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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日は大河ドラマ『篤姫』でおなじみ、小松帯刀・おちか夫妻が坂本龍馬・おりょう夫妻よりも早く新婚旅行に行ったんじゃないかというニュースが面白かったです。

宮城
企画展:絵図で知る城下町--白石城歴史探訪ミュージアム /宮城
 白石城や周辺の城下町を描いた絵図を紹介する企画展「白石城下絵図展」が、白石市益岡町の白石城歴史探訪ミュージアムで開かれている。
 白石城は江戸初期の「一国一城令」の特例として、仙台城と並んで存続。片倉家が城主を務め、城下町も発展した。今回の展示会は、他の城下町の絵図も比較対照しながら、近世の白石の発展と変化の軌跡を知ってもらおうと企画した。
 展示されているのは、明治時代に描かれた「白石城之図」▽仙台藩南境の上戸沢地区の「番所の図」▽幕末から明治にかけての「刈田郡絵図」「大平村全図」▽「岩沼城下絵図」--など19点。市教委所蔵品のほか、個人から借り受けた。多くが初公開という。
 12月25日まで。期間中、展示替えもあるが、常時10点ほど展示している。入場無料。問い合わせは同ミュージアム(電話0224・24・3030)。【豊田英夫】



愛知
豊橋の行脚隊、伊勢へ「船参宮」
「高速船」ターミナル利用第1号に

 愛知県豊橋市が発祥の地といわれる幕末の「ええじゃないか」騒動に着目し、観光振興につなげようと活動を続けている豊橋商工会議所の「ええじゃないか行脚隊」メンバーら28人が15日、3隻のクルーザーで伊勢市を訪れ、かつての伊勢神宮への「船参宮」を再現した。騒動は伊勢神宮のお札が降ったのがきっかけで起こったと伝えられることから、行脚隊は陸路での神宮参拝を実施しているが、今年は伊勢市に船の旅客ターミナルが出来たことから、初めて“海上ルート”で訪れた。


クルーザーで「船参宮」
ええじゃないか行脚隊、初の海路

 豊橋市が発祥の地といわれる幕末の「ええじゃないか」騒動に着目し、観光振興につなげようと活動を続けている豊橋商工会議所の「ええじゃないか行脚隊」メンバーら28人が15日、3隻のクルーザーで三重県伊勢市を訪れ、かつての伊勢神宮への「船参宮」を再現した。




滋賀
近江に龍馬石碑を
 坂本龍馬の石碑を建立しようと、県内の龍馬ファン15人が「近江龍馬会」(大津市、柴田與一郎会長)を結成した。2010年のNHK大河ドラマが「龍馬伝」に決まるなど、“幕末のヒーロー”への関心が高まる中、メンバーは「龍馬の足跡をたどり、大勢のファンを呼び込みたい」と張りきっている。
 設立を呼びかけたのは、連日、大勢の龍馬ファンでにぎわう酒場「龍馬」(京都市中京区)を営み、なじみ客から龍馬の妻「お龍」の愛称で呼ばれている錦織良子さん(37)(大津市長等)。
 錦織さんは、京都府内の龍馬ファンでつくるNPO法人「京都龍馬会」(赤尾博章理事長)が3日、お龍の実家「楢崎家」(京都市中京区)の跡地付近に石碑を建立したのを知り、「滋賀にも龍馬ゆかりの地があるはず」と思い立ち、赤尾理事長らと近江龍馬会を14日に発足した。
 今後、龍馬にまつわる知識を持つ郷土史家らに協力を呼びかけて、ゆかりの地を特定し、寄付を募るなどして石碑建立を目指す。柴田会長によると、近江屋で龍馬とともに暗殺された世話役・藤吉が近江国出身とされるなど、県内にも龍馬との縁がうかがえる人物や場所があるという。
 錦織さんは「隠された歴史を掘り起こし、『近江にも龍馬あり』と知ってもらうとともに、新たな観光スポットにもつながれば」と話している。
 問い合わせは、近江龍馬会(077・522・7978)。



広島
島田さん監修で鞆クイズ散策
 福山市教委は17日から、江戸時代の港町の風情が残る鞆町を、クイズを解きながら散策する「ミステリーウオーク」を始める。問題は地元出身の作家島田荘司さんが監修した。幕末の志士、坂本竜馬ゆかりの商家や港湾施設を巡る。24日まで。
 鞆町を訪れる人は誰でも参加できる。鞆の浦歴史民俗資料館や観光情報センターに、問題と鞆町の地図、回答用紙がセットになったしおり「竜馬・鞆の浦ミステリー探検」と応募箱を置く。10問すべて正解した人には、抽選で特産品を贈る。文化課=電話084(928)1117。


鹿児島
日本初の新婚旅行は小松帯刀?通説“龍馬”に異論登場
 日本最初の新婚旅行といえば、幕末に坂本龍馬(1835~67年)と妻のお龍が鹿児島県霧島市の温泉を訪れたのが定説になっている。しかし、龍馬の盟友で、NHK大河ドラマ「篤姫」に登場する薩摩藩家老・小松帯刀(たてわき)(1835~70年)の方がもっと早かったとの説が登場し、話題になりつつある。
 「小松説」を唱えるのは、鹿児島市のNPO法人「まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会」代表理事の東川隆太郎さん(36)。根拠は、小松が残した日記だ。東川さんは、「篤姫」の放送が始まったのを機に日記をめくってみた。
 そこには、小松が妻のお近(ちか)と結婚して3か月後の1856年(安政3年)4月23日から5月6日まで、霧島市にある「栄之尾(えのお)温泉」にお近と滞在したことが記されていた。これは、龍馬夫妻の霧島旅行より10年早い。
 ただし、養父であるお近の父が病気療養のために同行しており、夫婦水入らずではなかった。「家族旅行」とも解釈できそうだが、東川さんは「結婚直後なので、小松には新婚旅行という明確な意図があったと思う」と自信たっぷりだ。
 「篤姫」の時代考証を担当する鹿児島大の原口泉教授(61)(日本近世・近代史)は、「当時は夫婦旅行は珍しく、完璧(かんぺき)に新婚旅行と言える」と東川さんの見解に太鼓判を押したうえで、「小松は、外聞をはばかって養父を同行させたのかもしれない」と推測する。
 東川さんは、「篤姫」の放送以前は小松への注目度が高くなかったことから、「新婚旅行第1号」だと気付かれずにいたとみている。東川さんは、郷土史をテーマにした講演や観光客相手に観光ガイドを務める際などに「小松説」を紹介しており、鹿児島県内の歴史愛好家らの勉強会などで話題になることが増えてきたという。


新婚旅行1号は小松帯刀?「龍馬より10年早い」
新婚旅行1号は小松帯刀?「龍馬より10年早い」
新婚旅行第1号は小松帯刀?龍馬の10年前霧島の温泉へ
日本初の新婚旅行は小松帯刀?通説“龍馬”に異論登場
 見出しが若干違いますが、内容は上の記事と同じです。

 後に薩摩藩のご家老となった小松帯刀ご夫妻が日本初の新婚旅行とは、なかなか斬新ですね。瑛太さんとともさかりえさんの姿で想像してしまうのですが(汗)。
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