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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日は窓を開けていると秋らしい風が足下をすうすうと吹き抜けていきます。気持ちいい。

宮城
幕末志士描写2様/仙台在住の2人が新刊
 仙台在住の2人の筆者がこのほど、異なる視点で幕末を描いた本を書いた。大河ドラマ「龍馬伝」のブームもあり、注目を集める幕末。筆者に、それぞれの本に込めた思いを聞いた。(松本紗知)
 『戦塵(せん・じん) 北に果つ―土方歳三戊辰戦始末―』(学研パブリッシング/税別1500円)で、新撰組(しん・せん・ぐみ)の一員、土方歳三とその周辺の人々とのかかわりを通して幕末を描いたのは、仙台市若林区の甲斐原康さん(63)。京都に始まり、江戸、宇都宮、会津、仙台と北上し、箱館(北海道函館市)で生涯を終えるまで戦い続けた土方の生き様を浮かび上がらせた。
 「土方は魅力的な男。どんな侍よりも侍らしい」という甲斐原さん。土方は、気に入らない者はすぐに切り捨てる冷徹な側面もあったという。「彼の周囲にいた人は、土方をどう見たのか。切られた人間の目からみて、土方はどう映ったのか」。土方を主人公とはせず、周囲の人々を軸に描いた。
 甲斐原さんが執筆活動を始めたのは5年ほど前。本作で第15回歴史群像大賞優秀賞を受賞した。「文学は祈りだと思う」という甲斐原さんは「それぞれの人の命を物語で描いてあげたい」と小説に込める思いを語る。
 一方、同市青葉区の山本三郎さん(74)は、遣米使節団の従者として幕末に世界一周をした仙台藩士、玉蟲(たま・むし)左太夫の旅日記「航米日録」を現代語訳しつつ解説コラムを加えて『仙台藩士幕末世界一周 玉蟲左太夫外遊録』(荒蝦夷/税別2100円)としてまとめた。山本さんは玉蟲の玄孫にあたるため、コラムには裏話もふんだんに盛り込まれている。
 玉蟲ら使節団が渡米して今年で150年。「玉蟲の日記には、歴史の表に出てこない武士の本音が表れている」と話す山本さん。1人の武士が異国で感じた純粋な驚きの数々が、幕末を身近に感じさせてくれる。
 問い合わせは学研パブリッシング(03・6431・1507)、荒蝦夷(022・298・8455)へ。10月11日には両氏と作家の星亮一さんが幕末の仙台を語るトークライブが仙台文学館(同市青葉区)である。要予約で、問い合わせ・申し込みは荒蝦夷まで。


栃木
宇都宮の歴史スポット:ボランティア団体が紹介マップ 土方歳三訪問の地など /栃木
 宇都宮市のまちづくりボランティア団体「宇都宮プライド創造ボランティア 歴史歩き隊」が幕末の宇都宮の歴史スポットを紹介するマップを完成させた。戊辰(ぼしん)戦争の激戦地の一つだった宇都宮城のエピソードなどもちりばめ、歴史好きをもうならせる仕上がりになった。

 歴史歩き隊のメンバーは宇都宮市在住の男性4人。中心市街地に観光客らを呼び込もうとマップの作製を思いついた。女性にも人気がある新撰組副長、土方歳三が旧幕府軍として訪れた場所や当時の戦いの様子なども紹介されている。

 江戸時代の宇都宮城下の復元図も掲載。歴史的な見どころのほか、カフェや和菓子店、レストランなども案内した。徒歩やバスで回るお勧めコースは所要時間約3時間半という。マップは3000部。宇都宮城址(じょうし)公園と宮カフェで手に入れることができる。【中村藍】


長崎
【動画】実録・坂本龍馬展が開会 長崎歴文博、きょうから一般公開
 幕末の志士坂本龍馬の遺品や手紙などを一堂に集めた企画展「実録・坂本龍馬展」(長崎新聞社、NHK長崎放送局など主催)の開会式と内覧会が1日、長崎市立山1丁目の長崎歴史文化博物館であり、龍馬ゆかりの貴重な品々が報道陣と関係者に公開された。一般公開は2日から。

 同展はNHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせて企画された過去最大の龍馬展。東京、京都、高知を巡回し、長崎歴文博が最後の開催地となる。

 内覧会では、長崎で撮影した懐手にブーツ姿の写真のガラス原板(9~11日の限定公開)など約200点を公開した。愛用の刀、カステラのレシピも書き込まれた海援隊の雑記帳「雄魂姓名録」(重要文化財)など大半が県内初公開。誕生から暗殺まで龍馬の波乱に富んだ生涯を豊富な資料で実感できる。

 開会式には招待客ら約220人が来場した。「龍馬伝」主役の福山雅治さんの母校、長崎市立淵中のブラスバンド部が演奏。関係者がテープカットをして祝った。

 11月3日まで。観覧料は大人1200円、小中高校生700円。2日は午前10時から、京都・霊山(りょうぜん)歴史館学芸課長の木村幸比古氏の講演「龍馬暗殺の真相」などがある。

 ◆陸奥役の平岡さんもテープカット

 「実録・坂本龍馬展」の開会式には、「龍馬伝」で陸奥陽之助(宗光)役の俳優平岡祐太さん(26)が駆け付け、あいさつとテープカットをしてムードを盛り上げた。

 龍馬伝主役の福山雅治さん(41)と同じ芸能事務所に所属。「ドラマでも演技についていろいろ助言を頂いた」。5月の長崎市ロケでは市亀山社中記念館を訪ね「長崎は志を見つけた重要な場所」と感じた。

 「展覧会は本物ばかり。龍馬が陸奥に書いた手紙を見て感動した。ドラマもすごく感動するラストになっている」とさわやかな笑顔を見せた。2日は午前9時から同館である「わたしの龍馬フォト&メッセージ」表彰式に出席する。


佐賀
「海揚がりの陶磁」展開幕
龍馬ゆかりの磁器片も

「いろは丸」から引き揚げられた磁器片
 「海揚がりの肥前陶磁―海に残された有田焼」展が1日、有田町の町歴史民俗資料館で始まった。福岡県岡垣町の海岸に漂着した焼き物を集めた昨年度の企画展「海揚がりの有田焼―筑前芦屋浜を中心に」に続く第2弾。幕末、瀬戸内海で沈んだ坂本龍馬率いる海援隊の用船「いろは丸」から引き揚げた磁器片も展示している。

 18世紀以降、国内でも広く使われるようになった肥前磁器は、筑前商人らによって伊万里から船で各地に運ばれた。今回は北海道から鹿児島まで、28か所の海で採集された難破船の積み荷や漂着物などを集め、肥前陶磁の流通経路や広がりを紹介している。

 展示品は、中国、タイの焼き物などを含む約680点。明治新政府に抵抗し、北海道・江差沖で沈没した旧幕府軍の旗艦「開陽丸」の調査で見つかった日用食器もある。

 アジア水中考古学研究所との共催。11月30日まで。会期中無休。入場無料。

(2010年10月2日 読売新聞)


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(81)東大教授・山内昌之 児島惟謙
「我攻め」と司法の屈服
 尖閣諸島沖の不法漁船長をめぐる中国の無理無体な要求に驚き怒りを感じるうちに、「我攻(がぜ)め」という言葉を思い出した。どんなに犠牲を払っても無理やりに城を落とす戦法を指す。通常は無理押しや傍若無人を意味する言葉だが、『広辞苑』第6版にも載っていないのは不思議だ。人員の損耗を無視して正面から攻めると犠牲が出るのは当然である。
 中国は、日本相手には人権や外交儀礼を無視しても我攻めに徹すれば、勝敗を早く決せられると改めて確認したはずだ。河北省でフジタ従業員を事実上の人質にとった手段は、我攻めに搦(から)め手や糧道の攻撃を組み合わせた戦術であるが、民主主義国家ではありえない手法である。
 こうした脅迫は今後も繰りかえされる。政府や財界人は、中国にレアアースや市場を頼りながらウィン・ウィンの関係だと楽観的に信じてきた論理が、主権侵害の事実を前に破綻(はたん)する危険性を直視し対中戦略を再構築すべきであろう。
 那覇地検による漁船長釈放の決定理由には、日本国民の利益や日中関係の将来を配慮したとあったが、もとより一地検の判断ではない。当然、最高検との協議で決まったことである。検事総長には法務大臣などを介して首相や官邸の意志が伝えられていたことも、多く指摘されている。今回の事案処理は、司法と行政と外交との入り組んだ領域で進められたが、司法の独立性や自律性の観点から多くの問題を残したことは否めない。
この点で思い出されるのは、明治24(1891)年にロシア皇太子のニコライ(後のニコライ2世)が大津市で警備中の巡査、津田三蔵に斬(き)りつけられ負傷した大津事件である。首相の松方正義ら政府首脳は、旧刑法116条の皇室罪の適用を主張し極刑に処すことを求めた。強大な軍事国家たる隣国ロシアは、日本の安全保障に最大の脅威を与える存在であり、“恐露病”と揶揄(やゆ)されるほど政府首脳はロシアを刺激すまいと細心の注意を払ったからだ。
 ◆皇室罪適用は「汚点に」
 しかし事件直前に大審院長(いまの最高裁長官)に就任した児島惟謙は52歳の若さながら、三権分立の理念を説き、皇室罪の適用が帝国憲法を損ない裁判史に「汚点」を残すと考えた。法で裁くという信念から政治介入を排除した。「法の尊厳と裁判の独立」の堅持こそが「国家の自主性を確保する道」だという理由である。外国皇太子に対する傷害事件には皇室罪でなく謀殺罪を適用すべきだと部内をまとめ、津田に謀殺未遂罪による無期徒刑を宣告させた。
 面白いのは、大津事件を告発した大審院検事総長の三好退蔵の対応である。のちに大審院長にもなる三好は児島と反対に「皇室に対する罪」により死刑に処すべきものと論告求刑した。これは三好が伊藤博文に引き立てられた点を別にしても、究極的に国家や体制の損壊を恐れる検察には外交にあたる政府と利害の共通性も見られることを意味しており、尖閣事案に対する今回の検察と政府の対応を考える上で興味深い。
 確かに児島が司法権の独立維持に貢献した点は高く評価されてよい。この点では、現在の菅直人政権への世論の厳しさと違って当時の日本人はもとより、欧米列強からも司法の自律性という近代国家の原理を守った実例として評価されたのである。宇和島藩に生まれ長崎で坂本龍馬や五代友厚(ごだい・ともあつ)とも交わった勤皇の志士上がりの児島には、薩長何するものぞという気概もあったに違いない。
 ◆裁判官判断の独立性侵害も
 しかし、司法権の独立とは行政府や立法府からの自律性を指すだけでない。個々の裁判官の独立した判断の尊重という点も大事なのである。児島は司法権を外部の干渉から守った半面、部内を自らの判断でまとめるあまり、審理にあたる裁判官の判断の独立性を侵した面もないだろうか。
 検察なら一体の原理で上級庁の判断に従うメカニズムが働く。検事総長が決断すれば意志が統一されるのだろう。しかし、問題は法務大臣を介して首相や官房長官の意志が検察首脳に伝えられたとき、政府機構の一部を構成する検察庁の長が“指揮権の発動なき指揮権”を受けたと感じるのか否かという点ではないか。
 不法漁船長の釈放問題は、“現代の大津事件”として国益と法との関係や如何(いかん)と多面的に議論すべき性質のものだった。そうならなかったのは、“現代の児島惟謙”もおらず、首相が小粒にすぎて内外での緊張感に堪えられる胆力を持ち合わせなかったからであろう。(やまうち まさゆき)

【プロフィル】児島惟謙
 こじま・いけん 天保8(1837)年、宇和島(愛媛県)生まれ。遊学先の高知・長崎で坂本龍馬らと交友、脱藩して倒幕運動に参加。維新後司法省に出仕、名古屋裁判所長などを経て大審院長。大津事件で罪刑法定主義と司法権の独立を守り抜いた。大審院判事らの花札賭博事件で辞任後、衆議院議員などを歴任。明治41(1908)年、71歳で死去。


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