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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
まとめてお送りする幕末ニュースその2です。

三重
篤志家竹川竹斎生誕200年企画展
 幕末から明治期を生きた篤志家で、松阪市射和町出身の竹川竹斎(1809~82)の生誕200年を記念した企画展「幕末のチャレンジャー」が4日、同市殿町の市歴史民俗資料館で始まった。12月13日まで。竹斎の自画像や日記のほか、仏語、英語、オランダ語の対訳を試みた「三語便覧」など県指定文化財など125点を展示している。
 私設図書館「射和文庫」の開設やかんがい池の築造などに尽くした竹斎は「反古帖(ほごちょう)」にも珍しい資料を残している。横浜で買い求めた当時の横浜港の地図や、横浜への関門通行証、異人館出入証など。松阪の興行師が各地を巡った「象図の引札」もある。



滋賀
お茶会へ「湖東焼」茶碗を自作 
彦根の中央中生「楽しみ」

 滋賀県彦根市の中央中の3年生が7日、幕末から明治期に彦根で作られた焼き物「湖東焼」の茶碗作りを体験した。
 地元のNPO法人(特定非営利活動法人)「湖東焼を復活させる会」の指導で、この日は1クラス34人が美術の時間に制作した。残り4クラスも別の日に取り組む。
 生徒たちは真剣な表情で、粘土をたたいて底を作ったり、棒状に伸ばした粘土を重ねて側面を作り、なめらかに整えるなどして作品を仕上げた。今後、乾燥、素焼きして、生徒が絵付けした後、釉薬(ゆうやく)を塗って焼き、完成させる。11月30日には手作りの茶碗を使ったお茶会を開く予定。西澤成哉君(15)は「形を整えるのが難しかった。手作りの茶碗でお茶を飲むのが楽しみ」と話していた。


京都
マリオが新選組に?wiiでチャンバラ対決も!京都太秦で任天堂ゲームイベント開催
 10月3日(土)~10月4日(日)の2日間にわたり、京都太秦の東映京都撮影所にて「Nintendo ゲームイベント」が開催されました。wiiの新作ソフトの体験や、ステージイベント、ここでしか手に入らない「とておきピカチュウ」のプレゼントなど盛りだくさんの内容だったこのイベントのレポートをお送りします。
(中略)
 また会場の壁面には、新選組の羽織を着たマリオや舞妓姿のピーチ姫といった、京都ならではのキャラクターの姿が見られました。


◎まんじゅうの穴から名月や◎
市比売神社

 中秋の名月の3日、女性の守り神として知られる市比売(いちひめ)神社(下京区)で、振り袖姿の若い女性4人が直径約20センチの月見まんじゅうの真ん中に箸(はし)で直径約1センチの穴を開け、その穴から月をのぞく古来の成人式の儀礼を再現した。
 4人は、同神社を拠点に雅楽を学ぶ「いちひめ雅楽会」のメンバーで、15~24歳。大学4回生の中村早江さん(22)=左京区=は「月だけがピンポイントで見えるので、くっきりした感じがしました」と話していた。
 幕末の孝明天皇の妹で、14代将軍徳川家茂に嫁いだ皇女和宮もこのような儀礼をしたとされている。


龍馬に会いたい:/番外編 遭難之地 /長崎
◇権謀術数巡らせた地
 京都市中京区の四条河原町交差点。周辺は、デパートが建ち並ぶ、京都市内最大の繁華街だ。この交差点を北へ向かうと、西側歩道にコンビニエンスストアがあり、その前に小さな石碑が見えてくる。石碑には「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」と刻まれている。

 慶応3(1867)年11月15日夜、当時ここに建っていたしょうゆ商「近江屋」で、海援隊長・坂本龍馬と陸援隊長・中岡慎太郎は暴漢に襲われた。

 龍馬はこの年、長崎で海援隊の業務をこなした後、近江屋に入っていた。龍馬も中岡も土佐(高知県)出身。大政奉還は龍馬らの活躍で、この年の10月14日に断行されていた。中岡は夕刻に近江屋を訪れ、2人は奉還後の政局を論じ合った。

 襲撃した男たちは「十津川郷士」と名乗ったという。龍馬は部屋になだれ込んだ男たちに額を切られた。それでも自分の刀を取り、応戦しようとしたが、その場で絶命。中岡は2日後に死んだ。龍馬33歳、中岡30歳。王政復古の大号令は12月9日に迫っていた。

 石碑の後ろには京都市が建てた説明書きの立て札があり、コンビニ店内では手ぬぐい、ポスターなど龍馬グッズが販売されている。しかし、当時の面影は周辺にはもう残っていない。歩道は往来が激しく、時折「へえ」といった顔つきで石碑を見つめる人もいた。

    ■

 「番外・京都編」を3回にわたって掲載します。幕末の京都はテロが横行し、硝煙が立ちこめ、幕府と薩摩(鹿児島)、長州(山口)、土佐など雄藩が権謀術数を巡らせた土地。龍馬が活躍したもう一つの地です。



龍馬に会いたい:/番外編 旧霊山官修墳墓 /長崎
◇1356人の志士眠る
 京都市東山区の明治維新史跡「旧霊山(りょうぜん)官修墳墓」には、1356人に上る志士たちの墓がある。

 新選組が襲撃した池田屋騒動(1864年、吉田稔麿(としまろ)、宮部鼎蔵(ていぞう)らが死亡)、長州藩と幕府軍が戦った禁門の変(同年、久坂玄瑞らが死亡)、天誅組の変(1863年、吉村寅太郎らが死亡)などで亡くなった志士たちのほか、長州藩の木戸孝允(桂小五郎)と妻幾松の墓もある。

 近くには霊山歴史館があり、今年8月24日には、来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で坂本龍馬を演じる、歌手で俳優の福山雅治さんも訪れた。

 同館では龍馬暗殺に使われた刀(長さ42・1センチ)を展示。福山さんは刀に感動し、等身大の龍馬像の前では「龍馬は172センチで、僕は180センチなのに、龍馬の方が身体や腕はスゴイ」と驚いていたという。

 史跡内には、龍馬の墓と、龍馬と共に暗殺された中岡慎太郎の墓が並んでいる。すぐそばには一緒に殺害された下僕、山田藤吉の墓もある。ここでは訪れた人たちが御影(みかげ)石を絵馬のように奉納し、そこにさまざまな言葉を書き込む。

 「病気を治す! 強い意志を持つ!」「子どもが産まれました。大きく豊かに育つよう見守ってください」……。龍馬ら志士は今も多くの人の心の中で生きているようだ。



大阪
大阪城公園の重文3件 特別公開始まる
 大阪城公園内の重要文化財「千貫櫓(せんがんやぐら)」と「多聞櫓(たもんやぐら)」「金蔵(きんぞう)」の特別公開が10日から始まり、普段は見ることができない貴重な歴史に触れようと大勢の観光客や市民らが訪れた。12日まで。
千貫櫓と多聞櫓は毎年秋の観光シーズンに合わせて公開されていたが、今年は金蔵と3点セットでお披露目となった。
 1620年に創建された千貫櫓は、大阪城公園内で現存する建造物の中で最も古く、当時の城を守る重要な隅櫓の一つ。石垣の上に造られた長屋の多聞櫓は、戦で籠城(ろうじょう)する際には兵士の詰め所、武器庫として使われた部屋が6室あり、金蔵はその名の通り江戸時代に幕府直営の金庫の役割を果たした。
 特別公開に合わせて、幕末の解体修理時に出土したとみられる古瓦、城の石垣に刻まれた大名らの刻印の拓本なども展示され、発掘調査時の資料映像も放映されている。


国重文「千貫櫓・多聞櫓・金蔵」 10日から特別公開
 大阪城天守閣は10日から12日までの3日間、1620年に建てられた城内最古の建造物「千貫櫓(せんがんやぐら)」と、現存する同種の櫓の中で最大規模を誇る「多聞櫓(たもんやぐら)」、江戸幕府の金蔵の中で唯一現存する「金蔵(きんぞう)」の内部を特別公開する。いずれも国の重要文化財で、年1回しか公開されていない建物。入場料は大人200円。
 同天守閣によると、千貫櫓は大手口を守る隅櫓。かつて大阪の本願寺を攻めた織田信長が、隅櫓からの横矢に悩み「銭千貫出しても取りたい」と言ったことにちなみ、後の人が千貫櫓と呼ぶようになったという。
 多聞櫓は、二の丸への出入り口である大門を組み込んだ構造となっており、渡櫓と続櫓からなる。敵兵の侵入に備えて「槍(やり)落とし」の装置があり、渡櫓の中央の部屋は約70畳の広さがある。
 金蔵は、江戸時代に金貨や銀貨を保管した建物。床下は石敷き、入り口は二重の土戸と鉄格子戸の三重構造といった防犯と防災に工夫を凝らした構造となっている。
 公開時間は午前10時~午後5時。内部の公開のほか、幕末の解体修理の際に出たとみられる古瓦などの展示や、多聞櫓内で大阪城の発掘調査の映像を放映する。問い合わせは電話06(6941)3044、同天守閣へ。


和歌山
近代化遺産全国一斉公開で「西村記念館」を無料開館 和歌山・新宮市
「近代化遺産全国一斉公開2009」に合わせて新宮市は、運営する同市出身の文化学院創設者、西村伊作の油絵や陶芸などの作品を展示した登録有形文化財「西村記念館」(同市伊佐田町)を10~25日の間、無料開館する。
 記念館は西村が設計し、大正4年に建築された洋風住宅。油絵や陶芸など多くの作品がここで制作されたほか、歌人の与謝野鉄幹、晶子夫妻や同市出身の作家、佐藤春夫、画家の石井柏亭、陶芸家の富本憲吉など多くの文化人や芸術家が訪れ、交友を深めた場所としても知られる。開館時間は午前9時~午後5時。13、19日は休館。
 近代化遺産は幕末から第二次世界大戦期までに建設され、近代化に貢献した産業、交通、土木にかかわる建造物。「近代化遺産の日」(20日)を含む1日から11月30日まで、重要文化財や登録有形文化財などが全国で一斉公開されている。


兵庫
帰りたい:私だけのふるさと 車谷長吉さん 兵庫県飾磨市(現姫路市)
◇万葉集の昔、にぎわった港
 僕の故郷は、生まれた時は飾磨(しかま)市。戦後、姫路市に吸収合併された。姫路なんて隣町だけれども、行ったこともないし、故郷などと思ってもいない。全国に吸収合併された市町村の例はいろいろあるけれど、姫路市出身と書かれるのは非常に不愉快。嫁はんの故郷も数年前に吸収合併されて、非常に不愉快と言ってるよ。
 僕は飾磨小学校、飾磨中部中学校を卒業した。そして、姫路西高校を受験して、落ちたの。だから、ますます姫路って嫌いなの。試験ができなかったから、僕が落ちたことに何も不正はないんだけど、屈辱だった。
 姫路市では戦後、旧制姫路中学校、姫路西高校以外を卒業して市長になった人は一人もいない。姫路で「これ」という要職に就くには姫路西高校を出てないとなかなか難しい。城下町の閉鎖性もある。だから、僕は姫路西高校に落ちた時から、将来は東京で暮らそうと思っていたの。

 * * * *

 作家になろうと思ったのは、やむなく飾磨高校に行ってから。高校3年の5月ごろ、高校の図書室にあった夏目漱石の「こゝろ」を読んで、将来は漱石のようになると心に決めた。先生に相談したら、こう言われた。「開校以来、この高校から東京大学に入った人は一人もいない。お前の成績では絶対、無理。作家(小説家)になろうというのも無理。柳田国男さんも和辻哲郎さんも作家になろうと思って播州から出て行ったけれども、結局はなれなかった」。30代の8年間は関西各地の料理屋で下働きをした。38歳の夏、小説家になる決意をして、また東京へ出てきた。

 * * * *

 今の姫路城を作ったのは池田三左衛門輝政という徳川家康の女婿。池田が去った後、大名がいくつか変わり、1869(明治2)年まで酒井の雅楽頭(うたのかみ)家がいた。幕末に徳川を最初に裏切ったのが、この酒井。だから、姫路城は今も残った。徳川家として一番信任していた人が一番に裏切った。これが播州人の特徴の一つ。
 室町時代より前、播州の中心は飾磨だったの。「餝磨(飾磨)江は漕ぎ過ぎぬらし天づたふ日笠の浦に波立てり見ゆ」。万葉集のよみ人知らず。今は姫路港と名前を変えたけど、飾磨港は昔はにぎわっていた。姫路は播州平野の奥だから、港が欲しかったんだ。
 僕の家は、戦前は地主。農地改革で土地がなくなり、おやじが風呂敷に包んだ呉服物を背負って、近郷近在の村に売り歩いた。おやじはこの風呂敷商人でもうけて、5反歩ぐらいの田んぼを買い戻した。でも、農地改革で農地を手に入れた人は全員、土地を売った。元の地主は、農業のまま。土地への愛着があるから。僕も一緒だね。<聞き手・中山裕司/え・須飼秀和/写真・塩入正夫>

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 ■人物略歴

 ◇くるまたに・ちょうきつ
 作家。1945年生まれ。慶応義塾大独文科卒。「鹽壺(しおつぼ)の匙」で三島由紀夫賞、「赤目四十八瀧心中未遂」で直木賞、「武蔵丸」で川端康成文学賞を受賞。近著に「阿呆者」(新書館)。



広島
いろは丸紙模型で観光PR
 福山市は、同市鞆町の鞆港に来年1月に就航予定の市営渡船「平成いろは丸」のペーパークラフトを作成した。幕末に鞆港沖で沈没した坂本竜馬ゆかりの蒸気船を模したデザイン。市の観光キャンペーンなどで配る。
 本物の100分の1に当たる全長約22センチ。マストや甲板、煙突など9つのパーツに分かれA4判の紙にカラー印刷されている。はさみやナイフなどで切り離した後、のり付けしたり、切り込み部分に差し込んだりして組み立てる。1時間程度で完成するという。市観光課=電話084(928)1043。


幕末パワー「砂持加勢」再現
 幕末の広島城下で1度だけ催され、昨年約150年ぶりに復活した祭り「砂持加勢(すなもちかせい)」が4日、広島市中区基町の本川東岸であった。地元の自治会や社会福祉協議会などでつくる実行委が実施。約2千人が手作りの山車や仮装行列などで当時のにぎわいを再現した。
 豊作を願う米俵の山車を先頭に、わらでできた長さ約12メートルの竜や高さ約4メートルの鬼などが次々に登場。見物客の歓声を浴びながら川岸を練り歩いた。安佐北区の持永芳孝さん(66)は「とても迫力があった」と驚いていた。
 砂持加勢は1862年、広島城近くの本川にたまった土砂の除去作業の景気づけに1度だけ催された。




島根
(37)幕末史を飾った八雲丸(中)
長崎を往来異文化運ぶ

 江戸時代は鎖国の時代といわれている。しかし実際にはオランダ、中国、朝鮮、琉球などと交流があり、さまざまな文物や情報がもたされていた。当時の松江藩も外国に強い関心を持ち、中国や西洋の書籍などを積極的に取り入れ、医学などの学問が大いに発展した。やがて幕末になると、外国に留学し近代の日本の政治や島根の近代化に大きな役割を果たした人物も現れた。

 大社町の藤間家に残る日記「長崎行日記」からは、そんな文明の光に導かれて松江藩の藩士や商人たちが蒸気船に乗って長崎に向かう光景がうかがえる。航跡とともに文化、文明を運んできた第二八雲丸を紹介する。

     ※ ※ ※

 慶応3(1867)年6月27日。第二八雲丸は松江藩の役人と回船問屋藤間穂左衛門(現出雲市大社町)を乗せて美保関を出航。今回の目的の一つ、隠岐の島に保護されている琉球国の漂流民3人を長崎に送り届けるため、八雲丸は島後の港を経由して翌月7日朝、35隻以上の蒸気船が停泊している長崎港に到着。

 翌日の日記には「異人館5軒に参り、大砲・異船と船型を持参」と記述されているほか、貿易商オオルトの名前や造船所を訪れるシーンが再三登場する。

 漂流民については当時琉球を統治していた薩摩藩と連絡を取った結果、12日、無事に引き渡しができたと記録があるのみで、軍備増強や次の新船購入に向けた準備や海外の情報収集に重点が置かれていたことをうかがわせる。

 一方、異文化に出合った一行たちの感動と驚きも多数書き記されている。

 異人館で目にした夏服の美しい夫人が男性と手を取り合って散歩する光景、初めて口にするランビキ(ウイスキー)、何万両かかるか分からないほど立派な異人館、オルゴールが奏でる不思議な音色、16日には国内で評判になっていた上野彦馬の写真館で記念撮影もしている。見るのも、聞くのも初めてと思われる異国の文化に対する感動の日々が随所に書き残されているなど、日記は公文書では知ることができない世界を垣間見させてくれる。

 日記を解読した島根県の古代文化センター岡宏三専門研究員は「産業革命で発展した外国の機械産業を目の当たりにした驚きとともに、御用商人をはじめ官民一体になって藩政に取り組む姿がうかがえる」と話す。

     ※ ※ ※

 八雲丸が運んできたものの一つに、美保神社に保存されている国内最古といわれているオルゴール(国の重要有形民俗文化財)がある。鳴り物好きの神様に奉納された逸品として知られているが、第二八雲丸に乗って長崎から運ばれてきたことは意外と知られていない。

 オルゴールは元治元年6月、当時松江藩の海軍奉行だった松原木工が長崎で手に入れた逸品。ぜんまい仕掛けで誰も聞いた事がない音色を奏でる小箱は魔法の小箱だっただろう。

 今回の取材では2点の長崎切り絵図も見ることができた。1点は出島と市街地(藤間家所蔵)、もう一点は出島と居留地(鳥取市湖山町北、鈴木家所蔵)。2点を並べてみると出島を中心とした長崎の様子がよく分かる。録音してきたオルゴールの曲や上野彦馬が撮影した写真などとともに日記を読んでいくと、これまで活字でしか知ることができなかった幕末の様子や八雲丸の航跡、乗組員たちの姿が、絵巻のように浮かんでくる。



山口
人との出会いと運命/松村邦洋さん
 僕が田布施西小学校6年生の時に、同じ熊毛郡内の大和町束荷(つかり)の伊藤公記念公園へ遠足に行きました(現在の大和町は合併で光市になっています)。伊藤公記念公園は、伊藤博文公の生家があった場所で、記念館が建っています。伊藤公が使っていたベッドや、ロンドンに留学した時の服などがたくさんありましたが、子供だった僕が興味を持ったのは千円札の第1号が展示してあったことでした。「あの千円札の人が、隣の大和町で生まれたんだ」とびっくりしました。
 家に帰り、歴史好きの祖父に遠足の話をすると「博文は林という家に生まれたが生活は苦しく、博文の父が萩の伊藤の家に養子に入って、伊藤姓になったんだ」と教えてもらいました。佐藤栄作・岸信介と2人の総理大臣が田布施町出身なのは知っていましたが、熊毛郡内から3人、しかも初代総理大臣まで同じ地元なのかと、子供心に誇りに思いました。
 小学校4年生の時の大河ドラマ「花神」の中の若き伊藤博文こと伊藤俊輔は、高杉晋作にいつも怒られていて、尾藤イサオさん演じる伊藤俊輔が、後にあんなに偉い人になるとは思えませんでした。
 子供のころはあまり興味を持てなかった伊藤公記念公園を、30歳を過ぎて何となく訪ねてみたところ、自分が全く違う楽しみ方ができるようになっていることに驚きました。産湯を浴びた場所や伊藤家の家系図、当時の写真など、歴史好きなら一日中居ても飽きない場所でした。
 なんといっても、動く伊藤博文公の記録映像の存在は貴重ではないでしょうか。大磯に住んでいた時に、梅子夫人と韓国の李皇太子たちを囲んで、浜辺で行われている綱引きを見ている映像には驚きました。ハルビン駅の伊藤博文暗殺事件の詳細を、再現VTRで見ることもできます。大人だから分かる歴史の面白さに、子供のような気持ちになってしまいました。それ以降、里帰りの度に見にいっています。
 大久保利通を尊敬し、日本を一生懸命変えようとした伊藤博文公。幕末の志士として活躍されましたが、萩に移り伊藤の家に行かなければ、総理大臣になることはなかったでしょう。松下村塾や吉田松陰、高杉晋作らに出会わなければ、今の日本もないはずです。人との出会いの大切さを、運命のすごさを改めて感じます。


■まつむら・くにひろ■
  お笑いタレント。67年、田布施町生まれ。大学在学中にアルバイトをしていたテレビ局で、片岡鶴太郎氏にものまねを認められ、芸能界入り。歴史が好きで、特に中世から幕末・維新の歴史に興味がある。


最古の銅山で精錬復元なども
 第2回銅山まつりは11月14日午前10時から美祢市長登(ながのぼり)銅山文化交流館などで開かれる。全国唯一の試みとして知られる古代銅製錬の復元実験や探検ツアー、クイズへの参加を呼びかけている。同まつり実行委員会、美祢市主催、幕末長州科学技術史研究会など共催。
 古代銅の製錬では、鉱石挿入ボランティア(午後)を募集している。日本鉱業史研究会理事の植田晃一理事が技術指導。そのほか会場では、鋳造(参加費300円)、竹細工(無料)、炭焼き(同)の体験ができる。事前申し込みが必要。
 古代銅山探検ツアーは日本最古の大切四号坑などを訪れる2時間コース、近世・近代史跡ツアーは明治・大正期の鉱山跡を見学する30分コース。
 各自で探索する銅山ツアー・ウオーク、各種バザー、紙芝居「奈良の大仏」の上演、美東長登太鼓演奏もある。申し込み、問い合わせは同交流館(電話08396-2-0055)へ。
 国指定史跡の長登銅山跡は日本最古の銅山跡で、奈良県の東大寺大仏との関係が立証された唯一の場所として知られる。


テーマ展:「松陰没後150年」--防府で /山口
 安政の大獄で1859年に刑死した吉田松陰の没後150年に合わせ、テーマ展「吉田松陰と長州藩主毛利敬親」が防府市多々良の毛利博物館で開かれている。
 幕末の動乱を乗り越え、長州藩が維新回天の偉業を成し遂げる原動力となった2人の書簡や肖像画など約20点を展示。松陰が諸外国の進出を憂慮する孝明天皇の思いを推し量って詠んだ漢詩、獄中で差し入れの酒に酔いながら書いた和歌などが目を引く。学芸員の柴原直樹さんは「松陰の人物像に迫ってほしい」と来場を呼び掛ける。12月21日まで。




平成の“薩長同盟”? 山口・鹿児島の観光連盟が姉妹縁組みへ
 山口、鹿児島の両県観光連盟が姉妹縁組をすることなり、山口県庁で16日、盟約締結の調印式が行われる。幕末以来の歴史的な縁で実現した平成版「薩長同盟」が、観光業界に“維新の風”を起こせるか-。
 九州新幹線が平成23年春に全線開通するのを機に、約2時間で結ばれることになる両県が、幕末・維新期の歴史的な縁を生かして観光面での交流を深めようというねらい。山口県側からの働きかけで、縁組が実現することになった。
 かつて、同盟を結んだ仲とはいえ、倒幕までの道のりや維新後の新政府の運営方針などでわだかまりもくすぶる薩摩(鹿児島県)と長州(山口県)。そのせいか、これまで両県間で友好提携や姉妹縁組のケースはあまりなかったという。
 しかし鹿児島側では「願ってもないチャンス」と大張り切り。「両県民が相互に旅行に出かけるのはもちろん、将来は薩長セットのツアー企画を全国に発信したい」と県観光連盟の松永祐吉専務。鹿児島側の一行は、陣羽織姿で調印式に臨むという。
 山口県観光連盟の松井邦昭専務は「『新幹線で2時間』というのは、旅行にちょうどいい時間。来年のNHK大河ドラマは坂本龍馬が主人公なので、姉妹縁組の活動もちょうど波に乗れそう」と期待している。


正しい入浴法を伝授/那須野友規子さん
 脚をケガした白狐が見つけたとの言い伝えが残る山口市の湯田温泉。幕末の志士も湯あみをした。室町時代以来の歴史を誇るいで湯で、温泉療法医として、望ましい湯治についてアドバイスを続ける。
 温泉療法医とは、症状に合わせた温泉の選択や入浴方法を指導する医師。日本温泉気候物理医学会の研修を受け、認定される。自身が女性の認定医の第一号だったという。
 東京の医大を出たころは、産婦人科医として活躍。傷痍(しょうい)軍人の温泉療養所がルーツの現・済生会湯田温泉病院に勤めて、リウマチ患者に向き合うなか、温泉療法に本格的に取り組むようになった。病院を定年退職した03年、漢方内科、リウマチ、アレルギー科の「ゆきこクリニック」(同市泉都町)を開業した。
 診療の合間をぬい、求めに応じて温泉の正しい入り方について講演もする。浴衣姿でごちそう食べて、赤ら顔で露天風呂にザブン! 至福の瞬間ではあるが、これはNGと警告する。アルコールには利尿と血管拡張の作用があり、酒を飲んだ後の入浴は血圧低下が著しくなるからだ。一番風呂も、「湯がやわらかくなっていない。お年寄りにはお勧めできない」と言う。
 秋気肌にしむ。湯めぐりの季節がまた来た。でも近頃、地元の湯田温泉に往時のにぎわいがない。90年代の初めには60万人台の宿泊客がいたが今では40万人を切っている。温泉情緒に乏しいことが課題のひとつ。こんな再生ヒントを挙げる。「道路脇にローズマリーやハッカなどを植えたらいい。公衆浴場などワンコインで入れる施設をつくってもいい」
(清水謙司)




高知
主役・福山さん抱負熱く 『龍馬伝』
 広島県福山市藤江町のテーマパーク「みろくの里」で行われている来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」のロケが5日、報道陣に公開された。坂本龍馬役の福山雅治さんや幼なじみ役の広末涼子さんら俳優たちが城下町を歩くシーンなどを撮影。記者会見で、福山さんらは「変化する時代を導いた強い意思と情熱を描きたい」などと熱く抱負を語った。
 龍馬伝は、幕末の志士坂本龍馬の33年の生涯を描く青春群像劇。ロケは1~7日、土佐の城下町を再現したロケセットで実施されており、出演者や地元エキストラら総勢約200人が参加している。福山さんは5日からロケに参加。龍馬に恋心を抱く平井加尾役の広末さんや、龍馬の片腕として活躍した近藤長次郎役の大泉洋さんらと街角で出会うシーンなどを撮った。
 会見で福山さんは「1年の準備期間で龍馬の人物像を考え続け、心構えができた」と強調。龍馬が鞆の浦(福山市)に滞在した史実については「聞いている。龍馬が訪れた場所がどんどん有名になり、今も語り継がれるのはすごい」と話した。同席した広末さんは「私の地元の高知の皆さんが大好きな龍馬の隣にいられるのは光栄。話もおもしろく、世代を超えて楽しんでもらえると思う」と期待感を述べた。
 制作を統括する鈴木圭チーフ・プロデューサーは、龍馬率いる海援隊の商船と紀州藩の軍艦が瀬戸内海で衝突した「いろは丸事件」は「重要でダイナミックな場面。(現地ロケではないが)鞆の浦を設定したシーンも出てくる」と語った。


四国ミュージアム回廊:三十六館目 絵金蔵/4止 /四国
◆絵金蔵(高知県香南市)

 ◇夕飯のにおい、猫の鳴き声…町や人から絵金感じて
 開館から今年で5年目を迎えた絵金蔵。町民が代々受け継いできた絵師金蔵(通称・絵金、1812~76)の芝居絵屏風(びょうぶ)23点を大切に保管するだけでなく、絵金の魅力を県内外に発信する役割も担う。05年2月の開館当初から蔵長(くらおさ)を務める横田恵さん(31)に話を聞いた。【千脇康平】

 --横田さんは学生時代に絵金の研究をしていました。

 絵金が生きた幕末は、人の価値観がぐらついているとき。単純に「なんでこんな絵を私らの高知の先祖は受け入れたんやろ」って。きっと絵金の個性がすごかったし、受け入れる側も何かシンパシーを感じたんだろうと思うと平たんな絵を見るより断然面白い。自分たちのルーツを絵金を通して知るというか。

 --赤岡町の魅力とは。

 路地です。細い路地をてくてく歩くと、夕飯のにおいがするとか、猫の鳴き声、人の話し声とか聞こえる昭和な感じ。あと、なんといっても人。蔵守(館内業務を手伝う町民ボランティア)がかいがいしくお客さんの世話をするんですが、いつの間にかすごい打ち解けてお客さんの人生相談に乗っていたことがある。隣の人がうちの植木を刈り込んでくれていたり、自転車のかごに食べ物が入れてあったり。この町の人はいろいろしてくれるんです。家族のよう。

 --蔵を支えてくれる町民の姿はどう映りますか。

 蔵を自分たちの所って思ってくれてると感じています。孫か子どもやないろうかというくらいすごく蔵や私の面倒を見てくれます。

 --常設展しかないのが課題では。

 現在、例えば白描画など屏風絵以外の絵金の作品を紹介するミニ企画展示室を1階の展示室2「蔵の穴」に作ろうと計画しています。新しいものを見てもらい、日本を代表する文化として絵金を紹介する必要がある。

 --開館から4年がたち、来館者も5万人を超えた。これからどんな存在でありたいですか。

 蔵だけが施設じゃない。町全体に見るべきところがたくさんある。絵金の空気は館だけじゃなくて町も合わせて味わってもらいたいんです。絵だけでなく、町の空気、人と触れて初めてこの空間に絵金がいたんだと分かる。そういうところを強みにしていきたい。蔵としては、情報源であり相談窓口であり、いろんな所から頼ってもらえる存在でありたい。絵金も町の人に支えられた人だったと思う。私たちの立場も絵金のような、どこまでも町の中、人々の中にあるという存在になりたいですね。=この項おわり

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 ◇ミュージアムガイド
【住所】高知県香南市赤岡町538

【電話番号】0887・57・7117

【観覧料】大人500円、高校生300円、小・中学生150円

【開館時間】午前9時~午後5時(入館は午後4時半まで)

【休館日】月曜日(祝日の場合は翌火曜日)

【行き方】土佐くろしお鉄道「あかおか駅」から徒歩約10分。高知市のはりまや橋から車で約40分。高知自動車道南国ICから車で約30分。





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