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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日は10月らしい日和の一日でしたね。

岩手
水沢商人の権勢伝え 奥州・武家住宅資料館
 奥州市武家住宅資料館(星宏一館長)の特別企画展「留守城下の豪商 松本家に残されている文物」は11月3日まで、同市水沢区吉小路の同資料館で開かれている。幕末、維新政府の要人らとの交流を伝える書や漆器などを紹介し、水沢商人の権勢を今に伝えている。
 松本家は反物などを扱う太物(ふともの)商として栄えた。現当主の松本昭郎さん(79)で12代目になる。企画展では同家の蔵で保管していた書や掛け軸、公文書、陶磁器、漆器など合わせて102点を展示する。
 江戸時代、領主に金を貸した際、返済の代わりに下げ渡された金びょうぶ「金雲楓図」は1架が高さ1・6メートル、幅約5・5メートルの豪壮な作品。金地に緑青や朱が映える。
 明治天皇が1876(明治9)年に水沢に行幸。随行した大久保利通と大隈重信が松本家に宿を取った際に置いていった備前焼のつぼは存在感にあふれる。
 勝海舟の書「欣然与心全」(喜んで胸襟を開くの意)や、伊藤博文の額「縦横不用剣」(自在に構え、争い事は好まずの意)、剣や書の名手として知られる山岡鉄舟の掛け軸など幕末、明治の要人が残した作品も並ぶ。
 このほか、2代当主が授かった柳生一流兵法目録や、8代当主がもらった江戸時代のラブレターなど多彩な資料を紹介している。
 松本さんは「江戸期の大火で運良く焼け残ったからこそお見せできる資料だ。往時の水沢の隆盛を感じてもらえるのでは」と話す。
 18日午後1時半から、松本さんによる説明会を開く。午前9時―午後4時半開館。月曜休館。入場無料。問い合わせは同資料館(0197・22・5642)へ。


群馬
教科書には載っていない「小栗上野介」-領地、高崎で初の資料展
 作家の故司馬遼太郎氏に「明治の父」と言わしめた小栗上野介(1827~1868)ゆかりの高崎で、「小栗上野介と幕末維新の高崎」展が開催されている。会場は高崎市歴史民族資料館(高崎市上滝町、TEL 027-352-1261)。同市での小栗上野介に関する展示は今回が初。
 小栗上野介は江戸時代末期の幕臣で、渡米の経験から海外の先進文化を持ち帰り紹介したことにより、近代日本の基礎作りに貢献したと評価されているが、歴史の教科書では馴染みが薄い。
 江戸初期から、上野国群馬郡権田村(かみつけのくにぐんまぐんごんだむら)、現在の高崎市倉渕町権田は小栗家の領地だった。小栗上野介自身と高崎との直接的な関わりは1868年3月、幕府から帰農許可を得て権田村に移住したことに始まる。
 一族そろって権田村の東善寺(同市倉渕町権田)に移った小栗上野介は、移り住んでからわずか2カ月後には官軍に捕われ、烏川の水沼河原(高崎市倉渕町水沼)で斬首されるという悲劇的な運命をたどった。
 約30年ほど前から小栗上野介についての研究を始めた東善寺の村上泰賢住職は、「小栗上野介は『幕府の運命に限りがあるとも、日本の運命に限りはない。幕府のために成すこともひいては国のため』、また『公務に尽くすのが真の武士だ。後は野となれ山となれと言って退散するのはよろしくない』と最後まで力を尽くした」と力を込める。
 日本の歴史に詳しくない人にまで小栗上野介の名が知られるようになったのは、1990年代にTBS系で放映された「徳川埋蔵金」発掘をテーマにした番組がきっかけだ。しかし、徳川埋蔵金への小栗上野介の関与については諸説入り乱れている。
 村上住職は「もしも本当に世間で言われているような金塊なり小判を運ぶ場合、約2,000頭の馬が必要になると割り出した人がいた。馬が2,000頭なら馬方だけでも2,000人、パワーショベルもブルドーザーもない時代にどれくらいの人手が必要になるか。それだけの馬や人を見たという言い伝えも聞かない。それより何より小栗上野介は金を生かして使う人。埋めるだけの黄金があれば、役立つことに使ったに違いない」と話す。
 小栗上野介の死去から140年。「小栗上野介と幕末維新の高崎」展では小栗上野介の遺品や関係資料を展示し、「小栗上野介が生きた激動の時代の高崎をわかりやすく紹介」(高崎市担当者)している。
 開館時間は9時~16時。月曜休館。入館無料。11月24日まで。
 10月18日には村上住職による講話「小栗上野介に学ぶ」と幕末維新の史跡めぐりを開催する。「すでに定員に達しているようだが、本堂にはまだまだ余裕があるので興味のある人はぜひ参加を」(村上住職)とも。
 10月26日には「開明の人、小栗上野介」11月1日には「幕末維新と岩鼻」、11月16日には「幕末維新、高崎藩の動向」をテーマに記念講演が開かれる。定員は各50人で、事前申し込み必要。

 マンガ『天涯の武士』で小栗上野介に興味を持った自分は、見に行きたいなぁ……。

茨城
県立歴史館で特別展「幕末日本と德川齊昭」を好評開催中
 県立歴史館(水戸市)では、10月11日(土曜日)から、特別展「幕末日本と德川齊昭」を開催しています。
 「弘道館」や「偕楽園」を創設し、「水戸藩の天保改革」に果敢に取り組んだ水戸藩9代藩主徳川斉昭は、ペリーの来航後「攘夷の旗頭」として、藩の枠を超え、幕末日本の命運を握る人物の一人となりました。
 今回の特別展では、約160点の資料を展示し、第一部で藩政改革を、第二部では老中阿部正弘との交流、大老井伊直弼との比較などを交えて幕府政治とのかかわりを、第三部では家庭人としての素顔について展示し、「幕末」という時代背景のなかに斉昭の生涯をとらえ、その歴史的役割や業績について紹介します。
 関連行事として、10月25日(土曜日)には「徳川斉昭と井伊直弼~対立の構造と真意」、11月9日(日曜日)には「幕末の大奥~斉昭と天璋院」と題した講演会を行うほか、斉昭ミニ講座や展示解説なども予定しています。


京都
勝海舟のブロンズ像完成 京都の霊山歴史館
勝海舟のブロンズ像完成 京都の霊山歴史館
 幕末から明治維新にかけて活躍した幕臣、勝海舟のブロンズ座像が完成し、京都市東山区の霊山歴史館で14日、報道陣に披露された。
 NHK大河ドラマ「篤姫」の放映を機に、同市左京区の彫刻家、江里敏明さん(61)が約10カ月かけて制作した。高さ44センチ、重さ約50キロで、羽織袴で右手に扇子を持ち、左手を袴に隠した姿。明治元年3月、東京の薩摩藩邸で西郷隆盛と江戸城無血開城に向けて直談判する45歳の姿を表現したという。
 江里さんは4年前から、坂本龍馬や土方(ひじかた)歳三などの像を同歴史館の依頼で制作。
 今回は「日本の未来を語らう対談の緊張感や、内に秘めたエネルギーを表現した」と話している。
 23日から始まる特別展「龍馬と大政奉還」で一般公開される。特別展では倒幕の密勅にかかわる資料や坂本龍馬の伝記なども展示される。

 坂本龍馬像と勝海舟像と土方歳三像が並ぶんでしょうか……まぁ土方さんは流山で投降した近藤さんの件で勝先生に会ったことあるから、勝海舟経由で坂本龍馬との接点ができたかな(笑)。

和歌山
田辺で幕末に砂糖作り 遺跡から製造鉢が出土
田辺で幕末に砂糖作り 遺跡から製造鉢が出土
 田辺市の田辺城下町遺跡から、砂糖製造に使う素焼きの製造鉢が複数出土した。幕末のものとみられ、発掘調査している県文化財センター(和歌山市)は「田辺城下町での砂糖製造について記録が残っておらず、当時の生活を知る上で貴重な資料になる」と話している。

サトウキビをつくる地域というと鹿児島県とか沖縄を思い浮かべるのですが、幕末には和歌山でもサトウキビをつくっていたんですね。

川合小梅の掛け軸「立雛図」 小梅ゆかりの寺に奉納 和歌山
川合小梅の掛け軸「立雛図」 小梅ゆかりの寺に奉納 和歌山
 「小梅日記」の作者、川合小梅(1804~1889)が描いたとされる掛け軸を、「小梅日記を楽しむ会」の世話人で和歌山大院生の道澤康裕さん(66)=京都府城陽市=が、小梅ゆかりの正住寺(和歌山市東長町)へ奉納した。
 小梅は江戸時代の紀州藩校「学習館」の校長、川合梅所の妻で、祖父や父母の影響で16歳から約70年間日記を書き続けたと伝えられており、日記は幕末から明治初期の世相や庶民生活などを知る貴重な資料となっている。
 道澤さんが奉納した掛け軸「立雛図」(幅約53センチ、長さ約134センチ)は、小梅が安政6(1859)年に初孫の初節句を祝い、表装まで手描きしたもの。中央に笑顔の立ち雛(ひな)、周囲には柳や梅が描かれている。立雛図には小梅の花押(サイン)と押印も確認され、県立博物館に収蔵されている小梅の花押と印影が一致することから、小梅の作品と認定された。
 立雛図は11日、小梅日記の足跡をたどる「小梅ウォーク」で奉納され、17日から和歌山城天守閣で始まる「川合小梅展」でも公開されるという。道澤さんは「立雛図を奉納した11日は、小梅と親交の深い正住寺の二十三世日導上人の命日。ふしぎな縁を感じます」と話していた。




佐賀
幕末維新期の史料を翻刻 佐賀市の永松さん
 久保田町の永松亨さん(72)が、曾祖父が残した史料を翻刻した『幕末維新 永松七郎助史料集』を自費出版した。自ら古文書解読を学んでまとめた労作。曾祖父七郎助(後に「亨」と改名)が佐賀藩久保田領主村田若狭(1814-73年)の近侍役だったことから残された史料とみられ、戊辰戦争など激動の歴史の一端が読み取れる。
 七郎助は1835(天保6)年に生まれ、1921(大正10)年に死去。長く村田若狭の近侍を務め、多くの史料を残していた。

 おぉ、土方さんと同じ天保6年生まれ!(笑) 大正10年まで長生きされた由、明治末に生まれた亡き祖母の人生と多少オーバーラップしているなぁ……父が生まれた年にあとウン年ってところだし。幕末の時代をより近く感じます。
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