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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 昨日から勝海舟所蔵の『源氏物語』最古本の話題が続いています。

北海道
殿様街道、歴史案内「フラッグ」好評
【福島】福島町千軒の山道「殿様街道」は松前藩主や幕末の志士、土方歳三らが歩いたとされる福島の観光名所の一つで、豊かな自然とその歴史の舞台に触れようと、人気を集めている。特に町民有志が制作した案内道具が随所で活躍し、柔軟な発想と風情ある演出が多くの人を魅了している。
 「歴史を感じながら森林浴を楽しみ、古里を盛り上げよう」と地域住民が整備するこの道は全長約7キロ、標高差200メートルほどで、子どもから年配者まで誰もが気軽に歩ける。急斜面には安全ロープがあり、松前藩主の休憩所跡は「茶屋峠」、箱館戦争で置かれた大砲の跡地は「砲台跡」などと手づくりの看板が置かれている。
 今年はさらに大名行列の旗をイメージした案内道具「殿様フラッグ」が登場し、好評を博している。「コンブ新幹線」「コンブ神社」など特産品の模型づくりで古里をPRする町日向460の鉄工所社長鳴海健児さん(68)と町三岳73、中塚徹朗・中塚建設社長(50)が考案した。
 写真や歴史年表をプリントした布(縦2・5メートル、横1メートル)を釣りざおで張る仕組みで、伸縮可能なさおは「刀」、たためる布は絵巻風という“サムライ”をほうふつさせる趣向だ。
 25日に行われた「ブナの森、観察会」でも登場。「学校の黒板のようで分かりやすい」と人気だった。中塚さんは「まちづくりを思う発想から生まれた作品。皆さんに喜んでもらえることがうれしい。用途の可能性は無限なので、さらなる活用策を見出したい」としている。

 「殿様街道」という見出しを見て、もしや松前藩関連、もしや幕末関係の記事と思って読んでみたら、ビンゴ! しかも土方さんも通った街道……おそらくは、白牡丹が昨年3月に「も~さん」の運転で松前~江差を廻った時に通った知内~福島間の近くにあった旧道ではないかと思います。
 次の機会に、ぜひ歩いてみたいです。

茨城
県立歴史館で特別展関連講演会が大盛況
 県立歴史館(水戸市)では、10月25日(土曜日)、特別展「幕末日本と德川齊昭」の関連行事として、京都女子大学 母利美和(もりよしかず)教授による講演会を行いました。
 「徳川斉昭と井伊直弼~対立の構造と真意」の演題で、斉昭と直弼の生い立ち、政治や外交に対する姿勢の共通点や相違点などをわかりやすく講演しました。
 会場となった歴史館講堂の200席は満席となり、入場できなかった100人以上の方のために、急遽、会場外のロビーにモニターによる視聴席を設けるほどの大盛況ぶりでした。
 11月9日(日曜日)には、「幕末の大奥~斉昭と天璋院」と題した畑尚子氏(江戸東京博物館学芸員・國學院大學講師)による講演会があります。
また、斉昭ミニ講座として11月15日(土曜日)に、「斉昭の妻・側室・子女」、11月22日(土曜日)に「斉昭・慶喜父子の食と養生」を行います。
 詳しくは県立歴史館(電話029-225-4425)へお問い合わせください。

 幕末トピックの講演会が大盛況とは、これも大河ドラマ『篤姫』効果でしょうか。

東京
『ほほ笑み』つくる技 若手に 市松人形の作品展 後継の4人初出品
 独特のやわらかなほほ笑みを投げかける市松人形の魅力を伝える「人形微笑」展が、台東区浅草橋の人形店「吉徳」で開かれている。人形展は今回で最後だが、ベテラン人形師七人のほか、職人同士の交流を通じて伝統技法を学び育った若手後継者四人の作品も初めて展示された。十一月三日まで。入場無料。 (丹治早智子)
 市松人形は、江戸中期に活躍した美貌(びぼう)の歌舞伎役者、佐野川市松の舞台姿をモデルにつくられたのが始まり。幕末から明治初期にスタイルと技巧が確立され、抱いて遊んだり、自分で縫った衣装の着せ替え人形として親しまれた。


岐阜
加藤素毛:航海日誌など紹介の冊子、出身地・金山町の郷土史家が発刊 /岐阜
加藤素毛:航海日誌など紹介の冊子、出身地・金山町の郷土史家が発刊 /岐阜
◇日本人初の世界一周した一人、幕末の俳人・加藤素毛--遣米使節団に随行
 下呂市金山町出身の幕末の俳人、加藤素毛(そもう)(1825~79)が、日米修好通商条約の批准書を交わす遣米使節団に随行してアメリカに渡ってから約150年。金山町の郷土史研究家が、日本人で初めて世界一周を果たした一人でもある素毛を紹介するために、航海日誌や俳句などを収録した冊子「加藤素毛世界一周の記録」(A4判、88ページ)を発刊した。アメリカやパナマなどを訪れ、初めて体験した異国文化に感動した素毛の実像が描かれている。【奈良正臣】

 ◇シャワーに「大きな蜂の巣から湯が落ちて来た」
 金山町下原町の「加藤素毛記念館」の中島清館長(76)と、同町の郷土史研究家、日下部格(いたる)さん(65)が、記念館が所蔵する素毛の航海日誌の写しを6月初めから約3カ月かけて解読して、冊子を完成させた。航海日誌の原本はどこにあるか不明だが、写しは素毛のおいの加藤群手(むらて)が1933年にノートに書き写していた。
 素毛は23歳の時、高山郡代、小野高福の公用人となり、高福の子の鉄太郎(後の山岡鉄舟)と親交が深かった。江戸・日本橋の貿易商、伊勢屋の手代をしていた1860年2月、米軍艦でワシントンに向かった遣米使節一行(77人)の随員となった。「伊勢屋」が物資調達を引き受けたのが縁で賄い方として参加した。この時、米軍艦の護衛を務めたのは勝海舟や福沢諭吉、ジョン万次郎らの乗った咸臨丸だった。
 素毛はアメリカからの帰路、随員仲間と一緒に米海軍の軍艦で、9カ月かけてニューヨークから大西洋を横断して喜望峰、香港などに立ち寄り、世界一周を果たして品川港に帰った。
 今回発刊された冊子には、素毛が、寄港した港のガス灯のある情景や水道を使う住民の暮らしぶりなどを、日記やスケッチとして克明に描写した内容が記されている。アメリカで初めてシャワーを使った時の体験は、「大きな蜂の巣から湯が落ちて来た」と驚き、スケッチにしたという。
 日下部さんは「素毛の筆まめぶりと観察力の鋭さに驚いている。大勢の人に郷土の先駆者の偉業を知ってほしかった」と話す。冊子は1000部発行。問い合わせは、日下部さん(090・1099・1019)。

 勝海舟所蔵の『源氏物語』が話題になっている昨日今日、勝海舟らと咸臨丸でアメリカに渡った加藤素毛の記事が出てくるのも面白い縁です。


三重
武四郎しのび大台ケ原へ 生誕190年記念、開山の偉業を体感
 松阪市出身の幕末の北方探検家・松浦武四郎(1818-88年)の生誕190年記念事業の一環で、武四郎が開山した奈良県境の大台ケ原に登るツアーが29日あり、参加した市民40人が郷土の偉人の偉業に思いをはせた。
 武四郎は大台ケ原を自らの最期の地と定めて、晩年には3度登って山道や山小屋を整備した。山中には分骨碑も残っており、ツアーは武四郎の開いた道を歩いて理解を深めてもらおうと、松浦武四郎記念館が企画した。
 参加者は、標高1、695メートルの日出ケ岳や武四郎が護摩をたいて開山を祝った牛石ケ原などを巡る約8キロを歩いた。葉が赤や黄に色づいた木立や立ち枯れのトウヒが広がる平原をゆっくり巡り、紀伊山地の山々や熊野灘の眺望を楽しんだ。
 記念館の資料調査員の佐藤貞夫さん(67)の説明を受けながら、武四郎が120年前に設置した道しるべの石碑4基も見学。70歳近くになっても険しい山に登り、道作りに生涯を賭けた武四郎をしのんだ。
 (森耕一)


兵庫
勝海舟の蔵書印も 源氏物語の最古級写本 鎌倉中期
 甲南女子大(神戸市)が所蔵する源氏物語「梅枝(うめがえ)」の巻が鎌倉時代中期(十三世紀半ばごろ)の写本とみられることが分かり、同大学が二十九日発表した。現存している「梅枝」の写本では「保坂本」と呼ばれるものと並び最古級という。
 源氏物語の代表的な写本である藤原定家編さんの「青表紙本」とは異なる独自の文があり、大学は「源氏物語研究の貴重な史料になる」としている。
 幕末に江戸城明け渡しなどにかかわった幕臣・勝海舟の明治維新後の本名「勝安芳」の蔵書印があり、勝が手に取って読んでいた可能性もある。
 同日、記者会見した甲南女子大の米田明美教授(日本文学)によると、写本は縦横約一五・五センチのほぼ正方形で本文部分が六十五ページ。一九七三年に大学が京都の古書店から購入した。
 源氏物語千年紀にちなみ九月、関西大の田中登教授(日本文学)に鑑定を依頼したところ、線が太く力強い書風や紙質などから鎌倉時代中期の書写と判明したという。
 写本の記述では、主人公の光源氏が最愛の紫の上に「字がうまい」と伝える場面で、紫の上が「いたうなすかし給そ(ご冗談おっしゃいますな)」と応じる部分が青表紙本などにはないという。米田教授は「紫の上の新たな人物像が考えられるかもしれない」と話している。
 また、甲南女子大所蔵の「紅葉賀(もみじのが)」の巻が鎌倉時代後期の書写とみられることも判明したという。
 写本は十一月四-七日と十日の五日間、甲南女子大図書館で無料で一般公開される。


源氏物語「梅枝の巻」は鎌倉中期の写本 甲南女子大が発表
 甲南女子大(神戸市)は29日、同大学図書館所蔵の源氏物語「梅枝(うめがえ)の巻」が鎌倉時代中期の写本とみられると発表した。藤原定家が書写・校訂した鎌倉初期の「定家本(青表紙本)」に次ぐ古い時代の写本といい、原本が残っていない源氏物語の研究を進める発見になりそうだ。
 写本には、幕末から明治にかけて幕臣や政治家として活躍した勝海舟の蔵書印が見つかった。
 鎌倉時代に源光行・親行父子が校訂した「河内本」の写本とされていたが、紫式部の源氏物語が世に出てから1000年目にあたるとされる今年、展示用に再調査したところ定家本とも河内本とも異なる点が多いことが判明。関西大の田中登教授(平安文学・古筆学)が、紙質と書風から1240―80年ごろに書写された「別本」と判断した。(29日 22:01)


勝海舟が愛読?源氏物語「梅枝」の最古級写本
 甲南女子大(神戸市東灘区)は29日、源氏物語54帖(じょう)(冊)の一つで学内の書庫にあった「梅枝(うめがえ)」の写本が、鎌倉時代中期(13世紀)のものと判明したと発表した。現存する「梅枝」では東京国立博物館所蔵のものと並び最古級という。幕末・明治期に活躍した勝海舟の蔵書だったことを示す押印があり、同大学の米田明美教授(日本文学)は「軍事専門家だった海舟が恋愛物語を読んでいたと考えると興味深い」と話す。
 写本は同大学が73年に京都の古書店で購入。縦横約15センチで、表紙の他に37枚の紙がつづられ、このうち33枚に筆で物語が書かれている。田中登・関西大教授(日本文学)が書体や紙質、装丁法から製作時期を鑑定した。藤原定家らがまとめた写本とは異なる系統の「別本」という。
 表紙の次にとじられた白紙(遊び紙)の裏には、海舟が明治維新後に使った「勝安芳(やすよし)」の名の押印があった。国立国会図書館が所有する海舟の蔵書約340点の一部と目視で比較したところ、同じ印影だったという。
 11月4~7日、10日の正午~午後4時10分、甲南女子大の図書館(078・413・3097)で一般公開される。(渡辺芳枝、佐藤卓史)

     ◇

 〈源氏物語〉 紫式部が創作した平安貴族の恋愛物語。紫式部日記の内容から、1008年11月までに書かれたとされる。原本は残っておらず、これまでに見つかった写本では鎌倉初期の4冊が最も古い。鎌倉時代前期に藤原定家がまとめた「青表紙本」、同時期に源光行らがまとめた「河内本」の2系統と、それ以外の様々な「別本」に分類される。


<源氏物語>英雄も愛した?恋愛小説
 紫式部の源氏物語=54帖(じょう)=の一つ、「梅枝巻(うめがえのまき)」の最古の写本と判明した甲南女子大(神戸市)所蔵の古書には、旧日本海軍の基礎を築いた勝海舟(1823~99)の蔵書印が押されていた。今年は、源氏物語が文献に登場してから、ちょうど1000年。ミレニアム行事が各地で行われる中、「幕末・維新の英雄と恋愛小説」という取り合わせに、研究者らは、さまざまな思いを巡らせた。
 海舟は、20代初めから蘭学(らんがく)を学び、長崎海軍伝習所に派遣された後、1860(万延元)年、「咸臨丸」を指揮して渡米。神戸の海軍操練所で、多くの人材を育て、旧日本海軍の基礎を築いた。幕末、西郷隆盛と会見して江戸城無血開城したことでも知られる。
 海舟の玄孫(やしゃご)にあたる会社員、勝芳邦さん(47)=東京都世田谷区=は「海舟は、蟄居(ちっきょ)や謹慎にされると、暇をもて余していた」と言い、談話を集めた「氷川清話」(講談社学術文庫)には、「おれは、一体文字(もんじ)が大嫌ひだ」としながらも、4、5年間の屏居(へいきょ)を命じられたお陰で「源氏物語や、いろ●の和文も、この時に読んだ」とつづられている。
 芳邦さんの自宅には今も、海舟がデザインした金物の器や陶磁器などが残るといい、「四角四面の政治だけを論じるのではなく、『文人墨客』としての幅広い知識や遊び心を持った人だったのだろう」と話した。
 海舟に関する多数の著作がある松浦玲・元桃山学院大教授(日本近代史)によると、維新後、海舟の元には生活に困った元幕臣らが借金に来ることがあり、「担保」として書などを持ち込むことがあったという。「源氏物語は自ら進んで購入したというより、持ち込まれたものを価値のあるものと判断し、蔵書印を押して手元に置いていたのではないか」と想像を巡らせる。
 「勝海舟を顕彰する会」名誉会長の鵜沢義行・日本大名誉教授(政治史)は「軍人として知られる海舟が、読書家でもあったことを示すエピソード。和歌や俳句を好み、教養をさらに深めるために源氏物語を読んでいたのでは」と推測した。
 小説「勝海舟 私に帰せず」の作家、津本陽さんは「役付きの幕臣になるには、古典や漢文の素養が必要。教養を広める一環で読んだかもしれないが、勝は利害を見極めることにたけた男。価値があると考えて収集した可能性も否定できない」と指摘した。その一方で、「非常に博学で人間観察が好きな男。光源氏のことを、『こいつやるな』と思ったかもしれないな」と笑った。【坂口雄亮、竹内良和、津島史人】

 ●は繰り返しを意味する「く」のような記号


千年紀の筋目の出合いは奇跡 勝海舟が恋物語…驚き 源氏物語写本
 「千年紀という節目の年にこの本に出合えたことは奇跡」。甲南女子大(神戸市東灘区)で29日発表された源氏物語の写本。わずかに現存する鎌倉時代の写本のなかでも最古級とわかり、関係者は興奮を隠せなかった。軍艦奉行を務めた勝海舟の蔵書印もあり、「堅い役職についていた勝海舟が恋物語を読んでいたとは」との驚きも。平安王朝のヒロインと幕末のヒーローの新たな魅力を示す史料にもなりそうだ。
 「これだけ古い別本が出てくることは、今後ほとんどないでしょう」と話すのは、同大文学部の米田明美教授(53)。同大の「梅枝の巻」の写本は、主流である「河内本」とされていたため、長年保管庫に保存され顧みられることはなかった。が、千年紀を機に再読していた米田教授はこれまでの写本と異なる記述があることに気づいた。
 光源氏が紫の上を「あなたの書は素晴らしい」とほめる場面。他の写本ではこれに対する紫の上のせりふはないが、この写本では「いたうなすかし給そ(ご冗談をおっしゃいますな)」と答えていた。
 これまで寡黙とされていた紫の上と、光源氏との仲むつまじさが伝わってくる記述で、米田教授は「まさか別本では」と胸が高鳴ったという。
 写本には勝海舟の維新後の名前である「勝安芳」との蔵書印も押されていた。この名は元号が明治に変わってから名乗っていたとされており、軍艦奉行を罷免され、閉居していたときに読んでいたと推測される。
 米田教授は「『女が読むもの』と思われがちな源氏物語を、軍事の専門家が読んでいた。維新後、気持ちに余裕ができた海舟が恋物語を手に取ったのかななどと思いをめぐらせるだけでも楽しい」と話す。
 勝の口述を記録した「氷川清話(ひかわせいわ)」には1864年に軍艦奉行を罷免され、66年に再任するまでの間について「(閉居を命ぜられたおかげで)少々の学問ができた。源氏物語やいろいろの和文もこの時に読んだ」と言い残している。
 勝の半生を描いた「それからの海舟」の著者である作家、半藤一利さんは「面白い。でも勝は女性的なのが嫌いだから、本当に読めたのかなあ」と笑いながら話した。


源氏物語「別本」勝海舟の蔵書印も 原文に近い?独自の描写
 甲南女子大(神戸市東灘区)が所蔵する源氏物語「梅枝(うめがえ)」の巻が、鎌倉中期(13世紀半ばごろ)の写本であることが分かり、同大学が29日、発表した。現存する「梅枝」の巻の中では、東京国立博物館所蔵の「保坂本」と呼ばれる写本と並び最古級という。また、本文にはこれまでの写本にない独自の文があった。源氏物語は紫式部が書いた原本が残っておらず、原文に近い可能性がある今回の写本は源氏物語研究の上で貴重な史料となりそうだ。
写本はたて15・4センチ、よこ15・6センチのほぼ正方形で全74ページ。昭和48年に同大が京都の古書店から購入した。2ページ目には、幕末に活躍した軍艦奉行・勝海舟が、明治維新後に名乗っていた「勝安芳」との蔵書印があり、幕末から明治初期には源氏物語が男女を問わず広く親しまれていたことがうかがえるという。
 今年8月、源氏物語千年紀にあわせ、同大文学部の米田明美教授(53)が再読したところ、現存の写本にはなかった登場人物のせりふなどが見つかった。このため関西大学の田中登教授に鑑定を依頼。書体や装丁などから、鎌倉中期の1240~80年ごろに書写されたものであると結論付けられた。
 源氏物語の系統では藤原定家が書写・改訂した「青表紙本系」と、鎌倉初期に校訂された「河内本系」が約9割を占める。今回の写本は、その内容の違いなどから「別本系」であることが判明。今後の源氏物語の研究にも影響を与えそうだ。


勝海舟に意外な一面 源氏物語・最古級写本
 甲南女子大所蔵の源氏物語「梅枝(うめがえ)」の写本に勝海舟の蔵書印があった。幕末、軍艦奉行を罷免され閉居していたときに読んでいたらしい。べらんめえ調だったとされる江戸っ子武士と華麗な王朝文学という取り合わせに、識者から「意外」との声も上がった。


■「軍事専門家」が恋物語愛読?

 写本には、本文が始まる前のページの隅に、勝が明治維新後に改名した「勝安芳(かつやすよし)」の朱色の印が押してあった。
 写本の分析に当たった甲南女子大の米田明美教授(53)は「軍事防衛の専門家である勝は、恋愛を主題とした源氏物語とはほど遠いイメージ。一度地位を得た後、教養を求めたのだろうか、などと考えるだけでも面白い」と話す。
 勝の口述を記録した「氷川清話(ひかわせいわ)」には「おれは(中略)文字が大嫌いだ」とのくだりがある。一方で一八六四年に軍艦奉行を罷免され、六六年に再任するまでの間について「(閉居を命ぜられたおかげで)少々の学問ができた。源氏物語やいろいろの和文もこの時に読んだ」と言い残している。
 

■千年紀に「奇跡」の発見 「原文に近い可能性」関係者興奮

 源氏物語千年紀の年に、最古級と分かった甲南女子大学所蔵の「梅枝」の巻。広く知られる「定家本」などと表現が異なる部分が多く、関係者は「原文に近い写本では」と興奮を隠さない。
 京都冷泉家の重要文化財などを調査している関西大学の田中登教授(58)によると、所蔵の写本は、武家文化が栄えた鎌倉期特有の力強さが見られる書風から鎌倉中期と判断した。
 さらに、写本は滑らかな質の紙に、一ページあたり九行ずつしか書かれていない。貴重な紙を自由に手に入れ、ぜいたくに紙を使っていた公家らの書を思わせるといい、田中教授は「手本自体が優雅に書かれていたと考えられるのに加え、鎌倉初期に生きた定家の影響がないことからも、平安期のものを直接書写したと推測される」とする。
 また、鎌倉期の書物は、江戸期には一枚ずつ掛け軸にされるなどし、一冊が完全な状態で残っているのは極めて貴重だという。
 今回鑑定によって鎌倉期の書写と分かった源氏物語「梅枝」「紅葉賀」の巻は、十一月四-七日と十日の正午-午後四時十分に甲南女子大学図書館で開かれる貴重書展で無料公開される。五、六両日午後三時から解説する米田明美教授(53)は「貴重な写本を読める機会に恵まれたことは奇跡のように感じる」と話している。甲南女子大図書館TEL078・413・3097
(霍見真一郎)


源氏物語:源氏千年紀、最古の「梅枝巻」確認 甲南女子大、鎌倉中期の写本
 甲南女子大(神戸市)は29日、所蔵する源氏物語54帖(じょう)の一つ「梅枝巻(うめがえのまき)」の「別本」系統の写本が、鎌倉時代中期のものと確認されたと発表した。梅枝巻としては、東京国立博物館所蔵の写本と同時期で、現存するものでは最古。他の写本にはない表現があり、紫式部が書いた原文を知る手がかりになる可能性もあるという。
 1973年に古書店から購入したもので、縦15・4センチ、横15・6センチ。「斐紙(ひし)」と呼ばれる紙に書かれ、文字を記した「墨付」は65ページあった。米田明美教授(日本文学)が梅枝巻を田中登・関西大教授(同)に鑑定を依頼し、鎌倉中期の1240~80年ごろの写本と確認した。
 今回の写本では、光源氏が妻の「紫の上」の書のうまさを褒める場面で、従来の写本にはない「いたうなすかし給そ(ご冗談おっしゃいますな)」と、紫の上が照れながら光源氏に話す表現があった。
 本文の前ページには、楕円(だえん)形で縦3センチ、横1・9センチの「勝安芳(やすよし)」と記された蔵書印が押されていた。米田教授によると、明治維新の立役者・勝海舟が維新後に名乗った名前と同一という。
 写本は11月4~7日と10日、甲南女子大の大学図書館で一般公開される。【吉川雄策、手塚さや香】



 江戸時代の国文学者・本居宣長が日本の文化の特徴として「もののあはれ」(リンク先はwikipedia)を取り上げ、『源氏物語』をその代表としています。勝海舟が読んだとしたら、恋愛小説の面を楽しんだのではなく、文化論として読んだ可能性もあるんじゃないかと思います。 
 一度アメリカに渡ってる勝海舟が欧米の文化と比較した日本の文化の中に近代化以降も守っていくべきものを模索した、ということは十分に考えられますから……私もアメリカから帰ってきて、幕末ファンになり、江戸時代ファンになりましたからねぇ(苦笑)。
 ちなみに『源氏物語』には朝廷における皇族vs藤原家の政治主導権を巡る争いなども描かれていて、勝海舟もそこら辺りは幕末維新の頃を思い出しつつ読んだのでは。


山口・九州各地
「九州・山口の近代化遺産群」世界遺産登録へ推進協
 世界文化遺産の国内暫定リスト入りが決まった「九州・山口の近代化産業遺産群」の世界遺産登録推進を目指す関係自治体による協議会が29日発足した。熊本市で開かれた九州地方知事会議に合わせて、遺産がある6県11市の首長らが参加。鹿児島県の伊藤祐一郎知事が会長に就き、「連携・協力体制を充実させ、取り組みを進めていく」とする共同宣言を発表した。
 同協議会は鹿児島、福岡、佐賀、長崎、熊本、山口の県知事と市長計17人で構成。今後、シンポジウムなどの啓発事業を行い、研究調査を担う専門家委員会を設置する。
 同遺産群は幕末の工場群「旧集成館」(鹿児島市)や「旧グラバー住宅」(長崎市)など22遺産でなり、非西洋地域で初となる日本の近代化の基礎として認められ、文化庁が9月、世界文化遺産候補として選んだ。


長崎
近代化遺産群世界遺産候補本登録へ準備
 長崎市世界遺産登録推進本部(本部長・田上富久市長)は29日、市役所で会合を開いた。端島炭坑(通称・軍艦島)など市内の4件を含む「九州・山口の近代化産業遺産群」が世界文化遺産の国内候補リストに追加されたことを受け、今後、それぞれの資産としての価値を証明する調査を行うなど本登録に向けて準備を進めることを確認した。
 近代化産業遺産群では、端島炭坑のほか、旧グラバー住宅、小菅修船場跡、北渓井坑跡が構成資産となった。これらが、幕末期から明治期にかけての急速な近代化に果たした役割など、今後、遺産群としての妥当性を精査するという。
 また、すでにリスト入りしている「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」についても、2011年度の本登録を目指し、来年7月をめどにユネスコに提出する推薦書を作成するスケジュールを確認。出津教会やサント・ドミンゴ教会跡などの国の文化財指定や資産周辺の景観保全のための条例制定などを進めることにした。

(2008年10月30日 読売新聞)
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