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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 昨日引っ越しまして、まだ段ボール山積みです^_^;。

北海道
オホーツクの神威岬、名勝に アイヌ文化由来「ピリカノカ」
 文化審議会(西原鈴子会長)は20日、7月に名勝指定されたアイヌ文化由来の景勝地の総称「ピリカノカ」に、宗谷管内枝幸町と浜頓別町との町境にある神威岬(カムイエトゥ)を追加するよう川端達夫文部科学相に答申した。本年度中に正式決定する見通し。
 ピリカノカはアイヌ語で「美しい・形」を意味し、7月に名寄市の九度山(クトゥンヌプリ)と石狩市の黄金山(ピンネタイオルシペ)が指定された。
 3カ所目となる両町の神威岬は「神の岬・突端」を意味する神聖な場所。幕末の探検家、松浦武四郎の「西蝦夷(えぞ)日誌」に同行したアイヌ民族が神威岬で神事を行ったと記されている。山から海にかけて急激に落ち込む地形が特徴だ。


岩手
「奥州街道」国史跡に 一戸・岩手町
 文化審議会(西原鈴子会長)は20日、江戸末期の街道と一里塚が現存する「奥州街道」(一戸町・岩手町、7区間、延長8・86キロ)を国史跡に新規指定するよう川端達夫文部科学相に答申した。江戸時代に整備された五街道の一つ、奥州街道で道路そのものが史跡指定されるのは初めて。4カ所の一里塚とともに良好に保存され、近世の交通事情を知る上で高い価値を持つと評価された。
 県内ではほかに、国史跡、柳之御所・平泉遺跡群(平泉町、奥州市)に接待館(せったいだて)遺跡(奥州市、3万9545平方メートル)を加えるなど追加指定4件を答申した。
 奥州街道は、江戸から陸奥外ケ浜(むつそとがはま)(青森県外ケ浜町)を結ぶ街道。盛岡以北は幕末以降に整備され、蝦夷(えぞ)地の調査や防備のために北に向かう役人の往来などの記録が残っている。



宮城
特別展:仙台の職人たち紹介 「箪笥」づくり披露--歴史民俗資料館 /宮城
◇現代に息づく「技」
 仙台市制120周年と市歴史民俗資料館(同市宮城野区)の開館30周年を記念した特別展「せんだい職人づくし」が21日、同館で始まった。衣食住に関係した職人や、建設、伝統工芸の職人たちに焦点をあて、道具や工程、製品、技術を紹介している。同館の佐藤雅也学芸室長は「城下町・仙台は歴史的に職人文化に彩られてきた。その技が今も多くの職人に息づいていることを知ってもらいたい」と話している。【高橋宗男、鈴木一也】
 常設展示されてきた約100点に加え、特別展では約430点を新たに展示。幕末の職人分布図や、足軽など下級武士が支えた仙台筆や硯(すずり)、松川達磨(だるま)や仙台釣竿(つりざお)など伝統工芸品の歴史も紹介し、ちょうちんに使われた和紙の工程や和菓子の製造工程なども写真などで説明する。
 現代に息づく「技」を再確認してもらおうと、職人の実演を見学できるテーマ展示も設けた。第1弾は幕末から作り続けられてきた「仙台箪笥(たんす)」で、21日は金具職人の八重樫栄吉さん(73)が、箪笥の装飾や取っ手に使う金具の製作を披露した。
 八重樫さんが使用するのは「たがね」と呼ばれる鋼の工具。形や太さが微妙に異なる約130種類のたがねを使い分け、銅板に唐獅子の模様を彫り、裏側からたたいて立体感を出す。この道53年の八重樫さんは「たがねもすべて手作り。これをうまく作れるかが、作品の出来を左右する」と話した。八重樫さんは22日も午前10時から午後4時まで実演を行う。
 箪笥作りの実演は28日(指物職人、午後1時半~午後3時半)と29日(塗り職人、同)にも行われる。
 テーマ展示は第2弾「鍛冶(かじ)職人と道具」(来年1月9~31日)、第3弾「職人の道具展」(2月6~28日)、第4弾「受け継がれる匠(たくみ)の技」(3月6日~4月11日)と続く。いずれも実演コーナーを設ける予定。
 また、3月26日から3日間、「せんだい職人技サミット」を開催し、張子細工や金工、伝統工芸などの職人延べ20人が「技」を紹介する。
 入館料は一般・大学生200円、高校生150円、小中学生100円。問い合わせは同館(022・295・3956)。


茨城
安政の大獄150年、井伊家当主が水戸墓参
 旧彦根藩主の井伊家18代当主、井伊直岳(なおたけ)さん(40)が21日、幕末の安政の大獄で刑死した水戸藩家老らが眠る水戸市の墓地を訪れた。
 水戸藩開藩400年を迎える12月を前に、滋賀県彦根市と親善都市提携を結ぶ水戸市に井伊家側から申し出があり、当主として初の墓参が実現した。
 水戸藩家老だった安島(あじま)帯刀(たてわき)の墓前で、直岳さんは「(安政の大獄を指揮した)井伊直弼(なおすけ)と水戸藩士らは立場こそ違ったが、国の将来を真剣に考えていた。自分の中で一区切りついたような気がします」と話していた。
(2009年11月21日23時54分 読売新聞)


静岡
テレビドラマ「JIN―仁―」伊豆の国・江川邸で撮影
 国の重要文化財に指定されている伊豆の国市の江川邸で20日夜から21日早朝にかけて、SBSテレビで放送中の日曜劇場「JIN―仁―」の撮影が行われ、出演者やスタッフ、フィルムコミッション伊豆の市民エキストラら140人が参加した。同ドラマを担当する県立韮山高卒のTBSプロデューサー石丸彰彦さん(35)=伊東市出身=も同行し、「ドラマ制作を志す原点になった」(石丸さん)母校のそばで、思い出を振り返りながら撮影を見守った。
 同ドラマは、幕末の江戸へタイムスリップした脳外科医が人々を救っていく物語で、江川邸での撮影は3回目。主演の大沢たかおさんや綾瀬はるかさんら俳優陣とともにFC伊豆の市民エキストラが冷え込みの厳しい中、夜通しで12月6日放送分の場面を収録した。
 石丸さんは韮山高時代、同校出身のフジテレビプロデューサー亀山千広さん(53)の講話を聞いてドラマ制作を志した。今回のロケ地の江川邸は母校のすぐ東側にあり、同校の学祖でもある幕末の韮山代官、江川坦庵の居宅だった。「江戸時代の質感が残る建物は少ない。ロケ地になったのは偶然だが、思い入れのある地」と石丸さん。
 韮山を訪れるのは母校での講演以来5年ぶりで、撮影では市民エキストラとして参加した同級生とも再会した。石丸さんは「高校時代にタイムスリップした感覚になった」と懐かしんだ。

 大河ドラマ『篤姫』でも使われたので江川邸が何らかの形で使われるような予感がしていました。今から楽しみです。

福井
福井主藩邸の変遷紹介 幕末の江戸地図で
 幕末の江戸を描いた地図を通し、福井藩邸の面積の変遷などを知る展示会「福井藩と江戸」が、福井市宝永3丁目の市立郷土歴史博物館で開かれている。30日まで。
 地図は1843年から約10年ごとに書かれた3枚があり、大きさはいずれも縦、横2メートルほど。福井藩主が住んだ上屋敷や別邸の中屋敷、下屋敷が移動したのが分かる。
 福井藩の政治顧問を務めた熊本藩士・横井小楠を紹介するコーナーもあり、松平春嶽が小楠に送った書状などが並ぶ。23日には小楠が富国などを説いた「国是七条」を読む講座が開かれる。
 (川本光憲)


京都
信念貫く若者よ、集え
京大に「武士道サークル」

 日本古来の武士道精神を学ぶ一風変わったサークル「立志会」を、京都大(京都市左京区)の学生二人がこのほど立ち上げた。信念を貫いた幕末の志士らの生き方をたどり、「芯のある若者を少しでも増やせれば」としている。
 京大工学部4年の加藤駿吾さん(22)と肥後英志郎さん(21)。加藤さんは3月に米国に語学留学した際、海外の若者と比べて日本人の留学生が「集団から抜け出せず、度胸がない」姿を見たという。
 「現代の日本人は祖先の価値観を継承できていない」と感じ、帰国後に友人の肥後さんに声をかけて9月にサークルを発足させた。
 二人は武士道精神を厳密にとらえず、「自分の信念を貫き通す」「郷土愛を持つ」などと幅広く定義した。坂本龍馬らの生き方や歴史のほか、寺社仏閣巡りなど伝統文化を学ぶ勉強会を開く。
 また、二人が「武士道精神がある」と感じた人を講師に呼ぶ講演会を、3カ月に1度をめどに開催する。
 23日には、発足記念講演会を京大キャンパスで開催。PHP総合研究所社長の江口克彦氏らを招く。参加費千円。サークルには誰でも入部できる。


奈良
郡山城:遺構確認の三の丸跡 市、駐車場建設着工へ--大和郡山 /奈良
◇「遺物、粉々に…」 考古学協会、調査を要望
 豊臣秀吉の弟秀長が居城とした大和郡山市の郡山城(県史跡)の三の丸に当たる場所で、同市が週明けにも観光バス駐車場の建設工事を始めることが分かった。事前の試掘調査で近世の遺構が見つかったが、市は予算などの都合で全面調査はせず、保全対策を講じて着工する。日本考古学協会(東京都)は「遺構への影響が心配」として発掘調査などを求める要望書を提出する予定で、論議を呼びそうだ。
 郡山城は戦国武将の筒井順慶によって築城。1585年に秀長が入った。工事現場は、家老級の重臣の居住地などとして5分割され、五軒屋敷と呼ばれていた。市が10月から行った試掘では、中世から幕末まで何層にもわたる遺構が見つかったが、面積が全体の8%に過ぎず性格はほとんど分からなかった。
 遺構は地下70センチ以下の層から出たため、市は地下130センチまで掘り返す当初の計画を60センチまでに変更。市都市計画課は「遺構保存に不安はない」と話す。
 しかし、橋口定志・日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会事務局長は「重量のあるバスが繰り返し通ることで土が固まり、圧力で遺物が粉々になる恐れもある」と調査の必要性を指摘している。【花澤茂人】


兵庫
ひと・みせ・こんにちは:きょうの訪問先 /兵庫
◆料理旅館 文一・文市楼=三木市本町3

◇創業140年、秘伝のぽんずしょうゆ
 創業はまだ幕末が色濃く残る明治2(1869)年。140年の歴史を重ねてきた。木造の現旅館も大正8(1919)年に建てられ、間もなく文化財に指定されるという。実はこの老舗旅館には、長い歴史に醸造された秘伝の「熟醸ぽんずしょうゆ」が代々受け継がれてきた。
 4代目の津田賢一郎さん(61)は「みりんに含まれる甘さだけで仕上げた、ぽんずしょうゆは鍋料理を引き立てます」と伝統の味に胸を張る。鍋料理は戦国時代の武将で三木城主、別所長治公の名を冠した寄せ鍋の別所長治鍋(1人前3000円から)をはじめ、国産黒毛和牛のしゃぶしゃぶ鍋(同5000円から)、国産豚しゃぶしゃぶ(同3000円から)、てっちり(同7000円から)などを予約で受け付けている。
 津田さんは「予算に応じて鍋料理を用意させていただきます。ぜひレトロな雰囲気の中で伝統を重ねた味を楽しんでください」と話している。
 年中無休。鍋料理は昼、夜ともできる。(0794・82・3115)



長崎
岩崎弥太郎:「長崎で磨いた国際感覚」 足跡を知る催しに600人 /長崎
 三菱財閥を創業した岩崎弥太郎(1835~85年)が長崎に残した足跡を考える催し「彌太郎と龍馬の長崎」が21日、長崎市内であり、元三菱商事社員で三菱財閥の歴史を研究する成田誠一さん(68)=東京都文京区=の講演などに約600人が耳を傾けた。
 土佐藩の下級武士出身の弥太郎は、商社「開成館長崎出張所」(土佐商会)主任として長崎に2年間滞在。明治維新後、まだキリスト教禁教令が続く中、弟・弥之助を米国のキリスト教系学校に留学させており、成田さんは「弥太郎は長崎で国際感覚を磨き、世界を見据えたビジョンを学んだ」と指摘した。
 坂本龍馬家の子孫、坂本登さん(72)=東京都小平市=らによるシンポジウムもあり、坂本さんは「龍馬と弥太郎は『世界の中の日本』という意識で根底に通じるものがあった」と語った。催しは市のまち歩き観光「長崎さるく幕末編」関連の講演会「楽さるく」の最終回として開かれた。【錦織祐一】
〔長崎版〕


熊本
横井小楠生誕200年記念国際シンポ 
 熊本に生まれた思想家横井小楠の生誕200年を記念し、熊本市でシンポジウムが開かれました。
 横井小楠は、幕末から明治維新にかけて坂本龍馬や勝海舟らに影響を及ぼした思想家です。
きょうの国際シンポジウムは、生誕200年記念行事の1つで、まず、小楠と竜馬のやりとりを朗読劇で演じ、小楠の人となりや平和的に国を豊かにする小楠の思想がわかりやすく紹介されました。
 続いて猪飼隆明・大阪大学名誉教授が、小楠がどのように世界を見たのか、そして、外交や内政の面などいま改めて評価すべき小楠の考えについて講演した他、国是三論をイタリア語で翻訳・出版したパオロ・プッディーヌさんらをパネリストに迎えて討論が行われ、理解を深めました。


コラム
【次代への名言】竜馬がゆく編(8)
■「人間はなんのために生きちょるか知っちょるか? 事をなすためじゃ」(『竜馬がゆく』風雲篇)

 歴史的な人物を描くさい、最も重要な資料は遺稿であろう。坂本竜馬の場合、手紙が約140通、それに手帳類と和歌が少々。幕末を飛翔(ひしょう)した彼の人生を考えると、決して多くない。「これだけで竜馬を書こうとすると中身がスカスカになる恐れがある」と一線の研究者はいう。そこで補足資料の収集と作家としての目が、「竜馬伝」を決めることになる。
 冒頭のことばの出典は「世に生理(しょうり)を得るは事を成すに在り」と記された『英将秘訣(ひけつ)』であろう。この書は「1867年、坂本龍馬作」と後世に伝えられた。しかし、それを全面否定する資料もないかわりに積極的に肯定する資料もない。
 となると、おさめられた90あまりの名言・警句から何を選ぶか-であろう。詳細は割愛するが、司馬遼太郎の取捨選択は「お見事」の一語である。
 「たれかが灯を消さずに点(とも)しつづけてゆく、そういう仕事をするのが、不滅の人間ということになる」。このことばは、『英将秘訣』にもない。しかし、竜馬の一生を考えたとき、そう言ったとして何の不思議もない。やはり竜馬は司馬であり、司馬は竜馬であった。

 =この項おわり(文化部編集委員 関厚夫)


西郷隆盛のバイブル『言志四録』を読む
義のサムライの没後、発見されたもの

 維新革命の原動力となった「西郷隆盛の精神」。支柱の一つに『言志四録』があったことは間違いない。

『言志四録』が座右の書だった

「日本の維新革命は西郷の革命であった」

 「維新の英傑」西郷隆盛の功績を、内村鑑三は著書『代表的日本人』でこう評し、その理由を次のように述べている。《たしかに西郷の同志には、多くの点で西郷にまさる人物がいました。経済改革に関していうと、西郷はおそらく無能であったでしょう。内政については、木戸や大久保のほうが精通しており、革命後の国家の平和的な安定をはかる仕事では、三条や岩倉のほうが有能でした。(略)
 それにもかかわらず、西郷なくして革命が可能であったかとなると疑問であります。必要だったのは、すべてを始動させる原動力であり、運動を作り出し、「天」の全能の法にもとづき運動の方向を定める精神でありました》
 内村鑑三が指摘する、維新革命の原動力となった「西郷隆盛の精神」。それは簡単に説明できるものではないが、その支柱の一つに『言志四録(げんししろく)』があったことは間違いない。
 今日「人生訓の名著」「指リーダー導者のためのバイブル」と言われる『言志四録』は、江戸時代末期の儒学者、佐藤一斎(さとういっさい)が著した随想録である。42歳で筆を執った『言志録』を皮切りに、『言志後録(こうろく)』『言志晩録(ばんろく)』を著し、最終作となる『言志耋録(てつろく)』を書き上げたのは82歳のときだった。耋録の耋とは字のごとく老いに至るという意味である。後にこの4書を『言志四録』と総称するようになった。内容は学問修養の心得、倫理道徳の規範から、指導者論、そして処世の教訓、身体の養生法まで多岐にわたっている。
 あわせて1133条。西郷はそこから101条を撰び、修養の資(もと)としていた。西郷の死後、叔父宅に保存されていたのを、儒学者だった秋月種樹(たねたつ)が注釈を加えて『南洲手抄(なんしゅうしゅしょう)言志録』として刊行した。これにより、西郷が『言志四録』を座右の戒めとしていたことが、広く知られたのである。
 ちなみに、南洲とは西郷の雅号で、明治に入ってからは、南洲、南洲翁おうなどと呼ばれるようになった。手抄とは手ずから書き抜くことである。『言志四録』の著者佐藤一斎は、昌平坂学問所の儒官、現在でいえば東京大学の総長まで務めた儒学者である。門下には、佐久間象山、横井小楠、山田方谷(ほうこく)らがいて、佐久間象山には勝海舟や吉田松陰が薫陶を受けるなど、一斎の教えに接した幕末動乱の志士は少なくない。
 しかし、西郷はその謦咳に接する機会に恵まれなかった。西郷が『言志四録』を読んだのは、二度目の流罪先、沖永良部島の獄中だった。行李3箱分の書物を読破し、「学者の塩梅(あんばい)にて可笑(おか)し、学問はおかげにて上がる」と年賀状に記しているほどだが、なかでも心動かされた書物が『言志四録』だったのである。
 流罪が解け沖永良部島を脱した西郷は、内村鑑三言うところの「始動させる原動力として」、革命=維新という運動を猛烈な勢いで遂行していった。『言志四録』は、どのようにその精神的支柱になっていたのだろうか。『南洲手抄言志録』を編纂(へんさん)した秋月が、条文との符合を試みるかのように、自らが伝え聞く西郷の言動を注釈として加えている。それを手がかりに、西郷にとっての『言志四録』をみてみよう。

 人生行路のうちには、暗い夜道を行くようなことがあるが、暗夜を心配することなく、ただただ自分の強い意思を頼りにするがよい、という意味である。
 この条文の注釈には、鳥羽伏見の戦いにおいて幕府軍の砲声を聞いて戦況に不安を覚えた岩倉具視に、西郷が「ご心配には及びません、西郷がおりますから」と答えたことが記されている。
 大政奉還によって倒幕が成就したものの、政治的には「暗夜」状態にあり、新政府樹立への強い思いを「一燈」として、西郷が戊辰戦争を突き進んでいった、と読み解けそうだ。
 もう一条触れておこう。
 意味は以下のとおりである。
 心から出てくるつまらない考え、外から入ってくる感情は、志が確立されていないからだ。しっかりと志が立っていさえすれば、邪悪な考えなどはすべて退散してしまうものである。これは清らかな水が涌き出ると、外からの水は混入できなくなるのにたとえられる。

革命の仕上げに西郷が懸けた「命」

 この条文には、明治4(1871)年に廃藩置県を断行するにあたっての、西郷の発言が記されている。南洲曰(いわ)く、「吉之助の一諾(いちだく)、死以(しもっ)て之(これ)を守る」と、他語を交えず。
 吉之助とは西郷の名前である。みなさんの意向は承諾した。廃藩置県の遂行にはわが命を懸ける、と覚悟のほど、つまり「一志」を示したのである。
 当時は、新政府に移行したものの、徳川時代の300諸藩主はそのまま存在していた。旧勢力の権力を奪い取るという、革命の仕上げが廃藩置県であった。しかし、それは構想した木戸と大久保だけではなしえず、西郷という原動力を借りざるをえなかったのだ。
 維新の原動力となった西郷がどれほど『言志四録』を味読し、修養に資していたか。その足跡が窺えるようではないか。


文化芸能
藤田まこと:慢性閉塞性肺疾患で「JIN」降板 「断腸の思い」新門辰五郎役は中村敦夫に
 江戸時代にタイムスリップした医師の姿を描いたドラマ「JIN-仁-」(TBS系)に、新門辰五郎役で出演予定だった俳優の藤田まことさん(76)が、撮影前に受けた定期健康診断で、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患を診断され、降板することになった。代役は中村敦夫さん(69)が務める。
 藤田さんは宣伝用のポスターにも登場しているが、降板について「作品の魅力に加え、スタッフ・出演者のみなさまとの出会いを楽しみに撮影の日を心待ちいたしておりましたが、断腸の思いであります。降板により、スタッフ・出演者・関係各位のみなさまに多大なご迷惑をお掛けしましたことを、深くお詫(わ)び申し上げます。しばし治療に専念し、1日も早い復帰に努めてまいる所存でございます」とコメントを寄せている。 
 ドラマは、村上もとかさんが「スーパージャンプ」(集英社)で連載しているマンガが原作で、大学病院の脳外科医だった南方仁(大沢たかおさん)が、幕末の江戸時代にタイムスリップしてしまい、満足な医療器具や薬もない状態で人々の命を救う中、坂本龍馬(内野聖陽さん)や勝海舟(小日向文世さん)ら幕末の英雄と知り合い、歴史の渦の中に巻き込まれていく……という物語。新門辰五郎は江戸時代後期に実在した町火消で、勝海舟とも交流があったといわれる人物。中村さんは「よく知られている歴史上の人物なので、みなさんのイメージに沿えるように演じたいと思います」と意気込みを語った。ドラマは毎週日曜日午後9時放送。【細田尚子】


<歌舞伎>中村富十郎 坪内逍遥の新歌舞伎 72年ぶり『一休禅師』
 東京・国立大劇場で来月3日から始まる公演「心にしみる 珠玉の新歌舞伎」で、明治の文豪・坪内逍遥作の舞踊劇「一休禅師」が72年ぶりに復活する。一休は初役の中村富十郎(人間国宝)。新歌舞伎は、明治になって近代思想を背景として坪内ら歌舞伎界の外の作家によって書かれた作品群で、江戸歌舞伎と区別される。「伝統に裏打ちされた江戸期の作品より、明治以降の作品の方が生き生きと演じられる」と意気込む富十郎に聞いた。 (藤英樹)
 「役をもらうまで作品のことは知らなかった」と言う富十郎。一休について調べ、京都府京田辺市にある一休再興の禅寺「一休寺」(田辺宗一住職)も訪ねた。八十八歳で没した一休の墓に復活成功を祈願した。
 同寺で一休本人の頭髪と鬚(ひげ)を植え付けてあるという等身大の木像と対面した富十郎は「お顔の相を見ていたら感じるものがありました。対面するまでに鬘(かつら)合わせなどは済ませていたが、床山さんに言って変えようと思う」と、自身の中で一休のイメージが変わったことを打ち明けた。
 「一休禅師」は、小説「当世書生気質」やシェークスピア作品の翻訳で知られる坪内が、幕末に初演された富本・清元の舞踊劇「一休地獄噺(はなし)」に想を得て書いた長唄の舞踊劇。一九〇八(明治四十一)年に発表され、二一(大正十)年に明治座で初演された。
 一休が通ったという大坂・堺の遊廓が舞台。酒に酔った一休が地獄太夫(中村魁春)や禿(かむろ)(富十郎の長女で六歳の愛子)と踊り戯れながら禅問答。一休が杖(つえ)で太夫らを打つと、途端に太夫も一休も髑髏(どくろ)に変身し、辺りも枯れ野に変わる。さらに踊り続けるとまた元の姿に戻るという内容。
 禅問答などが一般の観客に理解されにくかったのか、三七(昭和十二)年に市川猿翁が演じて以後、再演されなかった。「型などないし、曲も坪内の時代のものはどう踊ってよいのかわからない感じ。誰も手を付けられなかったんじゃないでしょうか」と富十郎。
 今回の復活のため、曲はすべて新しく作り替えられた。「禅問答も少しあるが、基本は華やかな踊り。僕は足が悪いので踊りやすい指貫(さしぬき)を着けます。地獄太夫の衣装には僕の意見で炎と髑髏、それと一休の言葉を四行ほど入れてもらった。太夫から頼まれて一休が書く○と水の流れも、僕が自分で描きました」
 今年八十歳になった富十郎をこれだけいれこませたのは「新歌舞伎といってももう古典。それでも江戸歌舞伎より、自分の中に染み込んでくるものがある」からだと言う。「一休といえばとんち話が有名ですが、新たな一面をお見せしたい。お客さまに好評なら、今後も演じ続けたい」
 演目はほかに、真山青果作の「頼朝の死」と岡本綺堂作の「修禅寺物語」。いずれも非業の死を遂げた鎌倉幕府二代将軍・源頼家にまつわる話。「頼朝-」では、頼家を中村吉右衛門が二十四年ぶりに勤め、富十郎が凄(すご)みのある母・尼御台所政子を勤める。「修禅寺-」では、夜叉(やしゃ)王に吉右衛門が初役で挑み、何度も勤めてきた富十郎が俳名・天桜の名で監修に当たる。
 二十六日まで。一万二千~千五百円。(電)0570・07・9900。

<新歌舞伎> 明治維新後の文明開化の中で、欧化思想に感化された文化人などが江戸期の歌舞伎を批判、これを受けて生まれた一連の作品のこと。江戸期から活躍していた河竹黙阿弥が引退表明する事態となり、その後、坪内や真山、岡本のほか大正、昭和にかけて谷崎潤一郎、菊池寛、山本有三ら多彩な文学者が筆を執った。


<幕の内外>理想の上司役『実事』 充実した腹芸も見どころ
 「花も実もある」という言い方があります。花は外観の美しさ、実は内容が充実していることを指しています。
 歌舞伎の立役の役柄のひとつ「実事」は、名前の通り「実のある役」。「忠臣蔵」の家老・大星由良之助などが代表的です。
 落ち着いて判断力に富み、人格的にも立派な大人の男性。有能な「理想の上司」タイプです。
 実事につきものなのが「腹芸」。台詞(せりふ)やしぐさに頼らず、心理表現をすることを言います。
 漫画の吹き出しを思い浮かべてみてください。登場人物が心の中で、じっと何かを思ったり考えたりしている時には、点々がつながった形の吹き出しになっています。平たく言うと、腹芸とは、ああいった雰囲気です。
 社会的に大きな責任を背負っている人ほど、何が起ころうとも、めったなことでは、軽々しく外面に出すことはできません。
 由良之助の主君・塩冶(えんや)判官は、高師直(こうのもろのお)に理不尽な因縁をつけられてブチ切れ、斬(き)りつけた罪で切腹となる。四段目では、判官が刀を腹につきたてた瞬間、由良之助が駆け込んで来ます。
 主従が見交わす顔と顔。無念と悲憤の思いが交錯する場面ですが、ここで登場するのが腹芸。いっさいの鳴り物がなく、両者の呼吸だけで成り立つ場です。
 今泉みねという人は回想録「名ごりの夢」で、この場面を幕末の名優が演じた時の感想を「言わなくても言ったようにきこえ、見なくても見たように思える、落とさない涙が落ちているように感ずる、いわば無言の行」と書き記しています。
 実事の最高峰である由良之助は、この腹芸の多い役。文字通り役者の充実ぶりが試されます。 (イラストレーター・辻和子)


世阿弥、高田屋嘉兵衛、ヘボン森繁さんが追った夢 温めていた劇化構想
 二十日、東京都港区の青山葬儀所で営まれた森繁久弥さんの葬儀・告別式とお別れ会には、その死を惜しむ各界の著名人や多くのファンらが足を運んだ。「国民的俳優」として栄耀(えいよう)栄華を極めたといってもいい森繁さんだが、ついに果たせぬままとなった夢がある。それは、ドラマチックな人生を送った三人の男を自ら演じることだった。
 ある時は劇場の楽屋や自宅、またある時は所有していた外洋クルーザー「めいきっす号」の船上…。生前、森繁さんと身近な空間で会話する機会に、少なからず恵まれた。
 「(坂東)玉三郎さんと『シラノ・ド・ベルジュラック』をやってみたいね。だけど一カ月の舞台はとても務まらない」。十年前、長男・泉さんを五十八歳で亡くした後もこう語り、常に芸への情熱をたぎらせていた森繁さん。そんな生粋の俳優が、果たしておきたい夢としてたびたび口にしていたのが「世阿弥」「高田屋嘉兵衛」「ヘボン」の劇化だった。
 世阿弥は言うまでもなく能楽の大成者だが、晩年は佐渡島に流された。高田屋嘉兵衛は、司馬遼太郎さんの長編小説「菜の花の沖」の主人公である回船問屋。森繁さんは司馬文学の愛読者でもあった。また、ヘボンは幕末に来日した宣教師・医師。ヘボン式ローマ字の創設や明治学院大創立など、明治初期の日本に大きな影響を与えた。
 この三人に共通するのは、その生涯のドラマチックさ。それが森繁さんを強く惹(ひ)きつけ、自らが演じることへの意欲をかきたて続けたのだった。
     ◇
 最後の舞台となった代表作「佐渡島他吉の生涯」(1997年1月、名古屋・御園座)。森繁さんを「おやじ」と慕う北大路欣也が主人公の「ベンゲットの他ぁやん」を演じ、八十三歳の森繁さんが夜の部の終幕だけ登場する変則ダブルキャストだった。その際、森繁さんが「はなばなしき わが最後の舞台か」と色紙に書いたことを知り、楽屋を訪れた。
 「まだやれるんじゃないですか。島田正吾は九十二歳でまだ舞台を続けていますよ」と言うと森繁さんはこう返した。
 「島田さんは偉いね。僕は耳も目もこれだけ不自由になってしまったからとても無理だよ」
 そう言いながら、寂しげな表情を見せていたのが強く印象に残っている。
 二〇〇七年二月にリリースされた朗読DVD「霜夜狸(しもよだぬき)」。その出演者・スタッフ懇親会で森繁さんと久々に会った。肉体的には俳優を続けられない状態だったものの、内に燃えるその役者魂は健在、と強く感じた。
 「世阿弥」「高田屋嘉兵衛」「ヘボン」が生前の願い通りの形で演じられていたとしたら-。今となってはかなうべくもないが、森繁さんが愛唱してやまなかったペルシャ(イラン)の詩人オマル・カイヤームの四行詩(矢野峰人訳)で、この希有(けう)な存在であり続けた俳優を追悼したい。
 「いづ地より、またなにゆえと知らで、この世に生まれきて、荒野を過ぐる風のごと、行方も知らぬ去るわれか」
  (元編集委員・森洋三)




ビジネス
坂本龍馬:検定対策ツアーで“歴ドル”美甘子とツアー 近畿日本ツーリスト
 歴史に詳しいアイドル“歴ドル”の美甘子さん(25)が、坂本龍馬についての知識を認定する「坂本龍馬 幕末歴史検定」(全国龍馬社中主催)の合格対策ツアー「美甘子と行く坂本龍馬 幕末歴史検定対策ツアー」(近畿日本ツーリスト)に参加、講義も開く。
 ツアーは、16日から申し込みを受け付けている同検定と連携、龍馬の所持品や文書などを展示する「坂本龍馬記念館」や坂本龍馬の生誕地などを巡る「高知コース」(4万9800円、10年1月23~24日羽田空港発着)、龍馬や亀山社中、海援隊ゆかりの品を展示する「亀山社中記念館」などを巡る「長崎コース」(5万4800円、10年2月13~14日羽田空港発着)と、龍馬が襲撃を受けた「寺田屋」などを同検定の前日に訪れる「京都コース」(2万4800円、10年3月20~21日京都駅集合・検定会場解散)の3コース。各コースに美甘子さんが同行、検定の対策ポイントを講義するほか、全国龍馬社中監修の模擬試験が付く。検定料は含まれない。
 またオプションで美甘子さんがツアー1日目の夜の宴会に参加する「美甘子と宴会!」(5500円)があり、美甘子さんの愛用品が当たる抽選会やツーショット写真撮影会が行われる。美甘子さんは10年に放送されるNHKの大河ドラマ「龍馬伝」に関連した情報をNHK高知支局が発信するキャンペーン「We love 龍馬」のイメージキャラクターを務めている。
 同検定は10年3月21日、東京・京都・長崎・高知で行われ、龍馬に興味を持ち始めた入門レベルの「脱藩」(検定料3240円)、小説・マンガ・映画・ドラマで龍馬を楽しむ「初級」(検定料4300円)、資料や足跡から龍馬を知る「中級」(検定料5600円)がある。申し込みは同検定公式サイトか、12月中旬に書店に設置される郵便払い込み取扱票で10年2月28日まで受け付ける。【服部美央】




エンターテインメント
PSP「風雲新撰組 幕末伝 ポータブル」最新プロモーション映像「動乱篇」公開!
 フロム・ソフトウェアより2009年12月10日に発売予定の、PSP用本格歴史アクション「風雲新撰組 幕末伝 Portable」の、最新プロモーションムービー第2弾「動乱篇」が公開された。
 「風雲 新撰組 -幕末伝- Portable」は、元気株式会社より2005年1月に発売されたPS2用「風雲幕末伝」に新規要素が追加されリニューアルされたタイトル。
16:9画面サイズに対応し、設定資料ギャラリー機能が追加されている。

 土方さんは真ん中ですかね……大たぶさ?

黒乃奈々絵「PEACE MAKER 鐵」ケータイで連載再開
 長らく休載となっていた、黒乃奈々絵「PEACE MAKER 鐵」が、携帯サイト「コミックi」および「コミックシーモア」にて連載を再開することが決まった。
 「PEACE MAKER 鐵」は、月刊コミックブレイド(マッグガーデン)にて連載されていた、幕末を舞台にした時代劇。単行本5巻まで発売されており、5巻収録の「油小路編」の続きが配信される模様だ。
 現在サイトでは「油小路編」のプロローグを無料公開中。アクセス方法や利用方法はマッグガーデンに公式サイトにて確認を。

 油小路編、続きが見られるんですか……ただ、ケータイの画面から見るのは辛いなぁ。コミックスが出るなら欲しいです。







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