新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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とうとう『陽炎の辻~居眠り磐音江戸双紙~』が終了してしまいました。続編希望。そして、来週からは佐藤浩市さん主演のドラマと、見応えあるドラマが続くのが嬉しいです。
京都
沖田総司はヒラメ顔?──京都の博物館に銅像
沖田総司、凛と立つ
霊山歴史館「日本初」のブロンズ像
週末に時間を見つけて見に行きたいものです……関西に移ってきて14年になりますが、まだ淀・鳥羽伏見方面も行っていないので、できれば一緒に回りたいです。
三国志演義図を公開 西京・市立芸大で収蔵品展
徳島
県埋蔵文化財センター:「御船屋」解明へ着々 徳島藩水軍の遺構発掘 /徳島
鹿児島
西郷 大久保 斉彬 偉人の子孫共著「薩摩のキセキ」 精神や名言記す 「現代の生きる指針に」
京都
沖田総司はヒラメ顔?──京都の博物館に銅像
幕末の京都で活躍した新選組の隊士、沖田総司の銅像が幕末維新期の専門博物館、霊山歴史館(京都市東山区)で完成し、報道陣に10日、お披露目された。
写真や肖像画、彫像など沖田の容姿が分かる史料はこれまで見つかっておらず、「ヒラメ顔で笑うと愛嬌(あいきょう)がある」という文献の記録を基に顔をイメージしたという。
背中に新選組の隊旗の「誠」の字が入った羽織はかまを着て、両手で刀を地面に突いて立っている姿。18日からの同館の秋季特別展「龍馬と西郷」で展示される。(共同)
沖田総司、凛と立つ
霊山歴史館「日本初」のブロンズ像
幕末に活躍した新選組の天才的な剣士でありながら、写真や肖像画などの史料が残っておらず外見が謎に包まれている沖田総司のブロンズ像を、京都市東山区清閑寺の霊山歴史館が制作した。「日本で初」(同館)という沖田の像は、「親しみやすい人柄だった」との言い伝えに加えて、現代の居合道高段者の動きも参考に、左京区の彫刻家江里敏明さん(60)が、凛(りん)とした姿に再現した。
沖田総司は新選組の1番隊長。結核のため1868(慶応4)年に25歳で亡くなった。池田屋事件などで武勇伝が多いが、顔や姿は「笑うと愛きょうがあり、子どもに親しまれてよく遊んだ」との姉の言葉のみが言い伝えられているという。
沖田総司の像は、高さ90センチ、重さ60キロ。新選組の印「誠」を背中に染め抜いた羽織とはかまの姿。両足を肩幅大に開き、太刀を体の前についたゆったりとした立ち姿ながら、静かな眼光をたたえた穏やかな顔を右斜め前に向け、「すきのない身のこなし方で、静の中にも動がある」(江里さん)という。
江里さんは「史料が限られ、私自身が沖田像を作り上げる緊張感があったが、その分、創作意欲がわいた。いろんな方の意見を聞いてみたい」、監修した同館の木村幸比古学芸課長は「今回の挑戦が、沖田の像の原型になれば」と期待する。
沖田総司の像は、18日-11月25日の同館の秋季特別展「龍馬と西郷」で公開する。問い合わせは同館Tel:075(531)3773。
週末に時間を見つけて見に行きたいものです……関西に移ってきて14年になりますが、まだ淀・鳥羽伏見方面も行っていないので、できれば一緒に回りたいです。
三国志演義図を公開 西京・市立芸大で収蔵品展
京都市西京区の市立芸術大で、昨年度に同大学に寄贈された作品を中心に紹介する「収蔵品展」が開かれている。幕末から明治期に京都の有力画派として活躍した鈴木派の祖・鈴木百年が屏風(びょうぶ)に描いた「三国志演義図」が公開され、来場者の注目を集めている。
徳島
県埋蔵文化財センター:「御船屋」解明へ着々 徳島藩水軍の遺構発掘 /徳島
県埋蔵文化財センター(板野町犬伏)が、徳島市安宅2丁目の県道予定地で、「御船屋」「安宅役所」と呼ばれた徳島藩水軍の遺構の発掘調査を行った。同藩の水軍は全国でも有数の規模とされ、関係者は実態解明に期待する。
同センターは00年から、徳島東環状道路の整備に伴い発掘調査を実施。00年度の調査では、船の保守点検に用いた「船蔵」と呼ばれる引き揚げドックや作業足場とみられる遺構を確認した。
ドックは長さ2メートル70センチ程度の松の板44枚を枕木状に並べ、引き揚げ口部分は丸太を格子状に組んだ構造。00年度に続く06年度調査(同年10月~翌3月)では、00年度調査地点から約20メートル西で、同様の施設を確認。今年7、8月には両年度で調査した地点の間を調べた。江戸後期の「安宅御船蔵絵画」ともほぼ一致した。
同水軍は、土佐泊(鳴門市)付近に拠点を構え、戦国時代に活躍した森水軍が原型。寛永年間(1624~1644)に、中核施設を常三島から安宅に移転。参勤交代の度に船団を組み、上方までの移動を担った。
今年6月には徳島市立木工会館(同市福島1)で、「諸大名洋式帆船図屏風(びょうぶ)」が公開された。幕末ごろの同水軍を伝える興味深い資料。薩摩藩などの船と共に、蜂須賀家の「左卍(まんじ)紋」を掲げる洋式帆船2隻が描かれる。
鹿児島
西郷 大久保 斉彬 偉人の子孫共著「薩摩のキセキ」 精神や名言記す 「現代の生きる指針に」
明治維新に貢献した薩摩の偉人、西郷隆盛、大久保利通、島津斉彬の子孫らが、3人の精神や名言、語り継がれた秘話などをつづった初めての共著「薩摩のキセキ」(総合法令出版刊、税込み1785円)を出版した。
薩摩の歴史や文化、精神を広げる活動を行う団体「薩摩総合研究所チェスト」(島津義秀理事長)が、薩摩の精神、生き様を「殺伐とした事件が多い、現代の人たちの生きる指針に」と企画。
島津家第32代当主の島津修久氏、西郷隆盛、大久保利通の曾孫に当たる西郷隆文、西郷吉太郎、大久保利〓の3氏と、島津理事長らが執筆。「キセキ」は3人を中心にした明治維新の「奇跡」と、薩摩や先人たちの「軌跡」の意味という。
第1部「薩摩の英勲たち」では、大久保利通が残した言葉「西郷の心事は天下の人には分かるまい、分かるのはおれだけだ」など、3人の先人の生涯や人物、精神を表した名言などを記した。
第2部ではそれぞれの子孫が、3人の人物像などを、文献や代々語り継がれてきた秘話などとともに紹介。終章では島津理事長が「なぜこの書を著すのか」と題し、本の意義などを記した。
島津理事長は「冷静な目で西郷隆盛や大久保利通、島津斉彬、そして明治維新を考え、検証するきっかけになれば」と話している。
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