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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 函館旅行記をまとめなくては……と自分にプレッシャーをかける日曜の午後です。一日一日、記憶が遠のいていきますから(苦笑)。
 今日ネットに上がった幕末ニュースの他に、ここ一週間ほどのうちに紹介漏れ(汗)した記事を含めました。

北海道
西洋音楽発祥の地は函館…年内に冊子発行へ
 函館の音楽文化を守る活動に励む「函館メサイア教育コンサート実行委員会」(松原仁委員長)は、西洋音楽が伝わった明治初期の函館の様子を伝える冊子「箱館開港と音楽」(仮称)を、年内にも発刊する。記録絵や楽譜でペリー提督が訪れた箱館の幕末期についても紹介。「近代日本の西洋音楽発祥地は函館」という史実はあまり知られておらず、その風化を食い止めるのが狙いで、関係者は「函館の魅力再発見につながれば」と期待している。
 同実行委音楽監督の徳永ふさ子さんによると、近代日本に西洋音楽が初めて導入された舞台は、函館ハリストス正教会。洋楽史研究家の中村理平氏(故人)が明らかにし、横浜より1年早い1871(明治4)年に、ロシア人読経者が日本人信者に日本語で聖歌を歌わせていたのが始まりという。
 この史実について言及している文献を2年前に読んだ徳永さんは「音楽の観点から函館開港150周年を盛り上げたい」と考えてきたという。今年9月には「黒船が運んだ西洋音楽」をテーマに演奏会を開き、そのユニークな試みが注目を集めたばかりだ。
 今回の冊子編集では、函館市史や中村氏の著「キリスト教と日本の洋楽」、弘前の国学者、平尾魯僊(ろせん)=1808―80年=の「洋夷茗話」などを参考文献とした。73(明治6)年の同教会で、バイオリンを使ったソルフェージュ(旋律や音階を母音や階名で歌う練習法)教育が行われていた記述や、米国の船員がピッコロと太鼓で水兵を弔った葬送曲の楽譜も盛り込む。当時箱館と関係が深かったロシアとの交流の歴史、西洋音楽が箱館から東京へと南下していく経緯についても触れる。
 徳永さんは「中村氏が掘り起こした史実を大勢の市民に共有してほしい。いつまでも語り継がれ、音楽活動の動機になればと願って冊子を作っている」と話している。
 冊子は40ページ程度のA4判。500―800円で、約1000部発刊する。予約の申し込みは同実行委TEL080・5583・6832。


日仏交流は開港とともに…経営学会全国大会
 日仏経営学会(会長・廣田功帝京大教授)の第54回全国大会(実行委主催)が3日、函館市高丘町の函館大学で開かれた。特別公開講座として「箱館開港150周年―箱館をめぐる日仏交流」と題したパネルディスカッションが行われ、研究者が開港とともに始まった日仏関係の歴史をひもといた。
 同学会の全国大会は年2回開催され、函館では2001年以来8年ぶり。開港150周年を記念した特別講座には市民や学生ら約80人が参加し、廣田会長の進行で、フランス人の日仏交流史研究家、クリスチャン・ポラックさんと、函館出身の東京学芸大名誉教授、大井孝さんが意見を交わした。
 ポラックさんは幕末の貴重な画像データを交えて日仏のかかわりをスライドを使って解説。「日仏修好通商条約が締結された背景にはフランスが生糸の供給源を求めていた経済的要因があった」と指摘した。
 当時は日本の生糸の総生産量の約半数がフランスに輸出されていたことにも触れ、「中国などよりも良質な日本の製糸技術が当時のフランスの絹産業を救った。生糸の貿易によって日仏間に長年にわたる相互依存関係が生まれた」と述べた。


茨城
映画:「桜田門外ノ変」企画発表 北大路欣也さんら出演 /茨城
◇地域主導の配給は全国初
 水戸藩開藩400周年を記念した映画「桜田門外ノ変」(佐藤純彌監督)の企画発表会見が1日、水戸市三の丸の弘道館で行われ、主要キャストに大沢たかおさんや北大路欣也さんらを起用すると明らかにした。邦画界では久々となる総制作費約10億円の大型時代劇で、撮影はすべて県内で行われる。東映配給で来秋以降に公開される予定。市民団体の発案による「地域主導型」の企画で、こうした作品が映画配給大手で全国公開される例は過去にないという。
 地元市民団体が約3年前から構想を温め、行政や製作会社との交渉にあたってきた。製作が具体化した昨年夏には「映画化支援の会」を発足。ロケ地提案のほか、市民の関心を高めようと幕末の水戸藩に関する史跡めぐりや講演会など多くの催しを企画した。同会事務局長の三上靖彦さん=水戸市=は会見で「多くの人が郷土を見直し、素晴らしい茨城をつくるきっかけにしてほしい」と語った。
 また、「敦煌」や「男たちの大和/YAMATO」などで知られる佐藤監督は「僕にとって初めての時代劇。映画を作ろうとする水戸の人たちの郷土愛に動かされた。期待に沿えるものをつくりたい」と抱負を述べた。
 製作費は東映、製作委員会、県民や地元企業が3分の1ずつ負担するという。支援の会が同市の千波湖畔に約2億円をかけた桜田門のオープンセットを建設し、ロケ終了後に内部を展示館に模様替えして入場料収入を得る考えだ。
 鑑賞券も兼ねた映画製作協力券を2000円で販売するほか、1600人のエキストラを募るなど、資金・製作両面で県民に全面的な協力を呼びかける。エキストラだけでなく、地元でオーディションを開き、重要なシーンに登場する役者を30人程度募集する。
 「お葬式」「家族ゲーム」など名作を手がけたプロデューサーの岡田裕さんも会見に同席し「地域主導で全国200館以上で封切りされる映画づくりは初めて。日本映画界に新しい方向を出せる」と強調した。【八田浩輔】


映画「桜田門外ノ変」 主演は大沢たかおさん 水戸藩開藩400周年記念 茨城
 水戸藩の開藩400周年の記念映画「桜田門外ノ変」の制作を進める「『桜田門外ノ変』映画化支援の会」は1日、茨城県水戸市三の丸の弘道館で記者会見し、企画概要を発表した。主役の関鉄之介役に俳優の大沢たかおさん(41)を起用。会見に出席した佐藤純弥監督は「撮影のことを考え眠れなくなったり、胃が痛くなったりするが、地元の皆さんのご期待にそえる映画をつくりたいと思う」と抱負を語った。(前田明彦)
 桜田門外の変は幕末期の1860年(安政7年)3月3日、関鉄之介を中心とする水戸藩士17人と薩摩藩士1人が、江戸城の桜田門外で大老・井伊直弼(なおすけ)を暗殺した事件。今回の映画は、作家の吉村昭氏がこの史実を元に小説化した「桜田門外ノ変」(新潮社)を原作としている。
 関鉄之介役の大沢さんは平成16年に公開された映画「世界の中心で、愛をさけぶ」で主演を務めたほか、10月からTBS系で放映されるテレビドラマ「JIN~仁~」にも主演が決まっている。会見で岡田裕プロデューサーは「関鉄之介は暗殺集団を指導したテロリストだが、意志を貫き通すなかに優しさがあった。その優しさを(映画のなかに)入れていきたいと思い、大沢さんを口説いた」と説明した。このほか、水戸藩9代藩主の徳川斉昭役に北大路欣也さん(66)が、井伊直弼役に伊武雅刀さん(60)が決定している。
 また映画の最大の見せ場となる桜田門は、水戸市内の千波湖脇の広場に高さ15メートルのオープンセットを建設する予定。ほかにも高さ9メートル、延長100メートル以上にもおよぶ大名屋敷の町並みを2億円以上かけて再現する。オープンセットは撮影終了後、展示館を併設して一般開放し、観光資源として活用するとしている。
 映画は他の出演者などを決定したうえで11月に制作発表を行い、来年1月中旬に撮影を開始、3月末に終了する。撮影はすべて県内で行うことを目指す。来年秋以降に全国公開される予定という。
 映画化支援の会の三上靖彦事務局長は「映画は求心力があり、波及効果がケタ違いに高い。映画を通じて茨城の人々が郷土を見直すきっかけになれば」と話した。



千葉
発刊:東総の歴史、知って 匝瑳の出版社が「浜口梧陵物語」 /千葉
◇「稲むらの火」足跡を丹念に
 銚子市の作家、戸石四郎さん(80)の「浜口梧陵(ごりょう)物語~『稲むらの火』をかかげた人~」が、匝瑳市の出版販売業「多田屋株式会社」(能勢浩社長)から発刊された。地域の歴史の貴重なひとこまを地元の著作家に執筆させ、読みやすい物語として提供する同社のシリーズ「千葉・東総物語」の13冊目だ。【新沼章】

 浜口梧陵(1820~1885年)は、紀州(和歌山県)の生まれで、紀州の名主でありながらヤマサ醤油(しょうゆ)の7代目社長を務め、紀州と銚子を頻繁に往復した人物。紀州である夜、津波を予感して高台の稲束に火を付け、逃げ惑う村民を救った逸話の持ち主で、戦前は小学校の国語の読本に取り上げられた。
 経営で得た利益を大堤防や病院、学校の建設などに投じたことでも有名で、戸石氏は浜口の足跡を丹念にたどり、関係年表や地図も載せている。

 シリーズ「千葉・東総物語」は1冊105円で、B6判52ページ。好評で5刷を重ねた作品もある。多田屋は「小学校の副読本にもなる。今後も地域の人物や行事、物産、民話などテーマで、地域の人に執筆をお願いして企画を続けたい」と語る。問い合わせは同社(電話0479・72・1566)。

 ◇シリーズ、過去に12冊を発行
 シリーズ「千葉・東総物語」の既刊は、以下の通り。(1)猪野映里子「大原幽学物語-離村と退廃に悩む村をよみがえらせた-」(2)松井安俊「椿の海物語-湖を美田に変えた男たちのロマン-」(3)依知川雅一・實川理「飯高檀林物語-日蓮宗の最高の学問所が、どうして匝瑳市飯高に生まれたのか-」(4)依知川雅一「八日市場・祇園祭物語-八日市場のまちは、そして祇園祭はどうして生まれたの?-」(5)田中澄江「山下りん物語-日本最初の女性洋画家の作品が匝瑳市蕪里に-」(6)吉井永「関寛斎物語-司馬遼太郎をして、『日本人に非ざるスケールの持ち主』-」(7)伊藤一男「海保漁村物語-幕末の儒学者、明治維新の人材も門弟となる-」(8)能勢浩「杉野芳子物語-日本の女性の洋装化に尽くした炎の如き人生-」(9)松井安俊「飯岡助五郎物語-網元、親分、十手の三役を担った-」(10)松井安俊「木曾義昌物語-旭地名ゆかり、戦国乱世を駆け抜けた武将、短い治世の後、東総の相給支配始まる-」(11)猪野映里子「両総用水物語-房総半島を縦断する水の夢と苦しみ-」(12)伊藤一男「少年伊能忠敬物語-九十九里浜に生まれ、転変の中に和算、学問、様々の体験に恵まれた-」


企画展:請西藩主・林忠崇、「最後の殿」の書画 脱藩、佐幕…激動の生涯 /千葉
◇木更津・郷土博物館で展示
 幕末の動乱期に藩主でありながら脱藩して箱根や福島、仙台などを転戦し、官軍と戦って降伏した請西藩の最後の藩主、林忠崇(ただたか)(1848~1941年)の作品を展示した企画展「書画に見る請西藩主 林忠崇展」が、地元の木更津市郷土博物館「金のすず」で開かれている。最後まで徳川家への忠義を貫き、波乱に満ちた生涯を送った藩主の筆が、江戸から明治、大正、昭和と移り変わる近代日本の激動を浮かび上がらせている。【児玉賢二】

 藩主の林家は、家康が三河にいたころからの徳川家の旗本。十一代将軍家斉に取り立てられ、1万石の譜代大名になり、請西村(今の木更津市)に陣屋を置き、藩を興した。
 20歳で3代目藩主となった忠崇は、新政府軍が迫る1868(慶応4)年4月、領地をすべて朝廷へ返上して脱藩、約60人の藩兵を連れて幕府軍に合流した。新政府軍と戦い、東北に転戦したが、1868年(明治元)年10月、徳川家存続の報を受けて仙台で降伏した。
 戊辰戦争では、会津など藩を挙げて官軍と戦った例はあるが、藩主が脱藩までして徹底抗戦したのは請西藩だけ。新政府に取りつぶされたのも、全国で請西藩だけだ。
 忠崇本人は1871(明治4)年に赦免された。全国を転居し、職も転々とした。書画や詩歌を好み、「最後の殿様」として94歳の長命をまっとうした。
 企画展では、地元に残された忠崇にまつわる35点の書画や資料を展示している。書画では「一夢」という画号を用い、林家の大名行列や請西藩陣屋からの出撃風景のほか、いくさに負けて帰農し請西で畑を耕しているころや、函館で商人を志したころの自分をユーモラスに描いた自画像などもある。作品から、忠崇が生きたその時々の時代が浮かび上がってくる。
 18日まで開催している。午前9時~午後5時。料金は一般200円、大学・高校生100円、65歳以上と中学生以下は無料。月曜休館。問い合わせは同博物館(電話0438・23・0011)。



神奈川
企画展:中華街の150年、克明に--25日まで、開港資料館 /神奈川
◇語りかける華僑4家族の肖像 初めて包括的に紹介
 横浜開港資料館(横浜市中区)が開催中の企画展「横浜中華街150年 落地生根(らくちせいこん)の歳月」で一枚の白黒写真が展示されている。1935年11月に中華料理店で撮影された結婚式の記念写真で、ウエディングドレスで着飾っているのは茅ケ崎市で健在の譚瑞仙(たんずいせん)さん(97)。企画展は譚さんが嫁いだ鮑(ほう)家など4家族の肖像を軸の一つに据えており、譚さんは「素晴らしい展示。全部を見てほしい」と話している。
 譚さんは開港から半世紀余を経た1912年、中華街で中国人の父と日本人の母の間に生まれた。父はソーダ水の製造販売業を興した後に洋服店に転じ、「中国革命の父」と称される孫文が来日した際に支援。父は本国での革命の動きに触発されて帰国した。
 日本に残った譚さんは、東京の女学校を卒業し、中華料理店「聘珍楼(へいちんろう)」の経営一族の鮑金鉅(ほうきんきょ)さんと見合い結婚した。写真は両家そろって店内で撮影されたもので、華僑社会の風俗をしのばせる。譚さんは色鮮やかな中国式の結婚証明書も提供し、当時の様子に話が及ぶと、照れくさそうになる。
 戦時中も店は営業したが、戦局が悪化すると、茅ケ崎市で暮らし始めた。1945年5月の横浜大空襲で中華街も爆撃されて焼け野原に。戦後も子ども9人の多くが中国人と結婚し、華僑社会とつながり続けた。80年に夫を亡くし、自身も病に一時倒れながら、長寿を保ってきた。波乱に満ちた東アジアの近現代史を共にしてきた中華街への愛着は格別だという。
 中国が建国60周年を迎えた1日、中華街でもお祝いのパレードがあった。企画展は、この中華街の歴史を初めて包括的にたどる内容で、横浜最古の中華料理店のメニュー(幕末から明治初年)など約150点の資料が並ぶ。展示は25日まで。12日までは横浜中華街文化フェアが展開され、中華街や資料館にとうろうが飾られている。入館料は大人200円、小中学生100円。月曜休館。問い合わせ先は同資料館(045・201・2100)。【木村健二】




新潟
新潟
◇郷土の「宝」を映像に--樫野利七さん(72)
 万代橋、旧新潟税関庁舎、にいがた総踊り、白根大凧(おおだこ)合戦、笹(ささ)だんごなど、新潟市には歴史遺産、郷土芸能、名産品などさまざまな「宝」がある。それらを映像に収めたDVD作品「新にいがた市紀行」の製作実行委員の一人。
 「合併前の旧市町村には、地元でしか知られていない魅力的な自然、芸能文化がたくさんある。それらを発掘し、映像にして語り継ぎ、一つになった新潟市民が共有していきたい」という思いを込める。
 実行委員会ができたのは07年4月。幕末に開かれた5港の自治体間の交流活動が始まり、「新潟の魅力を紹介する機会を」と、映像愛好家らが参加した。
(以下略)


石川
白山・ほうらい祭り 「造り物」圧巻
◆観光客ら喝采◆

 「造り物」と呼ばれる高さ5メートルを超える人形を乗せた山車が町を練り歩く「ほうらい祭り」が3日、白山市の鶴来地区で始まり、大勢の見物客でにぎわった。祭りは4日もあり、正午~午後10時までみこしや造り物の巡行がある。
 ほうらい祭りは、地元の金剱宮(きんけんぐう)の秋の祭りで、約800年の歴史があるという。見どころの造り物は、巨大な武者人形を乗せた山車で、各地区の青年団らが約1カ月かけて制作。今年は、江戸時代の剣豪・宮本武蔵や幕末の志士・高杉晋作などの人形計5体が登場し、観光客らから喝采を浴びていた。
 鶴来朝日町の青年団長、長田真典さん(30)は「お客さんに楽しんでもらい、町の活性化につながってくれればうれしい」と話した。


福井
史料に見る旗本・金森左京家 越前市で特別展
 江戸時代に今の越前市白崎町に陣屋を構えた旗本の金森左京家の史料を集めた展示会が2日、同市の武生公会堂記念館で始まった。同家の統治250年を記念した特別展。11月8日まで。
 越前市のほか、岐阜県高山市、大野市から同家ゆかりの資料が寄託された。金森本家に伝わる甲冑(かっちゅう)や古文書など約60点が並ぶ。
 金森左京家は1759年に南条・今立郡7村3000石を治めた。金森左京家のルーツは戦国時代に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた金森家にある。初代金森長近は越前大野城と城下町を整備した後、飛騨高山を平定し、高山城を築いた。金森左京家は金森家の分家で、明治維新まで約100年余り統治した。
 関連行事として、同家を研究している越前市史編さん委員会の斎藤忠征委員長の講演会が17日午前10時半から、市生涯学習センターで開かれる。
 また、金森陣屋跡とその周辺を訪ねるイベントが24日午前10時から開かれる。定員25人で、参加無料。16日までに申し込む。
 問い合わせは、同記念館=電0778(21)3900=へ。
(砂上麻子)


滋賀
直弼の美意識 探る
彦根城博物館でテーマ展

 幕末の彦根藩主で幕府大老井伊直弼(なおすけ)の文化人としての側面を浮き彫りにするテーマ展「井伊直弼の茶の湯-好みの道具」が、1日から滋賀県彦根市金亀町の彦根城博物館で始まる。
 直弼手づくりの茶碗や香合、茶杓(ちゃしゃく)、京都の茶道家元・千家に出入りする職人「千家十職」の塗師8代中村宗哲が作った精巧な茶器、きこりの道具を花生(はないけ)に見立てた品など25件を披露する。
 直弼は、武道とともに和歌、茶の湯にも励み、家臣らに茶道を教えて「茶湯一会(いちえ)集」などを著した。同館は昨秋、理論面から直弼の茶を紹介。今秋は美意識に焦点を当てた。
 直弼の自作では柳模様などの楽焼七種香合、手びねりの風合いを生かした黒楽白縁天目(しろふちてんもく)茶碗。直弼が色などを指図したとみられる月次(つきなみ)茶器(12個)は、鎌倉歌人藤原定家の選んだ花鳥和歌24首がベースの「萩に雁蒔絵紅溜塗(かりまきえべにためぬり)八角中次(なかつぎ)」などがある。
 侘(わ)び茶を大成した千利休が日常雑器を道具とした「見立て」では、直弼が参勤交代の折りに木曽で入手した鉈鞘(なたさや)の花生がある。
 26日まで無休。3日午後2時、ギャラリートーク。一般500円、小中学生250円。


京都
時代祭の勤王隊 次代担う小学生“発掘”
中京・朱雀地区が魅力PR

 京都三大祭の一つ、時代祭で、笛や太鼓の演奏で行列を先導する「維新勤王隊」が人手不足に悩んでいる。少子化や子どもたちの認知度不足などが原因と考えられ、地元住民らは、小学校を訪れて魅力を伝えようと励んでいる。「祭を先導する隊列だけに、大勢で力強く行進できるようにしたい」と話す。
 同隊は、京都市中京区朱雀地区の中学生以上の若い男子が隊士を担う。同地区はさらに8学区に分かれ、学区ごとにこれまで10人以上が集まって、隊列を編成してきた。
 しかし、5年ほど前から参加者数が一ケタ台に減る学区が出始めた。同隊を担当する平安講社第八社の常務理事岸本修三さん(79)は「若者が減り、核家族や塾に通う子どもが増え、祭りへの関心が薄れたのではないか。行列は地域の誇りなのに」と残念がる。
 中学校入学を間近に控える子どもに関心を持ってもらおうと、昨年から隊士や役員が地区内の小学校を訪れ、祭りの歴史について講演したり、行進時に演奏する楽曲を披露。子どもたちに実際に身につける着物を着てもらったり、太鼓をたたいてもらい、祭りを身近に感じてもらう。
 昨年小学校を訪れた3学区で、今年の参加者が、従来通り10人をこえた。しかし3学区では依然人数不足が続いている。毎年隊列に加わる佐原正紀さん(29)は、「これまで先輩から後輩に伝わってきた伝統をこれからの若手の隊士にもつなげていきたい」と話す。


大阪
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/136 陸奥宗光墓所 /大阪
◆陸奥宗光墓所 大阪市天王寺区

◇愛娘悼み地蔵を建立 薩摩藩士・小松帯刀もかつて居住
 家隆(かりゅう)塚の手前にある称念寺には、道に面して一体のお地蔵さんが立っている。「清(さや)地蔵」と名付けられている。20歳で病死した娘清子(さやこ)を悼んで、陸奥宗光夫妻が建立した。1・6メートルもある等身大の地蔵は、郷里の和歌山を向いている。
 かつて陸奥家の墓所だったことを示すものは、清地蔵だけではない。地蔵の両脇の見上げんばかりの巨大な石碑もそうだ。両方とも漢文なので、ちんぷんかんぷんだが、右側が宗光が父の伊達宗広の業績を記した「夕陽丘阡表(せんぴょう)」(筆は書家による)、左側は原敬が建てた宗光追慕碑だ。いずれも門内にあったものを、岸野正行住職(59)が89年、「多くのかたに見てもらえるように」と現在地に移した。
 1869(明治2)年、ここに居を定めた宗広は、明治7年、東京に移る時、「空蝉(うつせみ)の殻は何処に朽ちぬとも 我魂やどるかた岡ぞこれ」と詠み、句碑を建てた。たとえ死んでも自分の魂はこの地にとどまる、との意味で、いかに夕陽丘に愛着を持っていたかがわかる。清地蔵の前にある句碑は、岸野住職が新しく造り直したものだ。
 宗光の長男広吉の残した一文には、古来、夕陽山や夕陽庵などの呼び名があったが、夕日岡と名付けたのは宗広だと記している。東京で亡くなった宗広は、遺言通り、夕陽丘に葬られた。
 宗光は夕陽丘に住んだことはない。明治元年、大阪開港に伴って、川口居留地に開設された外交事務を取り扱う外国事務局を、五代友厚とともに運営。そののち兵庫県知事などを務めるが、西南戦争の時にクーデター計画にかかわったとして投獄の憂き目に遭う。1883(明治16)年、放免された宗光は夕陽丘の墓所に参っている。外務大臣として日清戦争の講和条約調印に当たり、1897(明治30)年8月24日に亡くなった宗光も、夕陽丘に埋葬された。
 墓所が移転したのは1953(昭和28)年。戦後の経済の混乱で陸奥家の預金はパーになり、管理費用がなくなったために、遺族が遠くの大阪から近くの鎌倉の寿福寺に移した。本町で戦災に遭った称念寺は、その前年にここに移っていた。

    ◇

 普段は門が閉まっている称念寺を案内していただいた。本堂に続く小径の両側には、墓所の名残の石灯籠(どうろう)がある。墓所とはいっても、かなり広く、庭園墓地だったという。
 裏手に回ると、崩れた五輪塔には「星亨」「原敬」らの名が刻まれている。星亨は宗光が可愛がった政治家で、藩閥から政党政治の基礎作りを担った。原敬は大阪毎日新聞社長から、のちに首相に上り詰めた人で、宗光外務大臣の下で外務次官を務めた。宗光の死を悼み、ゆかりの人々が建てたのだろう。
 隅に墓石が一つ、ぽつねんと取り残されていた。宗光の最初の妻蓮子のものだ。お骨は、ほかの墓とともに鎌倉に移されたが、なぜか墓石だけ置いていかれたようだ。
 陸奥家の墓所となる前、この地には小松帯刀が住んでいた。昨年のNHK大河ドラマ「篤姫」で、その名が広く知られるようになった幕末の薩摩藩士。明治維新に奔走し、大阪で新政府の外国官副知事などを歴任したが、脚気(かっけ)のために職を辞し、看病されながら、1870(明治3)年、36歳の生涯を閉じた。墓もあったが、郷里・鹿児島に移された。
 藤原家隆から小松帯刀、陸奥宗光……。夕陽丘は連綿と続く歴史の舞台だった。【松井宏員】



高知
高知で恒例の「土佐はし拳大会」開催 高知
 高知に伝わる宴席の遊び「土佐はし拳」の愛好者が腕前を競う「第44回土佐はし拳全日本選手権大会」が1日、高知市桟橋通の県民体育館で開かれ、酒席のような雰囲気の中で熱戦が繰り広げられた。
 「土佐はし拳」は3本の赤色のはしを持った2人が向かい合い、互いに差し出したはしの合計本数を当て、負けた方が酒を飲まされる遊戯。幕末のころ、同県宿毛市で始まったといわれる。「日本酒の日」(10月1日)に合わせ、県酒造組合などが企画した。
 大会には県内から約290人が参加し、3人で1チームの団体戦と個人戦が行われた。参加者はじゃんけんで先手と後手を決め、「いらっしゃい」「5本」といったかけ声とともにはしを差し出して勝敗を競った。
 高知市内の旅館、ホテルなど宿泊施設でつくる組合のチームで参加した谷脇美香さん(65)は「勝負が早くつき、おもしろい。ぜひ、県外の人にも広めたい」と話していた。


佐賀
佐賀藩近代化の功績振り返る 佐野常民展が開幕
 佐野常民記念館開館5周年を記念する「幕末佐賀藩近代化と佐野常民」展が3日、佐賀市川副町の同館で開幕した。常民が指揮をとった精煉(せいれん)方、海軍所の絵図や、「からくり儀右衛門」こと田中久重の発明品など60点を展示。近代化にまい進した佐賀藩の姿を伝えている。来年1月11日まで。
 日本の科学技術をリードした佐賀藩にあり、その中枢として働いた常民の功績を振り返ろうと企画した。
 展示は、精煉方と築地・多布施反射炉、三重津海軍所の当時の活動を絵図や書類などで紹介している。精煉方が作った「蒸気車ひな型」の復元模型のほか、常民の誘いを受け精煉方で働いた田中の発明品のうち、ねじを巻くと弓を引いて矢を射る動作を行う「弓曳(ゆみひき)童子」などを展示。精煉方の中心人物だった中村奇輔の「電信器」は残存する唯一の逸品で、来場者の注目を集めていた。
 福岡県柳川市から訪れた古賀祐子さん(56)は「優秀な頭脳が集まっていた幕末佐賀の勢いを感じることができた」と話していた。観覧料は大人300円、子ども100円。月曜休館(祝日の場合は翌日)。


熊本
県近代文化功労者:前田案山子、竹熊宜孝氏の2人 /熊本
◇民権運動家・前田案山子 菊池養生園診療所名誉園長・竹熊宜孝氏
 県教委は2日、今年度の県近代文化功労者に、民権運動家の前田案山子(かがし)と菊池養生園診療所の竹熊宜孝(よしたか)名誉園長(75)の2人を選んだと発表した。【笠井光俊】
 前田案山子は、江戸時代末期に玉名市天水町(当時は玉名郡小天村)の豪農に生まれ、明治維新後は私塾を開いて若者を教育した。民権運動を推進し、1890年の第1回衆議院選挙に当選。孫文や中江兆民らとも交流があった。夏目漱石が前田家に宿泊した旅をモデルに小説「草枕」を書いたことで知られる。1904年没。
 竹熊名誉園長は、山鹿市出身で熊本大医学部卒業後、1975年に菊池養生園診療所長に就任。「医療は食から、食は農から、農は自然から学べ」をモットーに医療や安全な食品、食育などの実践的な活動に長く携わっている。2000年から名誉園長。
 県近代文化功労者は、近代文化の発展に貢献した県出身や在住者を顕彰している。今年度で62回目で、顕彰者は274人に上る。顕彰者の功績集が県内の学校や図書館などに配布される。顕彰式は11月3日、熊本市の熊本テルサで行われる。



宮崎
高岡町の河上家、安藤家武家門 宮崎市、景観重要建造物に指定
 宮崎市は1日、同市高岡町の市指定有形文化財「河上家武家門」と「安藤家武家門」を景観重要建造物に、県庁本館前のフェニックス2本を景観重要樹木にそれぞれ指定した。
 建造物の指定は同町では初めて。
 河上家武家門は、旧薩摩藩の武家集落・天ケ城麓地区に残る江戸時代の武家門。高岡小のそばにあり、武道館「練士館」の正門としても使われている。
 安藤家武家門も同地区の武家門の一つ。1857(安政4)年の大火事で一度消失したが、すぐに再建された。門の両側には幕末に造られたという石垣が残る。両武家門とも、薩摩藩独特の建築様式をとどめている。



鹿児島
調所広郷像の威厳復活 建立11年、初の清掃/鹿児島市
 幕末期に薩摩藩財政の立て直しに尽力した家老調所広郷(1776~1848年)の銅像=鹿児島市天保山町=が1998年の建立以来初めて本格的に清掃された。9月末に実施、さびや汚れをきれいに落とした威厳ある姿を取り戻している。
 像を管理する鹿児島市公園緑化課によると、今夏に調所の子孫から「汚れが目立つので、きれいにしてもらえないか」と要望があって着手した。西郷隆盛像(城山町)などと違い、ボランティアらによる定期的な清掃はなかったという。
 像は下洗いした後3日間かけて、こびり付いた汚れやさびを落として塗装。青緑色のまだらから光沢のある黒色になった。
 像を寄贈した前迫石材(谷山港2丁目)の元会長前迫初実さん(故人)の息子で清掃を担当した現社長の前迫実さん(58)は「まるで新しい像のよう。また調所に光が当たってくれれば」と感嘆。厳しい藩の財政を再建した調所像に鹿児島経済の好転を願う人が押しかけるかも。


火山灰材料に西郷、篤姫像など制作 鹿児島市の久保さん
 鹿児島市中山町で立体造形物製作会社を営む久保利昭さん(60)が、桜島の火山灰を材料とした工芸品開発に取り組んでいる。これまでに西郷隆盛、篤姫や桜島の置物3点を開発した。久保さんは「新しい特産として観光客にPRできれば」と張り切っている。
 地元の素材で鹿児島らしい工芸品を作れないかと思案していた久保さん。約20年前に試作していた開発を2008年冬に再開し、試行錯誤の末、今夏にようやく満足のいく製品が完成した。
 製品は黒色で火山灰とポリエステル樹脂を混合し固めた。陶磁器に比べ、強度と耐久性に富むのが特長。質感を出すため像の表面につや消し剤を塗った。
 西郷像は高さ37センチ、重さ1.5キロ、篤姫像は33センチ、1.3キロ。桜島は高さ11センチ、直径30センチで1キロ。内部を空洞にし軽量化を図った。
 火山灰と樹脂の適切な比率を見つけるのと軽量化に苦心したという。現在、鹿児島市の維新ふるさと館に製品を展示中。今後、大久保利通、小松帯刀、島津斉彬像も制作する予定という。久保さんは「工夫すれば火山灰も利用できる可能性を秘めている」と話した。


政治
中川元財務相死去 新党大地・鈴木宗男代表「もっとお互い話すことがあったのでは」
 自民党の中川昭一元財務・金融担当相(56)が4日朝、東京・世田谷区の自宅で死亡しているのが見つかった。中川元財務相の訃報(ふほう)を受けて、政界など、関係者に衝撃が走った。
(中略)
 野田財務副大臣は「びっくりしましたね。痛ましいですね。幕末の時代劇で共演したことがありまして。中川さんが大久保 利通をやって、わたしが西郷隆盛をやって。思い出しますね。残念ですね。心からお悔やみ申し上げたいと思います」と述べた。

 突然のことだったようですね……お悔やみ申し上げます。

コラム
【次代への名言】坂の上の雲編(2)
■「若いころにはなにをしようかということであり、老いては何をしたかということである」


 この「たったひとこと」が、秋山好古(よしふる)の人生の目的だった、という。『坂の上の雲』で、青年将校時代の好古と上京直後の弟、真之との会話のなかにある。
 おもしろいことに、司馬遼太郎も参考にしたであろう『秋山好古』(秋山好古大将伝記刊行会)によると、この豪気な人物は幼いころ、「泣き味噌(みそ)の鼻垂れ」だった。母、貞子が幼い真之の乱暴に耐えかね、「お母さんもこれで死ぬからお前もお死に」と短刀を持ち出したエピソードは有名だが、好古の場合には逆に、貞子はいつも「この子は一人前になれるだろうか」ともらしていたという。
 転機は9歳のとき。秋山家が家禄をいただく松山藩が「朝敵」とされ、15万両の軍費を新政府に献上することで命脈をたもった明治維新がきっかけだった。「以後、不肖ながら勉励力行し、今日(こんにち)、一身だけは自ら処し得る才能を蓄ふるに至る」などと彼は後年、記している。
 ただそんな好古でも「思えば遠くに」の観があったのだろう。40歳をすぎたころ、夫人につづっている。「生涯徳利(とっくり)一本と湯豆腐で快活に清貧を楽しむより他に望みなき身を持ちながら、随分辛棒(しんぼう)強く働くには自らを可笑(おかし)く思ひ居れり」
 (文化部編集委員 関厚夫)





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