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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 昨日、通算15回目の函館旅行記を本宅にてアップできて、宿題を果たした気分の白牡丹です。

北海道
五稜郭タワー階段で…初の体験イベント
 五稜郭タワー(函館市五稜郭町43、中野豊社長)で8日、地上から展望台までを階段で上る体験イベントが初めて開かれた。参加者は451段の急こう配に息を乱しながらも、ゴールを目指して懸命に歩を進めた。

 「幕末」「維新」などのキーワードがありませんが、五稜郭タワーのニュースは優先的に取り上げています^_^;。

神奈川
【神奈川】旧吉田茂邸耐震調査など開始 県土整備部(10/9)
 神奈川県県土整備部は、旧吉田茂邸を保全・活用する県立大磯城山公園の拡大整備で、区域拡大に伴う造園設計や、老朽化した旧吉田茂邸の耐震調査とこれを踏まえた改修基本計画の策定、国道1号を挟んでいる同公園と旧吉田茂邸を結ぶ橋梁の構造検討などを開始する。今後、これらの業務を順次指名競争入札で発注し、2007年度中にまとめる方針。08年度に都市計画変更手続きや旧吉田茂邸の具体的な活用方法の検討を行い、09年度の着工に備える。担当は県平塚土木事務所。

 「幕末」「維新」といったキーワードがないのに、なぜか引っかかってきたようです^_^;。

1860年の武士の写真、ジョン万次郎の撮影と判明
 1860(万延元)年に撮影された武士の写真が、中浜(ジョン)万次郎の撮影と分かった。写真は静岡県韮山(現在伊豆の国市)を拠点に、幕末までの約300年間、世襲で駿河、武蔵、相模など広域を支配した幕府代官・江川家の史料群「江川文庫」の中にあったが、撮影者は不明のままだった。
 東京大学史料編纂所付属の画像史料解析センターの調査で、江川家江戸邸の動きを記した「御出府日記」に万次郎撮影を裏付ける記述を発見。撮影技術と併せて検証した結果、万次郎が咸臨丸でサンフランシスコから帰国後、持ち帰った写真機と薬品で撮影したことを突き止めた。
(中略)
 江川代官の配下にあった万次郎撮影と確認された写真は、ガラス板を使う湿板写真(アンブロタイプ)で撮影され、大きさは縦八・四㌢、横七・一㌢。はかまを着け、太刀を左手にした武士は江川家に出入りしていた小沢太左衛門とみられ、包み紙には「万延元年七月十六日夕七ツ時写真シ奉ル事」と書かれていた。

 坦庵先生こと第36代江川太郎左衛門英龍様のファンにとっては、江川様とジョン万次郎の関係に思いを馳せる機会となる、嬉しいニュースです。江川家が幕閣を代表して土佐藩からジョン万次郎を預かった後、ジョン万次郎さんがどういう人生を歩んだか、私はまだまだ勉強が足りませんが。


岐阜
地酒「バロンテッシン」を開発 大垣の三輪酒造、創業170周年
 無類の酒好きで知られた幕末の大垣藩家老・小原鉄心(1817-72年)が好んで通ったという「三輪酒造」(大垣市船町)が、創業から170周年という節目を迎えるのに合わせ、鉄心をイメージした特別本醸造酒「バロンテッシン(男爵鉄心)」を開発した。


京都
孝明天皇が攘夷を祈願、下鴨神社「開かずの間」初公開へ
 世界遺産・下鴨神社(京都市左京区)は11月1~11日、幕末に孝明天皇が外国勢力を排斥する攘夷(じょうい)を祈願した神服(しんぷく)殿(重文)の「開かずの間」を初公開する。
 神服殿は1628年の式年遷宮で、祭神用の衣服を仕立てる場所として建立された。広さ12畳の「開かずの間」は、天皇が過ごしたことなどから一般には公開されていない。
 ペリー来航をきっかけに国内が騒然とした1863年には、鎖国を望んだ孝明天皇が将軍徳川家茂(いえもち)を従え、約240年ぶりとなる行幸で下鴨神社を訪れ、この部屋で休憩を取り、攘夷を祈願した。公開時には、部屋の中央に「御褥(おしとね)」と呼ばれる座布団を敷いて、天皇が座る「玉座(ぎょくざ)」を再現する。


ヒラメ顔?の沖田総司像お披露目
 幕末の京都で反幕府勢力の取り締まりに活躍した新選組の隊士、沖田総司の銅像が幕末維新期の専門博物館、霊山歴史館=京都市東山区=で完成し、報道陣に10日、お披露目された。
 写真や肖像画、彫像など沖田の容姿が分かる史料はこれまで見つかっておらず、「ヒラメ顔で笑うと愛嬌(あいきょう)がある」という文献の記録を基に顔をイメージしたという。
 背中に新選組の隊旗の「誠」の字が入った羽織はかまを着て、両手で刀を地面に突いて立っている姿で、高さ約90センチ。18日から11月25日まで同館の秋季特別展「龍馬と西郷」で展示される。

 ぱっと見、島田順司さんを連想させる沖田像ですね。
 秋の観光シーズンに霊山に寄るのは割と習慣化してますので(毎年、新選組と龍馬みたいな展示をやっているので)行けたら行きたいなぁと思っています。

「時代祭」で京都の歴史と文化体感
 10月22日は、桓武天皇が794(延暦13)年に長岡京から平安京に都を移された日、つまり京都の誕生日である。同祭は京都三大祭の一つで、同天皇を祭神とする平安神宮の創建と、平安遷都1100年祭を奉祝する行事として明治28年に始まった。
 この祭の特色は、それぞれに時代を再現した衣装や道具を身に着けた人々で行われる時代風俗行列である。時代は、明治維新から延暦時代へとさかのぼって行き、行列は京都御所建礼門前を出発した後、烏丸通、御池通、河原町通、三条通から平安神宮へとたどり着く。今年からは、新たに室町時代列が加わる。

宮崎
都城市:島津邸購入を検討、活用へ整備計画策定 観光や歴史学習の拠点に /宮崎
 都城市は、同市早鈴町の都城島津邸を購入する方針を固め、近く活用に向けた整備基本計画の策定に着手する。観光や歴史学習の拠点施設にしたい考えで、来年1月に策定を終えた後、買収交渉に入る。市は04年10月、同家から1万点に及ぶ古文書や美術工芸品などの寄贈を受けており、これらの保存・活用策も整備計画の中で検討する。【木元六男】
 都城島津氏は、島津藩の私領・都城の元領主。明治維新まで500年余り治めた。早鈴町の屋敷は1879(明治12)年以降の居宅で、敷地面積1・5ヘクタール。母家(564平方メートル)や離れ、土蔵、剣道場などがある。母家は1935(昭和10)年の建築で、73年には昭和天皇も宿泊した。
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