新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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関西も雨が降ってだいぶ気温が下がりました。
福島
第53回二本松の菊人形
まっぷるのイベント詳細情報です。
鶴ケ城天守閣の入場が3000万人突破
鶴ヶ城天守閣入場者3000万人 会津若松
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千葉
戦場となった歴史知って 36点の資料を公開 市川歴史博物館
石川
土清水塩硝蔵を確認 加賀藩の火薬製造、貯蔵施設 金沢市調査 梅鉢紋の瓦出土
福島
第53回二本松の菊人形
まっぷるのイベント詳細情報です。
日本でも屈指の菊の祭典「二本松の菊人形」。藩政時代から菊の愛好者が多く、1955(昭和30)年から現在のように展示するようになった。
(中略)
1本の茎から何千個もの花を咲かせる「千輪咲き」などの作品をはじめ、大河ドラマの名場面を再現した菊人形など、見どころが満載。今年は、戊辰戦争ではかなく散った二本松少年隊の雄姿も再現される。
鶴ケ城天守閣の入場が3000万人突破
会津若松市の鶴ケ城天守閣への入場者が8日、3000万人を突破した。
昭和40年9月の開館以来、42年をかけて達成した。
(中略)
天守閣は戊辰戦争の攻防戦で損傷を受け、取り壊されたが、市民らの強い要望で昭和40年に再建。
内部は資料館、最上階は展望台となっている。
鶴ヶ城天守閣入場者3000万人 会津若松
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1965年に再建されて以来、福島県会津若松市の観光シンボルになっている鶴ケ城天守閣の入場者が8日、3000万人に達し、記念のセレモニーが行われた。
3000万人目の入場者は茨城県ひたちなか市の主婦雲類鷲(うるわし)よし子さん(54)。夫の俊文さん(54)、孫の克月ちゃん(3つ)と3人で訪れた。雲類鷲さん家族には菅家一郎市長から、記念の会津漆器や温泉宿泊券などが贈られた。
菅家市長は「鶴ケ城は会津人の心のよりどころ。戊辰戦争で敗れた後、再建には先人たちの大変な苦労があった。多くの人に親しまれるよう願う」とあいさつした。
雲類鷲さんは「鶴ケ城には以前にも来たことがあるが、初めての男孫に美しいお城を見せたくて来た。いい思い出ができた」と喜んでいた。
雲類鷲さん家族と菅家市長らは、天守台の石垣に掛けられた「3000万人達成」の垂れ幕を下ろして祝った。
鶴ケ城は400年余り前、蒲生氏が7層の天守閣を築き、後に現在と同じ5層に改築された。戊辰戦争で立てこもった際、新政府軍の激しい砲撃にさらされて半壊し、1874年に取り壊された。
千葉
戦場となった歴史知って 36点の資料を公開 市川歴史博物館
江戸幕府の終焉(しゅうえん)により新政府軍と旧幕府軍の間で戦われた戊辰戦争で、市川、船橋両地区が1日だけ戦場になり、当時の住民は大きな損害を受けた。この歴史の事実を風化させず市民に伝えようと、市民自らが企画した戦争展「市川・船橋戦争」が、市川市堀之内2の同市立市川歴史博物館で開かれている。企画したのは、同博物館友の会(森亘男会長)。同会は以前、この戦争にまつわる文献や遺跡などを調査、1986年に成果をまとめ、発表している。 (林容史)
犠牲者の墓が風化したり、整理されてなくなるなど当時を知る資料が失われつつあることから同展の開催を計画した。今年三月から会員が勉強会を開き、現地の再調査を重ねて遺跡の写真を撮り直すなど準備を進めてきた。
同展では三十六点の資料を紹介する。新政府軍が滞在した市川地区の料理屋や新政府軍を率いて戦死した黒田藩士小室弥四郎の錦絵の写真、小室との激闘が伝えられる江原鋳三郎の写真などを展示する。また、当時の住民がつくり、ひっそりと守ってきた旧幕府軍武士の墓の写真なども並ぶ。
同展を企画した森会長(79)は「武家政治が終わって百四十年。明治維新の動乱期に市川、船橋が戦場になった歴史を市民に知ってもらいたい。住民にとっては迷惑な戦争だったが、新勢力に対し、おめおめと引き下がれないという武士の魂も感じてもらえれば」と話している。
石川
土清水塩硝蔵を確認 加賀藩の火薬製造、貯蔵施設 金沢市調査 梅鉢紋の瓦出土
金沢市文化財保護課と市埋蔵文化財センターは八日までに、同市涌波町などで加賀藩による黒色火薬の製造、貯蔵施設であった「土清水塩硝(えんしょう)蔵(ぐら)」を発掘調査し、塩硝を保存していたとみられる土蔵の礎石と、梅鉢紋入りも含む多数の屋根瓦を確認した。史料の乏しい軍事施設の実態に迫る成果で、市は引き続き調査を進め、敷地面積約八万平方メートルとされる塩硝蔵の範囲特定と全容解明を目指す。
塩硝蔵の存在は、幕末から明治初期にかけての建物の配置を記した「土清水製薬所絵図」などの史料で知られていたが、遺構として確認されたのは初めて。
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