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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 めっきり寒くなりましたね。鼻風邪引いてます。でも熱がなかったので、インフルエンザの予防注射を受けました。

北海道
市立博物館五稜郭分館 きょうから無料開放
 函館市が進めている箱館奉行所の復元整備に伴い、今月末で閉館する市立博物館五稜郭分館(佐藤克己分館長)は、23日から最終日の30日まで無料開放される。佐藤分館長は「半世紀以上にわたり館を支えてくれた市民に感謝の気持ちを込めた」とし、来館を呼び掛けている。
 同分館は1955年に開館。箱館戦争や五稜郭築城などに関わる歴史資料館として市民や観光客に親しまれてきた。現在は最後の特別展「さよなら これが五稜郭分館だ!」を開催中。同館誕生のきっかけとなった北洋博覧会(54年)、箱館戦争で藩士が戦死時に着用していた軍服、五稜郭の堀で作られていた箱館氷、科学教室などの資料829点を公開し、函館の歴史の息づかいを伝えている。
 閉館後、収蔵資料は本館(青柳町)などに移送される予定。佐藤分館長は「北洋博、科学教室を知る人たちをはじめ、いろいろな思い出が館には詰まっている。その懐かしさはこの館だから触れることができる」と話している。

 お世話になりました。収蔵されていた資料がに再び会えるのはいつになるでしょうか……。

09年の函館開港150周年に向け「記念事業実行委」30日に設立
 函館市は30日、2009年の函館開港150周年に向けて、官民一体となった「記念事業実行委員会」を設立する。函館は1859(安政6)年に国際貿易港として海外に門戸を開いて以来、港と共に発展してきた。大きな歴史の節目を市民とともに祝うため、事業推進の中核となる組織で、式典や各種イベントの方向性、内容を検討していく。

 来年も、時間をつくって函館旅行したいものです。

神奈川
「新横浜パフォーマンス2007」開催(23日・24日)
 11月23日(金)と24日(土)の2日間にわたって、横浜市港北区の日産スタジアム、レンガ通りにおいて、16回目となる「新横浜パフォーマンス2007」が開催される。
 黒船型のビッグステージではゲストが登場し、パレードやフリーマーケット、物産展などさまざまな催しが開催される。
 また、実行委員会スタッフが町娘や侍、新選組、ペリー提督など当時の人物に扮し、スタジアムは150年前にタイムスリップ。

 横浜には、鳥羽伏見の戦いで負傷した新選組隊士の一部が入院していた(おそらく居留地付近の病院でしょう)という記録もあるので、新選組隊士の扮装をしていただいても、まぁいいか。

関西
楽しんで「わが社」感じて──気軽に企業ミュージアム
 自社のPRや社会貢献に企業が設立したミュージアム。最近では来館者を増やそうと様々な趣向が凝らされている。無料で気軽に見学できるところも少なくなく、1度訪れてみてはどうだろう。
(中略)
 大阪市中央区の「大阪企業家ミュージアム」は、子供たちが将来の進路を考える貴重な場としても使えそうだ。五代友厚に始まり、松下幸之助や段ボールを発明した井上貞治郎など明治維新直後から昭和まで、大阪を舞台に活躍した105人の企業家を紹介する。



コラム
<東北かたぎ>各県で微妙な違い 岩手、秋田の場合は…
 11月としては記録的な降雪が続く今年の北東北地方。厳しい自然環境の中で培われた朴訥(ぼくとつ)とした県民性で知られ、大連立騒動で政界をかき回した小沢一郎民主党代表も弁明で「不器用で口下手な東北かたぎで説明不足だった」と言った。しかし、一口に“東北かたぎ”と言っても県民性には微妙な違いがあるらしい。岩手と秋田を比べてみると--。
(中略)
 祖父江さんの説によると、岩手県奥州市(旧水沢市)出身の小沢代表の説明は「まさにその通り」となる。が、一方、「都合良くごまかすために、周りのイメージを利用したのだろう」と読むのは岩手県在住の作家、高橋克彦さん。
 高橋さんによると、岩手県人寡黙説は、幕末期に飢饉(ききん)で遊女として身売りされた女性や明治維新期に下働きに出された男性が、江戸や東京で「寡黙で我慢強い」とみられたのが発端。岩手県人がそう認識したというより、周りから言われるうちに当人たちもそう思うようになったという。祖父江さんも「県民性は主観と客観が混じったもの」としており、小沢代表はその辺をうまく利用したようだ。


天然痘との戦い始まる
 痘瘡(とうそう)、疱瘡(ほうそう)、天然痘という病名は、今では死語となってしまった。1960年代以降、世界保健機関(WHO)は全世界で種痘のキャンペーンを展開。それが功を奏して、1980年に天然痘の根絶宣言を行うに至った。以後、人々の関心は急速に薄れた。
(中略)
 実は、洪庵も文化14(1817)年に満6歳で、兄や甥(おい)とともに天然痘に感染している。洪庵の父、佐伯惟因(これより)は彼らについて「疱瘡相済(あいすみ)」と記録しており、幸い重篤には至らなかったようだ。

 川村純一著「病いの克服・日本痘瘡史」(1999)では、江戸時代の天然痘の罹患(りかん)率を考えるうえで、「徳川将軍15人中6人(40%)、天皇14人中5人(35・7%)」としている。これについて、加藤四郎大阪大学名誉教授は、「一般庶民の罹患率の記載はないが、幕末に来日した医師のポンぺは、日本人の3分の1は顔にアバタがあると記載しており、恐らく30%以上が罹患したのではないか」と推定する。毎年人口の1%以上が天然痘によって減少し、それに飢饉(ききん)や他の伝染病が追い打ちをかけていたという(「病いの克服」)。
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