題が背景にあったのか、きちんと事実を把握していないのかは分からないが、謝罪した日本側が悪いという前提で書いたのでは」と推測する。
 一方、同年4月4日号には、日本ではあまり知られていない、米国艦隊の遭難事故の記事と、神戸港から遺体を揚げる風景を描いた版画を掲載。米艦隊司令官の提督ら12人が水死した悲劇を目の前で目撃したという画家が、事故を詳細に伝えている。版画は縦32センチ、横52センチ。見開きで大きく描かれており、衝撃的なニュースとして報じられていたことがうかがえる。
 当時、国内では新聞発行が始まっていたが、日本初の日刊紙が創刊されたのは1871年。資料は、報道機関の発達の違いを知る上でも貴重だ。
 桝田さんは「外国メディアから見た日本の姿を、研究などに役立ててもらいたい」と話している。




岡山
津山の新資料館 3月オープン
■洋学探究 より深く
 津山市西新町の旧出雲街道沿いに新しく建設された津山洋学資料館が、3月19日にオープンする。所蔵品は、同市川崎の旧資料館時代より約1千点多い約7千点。うち350点を常設展示する。全国で唯一の洋学専門資料館として、津山市は新たな観光拠点にと期待している。
 新館は旧館の西約700メートル、城東町並み保存地区の一角で、津山藩医・箕作(み・つくり)阮甫(げん・ぽ)の旧宅に隣接して建てられた。鉄筋一部木造の平屋で、約1400平方メートル。2008年4月に着工し、09年5月に完成の後、内部の燻蒸(くん・じょう)や乾燥作業を続けていた。
 入り口のプロローグ室、3常設展示室、スポット展示室など正五角形の部屋が続き、最奥に企画展示室がある。総工費は11億1千万円。
 展示資料は、津山藩の学者・宇田川家3代(玄随(げん・ずい)・玄真(げん・しん)・榕庵(よう・あん))、箕作阮甫、帝国議会の衆議院初代副議長・津田真道(ま・みち)らの著訳書などが中心。第1展示室は洋学黎明(れい・めい)期、第2展示室は箕作阮甫をメーンに、第3展示室は幕末から明治までの資料を紹介している。
 代表的な物には、杉田玄白らが訳した「解体新書」や、玄随が翻訳した日本最初の西洋内科学書「西説内科撰要」、玄真のベストセラー医学書「医範提綱」、榕庵の本格的植物学書「植学啓原」、箕作阮甫が翻訳した「和蘭文典」などがある。
 また、企画展示室では期間ごとに約50点を展示する。
 下山純正(よし・まさ)館長は「旧館は老朽化などもあって思うような展示ができなかった。新館は大型模型や映像も利用して、わかりやすさを工夫した。近代国家の礎を築いた先人の生き様を見ていただきたい」と話している。
 同館はオープンを機に、オランダ・ライデン市にある博物館「シーボルトハウス」と友好提携することにした。同ハウスは、シーボルト(1796~1866)が日本から持ち帰った約800点の浮世絵などを展示する日本博物館。開館行事に合わせ、館長や駐日オランダ大使を招いて調印式を行う予定だ。(中村二郎)


島根
演劇「暁の風」参加者、稽古に熱
◆住民手作り 石州口の戦い/舞台の益田で3月上演◆
 明治維新への流れを決めたといわれる幕末の幕府と長州藩の戦争「石州口の戦い」を描いた演劇「暁の風」が、戦いの舞台となった益田市の県芸術文化センター・グラントワ大ホールで3月28日午後2時から上演される。益田商工会議所青年部(益田YEG)や市民劇団などでつくる「益田まちおこしの会」主催で、小学生から社会人までの同市近隣の住民約60人が手作りの舞台を披露する。(水田道雄)
 石州口の戦いは、1866年6月17日、当時益田を支配していた浜田藩など幕府連合軍と長州軍が益田市周辺で激突。1500人の軍勢を率いた長州軍が勝利したが、わずか二十数人で関所を守った浜田藩のやりの名手岸静江や、地元の若い猟師、農民の奮闘は今も語り継がれている。
 上演時間は約2時間。2幕に分かれ、岸静江が奮闘の末に亡くなるまでと、生き残った若者たちが時代に流されながらたくましく生きる姿を描いた。脚本・演出を担当した一人で、益田市中垣内町の会社員武内早苗さん(53)は「歴史書をかみ砕き、一般の人も楽しめるよう架空の人物を加えて仕上げた」と話す。
 益田YEGが市民劇団のメンバーらに働きかけ、昨年6月に劇団「夜明け」を立ち上げた。同8月から毎週2回、学校の体育館などを使って稽古(けい・こ)を重ねてきた。
 19日夜は、グラントワで初めてのリハーサルがあった。岸静江役を務める自動車学校教官の森下高博さん(39)=津和野町日原=は「一本筋の通った岸の凜(りん)とした姿を表現したい」、物語の重要な役割を果たす若い女性猟師役に公募で選ばれた明誠高校2年、石田晴香さん(17)=益田市東町=は「前から芝居をやってみたかった。役の人格を表現するのが難しいけど、がんばりたい」と話していた。
 「益田まちおこしの会」代表で益田YEGの平井健会長(37)は「益田にも日本の夜明けにつながる歴史があることをたくさんの人に知ってほしい」と話す。全席自由で入場料は千円。問い合わせは益田YEG(0856・22・0088)へ。



佐賀
江戸幕府の大砲製造多布施反射炉基礎84年ぶりに確認
 佐賀市教委は22日、幕末の佐賀藩が江戸幕府発注の大砲を造ったとされる多布施反射炉の基礎部分とみられる遺構を84年ぶりに確認した、と発表した。
 発表によると、同市伊勢町の会社駐車場を縦5メートル、横2メートルにわたり発掘。地下1・4メートルのところに拳大からその倍ほどの大きさの石が少なくとも6平方メートルの範囲に敷き詰められ、角材を並べて置いた跡があった。その上には砂と粘土の層が交互に50センチ以上重なり、下にも粘土や砂の層が確認された。
 出土した磁器の染め付けから江戸時代後半の遺構とみられ、反射炉の壁に使われたとみられる耐火レンガの一部も出土した。
 反射炉は熱を壁に反射させて炉内の温度を上げる溶解炉。多布施反射炉は佐賀藩が1850年に日本で最初に造った築地反射炉の後継として数年後に建造された。ペリー来航(1853年)で危機感を強めた江戸幕府が江戸湾防衛のため、佐賀藩に注文した鉄製大砲50門がこの反射炉で製造されたとされる。
 1926年(大正15年)に本体跡を探す発掘調査が行われ、今回と同じ基礎部分が確認されていた。
 市教委の前田達男・世界遺産調査室長は「特異で頑丈な基礎。高さ16メートルを超える重い反射炉を支えるためだったのではないか」と話している。



長崎
「長崎奉行所・龍馬伝館」1万人突破 福岡の堂上さんに記念品
 幕末の志士坂本龍馬の生涯を描くNHK大河ドラマにちなみ、長崎市立山1丁目の長崎歴史文化博物館内に設置されている「長崎奉行所・龍馬伝館」の入館者が23日、1万人を突破した。
 1万人目は福岡市の30代の専門学校講師、堂上美智子さん。友人のパート従業員、松村高子さん=山口県下関市=と一緒に参加した観光ツアーで訪れた。
 大堀哲館長から記念品の花束とミニ龍馬像を手渡された堂上さんは「長崎にはよく遊びに来るが、ことしは龍馬伝の年なのでインターネットで情報を調べてから来た」と笑顔で話した。
 「龍馬伝館」は9日オープン。長崎歴文博によると、22日までの1日平均入館者数は、目標の約1100人を下回る666人。来館者アンケートでは6割が県外客という。
 大堀館長は「観光のオフシーズンということを考慮すれば出足は順調と思う。観光客が増加する春と、ドラマで長崎が登場する夏以降が勝負」と話した。


コラム
城ブーム!1000円高速乗り「歴女」参上
 城を訪れる観光客が増えている。
 「歴女(れきじょ)」と呼ばれる歴史ファンの女性が増えたことや高速道路の利用料割引が背景にあるようだ。各地の城郭は「この機を逃さず、魅力を広めたい」と集客にいっそう力を入れている。
 加藤清正が1607年に築いた熊本城(熊本市)。入場客数は近年、80万~100万人程度で推移していた。しかし、藩主の住居だった本丸御殿大広間を復元・公開した2008年には約204万人、09年も約177万3000人を集めた。
 週末にもなると、城周辺の駐車場は県外ナンバーの車が目立つ。人気俳優の妻夫木聡さんが主演したNHK大河ドラマ「天地人」のロケも城内で行われたこともあってか、熊本城総合事務所は「若い女性や県外からの入場者が増えている」と話している。
 ほかの城郭も同じ傾向にある。岩国城(山口県岩国市)には09年、約15万5000人が訪れ、08年より1万4000人以上増えた。「女性グループをよく見かけます」と市観光課。小倉城(北九州市)の入場者は07年の約9万4000人から、09年は約11万4000人に。今月上旬、天守閣を見学して回った福岡県久留米市の女子大学生(21)は「一番好きな時代は幕末。お城はタイムスリップしたみたいで楽しい」と声を弾ませる。
 高速道路のノンストップ自動料金収受システム(ETC)割引を活用した来訪者も目立つ。
 島原城(長崎県島原市)では入場者が年々減り、07年は約21万9000人にまで落ち込んだ。しかし08年から増加に転じ、09年は約24万9000人に上った。女性客の増加に加え、ETC割引が始まった昨年3月以降は、関東など遠方のナンバーの車が目立つようになったという。
 これを機に城の魅力を発信しよう、と島原城振興協会は小学生向けの歴史講座や城内梅園での茶会といったイベントを次々に展開。「女性に人気の福山雅治さんが主役のNHK大河ドラマ『龍馬伝』は長崎も舞台になる。さらに長崎への旅行者も増えそう」と同協会。
 09年の来館者は15万4000人と前年並みだった県立佐賀城本丸歴史館(佐賀市)は3月、佐賀城のいろいろな話題を出題する検定試験「佐賀城本丸けんてい」を初めて実施する。
 06年に「日本100名城」を選定した日本城郭協会(東京)は「城は地域の歴史を知り、文化を楽しむのに最適の場所」と話す。「現在の人気がブームに終わることなく、さらに城への理解が深まってほしい」と願っている。(堀家路代)


エンターテインメント
幕末の志士たちが大富豪で勝負! iモード向け『天晴!幕末大富豪』が登場
 ビービーエムエフは、1月25日よりiモード向けゲームサイト「iゲーム大好き!」にて、大富豪ゲーム『天晴!幕末大富豪』の配信を開始すると発表しました。
 『天晴!幕末大富豪』は、トランプゲームでおなじみの大富豪にすごろくの要素をプラスしたユニークなゲームです。
 ゲームは、「幕末モード」と「フリーモード」が用意されています。「幕末モード」では、大富豪の成績によって進めるマス目の数が決まる鳥羽伏見から函館まで移動するすごろくも同時に楽しむことができ、プレイヤーは坂本龍馬、西郷隆盛、近藤勇、篤姫の4名からキャラクターを選択します。なお、エンディングはキャラクターごとに異なります。
 「フリーモード」は、大富豪を思う存分遊べるモードで、各地のローカルルールにカスタマイズできるのが特徴です。
 『天晴!幕末大富豪』は、FOMA703iおよび902iに対応し、月額315円(税込)で遊べます。
 アクセス方法:iMenu→メニューリスト→ゲーム→ミニゲーム→iゲーム大好き!



本格歴史マンガ誌、月刊コミック大河を先読みぜよ
 PHP研究所から新しい歴史マンガ誌、月刊コミック大河が1月25日に創刊される。「本格」をキーワードに、これから歴史を勉強したい人からマニアまでを満足させる濃厚な作品をラインナップ。歴史の醍醐味をエンターテイメントたっぷりに堪能させてくれる。
 コミックナタリーでは、創刊を直前に控えた月刊コミック大河の魅力を特集。小説家の宮部みゆきが原作を務める菊地昭夫「ぼんくら」、江川達也が太平洋戦争と幕末の因果関係を描く「戦争と平和~石原莞爾と宮沢賢治~」、桝田道也が描く本格的なお城擬人化もの「どっからみても 波瀾万城」と注目の3作品の試し読みを設けた。
 さらに、話題の歴史人物をフィーチャーする創刊号の巻頭特集「龍馬と岩崎弥太郎」、脳科学者・茂木健一郎が歴史上の人物たちの脳を分析するコラム「英雄たちの決断脳」など読み応えある特集記事も紹介。創刊号発売を前に、気になる掲載ラインナップをチェックしよう。





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