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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日から始まるテレビドラマ『JIN-仁-』のポスターを、車窓からちらっと見かけました。

北海道
道南の産業や自然体験できる旅を 函館ホテル旅館協組がコンシェルジュセンター開設
【函館】函館ホテル旅館協同組合(山下久幸理事長)は、観光客に道南の産業、自然を体験してもらう旅行プランの企画などを手掛ける「函館観光コンシェルジュセンター」を函館市東雲町の同組合事務所に開設した。函館観光の総合的な情報提供や観光客誘致にも取り組んでいく。(小森美香)
 厚生労働省の「地域雇用創造実現事業」の一つで、2011年度末までの事業。同組合がこの間、約2100万円で委託を受け、1日にセンターを開設した。
 運営を担うのはさまざまな観光・体験プログラムの参加などを受け付けるホームページ「はことれ」代表で、総合旅行業取扱管理者の小林功さん(54)と、センターで雇用した市内の20代の男女2人。
 10年度には現在復元中の箱館奉行所が完成することから、新選組に関連した体験プランを企画する考えで、修学旅行生の誘致にも力を入れる。
 委託期間終了後も独立した法人として継続することが狙いだ。小林さんは「函館を訪れる人に望まれるプランとサービスを提供したい」と話している。


詩文書展:開港5都市テーマに、書家252人力作--函館美術館 /北海道
 函館開港150周年を記念した「日本詩文書作家協会」(東京)の書道展「開港地を謳(うた)う」(毎日新聞社など主催)が11日から、函館市の道立函館美術館で開かれる。幕末の通商修好条約で国際貿易港となった函館のほか、横浜、神戸など「開港5都市」をテーマに、国内を代表する現代書家252人が土地にちなんだ詩歌や文学を取り上げ、描き出している。
 作品は函館に一時とどまった明治期の詩人、石川啄木の「一握の砂」などのほか、野口雨情の「赤い靴」などを詩情豊かに描いた作品が目立つ。



青森
「コーヒーの街」 弘前PR
 弘前市内の喫茶店が今秋、「弘前はコーヒーの街です」事業に乗り出す。北方警備に赴いた津軽藩士らが飲んだとされるコーヒーを再現して提供するほか、喫茶店マップの配布などで、地域で育まれてきた喫茶店文化をPRする。
 事業を手掛けるのは、市内の喫茶店15店で結成した「弘前はコーヒーの街です委員会」。代表の成田専蔵さん(58)によると、弘前では大正~昭和時代には、和装に白エプロンのウエートレスがコーヒーなどを運ぶカフェが流行した。現在も、1929年に創業した東北最古の喫茶店「万茶ン」を始め、140店余りの喫茶店が営業している。
 委員会は、「街がコーヒーの味を育ててきた。喫茶店巡りを通じて、この歴史を知ってもらいたい」と、事業を計画した。
 コーヒーは、江戸時代には不治の病だった水腫病などに効くとされ、北海道稚内市の市史には、幕末の1855年(安政2年)に北方警備に出向いた会津藩や津軽藩士に配られたとの記述が残っている。これが、庶民がコーヒーを薬として飲んだ国内初の例とされる。
 事業では、この歴史に目を付け、「藩士のコーヒー」として再現。今月10日頃から、藤田記念庭園(弘前市上白銀町)内の大正浪漫喫茶室など10店で、300~500円台で提供する。コーヒーの入れ方は、コーヒーを詰めた麻袋を湯の入った土瓶に浸し、振り出しながら抽出する。
 事業は当面、来年2月末までを予定し、喫茶店マップの発行や、オリジナルのコーヒーストラップを進呈するスタンプラリー、コーヒーの飲み方セミナーの開催なども計画している。
 成田さんは、「コーヒーの歴史のロマンを感じてもらいながら、市民との交流にもつなげたい」と話している。問い合わせは、事務局の成田専蔵珈琲(コーヒー)店(0172・28・2088)へ。



岩手
旧釜石鉱山総合事務所:昭和の雰囲気残す 13日から一般公開 /岩手
 釜石市甲子町大橋の旧釜石鉱山総合事務所が、13日から一般公開される。戦後日本の復興を支えた、昭和の雰囲気を残す産業遺産。TBSのテレビドラマ「官僚たちの夏」のロケにも使われた。
 日鉄鉱業(東京)が1951年、釜石製鉄所向けの鉄鉱石のほか銅も採掘していた釜石鉱業所(当時)の事務所として建てた。鉄筋コンクリート2階建て(延べ床面積1440平方メートル)。高い天井や広い間取り、坑内作業員らが出入りした30メートルもある受け付けカウンターなど機能重視の造りが特徴だ。保存状態は悪くないという。
 釜石鉱業所を引き継いだ現地子会社の釜石鉱山事務所として07年9月まで使われたが、昨年3月、市に寄贈された。寄託された鉱山関係資料約900点のうち、500点とともに公開する。
 公開資料には幕末に盛岡藩士の大島高任(たかとう)が事務所周辺に築き、日本で初めて出銑(しゅっせん)に成功した洋式高炉のレンガをはじめ磁鉄鉱の結晶、削岩機などの工具もある。ドラマで炭鉱事務所に見立てた1階事務所には、古い木製机や応接セットなどがロケ時のままに並べられている。
 公開は12月7日までの原則平日。希望があれば職員が説明する。問い合わせは市教委生涯学習スポーツ課(0193・22・8835)。【鬼山親芳】


世界遺産:釜石・橋野高炉跡を「候補地に」 19日から専門家委 /岩手
 世界遺産登録を目指す「九州・山口の近代化産業遺産群」について、日本の製鉄業発祥の地・釜石に残る国史跡、橋野高炉跡を構成資産に加える取り組みが進んでいる。同遺産群の構成資産を検討する専門家委員会は今月19~21日に東京で開かれ、議論される予定だ。同委を経て6県知事らでつくる推進協議会で決定する。認められれば、暫定推薦書を提出した「平泉」、今年5月に暫定リスト入りした「北海道と北東北の縄文遺跡群」の御所野遺跡(一戸町)に続く県内3カ所目の候補地になる。
 県教委や鹿児島県世界文化遺産登録推進室によると、「九州・山口の近代化産業遺産群-非西洋世界における近代化の先駆け」は、九州と山口の6県11市に残る、幕末から明治時代にかけての炭鉱跡や反射炉跡など22カ所の産業遺産からなる。飛躍的に工業化した過程と基礎を示す資産として、顕著で普遍的な価値を持つとされる。
 文化庁は、暫定リストに追加する際、産業遺産群を九州・山口に特化する妥当性や構成資産に過不足がないか検証するよう求めた。橋野高炉跡は、近代製鉄の発祥地で保存状況も良いことから追加候補に名前が挙がったという。
 橋野高炉跡は、盛岡藩が大島高任らに命じて1858~59年に築造した1~3番高炉などを含む総称。1857年に大島が成功した鉄鉱石を原料に出銑する技術を用いた洋式高炉で、当時の遺構も残っている。日本古来のたたら製鉄から近代技術への転換を探る上でも貴重だとされる。
 専門家委の国外委員のうち3人が既に橋野高炉跡を視察し、高く評価しているという。同委のカール・コソン総括委員長も今月14日に訪れる予定だ。
 橋野高炉跡は、現在も上屋の発掘調査が進められている。担当する釜石市教委の文化財調査員の森一欽さんは「釜石で鉄の大量生産が始まり、コークスを用いた製法が確立した。日本の製鉄技術史を語るには重要な地だ」と候補地入りに期待を膨らませる。【山口圭一】


岩手
孝順の足跡知って 18日まで八幡平市で没後160年展
 八幡平市叺田(かますだ)の市博物館で18日まで、企画展「東叡山(とうえいざん)護国院孝順を支えた大名家」が開かれている。同市石神出身で徳川家の菩提(ぼだい)所である東京・上野の寛永寺の最高職に上った孝順(こうじゅん)(1771~1848年)の没後160年を記念。約50点の貴重な史料で偉業を振り返り、地元の誇りとして関心をもってもらうことが主題だ。
 孝順は、旧浅沢村石神の漆器問屋齋藤家に生まれた。12歳の時に出家し寛永寺の36子院の一つ、東叡山護国院に入った。後に護国院住職を務め、学僧として寛永寺の最高職でもある学頭職にも就任。59歳で大僧正に上った。
 孝順は深く天台教義を追究した僧で、対立を好まなかったという。孝順が携帯した「南無阿弥陀佛」の六字名号の小さな軸や、懐に収めていた小さな黄金仏なども展示し、その信仰の一端に触れることもできる。
 森家(美作(みまさか)津山藩)、秋元家(上野館林藩)、酒井家(荘内鶴岡藩)など、護国院を援助し支えた大名家も史料で紹介。当時の寺院と大名家との関係について知ることができる。
 孝順の生家齋藤家が盛岡藩士となったことから、幕末期の盛岡藩家老楢山(ならやま)佐渡のものとされるかぶと「黒熊(こぐま)」も展示している。
 矢萩昭二館長は「岩手出身者には宗教的な面でも優秀な人物がいたことを知ってほしい」と企画展の意義を語る。
 八幡平市博物館の開館は午前9時から午後4時半で、月曜休館。入館料は大人200円、高校生以下100円。問い合わせは同館(0195・63・1122)へ。


福島
17日に旧越後街道でウオーク大会/坂下
 旧越後街道を歩く束松峠ウオーキング大会は17日午前9時から、会津坂下町の高寺公民館をスタート・ゴールに開かれる。
 幕末の思想家吉田松陰や英国の探検家イザベラ・バードが歩いた歴史ロマンあふれる道。
 13日まで参加者を募集している。
 旧越後街道は古来、会津地方と新潟地方を結ぶ重要な街道。
 コースは公民館を出発した後、三本松、束松洞門、峠の茶屋などを巡って同公民館に戻る約5キロの行程。
 終了後は参加者に豚汁を振る舞う予定。


鶴ケ城能楽堂 復活
●寄付1億3000万円、市民の力で
 かつて会津若松市の鶴ケ城内にあった能舞台を復活させようと、愛好家らが地元企業や個人から約1億3千万円の寄付を募り、建設した能楽堂が1日、オープンした=写真。財政難の市に代わり、市民の力で建設しようという呼びかけに約2千人が応じて実現、同市に寄付した。
 愛好家らでつくる会津能楽堂建設協会の満田政巨代表理事(80)は「300年、500年と後世に残る能楽堂ができた。伝統文化を会津から発信する拠点にしたい」と感無量の様子だった。市教委などによると、鶴ケ城内には江戸時代に能舞台があったが、戊辰戦争後に壊されたという。 
 市が鶴ケ城公園内の用地を提供し、昨秋に着工。木造平屋建て、延べ床面積約250平方メートルの能楽堂が8月に完成していた。奈良・吉野産の最高級ひのきを使い、職人技で仕上げた建築で、屋外施設としては全国有数という。
 寄付を受けた市は、能だけでなく、日舞や邦楽、落語など広く一般開放する予定で、すでに茶会などの予定が入っている。使用料は日中4時間で6300円、夜間8400円など。約400人程度の観覧席の設営が可能という。



群馬
世界遺産講演・シンポ:近代化支えた製糸場がテーマ--富岡で18日 /群馬
「近代化を支えた富岡製糸場」をテーマにした世界遺産講演会・シンポジウム(富岡市教育委員会など主催)が18日午後1時半から、富岡市富岡の富岡製糸場東繭倉庫で開かれる。日本の近代化を支えた同製糸場を創出した仏国人と日本人が何を目指し、共に動いたのかを考える。
 講演会では、横浜で江戸幕末の開港とともに絹織物商を営んだ椎野正兵衛商店の4代目店主の椎野秀聰(ひでさと)さんが「ものづくりの本質」を、日仏外交・交流史研究家で仏国ピレネー生まれのクリスチャン・ポラックさんが「フランスにおける富岡製糸場の役割」を講演する。
 シンポジウムでは、豪州シドニー生まれで明治初期の日本文化研究家のアレキサンダー・バーンさんと岩井賢太郎富岡市長が、講演会の講師2人とともに「富岡製糸場の本当の価値」をテーマに質疑応答する。
 入場無料。定員200人。15日までに、同市教委世界遺産推進課(0274・64・0005)へ申し込む。【畑広志】


富岡製糸場とフランス
18日現地でシンポジウム
 富岡製糸場とフランスとのかかわりをテーマにした「世界遺産講演会・シンポジウム―近代化を支えた富岡製糸場」(市教育委員会など主催)が18日、富岡市富岡の富岡製糸場東繭倉庫で開かれる。創設にフランス人技師が参加した経緯などに着目した企画で、日仏外交・交流史研究家のクリスチャン・ポラック氏が「フランスにおける富岡製糸場の役割」と題して講演する。
 ポラック氏は1971年に日本政府国費留学生として来日して以来、日本に住み続け、「絹と光」「維新とフランス」などの著書がある。
 「椎野正兵衛商店」社長の椎野秀聰氏も、「ものづくりの本質」と題して講演する。曽祖父は、江戸幕末の開港とともに横浜で絹織物商を営み、ブランド「S・SHOBEY」の商品は欧米で評価された。椎野氏は、そのブランド再興を目指している。ポラック氏や椎野氏によるシンポジウムもある。
 午後1時半から3時間。入場無料。定員200人。申し込みは15日まで。申し込みなどは市教委世界遺産推進課(0274・64・0005)へ。




茨城
「烈公打ち」など刀剣・金工品展示 土浦市立博物館
 土浦藩土屋家に伝わる水戸徳川家九代藩主徳川斉昭(烈公)の刀剣や幕末の金工品を紹介するテーマ展「烈公打ちの刀~水戸刀工と金工の名品」が十一日まで、土浦市立博物館(土浦市中央一)で開催されている=写真。

 斉昭は刀剣に深い関心を寄せ、藩工の補佐として自ら作刀したと伝えられる。その刀剣は「葵(あおい)くずし」と呼ばれた。斉昭はこれら刀剣を諸大名への贈答品にしたり、家臣に与えたりしたという。同展は、土屋家伝来の「烈公打ち」の刀剣五振りを紹介、ほかに幕末の水戸金工として知られる萩谷勝平の鐔(つば)など約五十点を展示している。問い合わせは同館=(電)029(824)2928=へ。 (塙幸雄)


映画「桜田門外ノ変」年明けクランクイン
 水戸市民が中心となって製作に向けた運動を進めている映画「桜田門外ノ変」が、いよいよ来年1月から撮影に入る。「映画化支援の会」によると、ロケはすべて県内で行い、江戸城桜田門周辺のオープンセットは水戸市の千波湖畔に造る。佐藤純彌監督のほか大沢たかお、北大路欣也、伊武雅刀と主要キャストも固まっており、着々と実現に向けて進んでいる。
 桜田門外の変は明治維新の8年前、江戸城の桜田門外で時の大老井伊直弼が水戸藩士らに暗殺された事件。幕末維新の歴史に大きな影響を与えたにもかかわらず、映画やドラマで大きく取り上げられることは少なかった。
 映画化の発端は、07年秋に市民の有志が「映画を起爆剤に街を元気にしよう!」と声を上げたこと。
 映画関係者にアプローチを続け、映画会社を巻き込む形で製作を具体化させた。併せて「『桜田門外ノ変』映画化支援の会」を立ち上げた。
 原作は吉村昭の「桜田門外ノ変」。井伊直弼の視点からではなく、井伊直弼暗殺の指揮官、水戸藩士関鉄之介を主人公としながら、徳川斉昭を中心とする水戸藩と幕政との関係、水戸藩士が幕末に占めていた地位などにスポットを当てる。
 関鉄之介役は大沢たかおさん。徳川斉昭役は北大路欣也さん、井伊直弼役を伊武雅刀さんが務める。水戸市民の運動で生まれた映画だけに、キーワードは地元密着。象徴はロケ地で、今のところ全ロケを県内で完結させる方向で進んでいる。千波湖畔には井伊邸から桜田門に続く街並みを本物そっくりに再現する。
 「支援の会」事務局次長の谷田部智章さん(36)によると、10月後半からオープンセットの建設をスタート。年内に建設を完了し、年明けから3、4月にかけて撮影。来年秋以降に全国上映する。
 谷田部さんは「全国の人にもっと水戸を知っていただきたいし、水戸に住んでいる人にはもっと水戸に誇りを持ってもらいたい。この映画を通じて、一人でも多くの人に水戸に関心をもってもらい、足を運んでもらえれば」と話している。



東京
初動期の活動を継続させてほしい~トラスト助成団体の成果発表、公開座談会
 3日、足立区勤労福祉会館ホールで、平成20年度に公益信託あだちまちづくりトラストの助成を受けた7団体の成果報告会が行われた。
 公益信託まちづくりトラストは、(財)足立区まちづくり公社が、まちづくりのさまざまな発想や創意をいかすために行う調査・研究や活動に対して資金を援助する制度で、昭和63年に設立された。
 申込は毎年1月と6月の年2回で、1回あたりの助成限度額は300万円で、同一事業への助成は3回まで。学識経験者やまちづくり専門家で構成されるトラスト運営委員会(大熊喜昌委員長)による審査で決定する。
 発表したのは、「森鴎外記念碑を建立する会」「NPO法人まちなみ育成会足立支部」「日本脚本アーカイブズ倶楽部」「西新井大師まちづくり研究会」「綾瀬新選組研究会」「灯ろう流しと音楽会実行委員会」「神明美化グループ」の7つ。
 各発表者は、活動に対してのPRに苦慮していること、建造物の建立にあたり道路使用などの許認可に手間取ったこと、活動者の高齢化、歴史上の事実をまちおこしに活かすためにモニュメントがほしい、文学碑建立に終わらずに保存会設立で次世代へなどの課題を挙げた。
 一方、トラスト運営委員からは、目先の成就だけではなくさらに継続して活動をしてほしいという要望や、足立区を巡る河川舟運事業に取り組む「まちなみ育成会」には小型船舶の使用について事前に行政ともっと協議をしてほしかった、計画に甘さがあったのではないかという指摘があった。
 大熊委員長は「このトラストは『こと調べ』『こと作り』『こと興し』の初動期の活動を支援するもの。ぜひその後の活動につなげていってほしい。そしてITなどを用いて情報発信に努めていただきたい」とまとめた。
 成果発表会の後は、発表者の4人がパネリストになり、足立区まちづくり推進委員会主催のまちづくりフォーラムが公開座談会の形式で行われた。


町田市民文学館
森村誠一展開催
開館3周年を記念して10月17日(土)から、自身の講演会も

 開館3周年を迎える町田市民文学館ことばらんどで10月17日(土)から「森村誠一展-拡大する文学」が開催される(来年1月17日まで)。
 同展ではミステリーを主軸としながらノンフィクション、歴史小説、エッセイなど幅広い分野で作品を発表し続けている森村誠一氏の幼年期からの読書体験、作家へのエネルギーを凝縮させたホテルマン時代、旺盛な表現欲を源に活躍を続ける作家活動、新たな表現世界への挑戦などを紹介する。
 森村氏自身の講演会「小説の志(ビジョン)」も12月6日(日)(14時~16時)に開催される。ほかにも期間中に講演会や講座・文学散歩なども行われる。日程は11月22日(日)、講演会「森村誠一が描く『人間の森』-江戸川乱歩賞受賞から40年の軌跡」(講師=成田守正氏)、講座「森村誠一『新撰組』を読む・歩く」(11月17日(火)、12月1日(火))。また第2・4火曜日には学芸員による解説も実施予定(14時~15時)。
 申込み方法や講座・文学散歩などの詳細は町田市民文学館へ。電話042(739)3420


江戸の歴史と文化が現代に蘇る
東京時代まつり

 浅草寺創始から現在まで、江戸の歴史や文化、風俗を総勢1600名の歴史絵巻で再現する。1370年余り昔、隅田川に現れた観音様が祀られたことに始まり、浅草寺を中心とする庶民文化の一大拠点として栄えてきた浅草。「東京時代まつり」は、浅草の歴史を今に伝える一大行事だ。
 当日は、浅草寺創始から平安・鎌倉期、徳川家康江戸入府、幕末・文明開化、現代までを総勢約1600人の大行列で表現。江戸消防(火消し)の梯子のりや浅草の芸妓など、江戸ならではの風俗を再現した行列もあり、見応えたっぷり!
 壮大な歴史絵巻を通して、東京の歴史と文化の原点を肌で感じてみよう。


神奈川
坂本龍馬の妻・おりょうさんしのび墓前祭/横須賀
 幕末の志士・坂本龍馬の妻おりょうの墓前祭が10日、横須賀市大津町3丁目の浄土宗信(しん)楽(ぎょう)寺(新原千春住職)で開かれた。大津観光協会の主催で今年21回目。龍馬の生誕の地・高知市などから参加した人を含め、約300人が、おりょうを追慕した。
 おりょうは「寺田屋騒動」の際、機転を利かせて龍馬を救ったことで知られる。夫婦となって鹿児島に旅行したのが「日本最初の新婚旅行」ともいわれる。
 しかし、龍馬が暗殺された後、おりょうは流浪の人生を送った。同観光協会によると、横須賀に移り住んで再婚したが、不遇のうちに66歳で生涯を閉じた。同寺に墓が残っている。
 墓前祭が行われた本堂には、おりょうの写真や木像が飾られ、招待者らが次々に焼香した。
 同観光協会の増田茂会長が「多くの人にお参りしてもらえて感謝します。横須賀の人たちの支えがあって、おりょうさんは66歳まで生きた。来年は大河ドラマで『龍馬伝』が放送され、さらに多くの人がお参りしてくださると思います」などとあいさつした。歌謡吟詠の成田峯麗さんが自ら作詞作曲した「おりょう」を歌うのに合わせ、雪柳京都さんが舞を披露し、参加者を楽しませた。
 このほか、近くの大津コミュニティセンターでは、龍馬とおりょうが好んだという月琴の演奏会なども行われた。


幕末史照らす『万延』のホタル 150年前遣米団の史料に昆虫標本
 江戸時代末期の万延元(一八六〇)年、米国に派遣された使節団の記録史料の中から、当時採集された中米産のホタルとみられる昆虫標本が見つかり、横須賀市が九日、復元画像を公開した。幕末史の小さな一ページが、百五十年ぶりによみがえった形だ。
 ホタルの標本は、使節団に参加した幕府勘定組頭の森田清行の子孫(同市在住)が保管する文書の合間に、「乾蛍」と書かれた紙袋に包まれ、混入していた。体長は約九ミリ。ばらばらに分かれた頭や胴体、尾などを画像で復元した。
 文書と標本を調査した同市自然・人文博物館によると、清行の当時の日記には、運河が開通する前のパナマ港に使節団が停泊した際、船内に紛れ込んだホタルを採集したとの記述があるという。
 使節団は、日米修好通商条約を批准するため、米軍艦で渡米。パナマから陸路で大西洋側に出て、ワシントンに向かう途中だった。
 同市は標本には「歴史的価値」があるとして、調査内容を、十二日に津市の三重大で開かれる日本昆虫学会で発表する。 (新開浩)


遣米使節団が残したホタル
横須賀市自然・人文博物館資料調査中に発見

 江戸時代末期の1860年、日米修好通商条約批准のため、アメリカを訪れた遣米使節団の高官が残した資料の中から、約150年前の中米産ホタルの標本が発見された。横須賀市自然・人文博物館が9日、発表した。同博物館は「採集日時や場所が明確で、歴史的にも博物学的にも貴重な資料」としている。
 同博物館によると、ホタルを採集したのは、使節団の正使、副使、監査役に次ぐ序列第4位の勘定組頭、森田清行。
 同博物館が市史編集事業のため、同市に住む森田の子孫から借りた遣米使節団の資料を調べていたところ、森田が旅行中に集めたハワイの植物の押し花などをまとめた記録の中から、「乾蛍」と書かれた紙にくるまれた虫を見つけた。
 虫は五つの断片に分かれていたが、カビや虫に食われることもなく、原形をとどめていた。博物館がパソコンで断片画像を合成したところ、体長9ミリの中米産ホチヌス属のホタルのオスと分かった。
 森田は1860年2月、米軍艦ポーハタン号で品川を出発。太平洋横断後、同年4月24日夜、中米パナマで停泊中の日記に「夜中蛍火船窓ヨリ入ル」との記載があり、ホタルが窓から飛び込んできたことが明記されているという。
 同博物館では、初代館長の羽根田弥太博士が昨年のノーベル化学賞受賞者、下村脩・米ボストン大名誉教授と発光カタツムリの共同研究をしていたことや、ホタルの研究が専門の学芸員がいたことなどから、発光生物にゆかりが深い。
 内舩(うちふね)俊樹学芸員は「ペリー来航や咸臨丸出港などがあった横須賀で、幕末期の歴史にまつわる発光生物の古い標本の発見は大変うれしい」と話している。
 この発見は10日から三重県津市で開かれる日本昆虫学会で発表される。


国登録有形文化財
和洋折衷住宅 来春公開へ
 所有者が市に寄贈 勝坂遺跡と併せ観光スポット模索
19世紀後半の幕末期の「和洋折衷住宅」として名高く、国の有形文化財(建造物)としても登録されている「中村家住宅主屋」(相模原市磯部1734)をめぐり、所有者が相模原市に寄贈を申し出ていたことが10月2日、わかった。これを受けて、相模原市議会9月定例会では、同住宅の改修費約1,280万円などを盛り込んだ補正予算案を承認した。市は来春の一般公開をめざし、一部の修復や案内板の設置などの工事にとりかかる。

 中村家は、幕末期に生糸の商売で財をなした貿易商で、市内磯部の勝坂が本籍地とされている。建築は、伝統のある鎌倉大工の石井甚五郎が慶応3年(1867年)に手がけ、完成まで10年を要した。建物は瓦葺造2階建てで、延べ床面積約420平方メートル。1階が整形四間取りで、西側に式台玄関があり、外観は和風様式。2階はなまこ壁の外壁に、曲線の白漆喰で塗りこんだ洋風の軒、正面には縦長の窓を配している。建築当初は3階建てだったものの、関東大震災の後、3階部分が取り壊された。当時の周辺には農家が軒を連ね、古民家風の家屋が主流の中で、極めて珍しい建築物だったため、国は2006年に文化財登録を行った。所有者は「市民の文化遺産として活用してほしい」とこのほど寄贈を申し出たという。

新たな散策コースを

 先の9月定例会で補正予算案が可決したことを受けて、市は中村家住宅の来年4月の一般公開を決定。今後、案内板の設置、防犯や防火設備の設置工事に乗り出す。加えて、縄文土器の発掘で知られる勝坂遺跡と中村家住宅を見学できる散策コースを計画中で、一般公開に向けてパンフレットを作成するなど、準備を進めていきたい考えだ。


社告:「大・開港展」で将軍家至宝など--横浜美術館
 横浜開港150周年と横浜美術館開館20周年を記念した「大・開港展-徳川将軍家と幕末明治の美術」が、横浜市西区の横浜美術館で開催されている。

 展覧会は、開港が芸術に及ぼした影響を浮き彫りにしようと企画された。幕末の徳川将軍や篤姫、和宮らの調度品、開港期を描いた横浜浮世絵、真葛焼や芝山細工など輸出用工芸品や、高橋由一らによる初期の洋画など、幕末から明治の至宝約230件を紹介している。

 《会期》11月23日まで。木曜休館。入館時間は午前10時~午後5時半(金曜は午後7時半まで)《会場》横浜美術館(横浜市西区みなとみらい3の4の1、電話045・221・0300)《観覧料》一般1000円、大高生700円、中学生400円

 主催 毎日新聞社、財団法人徳川記念財団、横浜美術館
 特別協賛 財団法人横浜開港150周年協会
 後援 横浜市、NHK横浜放送局


長野
「蚕都」の宝、地域づくりに生かそう 上田で初シンポ
 上田市民有志でつくる「蚕都(さんと)上田プロジェクト」(代表・三田育雄長野大教授)は4日、初めてのシンポジウム「蚕都上田お宝発見~歴史と文化~」を、信大繊維学部講堂(上田市常田)で開いた。幕末から昭和初期に蚕種や製糸といった蚕業で栄えた上田地域の歴史を踏まえ、市内に残る繭倉や洋風建築物、伝統の絹織物「上田紬(つむぎ)」などを「宝物」として地域づくりに活用する方法を話し合った。
 シンポジウムは2部構成。第2部のトークセッションでは、放送作家加瀬清志さん=佐久市=のほか、フリーパーソナリティーの小林良子さんら上田市在住の4人が登壇。「信州上田雛(ひな)の会」代表の下谷よし枝さんは絹の古布などで作るひな飾りの「つるし飾り」、小岩井紬工房の小岩井良馬さんは上田紬、1級建築士竹内秀夫さんは明治から大正期の繭倉や洋館などを、画像で紹介した。
 加瀬さんは「地元の人ほど地域の魅力に気付かない」と指摘。「街歩きがポイント」とし、きっかけとして世代を問わずに楽しめる「お宝発見すごろく」作りを提案。上田紬を使った市の旗の製作、「ひな飾りサミット」の開催なども挙げ「アイデアは10あれば3くらい実現できる。市民がプロジェクトに参加して、どんどん声を上げるといい」とした。
 三田教授は、1部の講演会と合わせ延べ約200人の来訪に手応えを感じたとし、「この地域で蚕業の歴史と共に豊かに生きるために知恵を出し合い、時間がかかってもアイデアを実現していきたい」と話していた。



岐阜
美濃加茂で「皇女和宮と太田宿本陣展」
 幕末に将軍家へ降嫁する途中、太田宿本陣に1泊した皇女和宮。その接待ぶりを紹介する「皇女和宮と太田宿本陣展」が、美濃加茂市太田本町の太田宿中山道会館で開かれている。11月29日まで。
 和宮は1861(文久元)年10月、太田宿本陣に宿泊。本陣の第18代当主福田太郎八幸周はこの準備に1年かけ、重箱や食器を新調したり門を改修したという。
 企画展には本陣家に伝わる12点を出品。和宮一行のもてなしに使われたお膳や輪島塗の重箱など豪華な品々が紹介されている。
 訪れた人たちはガラスケースの中で輝く陶器の皿や上品なおわんを眺めながら、和宮の行列に思いをはせていた。
 18日には旧太田宿一帯で、和宮ら姫の行列を再現した「おん祭MINOKAMO秋の陣」が開かれる。


福井
敦賀で悲運の最期、浪士を慰霊   水戸天狗党挙兵145年
 幕末に尊皇攘夷(そんのうじょうい)を掲げ、敦賀で悲運の最期を遂げた水戸天狗(てんぐ)党の挙兵から145年の慰霊祭は9日、敦賀市松島町2丁目の武田耕雲斎等墓の前ので営まれた。参列者は焼香や吟詠で、遺徳をしのんだ。
 同市民でつくる敦賀水戸烈士遺徳顕彰会が5年ぶりに開いた。同会員や河瀬一治市長のほか、茨城県3市の首長ら関係者約100人が参列した。
 同会の中瀬実会長が「憂国の志で挙兵はやむにやまれなかったと思う。首を切られた353人の烈士の御霊(みたま)が安らかならんことを願う」と奉告。河瀬市長は「遺徳に感謝し、豊かで平和な社会にすることを誓う」と述べ、加藤浩一・水戸市長ら3市の代表も追悼の言葉を述べた。
 岳心流つるが岳心会が吟詠を披露。読経が流れる中、参列者は祭壇に焼香し、手を合わせて悲運に思いをはせていた。
 水戸天狗党は1864年筑波山で挙兵。京都へ向かう途中、敦賀で幕府により処刑され、志半ばで命を失った。同墓には、総大将の武田耕雲斎ら浪人の御霊が祭られている。10日は松原神社で浪人まつりが行われる。


福井
橋本左内墓前祭に直弼子孫 彦根市長ちゃっかり観光PR
 幕末の「安政の大獄」で刑死した福井藩士の橋本左内は没後150年。処刑を命じた大老井伊直弼(なおすけ)の子孫・直岳(なおたけ)さん(40)が、初めて福井市内で墓前祭に参列した。
 左内は藩政改革に尽力したが、将軍の後継問題で直弼と対立。直岳さんは「日本の将来のためにできることを2人はやろうとした」。
 直弼の地元、滋賀県彦根市の獅山(ししやま)向洋市長も一緒に参列。獅山市長は「ひこにゃん」を伴い福井市長も訪問。「観光PRも忘れていない」と福井側をうならせた。


橋本左内墓前祭:井伊大老の子孫が初参列--福井市 /福井
 幕末の混乱期を生きた志士で、「安政の大獄」により処刑された福井藩士、橋本左内(1834~59年)の墓前祭が7日、福井市左内町の左内公園で開かれた。処刑した江戸幕府の大老、井伊直弼(1815~60年)の子孫らが初めて参列し、墓前で祈りをささげた。
 安政の大獄では、橋本左内の他にも吉田松陰ら多数の志士が投獄、処刑された。彦根市では市内で開催中の「井伊直弼と開国150年祭」の一環で、処刑した志士の地元訪問を企画し、8月には吉田松陰の地元を訪れ慰霊した。慰霊は今回が第2弾で、井伊家18代当主の井伊直岳・彦根城博物館館長や獅山向洋・彦根市長らが訪問し、焼香した。
 参列を済ませ井伊館長は「歴史は歴史として、これから彦根と福井の交流が良い方向に向かっていけばいいと思う」、獅山市長は「何となくすっきりした気持ちになった。訪問して良かったと思う」と話した。
 式典後に獅山市長や井伊館長らは彦根市の人気キャラクター「ひこにゃん」を連れ、福井市役所を表敬訪問。東村新一・福井市長はひこにゃんに握手を求められ、「つぶらな瞳がかわいらしいね」と目を細めていた。【安藤大介】


井伊家、福井訪れ橋本左内の墓参 150年ぶり“和解”
 幕末に活躍した福井藩士・橋本左内(1834~59)の没後150年祭となる「橋本左内先生墓前祭」が7日、福井市左内町の左内公園で営まれた。安政の大獄で左内の処刑を指示した彦根藩主、井伊直弼(いいなおすけ)(1815~60)の子孫にあたる井伊直岳(なおたけ)さん(40)ら滋賀県彦根市の関係者も初めて参列した。
 橋本左内先生顕彰会(会長=東村新一・福井市長)が主催し、市民ら約150人が参列。井伊さんや獅山向洋(ししやまこうよう)・彦根市長らも焼香し、墓に手を合わせた。左内作の漢詩の吟詠や、地元の福井市立足羽小6年の児童24人による「橋本左内先生をたたえる歌」も披露された。
 井伊さんもあいさつに立ち、「左内と直弼はともに行く末の定まらない日本を憂い、志半ばで死を迎えた。今は心静かに哀悼の意を表したい」と述べた。
 井伊さんらは墓前祭の後、福井市役所を訪問。東村市長は「現代を生きる我々には、安政の大獄は歴史の出来事。墓前祭に来てもらい感謝している。これを機に友好が深まれば」と歓迎し、獅山市長は「没後150年の節目に墓参りができて良かった。彦根と福井はともに幕府を支えた藩だったという縁もある。今後ともよろしくお願いします」と笑顔を見せた。
 市役所訪問には彦根市の人気キャラクター「ひこにゃん」も同行し、愛嬌(あいきょう)を振りまいていた。


「安政の大獄」後150年“和解” 橋本左内墓前祭に井伊家子孫ら
 幕末の大老井伊直弼が主導した「安政の大獄」で死罪となった福井藩士橋本左内(1834~59年)の墓前祭が7日、福井市左内町の左内公園で営まれた。没後150年の今年は、直弼の子孫や滋賀県彦根市長も初めて参列。因縁を超え、若くして散った志士の冥福を祈った。
 井伊家18代当主の井伊直岳さん(40)と獅山向洋彦根市長が焼香し、墓前で手を合わせた。井伊さんは「当時を考え、厳粛な気持ちになった」と言葉を詰まらせていた。
 橋本左内は福井藩主・松平春嶽の下で将軍継嗣問題や外交問題に奔走し、西郷隆盛らと親交を深めたが、安政の大獄で捕らえられ、吉田松陰らとともに処刑された。
 墓前祭後、彦根市の一行はマスコットキャラクター「ひこにゃん」とともに東村新一福井市長を訪ね、友好関係の構築を呼び掛けた。
 井伊さんは8月、山口県萩市にある松陰の墓参りをしている。


井伊家当主、橋本左内の法要参列 大獄から150年の「和解」
 安政の大獄で粛清され、刑死した福井藩士橋本左内(1834~59年)を弔うため、井伊直弼の子孫で井伊家18代当主の彦根城博物館長、井伊直岳さん(40)が7日、福井市の法要に参列し、左内没後150年で“和解”が果たされた。
 橋本左内は徳川14代将軍として慶喜の擁立を画策したが、大老井伊直弼の国家戦略に逆らったとして安政6(1859)年、江戸で斬首(ざんしゅ)された。
 福井市では毎年、左内の墓前祭が催され、この日は“宿敵”の滋賀県彦根市から井伊家当主と獅山向洋市長らが初めて訪れ、焼香した。彦根市が歴史的な交流を広げようと参列を打診し、福井市が快諾していた。
 井伊さんは法要で、福井市民ら約150人を前に「幕末の激動の中、日本の行く末のために命を懸けたのは2人とも同じ。未来に向けた両市の友好関係を築きたい」とあいさつ。獅山市長も「安政の大獄のわだかまりを解消しましょう」と述べた。
 井伊さんらは8月にも山口県萩市を訪れ、大獄で死罪となった吉田松陰の墓参りをした。


井伊直弼子孫が橋本左内の墓参り 「歴史的因縁越え交流を」
 幕末の福井藩士、橋本左内が処刑された安政の大獄(1858~59年)を主導した江戸幕府の大老井伊直弼の子孫と、直弼の出身地となる滋賀県彦根市の市長らが7日、福井市内にある左内の墓参りに訪れた。左内の没後150年を契機に、両市の関係者らは「歴史的な因縁を越え、新たな交流の機会にしたい」と話している。
 福井市左内町の左内公園で営まれた墓前祭には、獅山向洋彦根市長と井伊家18代当主の井伊直岳・彦根城博物館長ら3人が参列した。読経の流れる厳粛な雰囲気の中で焼香した井伊館長は「2人とも時代の荒波の中、日本の行く末を案じる中で迎えた志半ばの死。心静かに哀悼の意を表し、未来に向けた両市民の建設的、友好的な関係が築かれることを祈念する」とあいさつした。
 墓参りは彦根市内で開催中の「井伊直弼と開国150年祭」の一環。一行は8月下旬に、安政の大獄で同じく処刑された吉田松陰の墓参りをするため、山口県萩市も訪れている。


左内墓前祭に直弼子孫ら
安政の大獄恩讐超えて
 福井市内で7日に行われる幕末の福井藩士・橋本左内(1834~59)の墓前祭に、幕府の大老として安政の大獄を指揮した彦根藩主・井伊直弼(いいなおすけ)(1815~60)の子孫や、滋賀県彦根市の獅山向洋市長らが初めて参加する。直弼は幕府の方針に異を唱える志士らを徹底的に弾圧し、左内の処刑を指示。左内を思慕する福井の関係者にとって、彦根関係者はまさに因縁の相手だが、今年が没後150年にあたるのを機に“恩讐(おんしゅう)”を超え、今後は交流のあり方を模索するという。
 左内は現在の福井市内の出身。藩主の松平春嶽(しゅんがく)(1828~90)に重用され、開国による富国強兵を唱えたが、安政の大獄によって投獄、処刑された。直弼が死罪を命じた当時の決裁書類が、彦根市の彦根城博物館に所蔵されている。
 墓前祭は左内の功績をたたえようと、市民らでつくる「橋本左内先生顕彰会」(会長=東村新一・福井市長)が1959年から毎年営んでいる。7日午前10時から福井市左内町の左内公園内の墓前で、参列者による献花や焼香の後、左内が投獄時に詠んだとされる漢詩「獄中作」をもとにした詩吟などが披露される。
 福井市教委生涯学習課によると、8月末頃に「左内の没後150年を機に墓参し、霊を弔いたい」との申し出が彦根市からあり、顕彰会が受け入れたという。当日は獅山市長、井伊家18代当主である井伊直岳・彦根城博物館長ら5人が参列する。
 彦根市は「顕彰会が過去の歴史のわだかまりを超え、受け入れを決断いただいたことは大変意義深い」とコメントを寄せている。
 獅山市長らは墓前祭後、福井市役所も訪問。その際には人気マスコットキャラクター「ひこにゃん」も同行する予定。福井市は「暗い過去を精算し、これからは明るい歴史を両市で紡いでいけたら」としている。


 彦根市、ここのところ、ひこにゃんを連れて「弔問」外交を盛んに行ってますなぁ。こういう友好活動も「あり」だと思います。



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