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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
年末から坂本龍馬の暗殺前5日の書状発見のニュースを取り上げましたが、それ以外のニュースを拾います。

大政奉還150年ラリー 21都市きょうスタート
 江戸幕府が朝廷に政権を返上した大政奉還(1867年)から今年で150年となるのを記念し、京都市など幕末維新にゆかりのある全国の都市が22日から、歴史の舞台となった名所を巡るスタンプラリーを実施する。12月31日まで。

 参加するのは、多くの維新志士を生んだ山口県萩市や鹿児島市、戊辰ぼしん戦争の激戦地だった福島県会津若松市など21都市。スタンプの意匠は、「高知市立龍馬の生まれたまち記念館」が坂本龍馬、「静岡市文化財資料館」は江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜。京都市では「二条城」(中京区)が二条城唐門、「霊山歴史館」(東山区)は新選組の「誠」の旗となっている。

 台紙があるガイドブック=写真=は、スタンプの設置場所で配布される。スタンプをすべてそろえると大政奉還の舞台となった二条城二の丸御殿大広間で記念撮影ができるほか、集めた数に応じて旅行券が抽選で当たる。問い合わせは市文化芸術企画課(075・366・0033)。
京都
大政奉還150年、ゆかりの地でスタンプラリー 22日から
 大政奉還(1867年)から今年で150年となるのに合わせ、ゆかりの深い京都市や福島県会津若松市、山口県萩市など21市区が、活躍した先人らを模したスタンプを集めるイベント「幕末維新スタンプラリー」を22日に始める。参加者が観光を楽しめるよう、台帳付きのガイドブックで各地の歴史的な舞台や博物館を紹介する。

 江戸幕府15代将軍の徳川慶喜が朝廷に政権を返上した大政奉還の舞台となった二条城(中京区)がある京都市が呼び掛け、22日から約1年間、各地で関連事業が予定されている。

 スタンプは22種あり、各地の博物館や歴史館で押せる。デザインは高知市の坂本龍馬や、鹿児島市の西郷隆盛ら明治維新の立役者の顔が多いが、会津藩主で京都守護職の松平容保が治めた会津若松市は「藩主の顔を使うのはおそれ多い」と藩の旗印にした。京都市内では二条城で「唐門」、霊山歴史館(東山区)で新選組旗印「誠」の2種を押せる。

 スタンプ台帳付きのガイドブックはA5判24ページで5万部を作成。京都市内では22日から、両施設などで無料配布する。市文化芸術企画課は「佐幕派や倒幕派というかつての敵対関係にとらわれず、幕末・維新を切り口に、都市の連携で地方が元気になる取り組みにしたい」としている。
新撰組ゆかりの寺で開幕、京都冬観光
今年で51回目を迎えるJR西日本による京都デスティネーションキャンペーン『京の冬の旅』。その開催にあたり1月13日、冬晴れのなか「壬生寺」(京都市中京区)でオープニングイベントがおこなわれた。

毎年恒例となった京都市、JR、京都市観光協会の共同により実施されるこの観光キャンペーン。今年のテーマは「大政奉還150年記念」で、幕末ゆかりの寺院を中心に、14カ所で普段は見ることができない庭園や仏像、襖絵、建築など様々な文化財が期間限定で特別公開される。

新撰組ゆかりの寺院でもあり、今回、本堂と狂言堂が特別公開となる「壬生寺」で主催者らが挨拶。門川大作京都市長は、地蔵盆をおこなう壬生寺の歴史や地域社会との関わりに触れながら「暮らしのなかの文化を大事にしてきた京都において、(キャンペーンが)京都観光の大きな役割を果たしてくれると思う」と期待を込めた。また、京都市観光協会の柏原康夫会長は「長い歴史ある京都は訪れるたびに、毎年毎年新しい発見がある。京都の文化財産を大切に守りながら今後も世界中に伝えていきたい」と決意を新たにした。

キャンペーンは3月20日まで。期間中は食を交えた特別コースを運行する観光バスが登場するほか、京の伝統工芸体験ワークショップやウォーキングツアーなどのイベントも企画されている。詳細は公式サイトにて。

取材・文・写真/ヤマザキムツミ
和歌山
幕末維新巡り 和歌山市もスタンプラリー
慶応3年(1867)の大政奉還から150周年の節目を迎えるのを記念し、京都市を中心に、幕末維新に活躍した先人とゆかりを持つ都市が相互に交流や連携を図る「大政奉還150周年記念プロジェクト」の第1弾となる「幕末維新スタンプラリー」が22日に始まる。和歌山市を含む参画21都市をPRし、観光誘客を図る。

スタンプラリー台紙付きの「幕末維新ガイドブック」は5万部を発行。和歌山市は、わかやま歴史館2階に500部を設置し、同市のシンボルである和歌山城のスタンプを押すことができる。

ガイドブックはA5判カラー、24㌻。大政奉還についての解説をはじめ、黒船来航から戊辰戦争に至る幕末維新の歴史、参画都市の幕末維新関連史跡やミュージアムの紹介などを掲載。同プロジェクトの公式ホームページ(http://www.taiseihokan150.jp/)からダウンロードもできる。

和歌山市以外の各地のスタンプは、高知市が坂本龍馬、鹿児島市が西郷隆盛、下関市が高杉晋作など幕末維新で活躍した人物をはじめ、長崎市は亀山社中記念館、京都市は新選組の「誠」の旗、千代田区は江戸城、高梁市は備中松山城などとなっている。

集めたスタンプの数に応じて、最高5万円分の旅行券などが当たるプレゼント企画もある。また、全制覇すると特別賞として、徳川慶喜が大政奉還を諮問した「二条城二の丸御殿大広間」で記念撮影ができる。

和歌山市政策調整課は「京都市以外の近畿での参画は和歌山市のみなので、多くの方にスタンプラリーを契機に訪問していただきたい」と話している。
静岡
下田の歴史紹介 「幕末開港」刊行
◆来月5日、記念講演会

 幕末の開港の歴史を紹介した下田市史別編「幕末開港」が刊行された。ペリー来航などで知られる幕末の下田にスポットを当てた通史の市史は初めてで、資料編(6巻)、図説(2巻)に次いで通算9冊目となる。

 国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の樋口雄彦たけひこ教授(日本近代史・幕末維新史)が、資料編や独自の研究をもとに2年がかりで執筆した。

 1854年の日米和親条約の締結から60年の下田奉行所の廃止までの6年間を中心に、ペリー率いる黒船の来航、下田に往来した勝海舟や吉田松陰、上陸した外国人と日本人との交流、唐人お吉をめぐる論争などについて、写真や図表をふんだんに使って、分かりやすくまとめた。

 また、下田を含めた南伊豆の地域的視点から、南伊豆出身で、新撰組に加わった加納通広などゆかりの人物も紹介した。下田市史編さん委員会の原秀三郎委員長(静岡大名誉教授)は、「高齢者にも読みやすく、親しみやすい本になるようにしたので、座右の書として置いてほしい」と話した。

 A5判、355ページで500部発行、3800円(税込み)。2月5日午後1時半から下田市民文化会館で刊行記念講演会が開かれ、樋口教授が「幕末開港と下田奉行所の幕臣たち」をテーマに講演する。入場無料。購入などの問い合わせは、下田市教育委員会生涯学習課(0558・23・5055)へ。

コラム
あんパンはなぜ売れ続ける? 意外と知らない「ロングセラー菓子パン」のトリビア
わたしは「あんパン」をよく食べます。そのまま食べるのもおいしいですが、マーガリンを塗って食べるのも好きです。バターではいけません。乳臭すぎるからです。つぶあんマーガリンは日本人が誇れるすばらしい食文化だと思います。

マイ・フェイバリット・あんパンは、「高級つぶあん栗入り」(山崎製パン株式会社)です。マーケットやコンビニに行けば100円前後で買えます。わたしは「高級つぶあん栗入り」にマーガリンを塗りながら食べます。最高の組み合わせです。お試しください。

あんパン誕生前夜

あんパンは明治時代に発明されたものです。すでに江戸時代には「まんじゅう」がありましたが、新元号「明治」に変わった直後の日本人に「あんぱん」を受け入れてもらうためには苦労があったようです。おなじ「小麦生地であんこを包んだ食べ物」なのに、なぜでしょうか?

理由は「パンの風味」でした。『その時歴史が動いた26』(KTC中央出版・刊)所収の「明治天皇あんパンを食す/リストラ武士・木村安兵衛の挑戦」によれば、当時はパン発酵のために「ビール酵母」を使っていたので、仕上がりは硬くて酸っぱかったそうです。

あんパンは武士が作った

「まんじゅう生地」をヒントにして、日本人好みのパンを作ることを思いついたのは、木村安兵衛(きむら・やすべえ)という士族でした。あんパンで有名な「木村屋總本店(文英堂)」の創業者です。もともと武士だった木村安兵衛は、1869年(明治2年)の版籍奉還が実施されるのを知って、いままでの封建制度に見切りをつけて、東京の新橋にパン屋を開業しています。

歴史年表に照らし合わせれば、江戸城無血開城の1年後であり、なんと戊辰戦争の末期ごろです。木村安兵衛がパン屋を開業したのは、明治2年3月。箱館の五稜郭防衛戦で土方歳三が戦死したのは、同年5月。封建社会に属していた武士ふたりの運命が大きく分かれた瞬間です。

当時の酸っぱくて硬いパンを改良するために、安兵衛は「ビール酵母」ではなく「日本酒の酵母(酒種)」を使うことにしました。つまり「酒まんじゅう」の応用です。その後「あんこ」をパンに詰めるという発想の元にもなりました。

パンは健康食品だった!?

明治期にあんパンが普及した理由としては「栄養価」と「画期的なマーケティング」を挙げられます。まず「栄養」について説明します。

幕末から明治にかけて、東京では「脚気(かっけ)」患者が増えていました。ビタミンB1が欠乏することによって、末梢神経障害や心不全を発症します。明治期には、「脚気衝心」による年間2万人の死者が記録されています。

ビタミンB1欠乏症である脚気に「パン食が効果的である」と説いたのは、明治時代に来日していたドイツ人医師ホフマンでした。パンの材料である小麦粉の胚芽には、鉄分や食物繊維やビタミンB1などが多く含まれるからです。脚気を改善したり予防したい人々が買い求めることで、木村安兵衛のパン屋は繁盛しました。

究極の販売促進マーケティング「皇室御用達」

明治時代といえば「文明開化」というキーワードが挙げられます。しかし、元号が「明治」になったからといって、日本人全員がすぐに西洋文明を受け入れたわけではありませんでした。

「あんパン史観」を採用するならば、真の文明開化は明治8年と言えるかもしれません。この年に「新政府側」と「旧幕府側」による歴史的和解がおこなわれたからです。その席上には「あんパン」がありました。

『あんぱんはなぜ売れ続けるのか』(井上昭正・著/清流出版・刊)は、すぐれたマーケティング事例を解説したビジネス書です。一例として「木村屋總本店の桜あんぱん」の歴史が紹介されています。

1875年(明治8年)に、明治天皇と皇后両陛下による花見行幸がおこなわれました。桜が咲きほこる隅田川へ向かう途中に、一行は「旧・水戸徳川藩邸」に立ち寄りました。

行幸を出迎えたのは徳川昭武(とくがわ・あきたけ)でした。十五代将軍・徳川慶喜の実弟です。慶喜は、水戸藩の第9代藩主である徳川斉昭の実子です。水戸徳川家から一橋家に養子に出たあと、将軍になっています。

つまり、明治8年4月4日の花見行幸のために旧・水戸徳川藩邸へ立ち寄ったのは、新時代を象徴する明治天皇が、旧時代を象徴する一族の住まいをおとずれるという歴史的イベントだったのです。


その席上に、木村安兵衛の作った「桜あんぱん」が献上されました。あんパンも新時代を象徴するものでした。

こうして「桜あんぱん」は、水戸屋敷に届けられ、明治天皇のお気に召し、ことのほか皇后陛下(昭憲皇太后)のお口にあったと、大変喜ばれました。
そして「引き続き納めるように」という両陛下のお言葉があり、宮中御用達に加わることになったのです。

(『あんぱんはなぜ売れ続けるのか』から引用)

天皇陛下や皇后陛下が「おいしい」と言ったことは、またたくまに全国へと伝わりました。「文明開化の味」として、あんパンは日本中に広まったというわけです。

(文:忌川タツヤ)
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