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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日は江戸東京博物館の『ボストン美術館浮世絵名品展』を見てきました。江戸の風物を描いた作品が色褪せずに保管されてきていることに、感激しました。

北海道
咸臨丸と開拓団の歴史紹介…水産高・片柳さんと加藤君 来月5日に発表
 函館水産高校(齋藤隆校長、生徒468人)が道教委の「北を活かす人づくり」推進事業の一環としてまとめた「咸臨丸」の最後の乗船者に関する研究を、同校水産食品科1年の片柳ひかるさん(16)と加藤匠君(15)が11月5日午後6時半から、函館市地域交流まちづくりセンター(末広町4)で発表する。乗船した伊達藩片倉小十郎家臣団の歴史などを取り上げ、函館と木古内、松前、宮城県、福島県など各地の史実をつなぎ、観光振興に活用してもらうのが狙いだ。先着60人には宮城県白石市名産の「温麺(うーめん)」のプレゼントも用意している。
同事業は函館商業高、大野農業高と一緒に本年度までの3年間実施。函館水産高は独自の研究として、海にかかわる観光資源の発掘を進めており、今回は木古内町沖で座礁・破船したとされる本道開拓使の輸送船、咸臨丸にスポットを当てた。
 同校の研究によると、宮城県の武士一族片倉家は明治元(1868)年に戊辰戦争に敗れ、白石城などを没収される。新天地を求め、一族は明治4(1871)年に咸臨丸で本道開拓を目指し、その後、札幌に移住して東郊外に白石村(現在の白石区)を作った。
 この片倉家の2代目片倉小十郎重長の娘は松前家に嫁ぎ、その子は3代目片倉小十郎景長となって伊達家の「お家騒動」解決の立役者となった。松前家は文化4(1807)年、幕府に土地を公収され福島県伊達市の梁川に国替えされた時期、片倉家から支援を受けるなど、両家は深いつながりがあった。
 発表会ではこうした史実や背景を説明。各地のゆかりの場所の写真もスライド上映する。松前家の家老蛎崎波響と片倉小十郎の参謀とのかかわりや、白石村開拓団の子どもが後の納豆博士となるエピソードなども盛り込む。

 母方の祖母が白石市出身ですので、片倉一族に関心があります。明治に入ってからの蝦夷地移住以前に松前と関わりがあったんですね。

京都
秀吉好み?金のきせる 初代伏見城跡から高麗青磁なども
 京都市伏見区東奉行町の財務省宿舎建設現場で、豊臣秀吉が建てた最初の伏見城の堀の遺構が見つかった。調査を委託された西近畿文化財調査研究所(兵庫県加東市)が27日発表した。堀の底から金箔(きんぱく)を張ったきせる、高麗青磁の茶托(ちゃたく)の破片も出土した。
(中略)
また、堀に隣接して江戸末期の伏見奉行所跡も見つかった。幕末の鳥羽伏見の戦いで新撰組(しんせんぐみ)など幕府軍が陣取り、薩摩軍の砲撃で全焼した史実通りに、焼けた瓦や土壁、崩れた石垣などが出土した。

 伏見奉行所跡、気になります。発掘された部分だけでも、復元する予定はないでしょうか。

大阪
【トピックス】堺市博物館で「薩摩焼」展 来月9日まで
■多様性の中に見る風土と歴史

 薩摩焼が世界に知られるようになった第2回パリ万博(1867年)から140年の昨年、フランスで「薩摩焼パリ伝統美展」が開かれた。これを記念し、同展に出品された日・仏の所蔵品などを中心に優品約160点を集めた。
 旧薩摩藩領で焼かれた陶磁器である薩摩焼が多彩に発展した背景は、制作地の地理的な広さ(鹿児島県と宮崎県南部の一部)だけではない。豊臣秀吉の朝鮮出兵のさいに連れてこられ、薩摩焼の発祥を担った陶工たちがそれぞれ技術を伝えたことに加え、日本の窯業先進地を視察し、技術を導入したのが大きい。
 幕末から明治初めに最も盛んに制作された金襴手も、京焼の色絵技法を源流とする。上絵の具で絵付けした「錦手(にしきで)」、それにさらに金泥や金箔(きんぱく)で加彩した金襴手は、繊細に手描きされたオリエンタルな絵柄が欧州で珍重され、薩摩焼が万単位で海外に輸出される原動力となった。



和歌山
紀州・社寺を歩く:法蔵寺(広川町) 「南紀男山焼」創始者の墓 /和歌山
◇幕末に全焼、移築された鐘楼
 今回の法蔵寺は、以前湯浅町の勝楽寺(昨年6月26日付掲載)を取材した時から気になっていたお寺さん。そのわけは後で説明しますが、お訪ねするタイミングがつかめずにいたところ、読者からご推薦があり、行ってまいりました。皆さんも、お勧めの社寺がありましたら、どうぞ教えてください。
(中略)
 山門脇に大きな墓地があった。幕末から明治初年に至るわずか50年間、この地に花開いた幻の陶芸「南紀男山焼」の創始者、崎山利兵衛のお墓がここにあるはず……あっ、ありました。「崎山家先祖代々」と書かれた卒塔婆(そとうば)が立つコケむした墓石が。一番大きな墓が利兵衛、あとは一族の墓だろう。花生けの花も枯れ、最近お参りした形跡は見られない。
 「ご子孫は東京に移られて、地元に縁者はいないのです。男山焼自体が廃窯ですから、今ではお参りする方もほとんどありません」と吉水志朗住職。男山焼の作品そのものは最近、再び脚光を浴びているのですがねえ。


神戸
【かんさいあの街この町】神戸ベイエリア
 「ボーッ」-。低い汽笛の音が潮風に乗って聞こえてくる。抜けるような青空に白い雲。穏やかな波をかき分けて海上を行き交う遊覧船。神戸市中央区のベイエリアは、「ミナト神戸」の雰囲気を最も感じられるスポットだ。神戸ポートタワーや神戸海洋博物館などの観光施設があるメリケンパークと、モザイクなど買い物や食事が楽しめる施設、店舗が並ぶハーバーランド。異なる顔を持つ2つのエリアが作り出す華やかで緩やかな空間は、大勢のカップルや観光客を引きつけ続けている。(山本祐太郎)

 ■ミナト神戸の歴史伝え

 ミナト神戸の歴史は古い。神戸港の開港は幕末の1868年。昨年、開港140年を迎えた。

 明治に入ると、富国強兵策のもとに港湾が拡張され、輸入額が全国1位となったこともある。また今年、移住開始から100年を迎えたブラジル移民たちが、数多く旅立った港でもある。
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