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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日は昼過ぎまで雨が残りそうな東京の空です。
 昨日のクリップ記事を紹介しそこね貯まってしまったので、今朝のクリップ記事と合わせてご紹介します。

秋田
秋田の公文書館で「武士の日記」展-愚痴や欠陥住宅への不満も
 企画展「武士の日記を読む」が10月24日から、秋田県公文書館(秋田市山王新町14、TEL 018-866-8301)で開催される。

 開幕から明治維新までの9人の藩士の日記を中心に、「武士の公務を読む」「武士の日常を読む」「幕末の秋田を読む」の3部構成の同展は、、錦絵や屋敷図などと合わせ資料41点を展示する。「江戸時代に藩士によって記された日記は、職務の参考や後任の担当者への引き継ぎなど、公的な目的をもつものが多いが、日常の生活を書き残したものもあり、当時の武士の様子を知る貴重な資料」(同館学芸主事・畑中さん)だという。

 展示する日記は、出版化されたこともある初代秋田藩主・佐竹義宣(さたけよしのぶ)側近が記した県指定有形文化財の「梅津政景(うめづかげまさ)日記」や、1701年の赤穂事件をリアルタイムで記し、吉良義央(きらよしひさ)の評判について触れてた「岡本元朝(おかもとげんちょう)日記」のほか、武士が「日々の愚痴や欠陥住宅への不満、米不足の時に自分の酒を絶やさないように命令したことなどが書かれている日記もある」(同)。

 畑中さんは「武士道は武士が理想を掲げたもので、ともすれば彼らの生き方を定型的にとらえがちだが、これらの日記からは、本当のサムライにはもっと人間味があったことがわかる」とし、「江戸時代の雪国秋田の藩士が何を考え、どう暮らしていたのかを知る貴重な機会なので、多くの人に見に来てもらえれば」と話す。

 開館時間は10時~20時(土曜・日曜・祝日は18時まで)。11月20日まで。


福島
河井継之助の魂 会津へ JCマンが思い乗せ自転車で山道走破
 幕末の英雄河井継之助が夢見た会津―。福島県の会津坂下青年会議所(JC)は19日、只見町の河井継之助記念館から会津坂下町のJR会津坂下駅まで約62キロを自転車で走り抜ける初めての事業「奥会津魅力発見サイクリング」に乗りだす。戊辰戦争140年記念事業として企画した。奥会津の豊かな自然、只見川の風景を再発見し、観光振興につなげ、自転車を使うことで環境問題を考える事業に発展させたい考えだ。当日は鶴ケ城が落城した旧暦9月22日の前日。長岡藩家老河井継之助の思いを胸に現代の若者たちが河井終焉(しゅうえん)の地、只見町から会津盆地を目指す。

 河井継之助は長岡藩(現在の新潟県長岡市)の家老を務めた。藩政改革を推進した上で、当時日本に3基しかなかった機関砲「ガトリング砲」を購入するなどして、新政府軍と戦った。しかし奪還した長岡城が再び奪われ、会津を目指す。途中、戦いで受けた傷がもとで只見町で亡くなる。只見町塩沢には河井継之助記念館が設けられている。
 会津坂下JCは、戊辰戦争140年の今年、この幕末の英雄に注目。同JCの活動エリアである奥会津を舞台に河井継之助を検証することで地域おこしにもつなげることにした。
 企画は金山町、三島町、柳津町を通って会津坂下町に至るコースを自転車で走る内容。メンバー約20人に加えて町村などにも参加を呼び掛け、合わせて約30人で第1回の事業を行う。本番前にJCメンバーはコースを試走し、安全面などをチェックした。
 乗用車では見過ごしてしまいがちな、ゆったりと流れる只見川の風景をはじめ、豊かな自然や空気など奥会津の魅力を感じてもらうのも狙いだ。
 同JCでは今年の結果を踏まえて来年以降は一般からも多くの参加者を募り、奥会津の魅力を多くの人に知ってもらう事業に発展させることを検討している。
 当日は午前9時15分ごろに只見町の河井継之助記念館をスタートする予定。事業を担当する上野朗弘地域コミュニティ委員会委員長は「奥会津にゆかりが深い河井継之助を多くの人に知ってもらうとともに、自然豊かな奥会津の風を感じながら走ってもらえる継続的な事業にしたい」と話している。

[河井継之助]
 文政10(1827)―慶応4(1868)年。長岡城下で誕生。江戸や西国で遊学後、上席家老として藩政改革を断行。近代武装を成し遂げ、戊辰戦争では中立を唱えたが受け入れられなかった。敵の手に落ちた長岡城を奪還するなど奮戦したが、再度の落城で会津へ。途中塩沢村(現在の只見町)で最期を遂げた。


茨城
【ふるさと便り】映画「桜田門外ノ変」ロゴマーク決定 茨城
 水戸藩の開藩400周年を記念した映画「桜田門外ノ変」のロゴマークが決まった。

 ロゴマークは「『桜田門外ノ変』映画化支援の会」(狩野安会長)が8月26日から9月25日まで募集。全国から寄せられた103点の応募作品の中から、川崎市のグラフィックデザイナー、望月勇さん(50)の作品が最優秀賞に選ばれた。

 明治維新へと大きく時代が変わっていくダイナミズムや広がりなどをモチーフに、黒と赤で「暗殺」のイメージを表現。うねりを表す4つの輪が開藩400周年を起想させることや、映画監督が手にするメガホンを連想させることなどが「地域全体を大きな渦に巻き込む力を持った優れたデザイン」として評価された。

 ロゴマークは今後、同会のポスターやパンフレットなどに用いられる予定。

 

静岡
=旅好き=この港から時代は変わった
 静岡・下田

◆ ペリーの黒船が運んだロマンと脅威 ◆

 静岡県は下田港。米国提督のペリーが黒船7隻で寄港した。時代は幕末、あの吉田松陰が密航を企てるなど風雲急を告げた地を散策。駐日総領事、ハリスのもとへ侍妾(じしょう)として奉公にあがったお吉。悲劇を通り越した悲しい一生を終えたお吉のお墓が宝福寺の境内にひっそりとたたずむ。散策に疲れたら休暇村南伊豆で露天風呂につかろう。すばらしい眺望が心を癒やしてくれる。(白石 治)

◆ かすかに伝わる開国の息吹 ◆

 日本最初の開港地、下田は開国の息吹がかすかに伝わってくる。

 下田港は寝姿山に抱かれた湾にある。なかでもひときわ目立つのが黒船「サスケハナ」だ。1853年、ペリー率いる7隻の黒船がここにいかりを下ろした。

 「当時の黒船は蒸気船。長さ100メートル、重さ2500トン。ここにあるサスケハナは長さ4分の1、重さは2分の1です。ちなみにサスケハナは米国の地名が由来です」と説明するのは伊豆クルーズ株式会社の平山宗一社長(60)。

 地理に詳しい人によると海岸のロケーションは当時と大差はないという。ロマンあふれる史跡も点在するが、それは現在だからいえることで、果たして風雲急を告げる時代の変わり目で、のんびりと黒船を見物できる状況ではなかったろう。

 不安、危機感…。幕府はもちろん、地元住民も住み慣れた土地がいつ戦火に包まれるか、心配したに違いない。

 乗船して下田港めぐりとしゃれ込む。カモメが乱舞。「あそこが吉田松陰が密航を企てた柿崎弁天島です。のちに松陰は斬首されますが、たいした男です」と興奮気味に平山社長が指さす。

 長州の志士、吉田松陰が従者、金子重輔とアメリカに渡るべく、艦隊に乗ろうと小舟をこぎ出した島だ。そういえば歌謡曲「吉田松陰」(星野哲郎作詞)でも弁天島という言葉があるのを思い出した。

 船を降りて「ペリーロード」を散策する。記者はその名からして、日本の「哲学の道」同様、ペリーが滞在中、将来のことをあれこれ思索しながら歩いた道…と想像していたが、事実は異なる。

 ペリー提督が海兵隊を率いて日米修好通商条約を締結すべき場所である了仙寺までを行進した道路として命名。

 道ばたには柳並木が続き、小さな川が流れているが、ことさらペリーをほうふつとさせるものは見あたらない。

 まもなく条約締結(1858年)をした了仙寺に着く。住職は松井大英さん(51)。松井さんはおよそ3000点の資料を駆使して、逸話を披露。「最初、黒船を見た漁師は大島と思ったそうです」などと画像資料を使って分かりやすく説明。

 「実際の締結が行われたのは本堂です。外にはたくさんの日、米の兵士がいましたが、本堂は双方、数名だったそうです」。小・中学生はむろん教師も松井さんの“名講義”を聞こうと予約が絶えないという。


 【メモ】◆下田港内めぐり (伊豆クルーズ株式会社)=電話=0558(22)1151。
 ◆了仙寺 逸話を聞かれる人は要予約。料金は大人1000円、小・中・高生300円。=電話=0558(22)0657。
 ◆宝福寺 =電話=0558(22)0960。
 ◆休暇村南伊豆 =電話=0558(62)0535。休暇村大阪センター =電話=06(6343)2290。


悲話伝える桜受け継ぐ 下田・稲梓中生が接ぎ木
 リンク先は静岡新聞(閲覧に会員登録が必要・無料)です。
 下田市立稲梓中(外岡康光校長)の3年生13人が6日、地元に由来する早咲きの桜「お吉桜」の保存を進める市民グループとともに、幼木を育てるための接ぎ木作業に取り組んだ。
 幕末の下田で起きた悲恋のヒロイン「唐人お吉」にちなみ命名されたお吉桜は、2―3月の開花時に花弁が薄いピンクから白に変化する特徴を持つ。同校では一昨年度の卒業生から、幼木を校庭周辺に植林する活動を続けている。
 生徒たちは同校に集まった保存グループのメンバーによる指導の下、約5センチ程度に伸びたお吉桜の穂木の先をカッターで切り落としたり、台木となるオオシマザクラの苗木に差し込む作業を繰り返し行った。


福井
橋本左内の遺徳しのぶ
百五十回忌墓前祭 辞世の詩など披露

 没後150年目となる福井出身の幕末の志士・橋本左内(1834~59年)の墓前祭(橋本左内先生顕彰会主催)が7日、福井市左内町の菩提(ぼだい)寺・妙経寺で営まれた。地元住民や同会員ら約200人が参列し、遺徳をしのんだ。

 左内は現在の同市春山で福井藩医の家に生まれ、医学や蘭学などを学んだ。藩主、松平春嶽に重用されて幕政改革などに奔走したが、安政の大獄で投獄され、1859年の旧暦10月7日に処刑された。15歳で自己の生き方を記した「啓発録」などの著作でも知られる。

 墓前祭では、左内の肖像画が掲げられ、参列者が焼香。同会の善里嶺信副会長が「次の世代の橋本左内が生まれるように、意志を受け継ぎたい」と述べたほか、辞世の詩「獄中作」も吟じられた。

 百五十回忌を記念して、同寺近くの左内公園で茶会が開かれ、参列者らに茶が振る舞われた。

 同会は12日午後2時から、同市手寄のアオッサで「橋本左内先生の生涯を仰ぐ」と題した記念講演会を開く。入場無料。問い合わせは同会事務局(0776・20・5361)。


福井藩医・橋本左内しのぶ 妙経寺で150年祭
 福井ゆかりの幕末の志士橋本左内(一八三四-五九)の命日に当たる七日、菩提(ぼだい)寺の善慶寺を合祀(ごうし)する福井市左内町の妙経寺で百五十年祭が営まれた。地元住民らでつくる橋本左内先生顕彰会が主催し、関係者ら二百人が参列して遺徳をしのんだ。

 左内は福井藩医の家に生まれた。十六歳のとき大坂の緒方洪庵の蘭学塾「適塾」に入門し、西洋医学を学んだ。父の死後に藩医を継いだが、開国後の混乱期に能力を買われて藩主松平春嶽の側近として藩政にも参画した。

 春嶽の命を受け、一橋慶喜の将軍擁立に動いたが失敗。幕府の弾圧に遭い、安政の大獄に連座して刑死した。

 法要は本堂であり、会員が遺影と位牌(いはい)の前に花と茶を献じた。児玉常昌住職の読経に合わせ、会員らが焼香した。

 顕彰会を代表して善里嶺信副会長が「先生の正義を受け継ぎ、生き方や気概を学んでいきたい」とあいさつ。地元の足羽小学校の六年生は顕彰歌を歌った。墓が立つ近くの左内公園では野だても開催。参列者らはめいめいに、郷土の偉人への思いをはせていた。

 (原田晃成)


橋本左内150回忌 色あせぬ遺徳200人しのぶ
 幕末に活躍した福井藩士、橋本左内の150回忌にあたる7日、福井県福井市左内町の妙経寺で墓前祭が行われ、地域住民ら約200人が遺徳をしのんだ。150回忌を機に左内の功績を広く伝えようと、今年は記念のパネル展や野だてを同時に実施。12日には市内で150年祭記念講演会も開かれる。

 没後節目の今年は、墓前祭を毎年開いている橋本左内先生顕彰会と福井市が「150年祭」として記念行事を企画。墓前祭は例年、左内の墓と銅像がある左内公園を会場にしているが、今年は左内の菩提寺(ぼだいじ)「善慶寺」を戦後に合祀(ごうし)した公園隣の妙経寺の本堂で法要が営まれた。

 地元足羽地区と生誕地の順化地区の住民らが参列し、読経が流れる中で左内の肖像画と位牌(いはい)に向かって次々と焼香。顕彰会副会長の善里嶺信足羽公民館長が「先生の烈々たる精神は、郷土の人の心に生きている」とあいさつ。左内が残した漢詩が詩吟で披露された後、足羽小6年生が左内をたたえる歌を斉唱した。

 左内公園には茶道の裏千家淡交会福井支部と遠州会福井東支部による記念の茶席も設けられ、参列者らが左内の銅像を見上げながら秋の野だてを楽しんだ。

 記念行事としてこのほか、パネル展示「橋本左内先生を知ろう」が、13日までアオッサで開かれている。左内に関する資料や足羽小、春山小、明道中の児童生徒がまとめた左内の功績などが展示されている。

 12日にはアオッサで皇學館大の伴五十嗣郎学長が「橋本左内先生の生涯を仰ぐ」と題して記念講演。福井市立郷土歴史博物館に学芸員として勤務しながら「啓発録」の全訳注本を発刊した経験を基に、幕末の激動期に多くの志士から尊敬を集めた左内について解説する。入場無料で定員500人。問い合わせは市生涯学習課内の顕彰会事務局=0776(20)5361。



滋賀
「茶人」直弼に焦点
彦根で展示会  集大成「一会集」や愛用道具

 幕末の大老の「茶人」としての側面にスポットを当てる展示会「井伊直弼の茶の湯―一派創立と茶会記―」が、彦根市金亀町の彦根城博物館で開かれている。井伊直弼と開国150年祭の関連テーマ展「シリーズ直弼発見!」の第3弾。28日まで。

 直弼は31歳で、茶の石州流に一派をたてることを宣言、自ら「当流」と呼んで点前や作法習得の教本を多く執筆した。また、茶会の準備段階からの記録である茶会記も残している。今回はこれらの文書に、茶道具を加えた30点を紹介する。

 このうち「当流茶事稽古次第(ちゃじけいこしだい)」は、直弼が弟子に伝授するため稽古の順序などを記したもの。「炭之書」は、炭の産地や寸法、炭のつぎ方などを説いた伝書。手書きの絵を添えて理解しやすいように工夫されている。

 「茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう)」は、直弼の茶の集大成と言われる書。亭主と客が茶会でどう振る舞うべきか、具体的な作法と約束事を示している。冒頭の語句「一期一会」が、直弼の茶の心として有名。大老就任前年の1857年(安政4年)に完成したという。

 茶道具では、54年(同1年)9月の玄宮園での茶会で用いた「古銅弦月釣花生(つりはないけ)」や、56年(同3年)8月に用いた「竹二重切花生(たけにじゅうぎりはないけ)」などを紹介する。

 一般500円、小中学生250円。問い合わせは同館(0749・22・6100)。




和歌山
西村記念館を無料開放、19日まで 和歌山・新宮市
 「近代化遺産全国一斉公開」の一環として、日本で最初に男女共学を実現し、自由な学風を誇る文化学院を創設した西村伊作の作品を展示している新宮市伊佐田町の登録有形文化財「西村記念館」が、11日から19日まで無料開放される。

 西村は建築家、画家、陶芸家といったさまざまな顔を持ち、記念館は西村が家族のために設計し、大正4年に建てたもの。与謝野寛、晶子夫妻、画家の石井柏亭、同市出身の作家、佐藤春夫ら多くの文化人や芸術家らの交流の場として利用され、現在は油絵や陶器、家具など西村ゆかりの品が展示されている。

 近代化遺産とは、幕末から第二次世界大戦期までの間に建設された駅舎や橋、町工場、公共施設など近代化に貢献した産業、交通、土木にかかわる建造物。「近代化遺産の日」(20日)をはさむ10~11月を全国一斉公開期間とし、各地の重要文化財、登録有形文化財を含む近代化遺産が一斉公開されている。


福岡
福岡藩文書現代文字に
 福岡市の歴史愛好家や書道家らでつくる「楽しく古文書を読もう会」(調康雄代表、15人)が、幕末の福岡藩の参勤交代の様子を記録した文書「斉溥公御参府御道中日記(なりひろこうごさんぷおんどうちゅうにっき) 御用状共(ごようじょうとも)」(県立図書館所蔵)を現代の文字に置き換える「翻刻」を行い、同市内の各公立図書館に寄贈した。道中の前後には、皇女・和宮の降嫁や、薩摩藩が京都で倒幕急進派藩士を粛清した寺田屋事件が起きており、幕末の緊迫した政情が垣間見られる。
 会は同市内で古文書の解読講座を受講していたメンバーらが、2002年4月に設立。多くが60歳以上で、月に4回ほど公民館などに集まり、くずし字辞典や歴史書を持ち寄って1回に数ページずつ翻刻。B5判137ページにまとめた。
 道中日記などによると、島津家出身で政治感覚に優れた福岡藩主・黒田斉溥(長溥)は、幕府から国政の相談を持ちかけられ、文久2年(1862年)3月、福岡を出発。しかしほぼ同時期に、薩摩藩は幕府に政治改革を迫るため兵を率いて京都に向かっており、長溥は不穏な情勢を恐れる家老らに説得され、病気と称して兵庫県明石市で引き返す前代未聞の事態となった。寺田屋事件は帰国途中に起きた。
 道中日記は、出発から帰国までの行程や宿代などの出費、江戸と福岡の藩士と連絡を取り合う様子などが克明に記録されている。幕府への帰国の報告が3日も遅れるなど、当時の混乱ぶりを浮き彫りにしている。
 筑前維新史研究会の力武豊隆代表(大野城市)は「長溥は使命感に燃えて江戸に向かったはず。断念した苦渋の姿が日記から見えてくる」と指摘。「翻刻されていない黒田家の文書は多く、今回の翻刻は福岡の幕末史研究への大きな貢献」と評価する。
 調代表は「難解な文字が多く、何度も壁に当たったが、みんなで教え合いながら続けてきた。藩史研究の役に立てば」と話している。


幕末の緊迫生々しく、福岡藩文書を愛好家が現代文字に
 福岡市の歴史愛好家や書道家らでつくる「楽しく古文書を読もう会」(調康雄代表、15人)が、幕末の福岡藩の参勤交代の様子を記録した文書「斉溥公御参府御道中日記 御用状共」(県立図書館所蔵)を現代の文字に置き換える「翻刻」を行い、同市内の各公立図書館に寄贈した。道中の前後には、皇女・和宮の降嫁や、薩摩藩が京都で倒幕急進派藩士を粛清した寺田屋事件が起きており、幕末の緊迫した政情が垣間見られる。

 会は同市内で古文書の解読講座を受講していたメンバーらが、2002年4月に設立。多くが60歳以上で、月に4回ほど公民館などに集まり、くずし字辞典や歴史書を持ち寄って1回に数ページずつ翻刻。B5判137ページにまとめた。

 道中日記などによると、島津家出身で政治感覚に優れた福岡藩主・黒田斉溥(長溥)は、幕府から国政の相談を持ちかけられ、文久2年(1862年)3月、福岡を出発。しかしほぼ同時期に、薩摩藩は幕府に政治改革を迫るため兵を率いて京都に向かっており、長溥は不穏な情勢を恐れる家老らに説得され、病気と称して兵庫県明石市で引き返す前代未聞の事態となった。寺田屋事件は帰国途中に起きた。 道中日記は、出発から帰国までの行程や宿代などの出費、江戸と福岡の藩士と連絡を取り合う様子などが克明に記録されている。幕府への帰国の報告が3日も遅れるなど、当時の混乱ぶりを浮き彫りにしている。

 筑前維新史研究会の力武豊隆代表(大野城市)は「長溥は使命感に燃えて江戸に向かったはず。断念した苦渋の姿が日記から見えてくる」と指摘。「翻刻されていない黒田家の文書は多く、今回の翻刻は福岡の幕末史研究への大きな貢献」と評価する。

 調代表は「難解な文字が多く、何度も壁に当たったが、みんなで教え合いながら続けてきた。藩史研究の役に立てば」と話している。


幕末歌人の直筆短冊発見
元北九州市長遺品から3点

 元北九州市長で、昨年6月に90歳で亡くなった谷伍平さんの自宅から、幕末の歌人直筆の短冊3点が見つかり、妻の喜美子さん(85)から市立文学館に寄贈された。文学館によると、幕末の作品が寄贈されるのは初めてで、とくに西田直養(なおかい)(1793~1865年)の短冊は郷土の幕末時代の文学史を研究する貴重な資料になるという。

 鳥取藩出身で京都で和歌を学んだ香川景樹(かげき)(1768~1843年)の「夕たちの雲の浪(なみ)まに越すにけれ おほふあらしの末のまつやま」、長州藩出身の錦小路(にしきのこうじ)頼徳(よりのり)(1835~64年)の「朝な朝なむかふ静の空はかり せめて霞の契(ちぎ)りそすもかな」、小倉藩の国学者西田直養の「いとはやも霞にけりな朝もよし 馳路の八重山おほろおほろに」。いずれも幕末に詠まれ、縦約35センチ、横約6センチの和紙に書かれていた。

 今年1月、遺品整理をしていた喜美子さんが書斎で見つけた。谷さんの知人が、色紙をもらったお礼として谷さんに贈ったものだという。喜美子さんは「貴重な短冊が見つかり、何かの役に立てばという思いで寄贈しました」と話していた。

 文学館は収蔵品の展示会や企画展などでの展示を予定している。


岩戸神楽の古面一堂に 那珂川町指定文化財 10点を展示
岩戸神楽の古面一堂に 那珂川町指定文化財 10点を展示
 県の無形民俗文化財に指定されている那珂川町の「岩戸神楽」に使用される古面が一堂に集められた「岩戸神楽古面展」が、那珂川町仲のミリカローデン那珂川で開かれている。県内各地で文化財を一斉に公開する「ふくおか歴史彩発見」の参加事業。11月16日まで。入場無料。

 岩戸神楽は毎年7月14日、同町山田の伏見神社で奉納される。約300年前に始められ、明治維新で一時廃止されたが当時の村民が1880(明治13)年に神楽座「珍楽社」を結成し、現在まで受け継がれている。

 同展では、神楽に登場する素戔嗚男命(すさのおのみこと)や手力男命(たじからおのみこと)、黒鬼などの面10点が公開されている。いずれも江戸時代中期から後期の作とされ、1983年ごろまで、実際に神楽で使われていた。

 町の有形文化財で普段は同町の文化財収蔵庫に収められて見ることはできない。同館関係者は「この機会を逃さず大勢の方に見てほしい」と呼び掛けている。開館時間は午前9時‐午後7時。月曜休館(祝日は開館し、翌日休館)。
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