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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日は昼の気温が16度程度と上がりましたので、暖かく感じられました。勤労感謝の日スペシャルということで、BS hiで『サラリーマンNEO』シーズン3の一挙再放送を見ています。

宮城
戊辰戦争:140年迎え、白石でシンポ 列藩同盟締結の舞台--きょう /宮城
戊辰戦争:140年迎え、白石でシンポ 列藩同盟締結の舞台--きょう /宮城
◇パネル展スタート
 明治維新時の戊辰(ぼしん)戦争(1868~69)から140年を迎えたのを期に、奥羽越列藩同盟締結の舞台となった白石市で23日、歴史的背景や意義を考えるシンポジウム「戊辰戦争140年in白石」が開かれる。22日には、白石市内の旧商家「壽丸屋敷」で、写真パネルや新聞記事などをまとめた「戊辰の役パネル展」も始まった。
 戊辰戦争は、薩長を中心とする新政府軍と、旧幕府軍の主導権争いに起因。京都での鳥羽・伏見の戦いに始まり、江戸城無血開城、上野戦争、東北戦争などを経て箱館戦争まで続いた。明治元(1868)年の干支(えと)が「戊辰」だったことから命名された。
 東北の雄・仙台藩は当時、新政府側と「朝敵」とされた会津、庄内藩などとの間で難しい立場に置かれたが、領内の白石城に奥羽各藩の幹部を集め、68年5月3日、25藩が盟約を締結。その後、越後の長岡藩なども加入して計31藩による同盟が成立した。
 シンポジウムは、白石市文化体育活動センター(ホワイトキューブ)で午後1時半から開催。作家・歴史家の加来耕三氏が基調講演。次いで作家の星亮一氏がコーディネーターとなり、奥羽越列藩の秋田、盛岡、仙台、米沢、長岡、会津の歴史研究家や学芸員がパネリストとなって討論する。入場無料。定員600人。
 「戊辰の役パネル展」は白石商工会議所などの主催。入場無料。12月21日まで。【豊田英夫】



栃木
足利で中世寺院・樺崎寺跡出土品展
【足利】「いまよみがえる中世寺院・樺崎寺跡出土品展」(市教委、県立足利図書館主催)が十二月十三日まで同館で開かれている。
(中略)
 樺崎寺跡は源姓足利氏二代目の義兼が一一八九年に創建。多くの伽藍と広大な浄土庭園を持ち、鎌倉時代後期から南北朝時代に最盛期を迎えたが、明治維新後の神仏分離令で廃寺となった。


東京
薩摩藩ゆかりの専修大創設者 田尻稲次郎の軌跡つづる/育友会
50周年記念誌

 専修大学(本部・東京都千代田区神田神保町)の父母組織「育友会」の創立50周年記念事業の一つとしてこのほど刊行された「蒼翼(そうよく)の獅子たち」(志茂田景樹著、河出書房新社刊)に、薩摩藩士の家に生まれた田尻稲次郎が大学創立者の一人として取り上げられた。
 同書によると、田尻は1850(嘉永3)年、薩摩藩士を父に京都で生まれた。1871年、藩費留学生になり米国へ渡航。エール大学・大学院などで経済学、財政学を学び1879年に帰国した。翌80年に米国留学仲間である相馬永胤(そうま・ながたね、彦根藩)、目賀田種太郎(めがた・たねたろう、幕臣)、駒井重格(こまい・しげただ、桑名藩)と4人で、専修大学の前身「専修学校」をスタートさせた。
 同校は「日本人が日本語で教授する法律と経済の専門学校を日本につくりたい」という4人の共通の夢を実現させたものだった。同書は、明治維新直後にそれぞれ海を渡った4人の米国での出会い、夢、友情、勇気と、建学までの軌跡をつづる。この10月に全国書店で発売された。直木賞作家の志茂田さんは「4人は知の明治維新を成し遂げた」との言葉を寄せている。
 田尻は1923年に亡くなるまで大蔵次官、会計検査院長、東京市長などを歴任した。


京都
直指庵:大学ノートに思いぎっしり 人々の悩みや願い、3000冊公開 /京都
◇右京区北嵯峨の直指庵、44年前からの3000冊公開--「気持ちが楽になれば」来月7日まで
 右京区北嵯峨の浄土宗の寺「直指庵(じきしあん)」に、「想い出草」と名付けられた大学ノートがある。訪れた人が日ごろの悩みなど、さまざまな思いを書き込んでいく。40年以上にわたって書きためられた膨大な数のノートの一部が、12月7日まで公開されている。【広瀬登】
 大覚寺の西の細い道を北に歩くこと約10分。うっそうとした竹林の中から茅葺(かやぶ)き屋根の庵(いおり)が姿を現す。江戸時代初期、臨済宗の僧・独照が庵を結んだことが起源の直指庵だ。幕末の世、NHKの大河ドラマ「篤姫」の登場人物にもなった近衛家老女津崎村岡局が浄土宗の寺として再興した。紅葉が美しく、天然記念物のモリアオガエルが生息する池もあるが、ノートを訪ね足を運ぶ人は多い。


兵庫
外国人居留地、今後の可能性探る 神戸で全国大会 
 開国以来、欧米文化の窓口を担ってきた外国人居留地の歴史と未来を考える「第1回外国人居留地研究会全国大会in神戸」(神戸新聞社共催)が22日、神戸市中央区の神戸学院大ポートアイランドキャンパスで開かれた。函館、長崎など旧居留地を擁する地区の研究者ら約250人が今後の連携や可能性を探った。(小西博美)
 神戸外国人居留地研究会の主催。開港につながった安政五カ国条約の締結百五十周年と神戸港開港百四十周年、同研究会の創設十周年を記念し初めて開催された。
 静岡文化芸術大の川勝平太学長が「海港都市から文化創造を!」と題して基調講演。続いて六地区の旧居留地研究者が現状や課題を報告した。
 パネル討論では、神戸外国人居留地研究会の神木哲男会長が「神戸はほかの港より遅れて開港したため、学習効果から外国人との関係も良かった」と話し、長崎総合科学大のブライアン・バークガフニ教授は「幕末という不安定な時期に、若者が習慣の違いを超えて交流していた。人同士の交流を中心に今後の発展を模索したい」と旧居留地の将来に期待を示した。
 最後に、「研究会の全国組織の設立を目指す」などとした神戸アピールを採択。次回は来年、函館で開催することを決めた。


山口
まちかど:松陰の音楽劇、出演者らPR /山口
 吉田松陰の生涯を描いた創作ミュージカル「SHOWIN~若き志士たち~」のプレイベントがこのほど、萩市椿東の松陰神社であり、出演者たちが歌と踊りで公演をPRした。
 市の松陰没後150年記念事業で、公演は1年後の来年11月、萩市民館である。ミュージカルは没後140年の98、99年、地元劇団員らが公演した同名作品をベースに構成。現在、市内外の約50人が月1、2回ペースで発声などの基本練習に励んでいる。
 イベントでは出演者たちが幕末をイメージした衣装とメークで登場。15分間、男性が「志士ダンス」を、男性と女性、子供が「松陰の言葉の朗唱」など公演の一部を披露した。訪れた観光客らは“志士たち”の熱演に拍手を送っていた。
 指導しているプロダンサーのREI・KOさんは「松陰先生の遺志を継ぎ、その数々のメッセージをストレートに声高に伝えたい」と話している。男性の出演者などを募集中で、問い合わせは実行委員会事務局の萩市文化・生涯学習課(0838・25・3590)へ。


ギリシャ
狩野探幽模写、ギリシャに 江戸城飾った「野馬図」
 江戸時代の狩野派を代表する絵師、狩野探幽かのう・たんゆう(一六〇二―七四年)が描き、同時代初期に江戸城本丸を飾ったびょうぶ絵「野馬図」を後世の狩野派の絵師が書き写した絵が、ギリシャ北西部コルフ島のアジア美術館に保管されていることが二十二日までに明らかになった。今年七月、同美術館を訪れた河合正朝かわい・まさとも慶応大名誉教授ら国際学術調査団が発見した。
 探幽の絵については、江戸城にあったことは知られていたが、後に焼失したとみられ、どのような図柄であるかなどは分かっていなかった。研究者らは江戸時代の狩野派の活動を知る上で一級の資料と評価している。
 実在した二枚のびょうぶ絵(それぞれ縦百七十六センチ、横三百六十センチ)を模写したもので、樹木が生い茂った野原に群れる多数の野馬が躍動する様子が大きな和紙いっぱいに描かれている。
 和紙の端の余白には(1)探幽が六十五歳の時に描き、江戸城本丸に置かれた(2)十八世紀に活躍した狩野派の絵師、狩野克信かのう・かつのぶと息子が一七四八(延享五)年に模写した―との説明が書かれていた。こうした模写は当時多くの絵師が行っており、自らの絵画制作の練習のためだった。
 余白には同様に探幽の落款も写されていた上、背景の岩や樹木の描き方が探幽の他作品と同じであることから探幽の作品の模写と判断された。幕末から明治時代にかけ海外に流出したとみられる。
 アジア美術館はギリシャの故マノス元オーストリア大使らがパリなどのオークションで集め、寄贈した日本の美術・工芸コレクション約六千二百点を所蔵。同美術館はこれらのうち、学術調査団により真筆と確認されたびょうぶ絵、浮世絵など約六十点について順次、一般公開する。
 河合名誉教授は「アジア美術館の作品は、多くがどのような価値があるか分からないまま事実上封印されていた。世界でまったく知られていない作品もあり、高く評価できる」と話している。(コルフ島、共同=太田清)


コラム
故萩原・藤田両氏、「瘠我慢の説」を読み解き活字化
 福沢諭吉が勝海舟と榎本武揚を批判した「瘠(やせ)我慢の説」などを、歴史家の故・萩原延壽氏と思想史家の故・藤田省三氏が読み解いた71年の講義の全体が、初めて活字化された(『瘠我慢の精神』朝日文庫)。鋭い歴史感覚に基づく独自の読みは、作品の現代的意味を浮かび上がらせている。
 「瘠我慢の説」は福沢が明治24(1891)年に執筆し、死の直前の明治33~34年に公表したものだ。
 萩原氏は、冒頭の「立国は私なり、公に非(あら)ざるなり」を、人間という基本的価値の次元に立てば国家は二義的だと読むべきで、福沢はインターナショナリズムとナショナリズムの間で葛藤(かっとう)を続けたという。「瘠我慢」とはナショナリズムの美徳だけでなく、責任倫理の面も含み、特権をもつ者には責任と義務が伴うという「ノーブレス・オブリージ」の問題だとした。
 藤田氏は、「私情」に過ぎない集団的エゴイズムが危機や「衰勢」には「公徳」になることがあり、そこで指導者に求められるのが「瘠我慢の精神」だとする。具体的には政治上の死に方や退き方の問題だ。だから、幕府に仕えながら維新後に政府の職に就いた勝と榎本を福沢は批判した。藤田氏はそれを「『独立』の精神」の問題だという。
 解説を書いた宮村治雄・成蹊大教授(日本政治思想史)は「2人の講義は、歴史的な文脈を読み抜くことによって作品の積極的な意味を引き出しており、『読む』ことが直面する危機的状況の持続と、それに対抗する方向性を依然として示している」と話す。
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