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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 昨日買った志の輔午前様らいぶ『三軒長屋』を見ながら。

山形
清河八郎 再評価の動き
「町人無礼切り」覆す新資料

 旧清川村(現庄内町)出身で、尊皇攘夷運動などに携わった幕末の志士・清河八郎(1830~63年)が今年生誕180年を迎えたのを記念して、東京都内で来月5日、シンポジウムが開催される。地元からはバスツアーが企画され、山形大の山本陽史教授が、清河の再評価をテーマに基調講演を行う。清河の活動歴に暗い影を落としていた「酔って町人を切り、幕府に追われた」との通説を覆す新資料も見つかるなど、区切りの年に故郷の偉人を見直す動きが広がっている。

 清河は若くして江戸に学び、文武両道を修めた才人で、新撰組の前身で尊皇攘夷を目指す「浪士組」を結成するなど尊皇攘夷、倒幕運動の先駆けとして活躍した。

 新資料は、東京都千代田区の区立四番町歴史民俗資料館が数年前に収集した北町奉行所の同心・山本啓助の手帳。全6冊ある手帳のうちの一つに、逃亡する清河を追って新潟や山形などに出張した様子が記されている。

 山本の手帳では、清河が町人を切ったとされる1861年5月20日の前日に、南北の町奉行所で清河ら8人を捕まえる命令が出され、打ち合わせをする記述があったという。今年3月、同資料館で手帳を活字化した際に発覚した。

 日本近世史の研究をしている早稲田大非常勤講師の西脇康さん(54)は、「無礼を働いたとされる町人は清河を捕まえる手先だと考えられる。危機を察した清河は逃げたが、捕まえ損なった奉行所が失敗を隠そうと、清河が酔って一般の町民を切ったという話にすり替えたのでは」と推測する。

 庄内町にある清河八郎記念館の斎藤清館長(80)も、「造り酒屋に生まれた清河が町人を切るほど酔うはずがないと思っていた。『町人無礼切り』の汚名が晴れてうれしい」と話している。

 来月5日に大正記念館(東京都江東区)で行われるシンポジウムでは、山本教授が「清河八郎『回天の門』を再評価する」と題して基調講演を行うほか、山本教授や斎藤館長らによるパネルディスカッションも予定。6日には清河塾跡や北辰一刀流を学んだ千葉周作道場跡など、ゆかりの地を巡る見学会も行われる。

 シンポジウムと見学会には庄内町からのバスツアーも企画されている。参加費は宿泊料なども含めて1人3万3000円。問い合わせや申し込みは日本海トラベル(0234・43・4312)へ。

(2010年11月14日 読売新聞)


東京
幕末動乱、幕開けの地桜田門 「桜田門外」の官庁街
 幕府の大老、井伊直弼を水戸、薩摩浪士が暗殺した1860年の大事件を描く新作映画「桜田門外ノ変」。幕末動乱の幕開けを見届けた旧江戸城の桜田門(東京都千代田区)は、外国人観光客ら多くの人々でにぎわう。

 映画の大老襲撃シーンは血みどろの激闘だ。大沢たかおさん演じる現場指揮官の関鉄之介がいたのは、今の桜田門交差点辺り。井伊家の彦根藩邸は約400メートル西の国会前庭にあったという。雪の中、かごで登城中だった直弼を“怪優”伊武雅刀さんが熱演。断末魔にあえぐ顔に無念がにじむ。

 現在の“門外”には、「桜田門」の異名を持つ警視庁本部がそびえ、霞が関の中央官庁街が広がる。片側4車線の桜田通りは歩道も広々。農林水産省の前はカツラ、財務省はヒマラヤスギと多彩な街路樹も楽しめる。

 襲撃の前夜、浪士18人が気勢を上げた品川の妓楼は跡形もないが、当日朝に集合した愛宕神社(東京都港区)は健在だ。86段の「男坂」を上った境内には「桜田烈士」の碑。呼応して挙兵するはずの薩摩藩が沈黙し、鉄之介が「桜田烈士か…」と劇中で自嘲(じちょう)する。

 神社のある愛宕山の山頂は、東京23区内の自然地形の山では最も高い標高26メートル。勝海舟が西郷隆盛を誘って市中を見渡し、江戸城の無血開城をかけ合ったとの逸話が残る。

 20分も歩けば桜田門。映画の終盤、官軍を率いて入城する西郷がつぶやく。「ここからでごわす。あっという間でござった」。決死の“義挙”から8年。歴史を変えた浪士たちの熱情を思った。

 【ちなミニ】

 愛宕神社境内の「和食T」は、東京産の食材にこだわる人気店。定番ランチ「愛宕丼」は、低脂肪のブランド鶏肉「東京しゃも」を使った親子丼に野菜汁などが付いて1500円。


品川・立会川の龍馬像が20歳に若返り-除幕式に島崎和歌子さんも
 京急立会川駅前の品川区立北浜川児童遊園(品川区東大井2)で11月13日、「20歳の龍馬銅像除幕式」が行われた。

 これまで設置されていた龍馬像は、高知市より寄贈されたプラスチック製。NHK大河ドラマ「龍馬伝」の影響で龍馬ブームとなり、立会川に訪れる観光客が増えたことから、地元有志がブロンズ像の制作を企画した。中心メンバーは東京京浜ロータリークラブ。

 坂本龍馬が19歳の時、立会川の土佐藩が築いた浜川砲台で警備に加わったという説が残っていることから、新しい銅像は「20歳の龍馬像」。

 除幕式には、若き日の龍馬を一目見ようと多くの人が詰め掛け、児童遊園前の商店街は見物客であふれ返った。濱野健品川区長、高地市商工観光部の古味勉部長、幕末史研究家の小美濃清明さんほか、ゲストには「龍馬伝」で坂本龍馬の兄嫁役を演じた島崎和歌子さんが登場した。

 「多くの方にご協力いただき、この日を迎えられて感無量。品川の新しい名所となれば」とスピーチしたのは、東京京浜ロータリークラブの井上忠道会長。岡崎誠也高地市長の代読を務めた古味さんは「『龍馬伝』を契機に、龍馬にゆかりのある街同士が相互に協力していきたい。ぜひ高知の皆様にもお越しいただければ」とアピール。島崎さんが「私も坂本龍馬のような人を探したい。今日も探しに来たが、なかなか見当たらない」と、見物客の笑いを誘う場面も。

 品川区在住で主婦の山本さんは「除幕式があると聞いて見に来たが、こんなに大勢の人がいるとは思わなかった。新しい龍馬像はりりしくてかっこよくなった」とほほ笑む。

 龍馬像を富山の工場から運んだ運送事業を展開するハーツ(南大井5)の山口裕詮さんは、「銅像は520キロで、運搬距離は約440キロメートル。クレーン付きのトラックで往復12時間かけて運び、銅像を台座に差し込むのが大変だった。これを機に、地元・立会川がますます盛り上がれば」と期待を寄せる。

 新しいブロンズ像設置によってプラスチック製の龍馬像は、土佐藩の下屋敷跡にある区立浜川中学校に移動した。



福井
福井藩と竜馬のかかわり浮き彫り  県文書館で幕末を紹介の企画展
 幕末52件維新期の福井藩士が書いた書簡や手紙などに焦点を当てた福井県文書館の企画展「知られざる幕末維新 福井藩士の記録」が12月23日まで、福井市の同館で開かれている。未刊行の書簡集や史料を中心に展示してあり、松平春嶽と坂本竜馬のかかわりや、重要な役割を担いつつあった福井藩の実情などが浮かび上がる構成となっている。

 原本24点、パネル5点、複製本53冊を展示。目付・青山小三郎の京都滞在時の記録「上京中日記」や、情報収集に当たっていた探索方・山本龍二郎(後の関義臣)の書簡「風雪書」などが展示されている。

 県内初公開となる「上京中日記」は、1863(文久3)年6~8月の記録。竜馬が勝海舟の代理として京都の福井藩邸を訪れ春嶽の上京を促したのに対し、春嶽が藩を挙げて上京し武力で開国か鎖国か解決する考えであることを伝えたところ、竜馬が大変喜んだ―など、興味深い内容が記されている。

 また、4千冊以上ある「大日本維新史料稿本」の中から、中老・中根雪江の「枢密備忘」を抜粋し紹介。春嶽の側近だった中根の記録から、春嶽の日々の政治的行動がうかがい知れる内容となっている。同館の吉田健・古文書調査専門員は「文久2年12月に竜馬のほか、高杉晋作や武市半平太、桂小五郎らが春嶽公に会いに来たが、実際に話をできたのは竜馬のみと記述されている。竜馬の考え方はこのとき既に高杉ら尊皇攘夷派と違い、春嶽と近かったと考えられる」と推測。また、最初は竜馬の名前を間違えて記述してあることなどから「春嶽と竜馬が初めて会ったのはこの時だろう」とも指摘する。

 11月25日からは展示を入れ替え、ペリー来航時の緊迫した状況を伝える「遺愛帖(ちょう)」、春嶽側近による「御用日記」などの原本を紹介する。


京都
龍馬と新選組の熱き思い、京の街ではじける
 幕末京都さながらに、坂本龍馬と新選組それぞれの熱い思いを引き継いだ二つのイベントが13日、京都市内で行われた。「龍馬よさこい10」では学生たちが「坂本龍馬に届け」と力強く踊り、「全国新選組サミット」(14日)の参加者たちはサミットを前に隊士の装いで京のまちを練り歩いた。
 「龍馬よさこい10」は学生の実行委と霊山社中が開き、今年で3回目。昨年の倍の43チーム約1700人の学生が全国から集まり、高知の「よさこい踊り」や京都の「京炎そでふれ」などの創作踊りを市内3会場で披露した。
 京都三条会商店街(中京区)では学生たちが「せい」「やー」と声を張り上げて踊りながら商店街を行進、熱気に包まれた。
 「全国新選組サミット」は京都市では2回目の開催で、14日に壬生寺(同区)で開かれる。13日は、土方歳三が生まれた東京都日野市など新選組ゆかりの地の関係者ら16団体53人が集まり、壬生寺から三条通の池田屋跡まで歩いた。
 羽織や鉢金を身に着けた一行が道中で「えい、えい、おー」と勝ちどきをあげると、道行く人は写真を撮って笑顔を見せていた。

兵庫
和田岬砲台 勝海舟が指導、龍馬も見たぜよ 金具など部品公開
【兵庫】幕末に外国船を攻撃する目的で作られた和田岬砲台(神戸市兵庫区)を解体修理で取り外した金具などが来月18日、同区の兵庫公会堂で公開される。神戸市教委は「砲台が完成した1864年は、神戸海軍操練所が設置された年。建設中の砲台を坂本龍馬も間違いなく見ていた」と話している。

 発表した市教委によると、三菱重工業神戸造船所内にある同砲台は直径約15メートル、高さ約12メートルの円形で、勝海舟の指導で完成。幕末期の建物には珍しく木造建築に鉄製のボルトやくぎなどが使われるなど西洋技術を模倣しており、修理後は元に戻されるために部品が間近で見られるのは今回が唯一の機会という。内部は木造、外部は花崗岩製の2階建てで、11カ所から大砲を放つことが可能だが、実際に大砲が配置されたかは不明。現在は国の史跡に指定されている。

 同砲台は木造部が腐敗したため07年度から文化庁と県、同市の補助で同社が初の本格的な解体修理工事を開始し、13年3月に終了する予定。公開は午後1時~2時半で、砲台を設置する台場に詳しい東京都品川区立品川歴史館の学芸員による講演会などもある。

 定員200人。参加には応募が必要で、往復はがきに「砲台講演会希望」と記し、参加者全員(最大3人)の住所▽氏名▽電話番号と、返信用はがきに返信先の住所と氏名を記入し、〒652-8570 兵庫区まちづくり課「砲台講演会」係まで(住所は不要)。今月19日必着。【吉川雄策】


米国
北米初の邦人入植地保存へ 会津出身「若松コロニー」
【ロサンゼルス共同】米カリフォルニア州の自然保護団体アメリカン・リバー・コンサーバンシー(ARC)は12日までに、1869年に福島県からの移民団が移住した北米最初の日本人入植地「若松コロニー」(同州ゴールドヒル)の跡地を、保存のため買い取ったことを明らかにした。

 ARCは、入植者は米国の農業や技術などの進歩に貢献したと指摘。「若松コロニーの物語は(北米大陸初の英国人の永続的な入植地)ジェームズタウンや(英国のピルグリム・ファーザーズを乗せた)メイフラワー号(をめぐる歴史)と同じぐらい感動的だ」と強調した。跡地は、将来的に公園や博物館にする計画という。

 入植者は戊辰戦争204件(68~69年)で敗れた会津藩の出身者らで、コロニーでは養蚕業や農業が行われたが、数年で崩壊。71年に19歳で亡くなった女性の墓や家畜小屋などが残っている。

 資金集めには地元日系人団体なども協力したという。



史実
「大警視」川路利良、鳥羽・伏見の戦いをつづる
 旧薩摩藩士で近代警察の父、「大警視」川路利良
かわじとしよし
が、鳥羽・伏見の戦い(1868年)に従軍した未発表の陣中書簡が、東京都内の川路家に残されていることが分かった。

 砲弾飛び交う戦場の生々しい様子や、次々に倒れる戦友への思いなどが活写されている。

 書簡は約2・8メートルの長さ(縦約16センチ)があり、開戦から2日がたった1月5日の戦闘から記述されている。川路は当時、35歳で足軽部隊の「兵具方
ひょうぐがた
一番隊長」を務めていた。

 最大の激戦となった石清水八幡宮(京都府八幡市)の戦いでは、大砲の弾が飛ぶ中、長州軍などと共に「馬追いのごとく」突撃し、幕府軍を敗走させた。

 書簡では、「世の中に戦ほど面白いものはない。戦も上手になったので討ち死にすることはないから心配しないでほしい」と自信を見せ、「江戸城へ乗りこみ徳川慶喜
よしのぶ
の首をとる」と意気込む様子も記されている。

 大坂城の慶喜が江戸へ船で逃げたあとに、郷里の薩摩へ書き送ったらしい。

 磯田道史・茨城大准教授(幕末史)は「薩摩人は基本的に寡黙だが、この書簡では親類の死を『愁嘆
しゅうたん
限りなき候』と後から書き加えるなど、感情を交え生き生きとした描写があり、とても貴重」と話している。


川路利良(川路利永さん提供)
 ◆川路利良=1834~79年。戊辰戦争で活躍し、維新後、新政府に東京の治安維持担当に登用される。明治5年(1872年)に近代警察制度を学ぶためにヨーロッパへ渡り、帰国後の74年に東京警視庁が創設されると大警視(警視総監)となった。西南戦争では、官軍として西郷隆盛率いる薩摩軍と戦った。

(2010年11月13日12時54分 読売新聞)







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