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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
今回、長野で新史料発見。「新政府軍が流山で近藤を捕らえ、『越谷』経由で『板橋本陣』に送り『彦根藩に引き渡した』」という内容。近藤勇が板橋本陣で処刑された時は彦根藩預かりだったのでしょうか??

長野
近藤勇:千葉で捕らえ彦根藩へ 佐久・池田家で文書発見 広大・久保田教授ら 旧岩村田藩士らの動き記録 /長野
 幕末期に反幕府勢力の取り締まりに活躍した新選組局長・近藤勇が千葉県流山市内で捕らえられた状況などを記した明治期の文書が佐久市塚原の池田信二さん(76)方で発見された。旧岩村田藩(現佐久市)の藩士を含めた新政府軍が流山で近藤を捕らえ、「越谷」経由で「板橋本陣」に送り「彦根藩に引き渡した」とする内容で、専門家も「貴重な資料」とお墨付きを与えている。

 池田さんは、岩村田藩に仕えた池田家の子孫。10代目当主の父信一郎さん(故人)が、新政府軍と旧幕府勢力が戦った戊辰(ぼしん)戦争での岩村田藩の動きを手書きしたノートを残しており、藩兵らが中山道を往来して「蕨」や「春日部」で活動したとの記載があったことから、池田さんと高校時代の同級生で埼玉県川口市芝の郷土史家、伊澤隆男さん(74)が興味を持ち、池田さん方で原本を探していた。

 今回の原本探しには江戸期の文学を専門とする広島大の久保田啓一教授(55)も協力。江戸初期から明治にかけた数多くの文書類を整理し、原本を見つけた。

 見つかった原本は明治政府が1872(明治5)年に全国に発した国史の編纂(へんさん)令により、池田家8代目当主の清兵衛善教(よしのり)が6年の歳月をかけて調査し、県に報告した記録だった。

 今回、原本で裏付けられた内容によると、岩村田藩の73人が1868(慶応4)年3月6日、岩倉具視総督の要請で関東に出兵。同11日に桶川、翌12日に蕨を経て、新政府軍の本陣があった板橋に至り、4月14日まで本陣の宿舎の警護にあたった。

 この間の4月1日、岩村田藩士らは宇都宮への出陣命令を受け、夕方に千住に到着。夜半に幕府方の彰義隊の残党を捕らえた。2日に春日部に移り、3日に「流山村に賊がいる」との報で流山の酒造家に向かうと、大勢の幕臣とみられる士を発見した。

 この一団の中に近藤がいた。古文書には「(岩村田藩士らが)首領と対面し、銃八十七丁を引き渡させた。大久保大和(近藤の偽名)を捕らえ、越谷に護送の上、翌4日板橋本陣に送り、彦根藩に引き渡した」との内容が記されていた。

 岩村田藩は1703(元禄16)年、徳川譜代大名の内藤家が国替えで移って創設され、わずか1万5000石の小藩だった。

 2002年から池田家の古文書の整理を進めてきた久保田教授はこれまでに約1500件の文献目録を作成している。文書は日記や手紙、民俗・軍事に関する記録など多岐にわたる。公家や書家による漢詩など貴重な資料も含まれていた。

 久保田教授は「18世紀以降の生活や文化、土地の支配状況などが分かる貴重な資料ばかり。池田家文書がなければ、佐久市の歴史は語れない」と評価している。文書を保管してきた池田さんは「今後の研究のために役立ててほしい」と今回の発見を喜んだ。【鴇沢哲雄】

北海道
「箱館戦争」を観光ルートに 乙部の協力隊員が考案
【乙部】町の地域おこし協力隊員今昭人さん(54)が、乙部、木古内、森町の3町を中心に、箱館戦争ゆかりの地を巡る広域観光ルートづくりに取り組んでいる。来春の北海道新幹線開業に向け渡島、檜山の連携を強め、道南全体の観光を盛り上げる狙い。今さんは「本州からの交流人口拡大につなげたい」と意気込んでいる。

 今さんは5月から、乙部町内の「官軍上陸の地」の観光ガイドを担当。約半年で300人以上を案内し、箱館戦争に関心を持つ観光客が多いことを実感したという。

 箱館戦争の舞台は、函館市内の国特別史跡「五稜郭跡」や新選組副長土方歳三の戦死地以外にも、旧幕府軍と新政府軍の足跡が道南各地に残る。今さんは、ゆかりの地を結ぶルートは観光素材になると確信し、10月から木古内、森町などの観光関係者に協力を呼び掛けた。

 現在考案中のルートは「木古内口の戦い」のあった木古内発着で、乙部の「官軍上陸の地」、森町の「榎本軍鷲ノ木上陸跡地」などを巡る内容。それぞれ現地で、ガイドによる説明が受けられるようにする。10月下旬には鹿部町職員らを「官軍上陸の地」に案内し、ガイド方法や観光ルートの趣旨を説明した。

 今後は広域的なパンフレットを制作してルートをPR。将来的には函館や江差、松前、鹿部などのスポットも組み込み、内容を拡充していく考えだ。今さんは「修学旅行コースとしても売り込んでいきたい」と話している。(後藤真)

京都
龍馬ファン 酢屋で献杯
 幕末の志士・坂本龍馬の命日に当たる15日、京都滞在中に身を寄せていたことで知られる「酢屋」(中京区)で、偉業をしのぶ「龍馬祭」があり、ファンら約200人が参加した。

 酢屋は1721年創業。材木商と運送業を営んでいたが、6代目・中川嘉兵衛が土佐藩邸に出入りしていたのが縁で龍馬を迎えたとされる。この日は10代目の中川敦子さんが「今年は龍馬生誕180年の節目。今も学ぶことは多く、この場で思い起こしてほしい」とあいさつ。参加者は献杯した後、店の前に設けられた祭壇で手を合わせた。

 酢屋では30日まで、龍馬の手紙(重要文化財)の写本や弁当箱などを陳列する追悼展を開催。遺品を見て回った愛知県西尾市の会社員榊原崇さん(37)は「若くして活躍した龍馬のすごさが実感できた」と話していた。

奈良
幕末ウオーク:梅田雲浜ゆかりの地散策 15日、夢咲塾 大和高田 /奈良
 大和高田市のまちづくり団体「夢咲(ゆめさき)塾」(水本一次代表)は15日、幕末に活躍した尊皇攘夷派の志士で、今年生誕200年を迎える梅田雲浜(うんぴん)(1815〜59)の足跡をたどる「幕末ウオーク」を開く。参加無料。

 雲浜は現在の福井県小浜市生まれ。大和高田市の豪商・村島内蔵進の娘千代子を後妻に迎え、村島宅などに仮住まいして高田と長州藩との物産交易を仲介。大老・井伊直弼による「安政の大獄」で獄死した。

 幕末ウオークは、大和高田と縁がある雲浜を広く知ってもらおうと企画。午前9時に大和高田さざんかホール(同市本郷町)に集合。市内にある雲浜の顕彰碑などゆかりの地を散策する。問い合わせは水本代表(080・5301・8286)。【山本和良】

岡山
元・気・人:幕末の新たな漂流記を見つけた倉敷市職員、山本太郎さん /岡山
◇史料発掘し地域の歴史に光を 山本太郎さん(54)

 鎖国中の19世紀半ば、乗っていた船が漂流し、米国の商船に助けられた後、サンフランシスコや上海などを巡って帰国した備中地域出身の船乗り「徳兵衛」の物語。帰郷後に徳兵衛が町民に語った体験が記された「漂流記」があった。倉敷市歴史資料整備室の責任者として、津山市史の編さんに協力して津山郷土博物館(津山市)で調査していた今春、所蔵品の中にA5判約40ページに及ぶ史料を発見。「本当にこんな偶然があるんだ」と、史料を手に取った時の驚きを振り返る。

 数奇な運命をたどった徳兵衛だが、漂流当時は徳兵衛含め17人おり、これまで他の漂流仲間への聞き書きなどを基に多くの書籍で描かれてきた。見つけた史料はその後、これまで知られていないものだったと判明。「幸運な偶然が、県内で徳兵衛の調査が進む契機になれば」と期待する。

 倉敷市出身で、東京大で日本史を学んだ。近世史が専門だったが、大学の講義にはあまり興味が湧かなかったという。レスリング部の活動に力を入れ、主将も務めた。「学生時代のトータルの成績は勝ち越しでした」と胸を張る。

 予備校時代の日本史の講師が岡山県史編集に携わっていたことから、学生時代の夏休みに誘われ、史料調査で県内を歩き回った。「生の資料に接し、史実を発見するおもしろさを実感した」という。

 市に就職後、「新修倉敷市史」の編集に携わり、2005年に完結させた。その後も歴史資料の調査・保管や展示、研究誌「倉敷の歴史」発行などを続ける。「近世の倉敷は地主制が発達し、旧家に史料が大量に保管され、読むたびに新しい発見がある。さらに史料を掘り起こし、地域の歴史に光を当てたい」と話す。【小林一彦】

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 「新修倉敷市史」は、旧3市合併(1967年)による新市発足20周年記念事業の一環として89年に編集作業が始まった。94〜2005年に計13巻が発刊された。編集には約50人の専門家が携わり、県内市町村史として突出した充実度を誇る。

高知
坂本龍馬:「長刀兵法目録」公開へ 北辰一刀流から授与
 幕末の志士・坂本龍馬(1835〜67年)が剣術の流派「北辰(ほくしん)一刀流」から授与されたなぎなたの免状「長刀兵法目録」が今月13日から、高知県香南市のテーマパーク「アクトランド」で一般公開される。個人所有だったが、入手した同ランドが幕末維新史に詳しい京都国立博物館の宮川禎一・列品管理室長に初めて本格的な調査を依頼した。宮川室長は「まだ無名だった龍馬の江戸での修行時代を伝える一級の史料だ」としている。

 長刀兵法目録は長さ270センチの巻物仕立てで、書かれた時期は安政五(1858)年と記されている。「駒返」「金剛剣」など、長刀の技と思われる21項目のほか、流派開祖の千葉周作や師匠で周作の弟、千葉定吉らの名が記されている。また、龍馬の婚約者と伝えられる定吉の娘の佐那(さな)の名もあった。剣術に関する皆伝は坂本家の子孫が火災に遭って焼失したとされる中で、貴重な現存史料となる。

 宮川室長は「定吉自らの筆で、先祖の系譜も丁寧に書かれている。龍馬の実力が認められたからこそ与えられたのだろう」と分析。定吉の子孫の稲岡麻衣さん(33)=東京都東村山市=は「祖先が龍馬さんに渡した目録がきれいな状態で残っていたとは大変光栄だ」と話している。【岡崎英遠】

日本酒「極印龍馬」発売 幕末の英雄・今年生誕180周年
 坂本龍馬生誕180周年となる今年、「龍馬」の名前を冠した日本酒「極印龍馬」が発売され、坂本家9代目当主の坂本登さんらが出席して銀座の高級サロン「一徳」で発表会が行われた。

 本商品は、ラベルの「龍馬」という字は登さん本人が手がけ、日本酒は京都で340年の歴史を持つ酒蔵「増田徳兵衛商店」が製造。やわらかい口当たりで、口の中で米の豊かな香りが広がる日本酒に仕上がった。

 増田徳兵衛商店14代目当主の増田徳兵衛さんは「万国共通で、食事や会話が楽しめるお酒をイメージしました」と商品をPR。登さんも「このお酒で日本の心を世界に発信できれば」と語った。本商品は「化粧箱入り」(3700円税別)ほか、計5種類で展開する。販売は公式サイト(http://www.ryoma-sake.com/gokuin/)などで展開する。

幕末〜明治期の古写真が無料ダウンロード!幕末の写真家 日下部金兵衛による美しい日本の姿
江戸時代後期〜明治期の日本の写真文化を語る上で外せない人物がいます。古写真ファンにとっては知られた存在なのが、日下部金兵衛。

日下部金兵衛は江戸時代末期から昭和初期にかけて活躍した写真家。横浜のフェリーチェ・ベアトの写真スタジオで着色技師として1863年まで働いた後、1881年には自身の写真スタジオを開きました。
ベアトの弟子、日下部金兵衛が撮影した着色写真はニューヨーク公共図書館のNew York Public Library Deigital Collectionに作品がストックされています。モノクロ写真に手作業で着色した写真は、独特の雰囲気で素敵。1880年ごろから1890年頃までの日本の風景を切り取った貴重な写真が102枚。現在も人気の観光スポットや、美しい日本の風景、当時の人々の様子を伝え、私たちの心を奪います。
当時、外国人の土産用に売られることも多かった着色写真は彩色写真、横浜写真とも呼ばれ、金兵衛の制作したアルバムは、表紙に蒔絵や螺鈿細工を施し、かなりの評判となり外国人に人気となりました。実は日本ではあまり知名度が高くなかった日下部金兵衛。多数の作品が海を渡っていたため、海外では「Kimbei」として広く知られていたそうです。

現在公開されているコレクションの中から幾つかの作品をピックアップしてご紹介します。ページ最後にはダウンロード方法もご紹介していますので是非チェックしてみてください。

New York Public Library Deigital Collectionで公開されている写真は無料でダウンロード可能です。こちらのページにアクセスし、写真のサムネイルをクリックして詳細ページの画像の下にある下向き矢印の箱の形のアイコンをクリック。DOWNLOAD OPTIONSから希望のサイズをクリックすると自動的にダウンロードがスタートします。

サイトにはご紹介した他にも魅力的な写真が多数。今も変わらない姿を残すもの、現在は失われてしまった風景、当時に思いを馳せつつご堪能ください。

Japan. – NYPL Digital Collections

日本の文化と「今」をつなぐ – Japaaan

幕末の偉人たちがジャンプ作家になった「幕末のジャンプ」が圧倒的な完成度
日本一の少年マンガ誌「週刊少年ジャンプ」。これがもし幕末にあったら? Twitterユーザーのスエヒロさんが考案した「幕末のジャンプ」がハイクオリティです。

【平安時代のジャンプほか】

 坂本龍馬から吉田松陰、ペリー、沖田総司に至るまで、江戸時代末期の偉人たちがジャンプ作家になったケースを想像。巻末コメントの1ページのみですが、それぞれの個性が生かされていて興味深いです。タイトル一覧は以下のとおり。

・坂本龍馬:「バクマツ。」

・吉田松陰:「獄中先生しょ〜いん」

・近藤勇:「幕末リーダー伝いさみ!」

・桂小五郎:「逃げる!お兄さん」

・ペリー:「くろふねっ」

・徳川慶喜:「バクフの王子様」

・西郷隆盛:「サイゴゴゴーゴ・ゴーゴゴ」

・土方歳三:「トシの奇妙な冒険」

・篤姫:「大奥ゾーン」

・勝海舟:「無血開城る」

・大久保利通:「トシミチの碁」

・岡田以蔵:「ピャーと斬る!イゾウ」

・沖田総司:「DEATH SWORD」(作者急病のため休載)

 どれも傑作の予感がヒシヒシとします。特に「トシの奇妙な冒険(土方歳三)」は絶対名作だろ! あらためて提示されると、土方歳三が荒木飛呂彦先生本人に見えてきます。この視点はなかった。

 なお、こうしたジャンプ×歴史ネタはスエヒロさんの18番。過去にも「平安時代のジャンプ」「徳川将軍だらけのジャンプ」などステキな妄想を披露しています。

『明治大正史 上・下』 中村隆英著
人物並べ克明に語る

 上下2巻、約800ページに及ぶ近代日本黎明れいめい史の大著だ。とはいえ講義録だけに言葉は平明、教室でそれを聴くようにすらすらと頭に入る。教壇に立つのは、統計学および数量経済史の大家として東京大学で長く教鞭きょうべんをとり、エコノミストとしても活躍した中村隆英氏。

 歴史の分野では大佛次郎賞をとった名著『昭和史』(東洋経済新報社、1993年)を残して一昨年に鬼籍に入られたが、実はそれにつながる『明治大正史』の口述筆記が存在していたことがわかった。本書はその公刊である。

 各巻末に置かれた主要登場人物の索引。西郷隆盛、渋沢栄一、福沢諭吉、島崎藤村、九代目市川団十郎……。幕末から大正にいたる政治家・思想家から実業家、芸術家や芸人まで、幅の広さに驚くとともに、これこそが本書の最大の特長を物語っていることに気づかされる。

 歴史叙述の話法として、従来二つの主流があった。一つは学者が書く歴史。マルクス主義などの歴史理論に当てはめて、たとえば日本の近代化は経済の後進性ゆえに歪ゆがんだなどと説く、分析的な叙述である。もう一つは物語としての歴史で、劇や小説の姿をとる。こちらは玉石混じるだろうが、日本の近代史に関していえば、司馬遼太郎『坂の上の雲』というマスターピースを私たちは持っている。

 あるいは前者に反発し、ときに後者に寄り添いつつ、だがどちらにも属さない第3の流れとして、驚くほど深く幅広い著者の知の泉からこんこんと湧き出したのがこの本の叙述だ。幕末から明治へ、日清・日露の戦争を経て大正へ。政治・経済・文化が相互不可分にからみあった歴史の流れを、さまざまな登場人物の生きかたを並べることによって克明に描き出す。良い意味での学者的な知に根ざしつつも、温かな共感をもって大正までの日本の歩みをつづった、もう一つの『坂の上の雲』といえる。過去から今を見据える1冊となるだろう。

 ◇なかむら・たかふさ=1925~2013年。著書に『日本経済―その成長と構造』など。

 東京大学出版会 各3000円
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